第1章

新学期の朝

 四月。

 ついこの間まで猛威を振るっていた冬の寒気も、春休みの後半に差し掛かったあたりでやって来た移動性高気圧、いわゆる揚子江ようすこう長江ちょうこう)気団に追いやられてどこかへと逃げ出して仕舞い、ようやくこの日本列島に春のムードが到来していた頃の、ある日の早朝──。

 俺こと成海なるみ隆一りゅういちは、この街の中心部にある、駅からさほど遠く無い場所に建つマンションの七階の一室──つまり、自分の部屋のその隅に置かれたベッドの中で、目を覚ました。

「うーん、もう、朝か……」

 などと独り言を言いつつ、俺は自分の体を覆っていた掛け布団をめくり、ゆっくりと半身を起こす。

 さて、もう目も覚めたし、今日も頑張るか……。

 と、そう覚悟を決めて動き出そうした矢先、早速さっそく、毎朝のようにやって来る、あの深刻なテンションのダウンに見舞われる。

「うぅっ……。くそっ、今日もかっ──!」

 内部から込み上げる強烈な焦燥感と不安感に、眠りと言う短い死から蘇ったばかりの俺の魂は、激しく揺さぶられる。

「うぉおおおおぁああっ……!!」

 突如として、俺のメンタルに強烈なうつが襲い掛かり、気分の急速な低下と共に軽いめまいのようなものを覚えたので、俺は素早く目を閉じ、耐ショック体勢を取る。

 余りにもうつの攻勢が激しく、苦しいので、俺はその頭を抱えた姿勢のままベッドの上から動けなくなり、思わずうなり声を上げて仕舞う。

 ベッドの上で体育座りになって頭を抱え込み、身を固くした。

 その後は、数カ月前より幾度と無く起床後の俺に襲い掛かって来ている、この激しい気分障害、その名も『朝鬱あさうつ』とのせめぎ合いである。

 朝鬱あさうつとは、目を覚ました直後、たまにやって来るこの激しい鬱症状の事で、ここ数カ月の間、それをわずらって度々たびたび苦しめられている俺自身が、その病気に勝手に名付けたオリジナルの病名だ。


 朝鬱の特徴は、主に次の二つ。

 一つ、朝に目を覚ました直後、ぼんやりした頭をすっきりさせようとしていると、時折、そこでまるでタイミングを図りでもしたかのように、激しい鬱の波が猛烈な勢いで押し寄せて来る。

 二つ、不幸にして朝鬱に見舞われても、その時、何とか無理やりにでもベッドから体を起こし、朝の支度をして家を、最寄りの駅前に停まるスクール・バスに乗って登校して仕舞えば、その沈鬱な気分はゆるゆると快方に向かってゆく。

 つまり、朝鬱の発作が起きた場合、起き抜けの時間を何とか適当にしのぎさえすれば、後はその日の丸一日中、特にこれと言って問題は無い。


 ここ数年の間、平日は毎日のように続けている、夜十時にはベッドに入ると言う規則正しい生活サイクルを続けているせいか、昨晩に関しても、俺はちゃんと熟睡する事が出来た。

 おかげで、今日も体調は万全、肉体的な疲労や内臓の調子の悪さは皆無である。

 にもかかわらず、やはり、起き抜けのこの気分だけは、どうしようもなくすぐれ無い。

 全く、どうしたもんだろうな……これ?


 普通に考えても、俺のように肉体的に健康な男子高校生ならば、一日八時間余りも眠りに就けば起きる頃には大抵、気力・体力とも十二分に回復するはずだ。

 だが、あろう事か、今は去る事、二年生の冬頃辺りからこの朝鬱にかかってからは、睡眠時間の如何いかんにかかわらず、時たま、目を覚ました直後に気分がひどく落ち込み、普通にベッドから起きて活動する事もままなら無くなって仕舞うのだった。

 別に、世間で言う所の不登校や引きこもりのように、学校に行きたくないと言う訳では無い。

 むしろ、どちらかと言えば勉強も学校も好きな方なので、休み時間などは早く授業が始まらないかと思って仕舞うくらいの優等生なのがこの俺だ。

 なので、少なくとも学校関連の事が、朝鬱の原因では無いとは思うのだが……。

 ──朝鬱の存在に気が付いた当初、俺はそれに付いて調査するだけでなく、その強烈な気分障害の症状を、何とか自分自身の努力で改善出来無いかと思い、様々な試行錯誤を行ったのだった。


 これまでに実行してみた数々の方法は、次の通り。

 気分転換に色々なゲームをしてみる、音楽を聴く、ドラマやアニメを見る、机に向かって一心不乱の猛勉強をする、風呂に入る、とりあえず我慢して食事をする……。

 それから後は、逆立ち、腕立て伏せ、座禅を組んでの瞑想やヨガ、流行りのアーティストがやっているダンス、etc《エトセトラ》──。

 と、俺は考えつく限りの、ありとあらゆる方法を試してみた。

 その結果、たった今俺がそうしているように、その精神面においては邪念を払うがごとく、余計な事を考えずに瞑想めいそうをしつつ、物理的な体の動きとしては、軽い運動をする、つまり、何も考えずに部屋で安静ないしはストレッチなどをするストレッチ法が、今の所はベストとも言える朝鬱の解消法だと判明した。

 次いで効果があったのは、机に向かって予習・復習などの猛勉強をすると言う、勉強法だが、これについてはある時、今日のように朝鬱をもよおしたので勉強を開始したら、一通りノートを取り、問題を解いたそのあと、学校に持って行くべき教科書とノートを鞄に仕舞うのを忘れたまま、ついうっかり家を出そうになった事があるので、今では朝鬱への対策専用に、本屋さんで買って来た市販の問題集を別に用意してある。

 そんな訳で、今朝のように発作が起きた時は、自分で編み出した朝鬱への対処法をまず取り、いで、食事や着替えなど朝の支度したくに入れば、学校に行く為にこの家を出る所までは、割とすんなり行ける事が多い。

 そこから後は、徒歩で駅に向かい、そこのターミナルから出る通学バスに乗って所定のバス停で降り、学校に着いて仕舞いさえすれば──不思議な事に、それまで沈鬱ちんうつだった俺の気分は、まるで垂れ込めた暗雲あんうんき消えてそこから太陽が顔を覗かせるように晴れて行き、しかるのちに正常状態へと戻る。

 その後は、家に戻った後に寝て次の朝になるまで、ほぼ全くと言っていいほどこの朝鬱の症状がぶり返して来る事は無い。

 なので、どんな場合でもひとまず登校して仕舞いさえすれば、一応は安心だ。


 さて、窓から入って来る陽の光とベランダの外の様子を見る限り、今日は晴れやかなる春の日のようだ。

 こんな日は、鋭意えいい、対処法を実行しさえすれば、それはまるで豆を投げられた節分の鬼が尻尾を巻いて逃げ出すが如く、朝鬱の野郎もそれに影響されてたちどころに退いて行くのではと期待したが──しかし、そんな事は無かった。

 受験や学校の成績、今後の恋愛模様など、不安と焦りの原因になるような余計な事を考えないように注意しつつ、俺はストレッチを継続する。

 一日の持ち時間を考えた場合、時間効率に優れているのは、鬱からの回復と学習が同時並行的に行える勉強法の方だが、しかし、今朝は何だかそんな気分では無いので、今日は勉強法では無く、俺はストレッチ法を選択する。

 俺は体育座りを解いてあぐらをかくと、背筋を伸ばし、肩を回したり、背中を横に反らしたりと言った、柔軟体操をし始める。


 この勉強法とストレッチ法に付いては、どちらも対症療法たいしょうりょうほうであって、小手先こてさきの解決法であるかんいなめない。

 だが、今の所、俺が持ちる手段の中で、朝鬱の影響を最小限に抑える効果を実感出来るようなものが、これしか無いのも事実だ。

 高校生である俺は、これから同じ家に住んでいる妹の香織を連れて、学校に行かなければならない。

 なので、既に朝鬱の発作が起きている事が明白な今の時点で、そのいずれかを選んで実行する事については、是非ぜひも無いのだった。

 このベッドからうかがい知れる外の気配を踏まえた感じ、今日は天気も良くて雨も降っておらず、実に暖かな春の朝と言う様子だ。

 俺は上半身のストレッチを一旦止め、そのままベッドの上で、乱れた呼吸と気分が落ち着くのを待った。

 そして、壁のハンガーに掛けてある自分の制服を見て、しみじみと思う。

 それにしても、今年からもう、高校三年生なんだな──。


 そこそこ満喫できた春休みも既に終わりを告げ、今日からちょうど三日前の休み明けにあった、新入生の入学式と一学期の始業式を兼ねた学校行事に出席した俺は、とうとう最終学年の高校三年生へと進級した。

 これまで二年余りも過ごして来た高校生活も残り一年間となり、いよいよラスト・スパートを掛ける頃合であると言える。

 だが、これまで何一つ、青春らしい体験をしなかった事と、この朝鬱の存在と言う、二つの個人的な事情を抱えているせいで、俺はそんなエキサイトな気分にはなれずにいる。

 過去を振り返ってみれば、中学生の頃には楽しみにしていた高校での生活も、だらだらと過ごしているうちに、ついに残り一年間となって仕舞った訳だが、俺のこれまでの高校生活において、部活動に熱を上げるとか、彼女を作るとか、そんな青春らしいような体験やイベントへの遭遇など、ほぼ皆無だったと断言出来る。

 なので、始業式の日に迎えた三年生への進級に付いても、多少なりとも盛り上がっている周囲の状況がどうであれ、この俺自身は、特に感慨かんがい深いものはなかった。

 むしろ、既に二年生の夏頃からぼちぼちと受験勉強を開始しており、出ている模試の結果などから、「多分、入試は大丈夫だろう」と思われるので、もはや俺の関心は楽しい事など一つも期待出来無さそうな今の高校生活よりも、きたるべき大学での新生活の方に向いていた。

 正直な話、何事にも熱中出来無い時間が続くならば、もういっその事、今の高校時代はスキップして、そこはさっさと卒業して、大学生として青春のリスタートを切りたいとすら思っているくらいである。

 新学期が始まったばかりの春先だと言うのに、その頭の中は早くも来年の受験、そして大学に進学した後の事しか考えていない。

 この、これから先、一年間残っている高校生活を貴重なものと思っている連中と、そんな風には全く思っていない俺との、ある意味で絶対的とも言える温度差は問題だ。

 どうしても隠し切れないその温度差が、良く無いタイミングでひょいと顔を出すと、これは非常にマズい事になる。

 そうした事は、友人・知人間での何らかの軋轢あつれき、トラブルの元になるかも知れないからな。

 俺の周りにもそんな奴が二、三、いるので、俺は今後、高校生としての残りの時間を過ごす上で、不用意な発言や振る舞いでそのムードに水を差さないよう、注意して置かねばなるまい。


 そんな風に不満に満ちた生活を送っている一人の男子高校生である、俺の現在の状況を整理してみる。

 俺が通っているのは、海沿いに建つ地方の公立高校──。

 県立東浜ひがしはま高等学校に存在する三年生の生徒の中では、俺は割と成績優秀な部類で、その品行ひんこう方正ほうせいな学校での立ち振る舞いも加わって、いわゆる優等生として、名実めいじつともに通っている。

 クラスメートこと三年六組の生徒の大半と同様、俺も大学(それも四年制)への進学を希望している一人でもあるので、その入試である大学受験が、来春に控えている予定だ。

 そんな入試に関しては、筆記試験の点数のみで合否の決まる一般入試とは違って、面接と作文などでそれを決める推薦入試を第一に希望しているので、学校の推薦枠が取れるなら、取ろうとも思っている。

 単なる普通の筆記試験だけを見ても、センター試験やら大学ごとに傾向の違う一般試験など、色々と対策が必要なので、今年度は前年度とは違い、学校の授業と宿題として出される課題ばかりでなく、そんな受験勉強の方にも、本気で取り組んで行かねばならない。

 そうした学校の定期試験や大学受験の為の勉強と、趣味・娯楽や友達付き合いなどの遊びの両立──。

 そんな難儀なんぎな事を無事にこなせるだけのベースとなる事柄と言うのは、この俺が思うに、それは何と言っても早寝早起きと言う規則正しい生活態度からだろう。

 これまでの高校生活がそうであったように、基本的に毎日のように早寝早起きさえしていれば、少なくとも、授業中に眠気で集中出来無かったり居眠りをするだの、遅刻をするだのと言った、学生生活においてありがちなトラブルからはかなり無縁でいられるからな。

 朝鬱は、その罹患りかんからこのかた、三、四日に一度くらいの頻度で、俺のメンタルを蹂躙じゅうりんしに来ている。

 しかし、少し前に春休みが明けてからと言うもの、ここ三日ほども毎日連続して発生しているので、正直、俺はもうまいっていた。

 そんな頻度を増した朝鬱の存在は、新学期を滞りなくスタートさせたい俺に取って、自分の生活に重大な悪影響を来すおそれのある、かなり厄介な事柄の一つになりつつある。

 こんなんで無事に高校を卒業して、志望する大学に行く事が出来るんだろうか?

 ……正直に言って、かなり不安だ。

 

 ──それにしても、全く一体何がこの朝鬱の原因なんだろうな?

 その辺りの過去を振り返って見れば、「どうしてこんな病気を患うようになったんだろうと、不思議に思っている自分がそこにあった。

 それは俺がまだ高校二年生だった、去年の冬辺り。

 その頃から、度々たびたび、朝鬱の発作がやって来ており、きゅうした俺は、学校の図書室や市の図書館に置いてある本や、インターネットなどを駆使して、それと関係するような情報をあさり、この前触れ無く突然に自分を苦しめ始めた起床後の気分障害に付いて、とことん調べてみた。

 しかし、その治療と原因に関する詳しい情報は、とうとう分からず仕舞いであり、結局、この三年生になったばかりの今に至っても、俺は相変わらず持病として朝鬱を抱えたままの状態で暮らしている。


 朝鬱は、これまで、学校のある日であっても無くてもほぼ同じ頻度で発生している。

 だが、そんな時々にしか発生していなかった朝鬱も、新学期が始まってからと言うもの、ここの所、毎日連続してその発作が起きている事が懸念材料だ。

 今までは、数日に一回程度で起こる、単なる気分的な問題として、なおざりにしていたが、それがここ毎日のようにともなると、流石に問題になってくる。

 今は安静法やら勉強法を行う事で何とか誤魔化ごまかしている朝鬱への対処だが、これ以上に酷くなると、遅刻や病休と言った、優等生の俺に取っては非常に良くない事態の原因になりる。


 ……そもそも、俺は一体、どうしてこうなったんだ?

 発生頻度が増している以上、何としてでも、朝鬱の起こるその原因を究明したい。

 ベッドの上で俺はパジャマの上着を脱ぎ、半袖はんそでのシャツ姿になると、鬱減らしに個人的に効果を感じているストレッチ運動を開始しながら、朝鬱が始まったあの二年生の冬の更に少し前、秋頃にあった出来事がその原因では無いかと、検討を始める。

 その頃の俺はと言えば、毎年恒例で行われる秋の文化祭が終わった辺りで、まだ一年生の高校入学当初の頃に出来た友達であり、俺と同様、学内成績トップ・グループの一人でもあるイケメン男子の高梨たかなし玲人れいとが、自ら仲間を集めて作った新しい部活──そう、推理小説研究部、略して『推小研すいしょうけん』に入部したくらいで、特に思い当たる節は無い。

 確かに分かっている事は、この所、毎朝のように繰り返しやって来るこの朝鬱は、新入生や社会人一年生などが良く掛かるメンタルの病気、『五月ごがつびょう』に良く似ていると言う事だ。

 五月病とは、進学や就職など、周囲の環境が大きく変化した時に、それに上手く適応出来ないストレスが原因になって起こる、鬱のような気分障害を伴う病気らしい。

 しかし、俺は入学当初からずっと同じ高校にほぼ丸二年間も通っているのだし、しかも最初に症状に気付いたのが今から約四カ月前の冬休み直前と言う時期である以上、どうもこの朝鬱とその発生原因は、世間一般で言われるような五月病とは違っているようだ。

 俺ってそもそも、妹のような新入生や、就職したばかりの社会人一年生か?

 ……この俺自身に付いて、一言の元に説明すれば、ちょっと成績が良いと言う以外には何の特徴も持っていない、三年生の平凡な男子高校生である。

 ルックスは高梨たかなしほどではないにしろ、もしかするとまあまあイケてるのでは無いかと思うが、それ意外にはもはや細かな説明のしようが無い、部活動に熱心な訳でも無ければ彼女もいない、そんなどこにでもいるような、全くありふれた存在と言っていい普通の男子高校生だ。

 朝鬱を患っている事自体については、これは一般の高校生には無い特別で特殊な要素とも言えるが、そんなデメリットと引き換えに何か特殊な能力を発揮出来るアニメや漫画の主人公とは違って、俺の場合、それが何かの役に立っている訳でも無いので、どう考えてもそれは全くいらないオマケ、生活を送る上でのデメリットでしかない。

 悲しい事だが、現実リアルと言うのは、大抵、そう言うものだ

 そんな訳で、学校でいじめを受けたり、家庭に不和がある訳でも無ければ、また、体育会系的な運動部に入っていて、ハードな部活動の練習をしたり、自力では全く達成出来そうにない高過ぎる目標への努力を強いられている訳でもない。

 じゃあ、一体、何が──?

 いくら状況を分析し、考えても、全く心当たりになるようなものが見当たらず、結局、朝鬱の根本的な原因は不明なままであった。


 統計的に見てみると、前日の夜に眠る前の段階、つまり就寝直前にどれほど気分が良くても、翌朝目を覚ました時には鬱に陥る事が多くあり、また、その逆のパターンも同程度にはあるので、どうやらこの朝鬱の発生と前日までの状況は、一切関係が無いらしい、と、一応俺は結論している。

 なので、朝鬱の発生原因に付いては、一般論的に、受験を控えたストレスなどが、作用して起きているのだろうとしか、今の俺には他人に説明する事が出来無い。

 もっとも、朝鬱の存在含めて、誰かにそれを説明した事は無いが……。

 しかし、たった今考えた朝鬱の原因仮説げんいんかせつである受験ストレス説も、中学の頃、高校受験を目前にしていた頃にはそんな事は一切無かったので、何とも言え無い所だな。


 ストレッチを一旦終了し、ベッドの上にあぐらをかいて座り込んだ俺は、相変わらずの鬱にまみれながら、深呼吸を繰り返して、一見、安穏あんのんとした状態で時を過ごす。

 今日も恒例のようにやってきた朝鬱だが、ストレッチにもかかわらず、それはるで悪い魔女の住み家の近くにあるとされる毒の沼から立ち上る瘴気しょうきのように、いつまでも、しつこく俺の心の中に漂っている。

 幾ら振り払おうとしても、落胆にも似た重々しい気だるさと、それに相反するように自分の奥で不快に燃え上がる駆り立てられるような焦燥感が中々消えず、少し鬱な気分が中々収まらない。

 ……それにしても、新学期に入ってからと言うもの、ここ三日も連続でやってくるとは、朝鬱の野郎もやるな。

 これはいよいよ降参して、これ以上悪くなる前に、大人しく病院にでも行ってて貰った方がいいかも知れ無い──。

 そんな事を、次第にはっきりして来た頭で考えてみる。

 つーか、この家の近くに、そんな精神的な症状をてくれる病院はあっただろうか?

 とりあえず、そんな場所については後で探して見よう、と思い、俺は耳を澄ました。

 ……それにしても、静かである。

 何だか耳の穴がこそばゆいので指で探ってみると、棒状に丸まったティッシュが蓋をしていた。

 なるほど、道理で、今日は静かな目覚めを体験した訳だ。

 思い起こせば、昨夜、壁を通して漏れ聞こえて来る、部屋を出て廊下の先にあるキッチン兼リビングで妹の見ていたテレビの音が、どうしても耳障りだったので、その時、既にベッドに入っていた俺は、ティッシュ・ペーパーをちぎって即席の耳栓を作り、それをうるさく感じる方の片耳にして眠りにいたのだった。

 ゴミ箱に外した耳栓を捨ててじっとしていると、近くを飛び回っているらしいスズメの元気な鳴き声が、険悪な気分に満たされている俺の耳に入る。

 対処法を実施した甲斐あってか、あれほど強烈だった鬱も、今や小康しょうこう状態となり、今日も何とかなりそうな気配だ。

 明日から始まる、新学期に入ってから最初の土日どにちの二連休を満足に過ごせるかどうかは、今週の平日最終日である本日、金曜日の過ごし方に掛かっていると言っても過言では無いはずだ。

 なので、今日はいつもよりも念入りに朝鬱対策をしておく事としよう。

 俺はただひたすら、特に何も考えず、上半身のストレッチなどをしながら、時間の経過を待った──。


 ふと見ると、ベランダに通じる部屋の窓から、暖かな日の光が差し込んで来ているのに気付く。

 そんな窓の外の様子を凝視ぎょうししてみれば、今日のそれは実に明るい。

 察するに、どうやら今朝の天候としては、この付近の空は、それこそ快晴に近いくらいに良く晴れているようだ。

 数日前に行われた、入学式を兼ねた始業式の日の午前中は、どんよりした完全な曇り空で、やたらと気温が低かった。

 今年から俺と同じ東浜高に通う事になった俺の妹の香織かおりのように、これからの学校生活に期待を膨らませていた新入生に取っては、入学式の日はそんな生憎あいにくの天気だったが、今日はそんな寒々しいムードとは打って変わって、ようやく、朝から日差しの心地良い、春らしい日になりそうだ。

 マフラーやコートなどの防寒具が必要なさそうな外の様子に安堵した俺は、ダメージを受けたメンタルの回復を図る為、ストレッチを継続した。



 してみるに、幾ら調べても考えても分から無かった朝鬱の発生原因について考えてみる。

 思うに、この所、毎朝のように襲来する朝鬱の本当の原因──。

 それは、高校生活と言う掛け替えの無い青春の時間を、勉強以外には何一つ打ち込むべき事も無くいたずらに過ごして仕舞った、俺への罰なのかもしれない。

 段々と気分が回復し、寝起きの直後でぼんやりしていた頭も冴えて来た俺は、ようやくストレッチをめる。


 気分も落ち着いて来たし、そろそろ、動き出すか。

 ──って言うか、今、何時だ?

 冷静に考えてみると、マンション五階の窓から見えるこの街の景色は、早朝にしては、いつもよりもずっと明るいような気がする。

 月の初めの今頃の時期の事を、高尚な手紙文などでは『清明せいめい』と呼ぶが、今日はそんなウグイスの鳴くようなのほほんとした雰囲気を、ベッドの上にいながらにして肌で感じられるようだ。

 だが、咄嗟とっさに、俺は次のような疑問を抱いた。

「まさか……俺、寝坊したのかっ!?」

 セットした目覚まし時計のアラームは鳴っていないので、まさかそんな事は無いとは思うが、その可能性は否定出来無い。

 まだ時計をチェックしていないので分から無いが、春の陽気に当てられたせいで、実はうっかり寝坊をしていて、もしかするとこのままでは新学期早々、俺は周りから笑われるような派手な大遅刻をこいて仕舞うのかもしれない。

 遅刻の理由と言うのが、例えば通学中の事故ならば分かるが、油断した上での朝寝坊と言うのは最悪だ。

 その時、朝鬱のせいで極端に不安になり易くなっていた俺の脳裏に、「春眠しゅんみんあかつきを覚えず」と言う、古典の授業で習った事のある漢詩の一節が唐突に浮かんで来て、その詩を書いたのは、杜甫とほだったかそれとも李白りはくだったかなどと言う、現在の危機を回避するのには全く役に立たない、本当にどうでも良い疑問が湧き、脳内を駆け巡り始める。

 そんな事を考えてベッドの上でうろたえ始めた俺は、しかし、多少、メンタルが回復してたおかげで、努めて冷静にその疑問に対処する事が出来た。


 ……それって、たった今、貴重な時間を使ってまで考えなければいけない事か?

 そもそも、どうして俺はそんな状況で漢詩などに付いて考えているんだ。

 寝坊して遅刻するかも知れない時に、そう言う余計な事は考えるな。

 俺にいま必要なのは、集中、そう、意識の集中だ!


 そう自分に言い聞かせ、頭の中に次々に湧いた、沢山の妄想にも近い無駄な後悔や疑問の数々を、俺は振り絞った意思の力でどんどんと跳ね除けて行く。

 そして、最後にたった一つだけ自分のやるべき事が残ったので、鬱のもたらした混乱を相手に奮戦した俺は、その戦利品を拾った。

 朝寝坊で遅刻するかも知れないと言う、そんな危機的な状況でするべき事──。

 そう、それはまず、正確な現在時刻の確認である。

 心を落ち着かせ、これから自分がやるべき事の覚悟を決めた俺は、ベッドの上でそのまま後ろに向き直り、枕元に置いてある目覚まし時計を、両手で掴み取った。

 俺はその目覚ましを見やり、その正面にある液晶画面をまじまじと見つめて、現在の時刻を確認する。

 手の中に抱いた目覚まし時計は、その読み取り易いセグメント・ディスプレイに、今日も平静かつ正確に、秒単位で刻々と変わる現在の日本標準時を、リズムを刻むように見る者に告げていた。

 そこに表示されていた時刻は、アラームをセットした朝六時半ちょうどよりも、少し前の時刻である。

 正確には、午前六時二十六分九秒くらい。

 ついでに日付まで言うと、今日は四月の八日だ。

「なんだ、寝坊じゃ無かったのか……」

 標準電波で補正されている目覚ましの表示時刻が本当なら、今日は寝坊どころか、普段よりもむしろ少し早く起きたぐらいである。

 目覚ましの時刻が合っていると仮定するなら、いつも起きる時間より、まだ四分弱は余裕がある。

 内心、拍子抜けと同時にがっかりしつつ、ほっと安堵した俺は、両手で脇掴みにした目覚ましをもとの位置へと戻した。

 アラームが鳴るのを確認したかったので、ベッドの上で毎朝の習慣として実行しているストレッチをしながら、そのまましばらく目覚ましのアラームが鳴るのを待つ事にする。

 時刻に目をやると、枕元には、さっき目覚まし時計の他、その隣に、充電コードが挿し込まれた自分のケータイがあるのに気が付く。

「あ……そうか。目覚ましの他に、これがあるんだったな」

 俺は充電器のコードを外し、そのケータイを掴む。

 良く考えてみれば、普段の俺は確実な起床への保険として、枕元に置いた目覚まし時計の他に、自分のケータイを使って二重にアラームをセットしているのだった。

 だから、先程覚えた、春の陽気に当てられて迂闊うかつにも寝坊をしたかも知れない不安に付いては、それは殆ど考えられ無かったのである。

 全く、朝鬱のせいで余計な取り越し苦労をして仕舞った。

 そこでふと、気になる事が出て来る。

 この目覚ましの時刻……本当に正確なんだろうな?

 送られてくる標準電波で時刻を補正するタイプである目覚まし時計は、高校の入学前にあった俺の誕生日に、バースデー・プレゼントとして貰ったものだ。

 こいつは、本日のような春光しゅんこううららかな日の朝っぱらから、ベッドの上で鬱にまみれてもだえ苦しんでいる持ち主とは違い、本当に頼りになる奴である。

 だが、そんな電波時計も、時刻を補正している標準電波が届かない場所では、電波式時計もそうでない時計と同じように、時間の経過に伴い、段々と表示時刻と実際の時刻とのズレが発生してくる。

 大体、時計の時刻のズレと言うものは、進むのでは無く遅れる方になる場合が多いので、もしこの目覚ましが何かの理由で標準電波を受信出来ず、ズレが発生しているとしたら、その表示時刻は実際の時刻よりも遅れている可能性が高い。

 このマンションは電波が届き難い場所もあるため、家の中でも所々、受信の表示が出無い場所がある。

 急いでいる時には、僅か三十秒程度の遅れでも、朝に何本か出ているバス一本分の遅れに繋がら無いとも限らないしな。

 いつまで勉強して働き始めるかとか、いつ結婚するのかみたいな、そう言う人生を生きて行く上での、ある意味では決まった時期など無いようなものとは違って、俺が学校に登校しなければならない時刻は、最初からはっきりと決まっている。

 もしこの目覚ましを基準に、登校時間に間に合うかどうかギリギリの行動を取り、いつも乗っているバスに乗り遅れてその次のバスに乗るとしたら、その一本の乗り遅れが、今度はバスのタイヤのパンクのような別のトラブルと重ね合わさって、ついには遅刻に繋がるかも知れない──。

 などと、朝鬱に憑りつかれている俺の中で、今度は、そんな不安が頭をもたげて来る。

 こういう悪い方向への想像ばかりして不安をつのらせて仕舞うのは、朝鬱に見舞われている最中の俺の悪い癖だ。

 普段ならば、例えそんな風な考えが頭に浮かんだとしても、リスクの無い事など無いと割り切り、ある程度のリスクは引き受けるものなのだが──。

 だが、朝鬱のせいでゼロ・リスク症候群に罹っていた俺は、どうしても正しい現在時刻を知りたくなって仕舞った。

 やはり、本当の正確な時刻を調べなくては駄目だ──。

 目覚ましの時刻を確かめたケータイの時計が合っているか、つい不安になり、俺はその画面を操作して、日本標準時が分かるサイトにアクセスした。

 ちなみにケータイの料金は定額制に入っているので、パケット代の方は大丈夫だ。

 日本標準時を配信するサイトを見て、それらが合っているかどうかを、俺は交互に確かめる。

 その結果……。

 目覚ましも、ケータイの時計も、その時刻はちゃんと合っていた。


「はぁ……。さてと、もうしばらくしたら、学校に行く用意をしないとな」

 不安の和らいだ俺は、溜息を吐きながらベッドから降り、立ち上った。

 今ならば迷いなく、「春暁しゅんぎょう」の作者を思い出す事が出来る。

 何といっても、この俺、成海隆一は、学校ではそれなりの優等生として通っているんだからな。

 そう、西暦六百十八年から九百七年頃の古代中国、即ち唐代とうだいにおいて、「春眠暁を覚えず」の節で始まる「しゅんぎょう」と言う名の五言ごごん絶句ぜっくの近体詩をのこしたのは──それは、杜甫とほでも李白りはくでも無く、孟浩然もうこうねんである。

 俺はそう自信を持ってかつて勉強した時の記憶を思い出したが、大抵の人の記憶は、時間の経過と共に変形するように出来ている。

 早速、目の前にある学習机に向かい、そこに置いていた教科書や資料集の中から一年生の時に使っていた古典の教科書を取り出して、「春暁」の内容と作者を確認する。

 果たして、やはり俺の記憶に、間違いは無かった。

 覚えている古典の知識が正しいと分かったので、俺は別の事を考えてみる事にした。

 さっき、目覚ましで見た時刻である、六時二十六分九秒を数字として単純に横に並べた数、六千二百六十九は素数だろうか?

 その辺の人にはすこぶるどうでも良いが、今後も優等生の地位を維持して行きたい俺に取っては、実に興味関心の高い分野、つまり数学に付いての疑問を考察する。

 流石にこれも考えているだけでは分から無いので、ケータイを使って関連サイトで検索して見る。

 すると、先程の六千二百六十九と言う数字は、末尾が九なので、一見、三で割る事が出来そうな数であり、一とそれ以外に割り切る数の無い素数では無く、ただの合成数のように思えるが、どうやらその実際は素数のようだった。

 もっとも、このサイトの信憑しんぴょう性を確認していないので、それが本当に素数かどうかは、学校に行って素数の一覧でもう一度確かめて見ない事には、確信が持て無い。

 一応、ケータイの電卓アプリを使って三で割って見ると、二千、飛んで八十九と小数点以下の数字が続くので、少なくとも「三では割り切れない数である」とは、言い切れるが。

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