奈々美の告白

 そんな風にして、無事に親友の阿部あべとの学校内取引を終えた俺は、校内で待っていた香織と共にバスに乗り込み、駅前のターミナルで降りたその後は、徒歩でまっすぐ自宅へと帰宅した。

 駅近くの住宅街をしばらく歩いて自分の家の高層マンションに着き、俺達はエントランスからエレベーターに乗って、部屋がある五階にまで昇る。

 暫くの後に自動的に開いた扉から通路に出ると、多くのドアが立ち並ぶその場所を、俺達は自分達の家のドアを目指して歩き始める。

 狭い通路を俺の横に並んで歩く香織は、それが帰りのHR《ホームルーム》が長引いたせいなのか、それとも不慣れなバス通学のせいかは知らないが、酷くくたびれた様子である。

 そんな香織が、不意に話し掛けて来る。

「はぁー、疲れた……。ねえ、にーやん、バス通って、結構くたびれるね?」

「そうか? まあ、酔いさえしなければ、その内、慣れるんじゃ無いか」

「そう? 絶対慣れる!?」

「おい、そんな事、俺が分かるか? ……まあ、もしずっと慣れないような状態が続いたなら、もう思い切って自転車で通ってみるのも、案外、良いと思うぞ?」

「えっ? 自転車!? 自転車で通うの!?」

「ああ。チャリ通なら定期代も節約出来るし……。そうだ、そのおかげで、ちょっとはお小遣いも増えるかもしれないな」

 始業式以来、この三日で分かった事だが、毎朝、妹の香織と一緒のバス通と言うのは、俺に取ってはかなり気を遣う事だ。

 こっちは朝鬱のぶり返しだけで手一杯だと言うのに、この春先と来たら、そこに乗っている間じゅう、香織が気持ち悪くなって床に吐くんじゃ無いかとか、一緒に誰か乗っている誰かとぶつかってトラブルにならないかとか、後は上の方にある棚に置いた手荷物をそのまま置き忘れたり、それだけならまだしも、逆に自分の物で無い物をうっかり持って帰って仕舞ったりするんじゃ無いかとか……。

 兎に角、香織と同じバスに乗っている最中は、そんな色々な心配事が多過ぎる。

 一本ほど早いバスに乗って、香織の乗るのとは違うバスにしても良いが、普段からそんな事をしていると、あの呑気のんきではあるが家族を地球上の誰よりも愛している母さんの事だ、「お願いだから、香織と一緒のバスで通って」と言って、俺の言葉には聞く耳を持た無いに違いない。

 なので、香織がバス通で疲れを感じていると言うのなら、もういっその事、誰かさんと同じように自転車で学校に通うようになってくれれば、その兄であるこの俺は、登下校時の感情労働とも言える、そんな針のむしろに座らされているように落ち着かない気苦労タイムから解放されるのである。

 香織はお小遣いが増えると言う話に少し反応を見せたが、やがて顔を曇らせる。

「……え、で、でもっ、学校に通うのに自転車何て、ちょっと不安だよっ!?」

「じゃあ、奈々美と一緒に通えば良いだろ。中学の頃も時々、そうしてただろ?」

「あ、そっか。エヘヘ、私、奈々美ちゃんの事忘れてた。うん、じゃ、考えてみる」

 香織はそう言って、安堵した表情で正面に向き直る。

「ただし、あいつ、部活の朝練があるから、少なくとも、平日の朝は五時半起きになるけどな」

「えぇっ!! 五時半起き!?」

「休みの日はどうか知らないが、あいつはほぼ毎日、朝練のある日はちゃんとそうやってるんだ。お前に出来無いなんて事があるか」

「え、でも、にーやん、私、そんなに早く起きられないよ……」

 香織は消え入りそうな声でそう言う。

「なら、この辺で同じ東浜に通う友達を見付ければ良いだろ?」

「うん。じゃあ、その時は探して見る」

 チャリ通の話が一段落した辺りで、再び香織は話し掛けて来た。

「それにしても、今朝は色々と大変だったねっ?」

「……そうだな。まさか俺も、登校して早々、あんな事件が起こるなんて、出掛ける前の時点じゃ、想像もしなかったぞ? まあ、今日はお互いに大変だったし、今日、このあとはゆっくり休んで、来週の月曜日に備えとけよ?」

「うん! 分かった!」

 香織は口元に笑いを浮かべながら、素直にそう返事をする。

 自宅の前に辿り着いて立ち止まると、俺はまだ湿り気を帯びている制服のポケットから、そこを開ける為の鍵を取り出す。

 そこで、香織は思い出したように言った。

「あ、そだ……。ねえ、にーやん? この後、リビングでゲームやって良い?」

「あ? まあ、こっちは、これからすぐ風呂に入って、それから後はずっと自分の部屋にいるから、香織がそこを使いたいのなら、別に。そうしても構わないぞ?」

「え? 本当? やった!」

 先程の疲れ切った様子はどこへやら、香織は顔を輝かせてそう言う。

 しかし、自分の妹が、家に帰るなり、やるべき事もやらずにゲームに没頭ぼっとうするとか、新学期早々にそんな奈々美みたいな調子になって仕舞っては何だか不安なので、もはや気分の我が妹に対し、ここで一つ釘を刺して置く事にした。

「ただし、だ。お前はそうやって遊ぶ前に、学校から出ている宿題は、きちんと終わらせてからにしろよ? それも、夕食を食べる前にだ」

「え? ご飯食べる前に?」

「そうだ。夕食を食べて眠くなると、場合によってはそのまま眠りにいて、うっかり宿題をやるのを忘れて仕舞うかも知れないからな……」

 その日の内にやるべき事は、少なくとも夕食を食べる前にやって置く──。

 これは、俺は自分が中学生だった頃に身を持って経験した事柄から得た知恵だ。


 入試の難易度ランクとしては中堅レベルであり、地方の公立高校である東浜高の校内では成績優秀で一応の優等生であるこの今とは違い、その頃の俺は、当時も野球部だった親友の阿部をれ立ち、暇を見付けては遊び回る一種の悪ガキであった。

 学校の終わった放課後の時間、自転車で近くの山に遠出したり、ゲームセンターに行ったりと、犯罪とは無縁な比較的健全な手段で遊び回っていた。

 その結果、午後六時と言う家の門限ギリギリに帰宅して、入浴後に夕食を食べると酷く眠くなり、ベッドに横になって体を休めている内に眠って仕舞う。

 その結果として、宿題を忘れると言うか、忘れたフリをしてわざとやっていないなどとと言う事は、当時は日常茶飯事だった。

 今を思えば、そんな風な乱れた生活は、母親と、特に姉の方に怒られたものだが、俺の中学校時代の大半がそんな風になっていた原因は、単にあちこちを遊び回ったせいで、心身が疲れて切っていたと言う事ばかりでは無い。

 これは、高校生になった後に自分で調べて分かった事なのだが……。

 どうやら、食後に眠たくなる現象は、血中の糖分である血糖値と、それを抑制する為に膵臓すいぞうから放出される物質、インスリンが関係しているらしい。

 消化器官である小腸が食べ物を吸収し、血糖値が上がると、それを感知した膵臓からインスリンが出て、やがて食事により上昇した血糖値はその後、下降線を描く。

 当時や今の俺のような健康な中高生の膵臓が出すインスリンの分泌量と来たら、それはもう半端無いので、血糖値の下降スピードは、当然、大人などよりもずっと速くなる事になる。

 この急激な血糖値の低下が、あの猛烈な眠気を誘い、やがて宿題忘れの原因である早めの就寝へと繋がっているのであった。

 そうして必然的に、当時から俺の生活スタイルは早寝早起きとなり、高校生になった後はの今ならばともかく、当時は午後九時半から十時と言う時間には寝ていた。

 道理で遅刻はほぼ全くしなかった訳だ。

 中学校時代の成績は並み程度だったが、おかげで早寝早起きスタイルがこの身体に染み付いて、高校に上がった後は全くの休まず遅れずで学校に出て、終業式の時に皆勤かいきん賞まで貰うようになって仕舞った。

 怪我の功名こうみょうと言うことわざがあるが、全く、何が幸いするか分から無いものだ。

 今朝に遭遇したあの事件も、この事と同じように、災い転じて福となせれば良いんだがな。

 美術部の桧藤だけで無く、周りの連中も何だか興味を持っているようだし、さて、どうしたもんだろうかな……?


 と、自宅のドアの前でよそ見をしてそんな事を考えていると、香織は今俺が言った宿題などを済ます上での注意に対して元気の良い返事をする。

「うんっ! それはだいじょぶだよっ! にーやんっ!」

 香織がそう言うので、俺は安心して玄関のドアに向き直り、そこを開く。

 消灯してある薄暗い家の中には、誰もいないようだった。

 今朝、廊下の奥の別室でぐっすりと眠っていた俺達の母親は、いつものように、今日も近所のスーパーでしているパートの仕事に出掛けたようだ。

 俺は自分の部屋に戻って荷物を置くと、風呂を沸かし、しばらくの後に入浴を済ませる。

 風呂からあがってキッチン兼リビングに向かい、中央に置かれたその大きなテーブルの上を見ると、今日配られたプリントの宿題を終わらせたらしく、香織の字で解答が終わっているその一枚のオモテ面こっきりの問題用紙が、投げ出された鞄と一緒に置いてあり、香織は普段着に着替えた格好でゲームを開始していた。

 流石に、新入生に出される宿題の量は少ないようだ。

「おい、香織。あの母さんの事だ、そう言うのはきちんと鞄に入れておかないと、間違ってどこかにやって仕舞うかも知れないぞ?」

「あ……うん、そだねっ。じゃあ、今仕舞う」

 香織はコントローラーのスタート・ボタンを押し、ゲームを中断してプリントを仕舞う。

 

 ──と、そんな折、玄関の方で来客を知らせるチャイムが鳴る。

 時刻は五時半少し前だ。

 こんな時間に、一体、誰だろう?

「ちょっと見て来るから、お前はゲームの音量を絞っててくれよ?」

「うん、分かった」

 香織はリモコンを持ち、ゲーム機が接続されているテレビの音量をかなり小さくした。

 俺は玄関に歩いて行って、そのドアに近付き、そこに備えられているドア・スコープを覗く。

 すると、突然の来客は、奈々美だった。

 見た感じ、何だか泣いているようである。

 早速、俺はオート・ロックで掛かっていた錠を外して、ドアを開ける。

「おい、奈々美……」

「うわーん、隆一ぃいい~!!」

 そこでビェェエエとばかりに、奈々美は泣き声を上げた。

「あ? 奈々美……お前、どうしたんだ? つーか、うちに何をしに来たんだか、教えてくれないか?」

「うぅ~……グスッ……」

 と、奈々美からは言葉にもならない返事。

 見た所、特に外傷などは無いようだが──。

 もしかして、今日の放課後に教室で別れた後、何か事件にでも巻き込まれたんじゃ無いだろうな?

 だが、奈々美は泣いてばかりで何も言わないので、分からず仕舞いである。

「それって……ここでは、話せないような事か?」

 奈々美はようやく、うんと頷く。

 俺は玄関からキッチン兼リビングの方へ向けて、大声を出した。

「なあ、香織ー。俺、ちょっと奈々美と下にいるから、お前は家の中にいろよ? 外には出無くて良いぞー?」

 香織から了承の返事が返って来たので、俺は靴を履き、ついでに玄関前に置いてあったティッシュ箱を持って、階下の駐車場へと奈々美を連れて移動した。

 マンション一階の駐車場には、車が数台停まっており、フロアの端には駐輪場があって、そこには沢山の自転車が置かれている。

 俺がそちらへと向かい探して見ると、奈々美の自転車も、その自転車置き場に停められていた。

「よし、ここなら良いだろう。……一体全体、どうしたって言うんだ? 早く話せ」

 俺は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしている奈々美に、持って来たティッシュを差し出す。

「ちょっと、今、泣いてるんだから急かさないでよ……。ううっ……」

 などと言うので、俺は周囲の物陰に不審な人物がいないか、チェックを始める。

 俺の手から箱を受け取った奈々美は、そこから取り出した何枚かのティッシュで顔を拭くと……最後にチーンと鼻を噛むや、いきなり話をし始めた。

「えぅっ……実は……。──って、ちょっと隆一ィ!! あんた、その辺を他所見よそみなんかしてないで、私の話を聞きなさいよぉっ!!」

「……あ? 何だ? やっと、何か話す気になったのか?」

 周りには、特に人影などは無く、一応、安全のようだ。

「うん……。グス……実は今日、私、好きな人に告白したんだけど……えっく……ひぐ……。そしたら……こっちは色々と考えてアタックしたのに、あいつったら、お前とは付き合えないとか言って、その場で即座に振るしぃいいいいぃっ!」

 そして奈々美は、ウェーンとばかりに、大声を上げて泣き出した。

 俺はそんな奈々美の様子に面喰いつつ、端的に質問を発した。

「あ……何だ、奈々美、お前今日、失恋したのか?」

「そうよぉっ!」

 奈々美はそう叫ぶように答え、再び鼻を噛む。

「……で、どうした?」

「しょうが無いから、こうして泣きながら帰って来たわよぉっ! ……つーか、あいつったら、許せないでしょ!? この私を、あんな風にこっぴどく振るなんてぇ……グスッ……」

「何だ、それで、その愚痴を聞いて貰うついでに慰めて貰おうと思って、学校からの帰りがてら、俺んに寄ったって訳か?」

「……うん、そう」

 奈々美はそう言い、また激しく鼻を噛んだ。

 ……まあ、何事も無くて良かった。

 この奈々美の様子なら、大丈夫だろう。

 途端、肩の荷が下りたように気持ちの軽くなった俺は、この失恋したばかりの幼馴染みに、その傷心を癒すような明るく優しい笑顔を作り、心ばかりの言葉を掛ける。

「まあ、長い人生、そんな事もあるさ。そんな困難に負けずに、これからも、頑張って行けよなっ」

「……何よ、その言い草ぁっ! これからも頑張れって、たったそれだけぇ!? もっと、ちゃんと慰めてよ!」

 ああ、面倒臭い。

「そっか? 何か、気の利いた事言え無くて、悪いな。……ん、待てよ?」

 と、奈々美にどのような言葉を掛けたら良いのやら迷う俺の脳裏に、そこでふと、別の疑問が浮かび上がる。

 奈々美の言う、あいつって誰だ?

 今日、奈々美が愛の告白をしたその相手とは、一体、誰の事なのだろう。

 そう考えて思い当たる人物の顔は、一杯あった。

 れた俺は、矢も楯もたまらなくなって、顔を拭いている奈々美に、単刀直入に質問をぶつけて見る。

「所で、一つ質問良いか? なあ、奈々美。お前が今日、学校で告白して振られたその好きな相手って、もしかして、高梨の事か?」

 遠慮の無い幼馴染の関係とは言え、一応、周囲には聞こえぬように配慮し、低い声でそう聞く俺の質問に、奈々美は、

「えっ……? な、何で私が好きな相手が高梨くんなのよっ!? ちっ、違うしぃ! いや、普通に考えても、そんな訳無いでしょ……」

 と返答を寄越す。

「はぁ? 全く、お前は高梨を何だと思ってるんだ?」

「あ、いやっ、別に、あり得ない訳じゃ無いけど……。高梨くんって格好良いし。でも、仮にそうだとしても、そんなレベル高い所、いきなり狙う訳無いでしょ」

「……全く、お前は何を言ってるんだ? 勉強だけで無く、そっち方面も不真面目だな。全く、この浮気者が!」

「何で浮気者なのよ……。グスッ」

 奈々美は疑問をていしつつ、鼻をすすり上げる。

「お前なあ……。仮に本当にその人が好きで、彼氏彼女の関係で付き合って行きたいと言う気持ちがあるならば、最初はまずその本命だけを狙って行くべき何だぞ。全く、本命と付き合い始める前に浮気してどうする?」

「そ、それはそうだけど……」

 複数の相手を心の中でキープして置くだけなら兎も角、実際にそれで本命以外と付き合い始めたりして仕舞うのは、問題がある。

 少なくともこの国の一般常識ではご法度だ。

 そもそも、そんな邪道なやり方で本命が振り向いてくれるとか、そんなミラクルな事、相手の感情とか統計とか、そう言う経験則上で分かる色々なものを踏まえて、ありると思ってるのか、こいつは?

 しかし、感情的になっている奈々美を相手にそんな説教をしていると、それこそ日が暮れるまで、何時間でも消費して仕舞うだろうと思われるので、仕方なく俺は奈々美のその考え違いをスルーし、事実の解明を急ぐ事にした。

「いや、だから、別に私、高梨くんが本命って訳じゃ無いし……。って言うか、今日は高梨くんの方じゃなくて、その本命にこくって振られたんだけどぉ!!」

「え? あ、そうなのか? なら、相手は高梨じゃ無いんだな。なら、良かった……」

「は? なっ、何が良いのよ? うう、グズッ……」

 おっと、俺とした事が、ほっとして気が緩んだ弾みで、つい、口から本音が飛び出して仕舞ったようだ。

「ああ、それはだな。ええと、まあ、その、何だ……。あ、そう、そうだ。ちょっとした言葉のあやってやつだから、気にするな」

 先程、俺が言った良かったと言う言葉の意味は、俺のグループに恋愛関係の変動とか、そう言う余計ないざこざやトラブルが発生していなくて良かったと言う意味だ。

 古くからの幼馴染である俺としては、奈々美が好きだと言うもう一方との間に立って、事が丸く収まるように事後処理に乗り出さなければならない事になる。

「なら、良いけどっ……」

「それじゃ……今日、お前のそのはた迷惑めいわくな愛のアタックをした相手が高梨で無って言うなら、そいつは一体、どこの誰なんだ? あ、まさか、阿部の方か? もしそうなら、どう考えたって、あいつにはもう付き合ってる相手がいるから、無理だぞ? 完全にあきらめろとまでは言わないが、お前が何かアクションを起こすなら、あいつとその付き合っている相手であるうちの香織が、別れてからにするんだな」

 もっとも、阿部と香織は、お互いが中学生であった付き合い出した頃と同様に、相変わらずラブラブな調子なので、別れるとかそんな事は当分、先の事になりそうだが。

 見たところ、どうやらあいつらは一直線にその愛を貫くのでは無いかと思っている。

「傍迷惑って何よ? 私、バレーのアタックは上手い方だしっ! って言うか、阿部君とカオリンが付き合ってるとか、そんな事、中学の時から知ってるから! そもそも、私の本命の相手って言うのは阿部くんじゃないのよ。全く全然違う人だからっ!」

「あ? そうか? なら、俺の方としては、別に構う事は何も無いな」

「何よ、何も言う事は無いって……。友達なら、この傷心の私をなぐさめるとか、何か助言してよ……」

「そうか。じゃあ、ちょっと待っててくれ。今、考えるから」

「……分かった」

 奈々美がそう言ったので、俺は広い駐車場を眺め渡しながら、思案し始める。

 

 ──それにしても、この奈々美の持ち込んで来た話を、どうしたものか……。 

 その本命と奈々美との間を取り持つキューピッドになるとか、俺の方としては、正直、そんな面倒な事をするのは、非常にと言うかとてつも無く嫌なので、やりたくない。

 が、このようなトラブルが持ち上がっている場合、それに対する善意の第三者によるアフター・フォローを、周囲は同じ学校に通って同じクラスに所属している俺のような幼馴染に対し、当然のように求めるものだ。

 もし俺の母親にこの事が耳に入ったのなら、あの香織と同じ、人畜無害の童顔と言うか、悪く言えば子供っぽくて頭カラッポそうな顔に、若干苦笑したような表情を浮かべて、遠慮勝ちにこう聞いて来る事だろう。

「ねえ、隆一? 松原さんの奈々美ちゃんが、最近、色々あったって言うんだけど……隆一の方は、それに付いて何か聞いてなあい?」

 そんな事を聞かれたとしたら、俺は息子を無条件に信頼し、家族ぐるみの付き合いをしている松原家の長女である奈々美へのサポートに付いて、これまでと同様、十二分な働きをしているとはなから思い込んでいるあの能天気母さんに、何をどう答えれば良いと言うんだ。

 この先、奈々美と相手との関係がこじれて、奈々美が何かしでかし、事が大きくなってからでは、それは最悪だ。

 今回は、奈々美がどう言う状況にあるのか事前に分かったので、そんな事にならずに済みそうで本当に良かったが、危ない所だ。

 そんな事を考えながら、俺はさっきした質問を、更に掘り下げて繰り出す。

「良し。考えがまとまったから、話を再開するぞ」

「あ、そ、そう」

「もう一度確認して置くが、その相手は、阿部でも高梨でも無いんだな」

「……そうよ」

「そこまでは分かったが、しかし、お前が今日振られたと言う、その意中の相手の情報がもう少し無いと、恋愛の助言なんて、しようが無いぞ? 今回の事に付いて、俺から色々とアドヴァイスをしてやっても良いが、その辺の所をもっと詳しく話してくれ」

「え? 相手の情報?」

「そうだ。そう言うのが全く分から無い状態で、俺が常識的で一般的な恋愛作法をあれこれ言った所で、それを聞く側のお前の方としては、余り役に立たないだろう」

「そ、それはそう、だけど……。あ……け、けどっ、個人名は勘弁してよねっ!? 何か、そう言うのって、隆一でも知られると恥ずかしいし……」

「それもそうだろうな。じゃあ、その相手の名前とかは良いから、彼がどう言う人で、いつ知り合ったのかとか、そう言う情報をくれ」

「ちょ、ちょっと待って。えっと……お互い、結構前から顔見知りではあったんだけど……。相手は、最近、偶然親しくなった、運動部の人」

 ボソボソとした声で、ようやく奈々美は答える。

「何? 運動部? ……ああ、なるほど、そう言う出会いか」

 今の奈々美の一言で、俺は大体の事が分かって仕舞った。

 それだけ聞けば、奈々美の抱えている恋愛模様の詳しい事情など預かり知らぬ俺にも、何となく、当事者の出会いの場面を想像する事は出来る。

 我が東浜高校では、奈々美が所属している女子バレー部、そして男子バスケ部が、グラウンドのはずれにある同じ一つの体育館を部活動において共用している。

 その使用権の割り当てを巡っては、昔から両部の間で丁々発止ちょうちょうはっし小競こぜり合いのような揉め事が頻発していたらしく、ある時、校内の運動部全てを取りまとめている生徒会のような管理運営組織、運動部会が話し合いの場を設けた。

 そこでの度重たびかさなる交渉の末、現在のような合意内容で、目出度めでたくく落着したらしい。

 それは、女子バレー部は授業の始まる前の朝練を中心に、男子バレー部は授業の終わった放課後の時間を中心に体育館の全面を使うと言う、内容だ。

 このように、有限の公共財である学校の体育館の使用に付いてお互いの活動時間をずらす事で、どちらかが使用している為に他方が使用出来無いと言う、共有資源分配上の競合を回避したようだ。

 それぞれの種目の特徴として、女子バレーは体育館を真ん中で二つに分けたハーフ・コートでも十分活動出来るが、バスケットはその全面を使用するフルコートで無ければ、実際の試合を想定した練習が出来無い。

 おそらく、奈々美が今日の放課後に告白に失敗した意中の相手と言うのは、そんな女子バレー部と因縁いんねんあさからぬ男子バスケット部の部員か、そうで無かったにしても、その周りに関係している誰かに違いない。

 大方おおかた、ハーフコートで練習でもしている最中に、その本命の彼と親しくなる切っ掛けでもあったのだろう。

「後、何回か話をして。それで今日、思い切って私と付き合って下さいって言ったら、もう好きな人が他にいて、そう言う間柄あいだがらになってるからって……。そう言われて、断られた……。グスッ」

「そうか……。それは、気の毒な話だったな」

 俺は本心から、そんななぐさめの声を掛ける。

 若い男女が何かのきっかけでお互いに知り合い、どちらかが一方に告白して、振られる。

 それは、この高校生と言う青春真っ只中の時期には、ありがちな過程であり、そしてありがちな結果だ。

 そんなシーンなど一切記憶に無い俺でも、入学以来、この三年生になるまで既に丸二年もの時間を過ごして来ている以上、少なくとも、俺にも告白シーンとか、それと似たような展開になり掛けた事くらいはある。

 あれはいつだったか、秋だったような気がするが、心の奥に仕舞いこんで封印して仕舞ったので、もう上手く思い出せない。

 もしあの時、俺が彼女との関係を曖昧なまま終わらせ無かったら、今の俺には阿部と同じように、恋人として付き合う彼女が出来ていたのかも知れない。

 やはり俺は、委員会活動を通じて知り合った、あのもう話す事は無い別のクラスの彼女の話を、はぐらかさずにきちんと受け止めて置くべきだったのかも知れない。

 だが、今と同様、当時も別の人に気があった俺には、本命とまでは言え無かったその彼女からの告白を真正面から受けるとか、そんな事態を招く勇気は無かった。

 ──そんな関係の無い話は、今はひとまず置いて置くとしても。


 さて、奈々美は今日、意中の相手に愛の告白をし、そして、見事に振られた。

 その辺りの事は、同情出来る部分があるとしても、である。

 今聞いた奈々美の話に付いて、俺には指摘したい点が幾つかある。

「おい、奈々美」

「何よ? 『気の毒な話だった』、とか……。隆一は、他人の恋を勝手に過去形で終わらせるなぁ! うう、グスッ……」

「いやっ……出会って五、六回以上話したって言うけどな、それって告白をするにしては、幾ら何でも、タイミング的にちょっと早過ぎなんじゃないか?」

「は!? 早過ぎるって、どこがよ! 愛には時間なんて関係無いでしょ!」

 そう言って、奈々美は派手な音を立てながら、取り出したティッシュで鼻をかんだ。

 この奈々美の反駁に、俺は溜息交じりに指摘する。

「はぁ、お前の方は、そうなのかも知れないがな……。でも、そう言うのってお互いを良く知り合う為に、普通は最低でも一、二ヶ月くらいの時間は必要だと思うぞ? あくまで、平均的な話だがな。全く、惚れっぽい奴だな?」

「余計なお世話よ、グスッ……」

「早過ぎるって、それはそうかも知れ無いけど……。でも、最初に知り合いになってから、もう三週間くらい経ってたし……。今日は雰囲気も良かったし……。兎に角、その時はそう言うムードだったのっ!」

「ムードに流されるな、ムードに! そもそも、出会ってたった三週間で告白して付き合い出すって、そんな事が、現実にあり得ると思うか? 物理的にあり得ないとまでは言わないけどな? ギャル・ゲーって言うか、その辺の恋愛ADVでも難しいと思うぞ、そんなの。もし現実にそんな事があったとしても、それは極稀ごくまれな場合と言うか、たまにだけある特殊なケースだ。三週間で付き合う所まで行くのは、少なくとも、この現実の世の中では全く一般的な事じゃ無いな。奈々美、お前はリアル恋愛のスピード攻略でも目指してるのか?」

「グス……そんな訳無いでしょ……」

「じゃあ、もう少しゆっくりやって行ったらどうだ?」

「何よ! リアルは漫画やゲームじゃ無いのよ! 隆一はもっと現実を見ろ!! ちゃんとリアルの基準で物を言えーっ!!」

「お前が言うなっ!」

「いいか? 現実に付き合うって言うのはな、いつでもセーブ&ロードでリセット出来て、中の人などいないNPCを相手にするゲームとは違って、お互いにリスクがあるんだ。相手は他の誰かと付き合い始めたか何かしたばっかりなんだろ? そんなタイミングでお前に乗り換えたとしたら、誰に何と言われるか。お前も自分の気持ちと都合ばかり考えてないで、そう言う先方の事情も考えろ」

「ぐうっ……」

 言葉に詰まった奈々美は、視線を落とし、下唇を噛む。

「分かった……。今回は、あいつじゃ無くて、色々私の方が悪かったんだと思う」

 そう言って、奈々美は肩を落とし、しゅんとなる。

「そうか、ようやく分かったてくれたか」

「うん……。でも、タイミングの話はもう良いわ。相手がもう誰かと付き合ってるのなら、タイミングとか関係無いし……。後は略奪愛の計画を自分で練って見る」

「あ? まあ、それもそうだな。じゃあ、この話は止めだ」

 略奪愛とは、何か不穏ふおんな言葉が飛び出したが、今日の所は、ひとまずこれで大丈夫だろう。

 あー、大事に至る前で本当に良かった。


 その後、奈々美は何か言いたげにしばらく黙っていたが──途端に表情を変えて口を開いた。

「あ、そうだ……。良い事考えた」

「ん? 何だ?」

 と、そんな風に俺は、奈々美の次に繰り出す言葉を警戒する。

 奈々美がその場のひらめきで何かを言い出す時は、大抵、何かとてつもなく下らなくてロクでもない事を考え付いた時だ。

「私を振ったあいつの代わりに、隆一が私と付き合うってのはどう?」

 そう提案し、奈々美はニヤニヤする。

「はぁ? 奈々美……お前、悪い風邪でも引いたんじゃ無いのか?」

 この奈々美の突拍子も無い提案に、俺は呆れ果て、そして、広げた自分の手の平を片方ずつ、自分の額と奈々美の額に当ててみる。

「は? な、何よ? 唐突に熱があるかどうか調べないでよ」

「良いから、じっとしてろ」

 奈々美は目の上の方にある俺の手を睨みつつ、不満げな顔で黙り込む。

 俺はじっと温度の差の感知を試みるが、両腕の先の手の平に感じる温度には、大して違いは無い。

「うーん、今の所、熱は無いみたいだが……」

「な、何言ってんのよ! 熱とか、そんな物ある訳無いでしょっ!? 馬鹿にしないでよねっ!」

 奈々美はキレて、いきり立つ。

「じゃあ、冗談か?」

「ううん。本気よ、本気!」

「なら、どうしてそう思ったのか、言って見ろ」

「えっと……。勿論、私と隆一は付き合ってるフリをしてるだけなんだけど、事情を知ら無いあいつの目には、相思相愛の仲に見えるはずなの」

「それで?」

「そうして、そんな私達二人の仲睦なかむつまじい様子を、あいつに見せびらかしてやるのよ。そうすれば、あいつはうらやましくなって、私を振った事を後悔すると思うし!」

「それから?」

「そうして、憎たらしいあん畜生に、リベンジ完了っ!!」

 奈々美はそう言って、ニッコリと笑う。

「おい! 幼馴染を復讐の道具に使うな! 復讐の道具に! しかも逆恨みだろ、それ!? て言うか、略奪愛の方はどうするんだ!?」

 そう激しく注意したが、奈々美は自ら発案したリベンジ計画にすっかり夢中になっている。

「いいじゃなーい! うん、最高の作戦よ、これ!」

「何が最高だ? どう考えても、最低最悪だぞ?」

「そうすれば、きっとあいつもこの私の価値に気が付いてくれるし、あ、もしかしたら新しい彼女から略奪愛まで出来ちゃうかもっ!」

「お前、さっき俺が言った事を真面目に聞いてたか?」

「聞いてたわよ、勿論もちろん

「なら聞くが、そんな事をして、お前はそれで構わないんだろうが、それで俺の立場はどうなる? この俺の立場は? つーか、仮にその計画を実行したとしても、そんな風に上手く行くとは、とても思え無いぞ?」

「別に良いじゃない、隆一の立場何て、そんな事難しく考えなくても。私と隆一とのカップリングは永続的にそうし続ける訳じゃ無くて、あいつを振り向かせる事に成功するまでの一定期間……つまり、一時的なもので良いのよ。その関係を解消した後に後で事情を説明すれば、周囲も分かってくれると思うし……」

「それはそうかも知れないが、俺の方としては、一時的にでも、お前と恋人同士の関係になるのはお断りだ」

「いや、そんな風には、とても思え無いな。」

「で、どうよ? 隆一の返事を聞かせて」

 俺は奈々美の顔を見つめて、端的に返答する。

「傷心の所悪いんだがな。俺とお前が仮装の恋人同士になるとか、そんなふざけた提案は、断固、断らせて貰うぞ」

「何でよ!! 良いじゃなーい! 私の方は真剣なのにィ!」

 奈々美は歯を剥き出しにしてそう言った。

「幾ら真剣でも、駄目だっ。お前の方はそれで満足なのだろうがな……俺の方としては、すこぶる大迷惑だぞ。大体、そんな計画を実行して、もし周りに俺達が本当に付き合ってるとでも誤解されたら、俺はどうしたら良いんだ? そうなると、お互いに後々困る事があるんじゃ無いか?」

「ふん、その点は心配無いわよ。もし説明しても分かってもらえないような事になったら、ほとぼとりが覚めた辺りで自然消滅を装って、別れた事にすれば良いし。あ……そうだ、私が隆一を振った事にするとか、どう?」

「なら、ますます駄目だな。この俺がお前のような奴に振られるとか、赤っ恥も良い所だぞ!?」

「何よ、それ!! それじゃまるで、この私がレベルの低い女みたいじゃなーい!」

「あ……まさかとは思うが、奈々美、お前、自分はレベル高い女だと思ってたのか……?」

「え? 私のレベル……? うーん……。強いてと言うか、どちらかと言えば、普通? みたいな」

「何が普通だ。お前の女子ランクなど、低だ! 低!」

「私が低って……じゃあ、何? 隆一は高だって言いたい訳!? 何それ、ムカつくー!!」

 奈々美はそう言って怒り出す。

「俺とお前のランクとか、そんなの、今、どうでも良く無いか?」

「そうね。まあ、その辺の話はこの際、どうでも良いとして……いや、全然どうでも良く無いけど」

 奈々美は話を切り替える。

「隆一と私がダミー・カップルを演じる事には、隆一にもメリットがあると思うのよ」

「俺がお前と付き合うメリット? そんなものあるのか?」

「隆一はまだ、女の子と恋愛的に付き合った経験無いでしょ? ……私も無いけど」

「あ? ああ」

「幼馴染とは言っても、そうして交際した経験があれば、今後の隆一の女性遍歴に箔が付くと思うのよ。これで隆一も、一段と磨きの掛かった男になれるじゃ無いの!」

 そんな風に、奈々美は自信満々で似非カップリング計画を実行するメリットを語る。

 それを聞いて、俺は多少、心が揺れ動いたと言うか、少しばかりの魅力を感じたが、しかし、仮にそれで男が磨けるとしても、俺はその砥石といしとして、わざわざお前を選びたくは無いな。

 俺は奈々美の提案に対する正直な感想を述べる。

「じゃあ、俺の付き合った事のある女性の一覧にお前が入るのか? まるで悪夢のようだな?」

「え? 何よ、その言い方! どう考えても、恋人が無い歴=《イコール》年齢よりマシだと思うけどー!」

 それは、一理あるのだが、しかし。

「なあ、悪いが、そう言う話は本当に勘弁してくれ。この通りだ、頼む!」

 俺はそう言って、奈々美に向かって手を合わせる。

 それを見た奈々美は、

「な、何? どーしても嫌なの? 全く、マジに断っちゃって、失礼な奴……」

「済まんな。こっちにも事情があるんだ」

「ふんっ! いいわよ、分かった。そんな事したって、私を振った相手が戻って来る訳で無し……」

「そうだろう。きっと、振られたショックで混乱して頭が暴走してるんだ。今日はもう家に帰って、食事をしたら、風呂にでも入ってゆっくり考え直せ」

「うん、分かった。ごめん……グスッ」

 そう謝り、奈々美は鼻をすする。

「あ、寝る前に、ちゃんと宿題はやれよ?」

「え? 宿題!? 何よ、それぇ! こんな時ぐらい、済ませたやつを見せてよ! 明日……じゃ無かった、さっき教室でも言ったけど、月曜日の朝で良いからーっ! 傷心の相手に対して宿題をやれって言うとか、隆一は酷過ぎィー!!」

「分かった分かった。じゃあ、そいつは月曜日に見せてやるから。もうそろそろ、時間も遅くなるし、奈々美の方は、今日はもう帰れ」

「うん、分かった……。それじゃ、今日はもう帰る……グス。家に着いたら、冷蔵庫の中の物をやけ食いして、お風呂に入って、寝るわ」

「ああ、そうしろ。そして、何もかも忘れて仕舞え。明日から新しい気持ちで出発するんだ」

「……それにしても、同じ日に付き合いを持ち掛けて二度も振られる何てえ! 私ってば、今日は本当に最悪ゥー!」

 全く、それはこっちの台詞だ。

 本日は朝から今に掛けて、何と言う災難の続く日なのだろう。

 どっちにとっても、本当に今日は厄日だ。

「あ、でも、私との偽装カップルをそこまで頑なに拒否するって事は……もしかして隆一、好きな人でもいるの?」

 唐突に、奈々美はドキッとする質問を投げ掛ける。

 こいつは、そう言うどうでも良い所だけは勘が鋭いから、始末に困る。

「ノーコメントだ。そんな事より、お前はまず、自分の恋愛事情の方を考えてろっ」

「そ、そうね。そうする……。う、うぐっ……」

 すると、先程の告白シーンを思い出したのか、奈々美はまた今にも泣き出しそうな表情になる。

 そんな悲し気な奈々美の顔を見て、俺は一瞬、胸が詰まって仕舞う。

「ぐっ……」

 しかし、参ったな。

 殆どお互いに悪友とも言える関係とは言え、幼い頃からの付き合いである奈々美のこう言う悲しみにくれた姿を見ると、やはり俺も胸苦しい気持ちになるのだった。

「お、おい! 今、振られた時の事を思い出すなっ! そう言うセンチメンタルな回想は、自分の家に帰ってからにしろ!」

「わ、分かってるわよぉっ! こんな所で号泣なんて、恥ずかしいし! グズッ……」

 奈々美は片腕を上げて目を拭う。

「ほら、鼻水が出てるぞ! 鼻を噛め、鼻を!」

 俺は上着からポケット・ティッシュを取り出し、奈々美にやる。

「うん、ありがと……」

 奈々美は鼻声で礼を言うと、遠慮無くそれを受け取り、チーンとさっきから鼻水が垂れそうになっている詰まり気味の鼻を噛んだ。

「まあ、そう気を落とすな。それに案外、そいつはお前が好きになったような奴では無いかも知れないぞ?」

「ど、どう言う事よ、それ?」

 奈々美は噛んだティッシュを自分のポケットの中に仕舞う。

「知ってるか? この国で結婚した夫婦の離婚率はな、その実、三分の一もあるんだ。つまり、お前とそいつが付き合って将来結婚したとしても、一生涯添い遂げる確率は、最終的にせいぜい三分の一ぐらいしか無いって事なんだぞ」

「ふーん、で?」

「いや……でって……」

「ふん、そんなの、今の私には関係無いし。それでも……私はあいつと付き合いたかった。例え最後は3分の1で別れるとしても、今は一緒に時間を過ごしたかった……」

「それはそうだろうな。だが、残念ながら、向こうはお前の事をそう言う関係になれる風には見て無いんだ。少なくとも、当分の間は諦めろ。新しい彼女とは折り合いが悪くなって別れるかも知れ無いし、状況が好転するまで待てばいい。そいつはキープとしてだ、今の内に別の相手でも探して置け。それ位の気持ちで無きゃ、新しい恋何て見付から無いぞ?」

 ギャル・ゲーの知識のみを頼りにして、そんな風に自信たっぷりに恋愛のアドバイスを滔々とうとうと述べて幼馴染を勇気づける自分の演技力に、俺は自分自身で感心して仕舞う。

「うん、そうする……」

 奈々美は新しいティッシュを取り出し、再び鼻を噛んだ。

「じゃ、今日はこれで帰る……。話を聞いてくれて、ありがと」

「ああ、気を付けて帰れよ。じゃあな」

「はぁ!? ちょっと、もうっ、途中まで送って行ってよ!? 隆一、あんた、この失恋して泣き腫らしてる私を、独りで家に帰す気ィ!?」

「はあ? 全く、しょうの無い奴だな? じゃあ、送ってってやるから、ちょっとここで待ってろ」

「うん……グスッ」

 そこで、俺は一旦家に戻り、そこから自転車の鍵を取って来て、自転車置き場に置いてある自分の自転車を乗って漕げるようにした。

「それじゃあ、行くぞ」

「うん。」

 その後、各自の自転車にそれぞれ跨った俺達二人は、次第に暗くなって行く夕暮れ時の街並みの中を、明日に向かって走り出した。

 通常、自転車は他人に支えられて漕ぐものでは無く、自分一人で漕いで行くものだ。

 人生もそれと同じで、支えてやれる事と、そうで無い事がある。

 そんな良い話をして、俺は普通ならばこの後に降り掛かって来るであろう、キューピッド役の依頼のような奈々美の厄介な要求をそれとなく事前にかわしつつ、奈々美の家へと向かった。

 奴を線路を乗り越えて駅の反対側にあるその家に無事に送り届けると、俺はそこの門前で別れ、さっさと自分の家に引き返した。

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