第28話
「優海、大丈夫か?」
「う、うん……」
《これより住宅街に入る! 皆、銃撃は控えろ!》
運転手の声に、僕は慌てて銃眼に蓋をした。
人殺しになってしまった今の自分。暴力に呑まれてしまった自分。それでも、まだできることはある。
この殺戮の連鎖を断ち切ることだ。その最も現実的な手段は、殺傷行為を控えること。まずは自分から、自重を心掛けねばなるまい。
警察があちこちで検問を行っているお陰で、逆に、裏道を通ることが可能になった。聞こえてくるのは、バンの振動音、ヘリの飛行音、そして時折混じる悲鳴。誰も轢かれていなければいいのだが。こればかりは、運転手の手腕に期待するしかない。
自分の気持ちと矛盾するようだが、僕はベレッタの弾倉を確認し、バチンと叩き込んだ。毒も少量なら薬になる。牽制射撃くらいなら、してもいいだろう。飽くまでも自衛のためだ。もうこれ以上、この銃口を人間に向けるつもりはない。
僕は荷台の中を見渡した。皆が緊張した面持ちで、拳銃や自動小銃を握りしめている。
彼らはまだ誰かを殺傷するつもりだろうか? その疑問は、僕の腹の底から喉元までせり上がってきた。しかし、言葉にすることはできない。許されない、と言ってもいい。
僕が知らないだけで、彼らには一人一人、社会への向き合い方というものがある。それは尊重されなければならない。たとえそこに、殺傷行為が介在するとしても。
《こちら田宮。警官隊は大方追い散らした。俺たちは先行して、埠頭の安全を確保する》
はっとして、僕は振り返った。スピーカーに目を遣ると、ちょうどその上にマイクがあった。壁に掛けられるような形で。
「田宮さん、聞こえますか? 優翔です」
《どうした?》
「埠頭の安全を確保する、ってことは、戦闘に発展する可能性がある、ってことですよね?」
《無論だ》
僕はマイクを握りしめた。自分の掌が、嫌に汗ばんでいるのが分かる。
「撃墜、されたりしませんよね」
沈黙するマイクの向こう側。ザザッ、と雑音が入る。
《もう一度言ってくれ》
「撃墜されませんよね?」
自分の声が、妙に反響するのが感じられる。今度は通じたらしく、『心配するな』と返ってきた。
《日本の警察組織に、軍用ヘリを撃墜できるほどの重火器は装備されていない》
「じゃ、じゃあ、自衛隊は?」
《冗談だろう?》
田宮の声には、驚きと呆れが半分ずつ込められている。
《自衛隊が動けるだけの法的根拠はない。ロケットランチャーを撃ち込まれはしないだろう。SATとSITには戦闘能力があるが、狙撃を警戒して旋回していれば狙われまい。だから、心配するな》
僕はもごもごと、『分かりました』という旨のことを呟いた。ぶつり、と無線が切れる。すると、今度はバンの運転手の声が響いてきた。
《もうじき住宅街を抜ける! 皆、銃眼を空けて攻撃準備しろ! 埠頭まではあと五分ほどだ、持ちこたえるぞ!》
ガシャガシャと音を立てて、再び銃眼が開かれる。銃器のセーフティが外される音が混じる。急かされるようにして、僕も弾倉を入れ直し、初弾を装填した。
唐突に、住宅街が途切れた。僕は優海と共に、荷台の右側の銃眼から外を覗く。いきなり飛び込んできたパトランプに、思わず目をしばたたかせる。
また、急に聴覚が再起動したかのような感覚もある。サイレンと、メガホンから発せられる怒声、それにタイヤが地面を擦る擦過音が交錯し、あたりはこれ以上ないほど慌ただしかった。
耳を澄ませることで、ようやくパトカーの言っていることが聞き取れた。『すぐに停車』『武器を捨てろ』『包囲されている』などなど。
しかし、それもそう長くは続かない。ヘリが低空を飛行し、バンとパトカーを引き離しにかかる。
それに合わせて、僕たちも銃撃を開始した。極力タイヤを狙うのだが、この速度(おそらく時速百キロは超えているだろう)のカーチェイス中では、当たるものも当たらない。
ドアやガラスも防弾仕様だろうから、僕たちも警察も、互いに決定打を与えられずにいた。
恐らく、埠頭に着くまであと三分ほど。これでは、船に乗り込む際に、警察の銃撃に晒される。どうしたらいい?
すると、再びヘリからの声が響いた。
《運転手は一気に速度を落としてくれ! 機銃でパトカーを一掃する!》
武人の声だった。それに応じるように、運転手は
《全員、撃ち方止め! 武器にセーフティをかけろ! 衝撃に備えてくれ!》
と叫ぶ。僕は慌てて拳銃を引っ込め、即座にセーフティをかける。直後、凄まじい衝撃が僕たちを揺すった。
「うわっ!?」
一瞬、身体が宙に浮く。それに合わせて、荷台の前方の壁が一気に迫ってきた。咄嗟に腕を着くようにして、衝撃を肘で吸収する。柔道で受け身を取るような格好だ。
しかし、全員が全員、受け身を取れたわけではない。短い悲鳴と共に吹っ飛んできた優海を、僕は抱き留めた。
《全員伏せろ!!》
武人の声が響く。それは切羽詰まった絶叫だった。その気迫に押されるようにして、荷台にいる僕たちは背中を丸め、後頭部に手を当てた。
銃撃が始まったのは、まさに同時。山道で聞いたのと同じ、切れ目のない唸りだ。それはヘリの動きに合わせ、高く、低く変遷しながら響き渡った。
外の様子を窺い知ることはできなかったが、想像することはできる。アスファルトが穿たれ、パトカーがハチの巣になり、やがて爆発四散する。それも、パトカー一台や二台ではない。僕は爆発音を、前方の左右から聞き取ることができた。
さらに、荷台の後部から衝突音。バンが急に速度を落としたために、真後ろにつけていたパトカーが頭から衝突したのだろう。
しかし、状況は思わしくなかった。
《くそっ! パトカーを振り切れない!》
と、運転手の悲鳴が上がる。
《やむを得ない、臨海公園に向かえ! 海上へ脱出する場所を変更する!》
《田宮さん、もう残弾がない!》
田宮の指示を聞いていた武人の声にも焦りが滲んでいる。
《民間人のいるところで、人質を取るしかない! すぐに速度を上げて――》
と言いかけた時、田宮の声が詰まった。何だ? ヘリに何があった?
危険を承知で、僕は最寄の銃眼を開け、外を覗き見た。
パトランプが輝いている。しかしそれは、陸路を走行するパトカーのものではない。あれは、ドローンか? いや間違いない、警察のドローンだ。ドローンが数機、ヘリに随行するようにして飛んでいる。
しかしやがて、ドローンはヘリと速度を合わせ、やや高度を取った。まさか。
「全員伏せろ!」
僕が叫ぶと同時、スピーカーから田宮の声が響いてきた。
《くそっ! 主翼にワイヤーをかけられた! 墜落する!》
僕は慌ててマイクを手に取る。
「不時着できませんか?」
《無理だ》
田宮は即答。
そうか。ドローンだったら警察にも配備されている。ヘリは繊細な飛行物体だから、ドローンくらいでも手の打ちようがあった、というわけか。
《墜落する! バンの運転手は道を空けろ! でないと爆発に巻き込まれる!》
空を斬っていたヘリの回転翼音が上下する。それはまるで、狂ったオーケストラのような、胃袋をえぐるような音だった。
《皆、何かに掴まれ!》
運転手が怒号を飛ばした直後、バンは思いっきりハンドルを切った。が、制御しきれずに、見事に横転した。皆が驚きや痛みの混じった、濁った声を立てる。
「運転手、ヘリは? ヘリはどうなりましたか?」
軽傷だった僕は荷台の中を這い回り、なんとかマイクを手に取った。しかし、運転手の声は弱々しい。負傷したからではなく、目の前の光景がショッキングだったから、だろう。
「もっとはっきり言ってください!」
《ヘリは墜落して、爆発四散した! 同じことを言わせるな!》
その、悔しさの滲んだ声を前にして、僕は田宮と武人の死を意識した。
周囲の状況を確認しなければ。僕は後部ハッチを開き、一歩歩み出ようとした。その時、
「優海!?」
優海が僕を追い越し、外に出た。既に警官隊に包囲され、背水の陣ならぬ背海の陣となっている。パトランプが目に突き刺さるようだ。
《全員武器を捨てろ! 警告射撃はしない! 繰り返す! 武器を捨てないものは、威嚇抜きで射殺する!》
警官隊の声が、パトカーのルーフに設置されたメガホンで拡声される。俺は素直にベレッタを地面に置こうとして――思わず構え直した。
「何するんだ、優海!」
「黙ってろ、兄ちゃん!」
「ッ!」
あろうことか、優海は人質を取っていた。ここは海浜公園だ。逃げ遅れた人々は、少数ながら残っている。
そのうちの、小学校に上がるか否かといった年頃の女の子の眉間に拳銃を押し当て、優海は喚いていた。
そんな、まさか。優海があんな子供を盾に使うなんて。僕は驚愕のあまり、声も出せない。
ただ一つ確かなのは、こんな卑劣な手段は、なんとしてでも食い止めなければならないということだ。それを起こしているのが、俺の唯一の肉親なら、尚更のこと。
僕は脱力しきった腕を引っ張り上げ、ぐらつく視界の中で、引き金を引いた。
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