それぞれの用件

 放課後に三年六組の教室で行ったそんな推理会も、各自の仮説・推論を述べる議論が出尽くしてとうとう一段落し、帰りの準備が整った者から順次教室を離れるようにし、解散となった。

 この後、俺は阿部とちょっとした用事があったので、奴と椅子に座ってダラダラしていると、教室の後ろの方で、鞄を床に置いて黒板を背にして立つ奈々美が、そこに寄り掛かかったままケータイをいじっているのを目にした。

 不審に思ったので、俺は座ったまま声を掛ける。

「なあ、松原。どうしたんだ? 帰らないのか?」

 すると、奈々美は顔を上げてこう答える。

「実は私、この後、学校の中で用事があるのよ。もう時間だし、じゃ、そろそろ行くわ。それでは、また来週。ごきげんよう」

 と、慇懃いんぎんに別れの挨拶をした奈々美は、鞄を持ち上げ、教室の出入り口を目指す。

 そんな奈々美の後を追うように、阿部は質問を投げ掛けた。

「よう、松原。これから学校に用事って……それは、一体どんな用事だよ?」

「それは秘密」

 と、奈々美がそんなふざけた答えを寄越して来たので、俺は問いただした。

「おい待て、松原。まさかお前、これから今朝の事件の現場を見に行くんじゃ無いだろうな? そこは警察が調べるから、当分の間は立入禁止と言われただろ。それと、今日は部活も中止になったし、帰りのHR《ホームルーム》の時、先生から真っ直ぐ家に帰るように言われだろ。お前それ、全然聞いて無かったのか?」

「聞いてたわよ! でも、その用事を済ますのは、時期的に今日しか無いの」

「はぁ? 全く……お前は本当に学校の先生や親の言う事を聞かない奴だな? そんなんで何かあっても、俺達は知らないぞ?」

「じゃあ、心配なら、それが終わるまで、成海は帰らずにちょっとここで待っててよ。私達、お互いの家は近いんだし」

 この奈々美の依頼に、俺は吐き捨てるように返事をした。

「俺はこれから、香織と一緒に家に帰って、風呂に入って宿題をしたら、阿部から借りてる新しいゲームをする予定なんだぞ。そんなお前の個人的な用事なんぞに、付き合ってられるかっ!」

「……じゃあ、阿部君は?」

わりィーな、松原。俺もこの後、実は用事があって、忙しいんだよ」

 そう言って、阿部は奈々美の申し出を断る。

「あ、そ。……そんじゃ、やっぱり成海」

「おい松原、お前、さっき俺が言った事、聞いてたか? 俺は香織と一緒に乗るバスの時刻の予定があるから、今日は無理だ」

 俺がその依頼を再度きっぱりと断ると、その途端、奈々美は逆上してこう言った。

「は!? 何よそれ!? 今朝はあんな事件があったって言うのに、成海はこの長年の盟友である私の事、心配じゃ無いの!? この薄情者!」

「おい、そうやって大声を出すな! 良く考えてもみろ。だって、犯人は深夜に行動してあの犯行を行ったんだぞ? なら、それが仮に妖精であったとしてもだ、もう昼頃には眠りに入って、こんな今頃の時刻は、まだ寝てるんじゃ無いのか? 犯人がもし人間なら……。いや、多分、確実にそうだろうが、それなら、睡眠が必要なのは尚更だしな」

「いや、犯人は寝てるだろうって、それはそうかも知れないけど……。私だって妖精がいるとか、半分しか本気で信じて無いし」

 じゃ、半分は本気で信じてるのか。

 全く、もう高校三年生にもなったと言うのに、とんでもない不合理な信念を持ってる女だな、こいつは。

 今度、妖精とかそんな子供染みた事を平気で言ったら、その時はイラショナル・ビリーフ・ガールと呼んでやろう。

 その頭文字を取ると、略してIBGアイビージーだ。

 妹の香織に、奈々美の妄想病が伝染うつって、そんなIBGにならないように、今後とも注意してやらなくてはな。

 俺の歯の浮くような顔をよそに、奈々美は首を傾げて言う。

「ん? 所で……成海が阿部くんから借りたゲーム? それってまさか、あの裸の女の子とかが一杯出て来る、十八禁とかの、その手の種類のいやらしい奴じゃないでしょうね?」

 奈々美は俺に向かって、疑いの色のある目を向ける。

「あ……? なっ! そんな訳があるか! なあ、阿部?」

「あ、ああ。そ、そうだぜ。エロいゲームとか、そんな訳無いだろ。ははっ……」

 と、腹の底を見透かされたような気持ちにでもなったのか、阿部がしどろもどろにそう調子を合わせるので、俺は奈々美に、必死の反論を開始する。

「……大体だな。そもそも、もし仮にそうだとして、だから、それが何だと言うんだ? 知っているとは思うが、俺はこないだの誕生日で十八歳を迎えたから、その手の年齢制限は当然クリアしている。それは、お前が言うような色気のある物ばかりで無く、ホラー・ゲームとか、シューティング・ゲームとか、アクション・ゲームとか、そう言うバイオレンスな奴を含めてな」

「あ、そうか……なるほど。確かに、私、まだ十七だから、暴力とか残酷表現のせいで、海外のゲームとかプレイ出来無い時があるし。成海はもう十八歳になったから、そう言う系のゲームも、プレイ出来るのね」

 と、奈々美は納得した様子。

 まさかとは思うが、奈々美は俺が今日この後、阿部から借りようとしているブツ……。

 つまり、明るく健康的なロマンとエロスに満ちているあの種のゲーム・ソフトを、自分もやってみたいと思い──幼少の頃の悪行の恥を共有しているせいで、もはや、殆どの事に付いて遠慮したりはばかる必要の無い、恥も外聞も無い俺から、そいつを借りようとしてるんじゃ無いだろうな?

 仮に、俺がそうした物を持っていたとして……そんな物、誰がお前になど貸すか!

 そう思い、俺は奈々美の帰宅を促す。

「つーか、そんなどうでも良い事を気にしてないで、お前は用事があるなら、こんな所で余計なおしゃべりに参加して無いで、用件を済ませて、とっとと帰れ。用事が済むよりも先に、それより優先度の低い事をする奴がいるか」

「はいはい。……じゃ、気を付けて帰ってよ」

 自らの批判に合理的根拠が無い事を突かれて、奈々美はあっさりと引き下った。

 それにしても、今日は妙に絡んで来るな。

 今朝の件があったので、幼馴染として心配してくれているのかもしれ無いが、面倒な奴だ。 

「……あ、そうそう、ついでだけど、明日の朝、宿題の答え合わせにノート見せてくれる?」

 図々しくもいっぱいの笑顔でそう頼んでくるこの奈々美の太ましさに、俺は早々に降参した。

「ああ、英語でも数学でも見せてやるから、今日はもう俺に構うなっ……。朝から散々でもうクタクタなんだ。大体、今何時だと思ってるんだ。時計を見ろ」

 奈々美は不満げな顔で、黙って教室の前面に掛かっている大きな丸い時計を見る。

「えーと……今は、四時半ね」

「もう時間も遅いし、近頃は物騒だ。親御さんも心配するから、家に連絡をして、今日はもう帰れっ。さっきも言ったが、俺は香織と一緒に帰るから、悪いが、お前の用事が済むまでは待っていられないぞ?」

「あー、はいはい。分かったわよ。そんなにキツく言わ無くても、用事が済んだらちゃんと帰るわよ。……って言うか、見せて貰えるノート、次の月曜日に絶対忘れないでよねっ。近頃、女子バレー部の新入生の掻き入れと、その指導に忙しくて、全然宿題が手につかないんだから」

 そんな事は、お前が自分から抱え込んだ個人的な事情だ。

 全く、奈々美と来たら、昔から「お前の物は俺の物」な所があるよな。

 が、しかし、まあ、部活熱心なのは良い事だし、中学まではパッとしなかったお前が、どう言う訳か高校では学校を代表する運動部の部長にまでなって仕舞ったが、俺としては、その頑張りに報いてやらんでもない。

「宿題を見せてやる事に付いては、心配し無くて良いから、お前はさっさと用事を済ませて、か、え、れ」

「あ、そ。じゃ、よろしくー!」

 俺の言葉に、奈々美はそう頼んで、くるりと踵を返して教室の外に歩いて行った。

 まだ先生や生徒も沢山残ってるし、問題無いだろう。


 そうして奈々美が教室を出て行った後、俺と阿部も帰り支度をし、教室を出る。

 人影もまばらな閑散とした廊下に出るなり、俺達は人目を気にしつつ、極力、自然に振る舞いながら、するりとばかりに近くの男子トイレへと入った。

 予定されていたこの取引を無事に終わらせるには、どうしても、人気のない場所に移動する必要があったのである。

 トイレの個室の陰に人などがいない事を確認すると、早速さっそく、俺と阿部は交換を開始する。

 阿部は自分の鞄を開け、その奥の方から、灰色のビニール袋に入れた長方形の物体を取り出した。

「ほらよ、例のブツだぜ」

「ああ、ありがとな。しばらく借りとくぞ」

 俺は礼を言い、それを袋ごと自分の鞄へと仕舞う。

 袋の中身は、適当な音楽CDのケースになっていて、はた目には如何いかにも流行のポップのようだが、これは学校内で取引を安全に行う為の、擬装用のパッケージである。

 肝心のCDケースの中に収められたディスクの方はと言えば、先程、奈々美が疑いを向けたような、男子の夢が一杯に詰まったソフト、即ち、十八禁のギャル・ゲーでだった。


 これは、お互いに持っているゲーム・ソフトの交換をしたい俺達が、苦肉の策として編み出した取引手段だった。

 お互いにかなり近い所に家がある奈々美とは違って、阿部の家は、かつて通い卒業した小学校が違う位には俺の家から離れた場所にあり、更に、彼は野球部での投手としての活動に忙しいので、休日で無ければ、平日は学校の放課後ぐらいしか、こうしたブツを受け渡し出来る時間と場所が無い。

 毎回、ギャル・ゲーばかり借りている訳では無いが、RPGとか、そう言う普通のゲームが多い俺に対して、阿部はそっちの方面の品揃えが豊富なので、今回はそれを借りる事になったのだった。

 こうしたゲーム・ディスクのような学業に関係の無い物を学校に持ち込む事は、確かに校則の上では禁止されているが、それをプレイする為のパソコンやゲーム機を持って来ている訳では無いので、学校ではプレイ出来無いのだから、仮に先生に見付かったとしても、最初の一回目であるなら、そこら辺は適当にやり過ごせると考えている。

 何しろ、中学時代のこの俺は、阿部とつるんで色々な遊びをし、時には周辺のゲーム・センターを軒並み梯子はしごしてハイスコアを更新したりして、その界隈かいわいではゲーセン荒らしとまで呼ばれた野郎どもだからな。

 その身に振り掛かったリスクをくぐるテクニックと、そこで味わえるスリルへの渇望は、人並み以上だ。

 時折、そんな遊びには奈々美と香織も加わっていたが、あいつらはアクション・ゲームが下手だし、どう考えても、この手の注意を要する取引には向いていないので、この取引のような危ない橋を渡らせる事は出来無い。

 それに関しては、そもそも、奈々美の家は俺の家から自転車で五分程度の場所にあるので、わざわざ校則違反のリスクを冒す理由が無いと言う事もある。

「よし、それじゃあ、そろそろ帰るか」

「ああ、カオリンに宜しくな」

 そう言って、その日の俺と阿部は別れた。

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