第27話

「大丈夫か、優翔? 震えてるぞ」

「え……?」


 僕は体育座りをして、荷台の壁に腰を当てながら座っていた。声をかけてきたのは田宮だ。麻実亡き今、この組織のリーダーは彼ということになるのだろう。


「十分ほど前に、警察車両の追跡を振り切った。山道に入ったところだ」


 山道に入った? ああ、確か重火器が隠してある、なんて話だったな。

 ここに至るまでに、生存者は全員収容できたらしい。血と薬品の匂いがする中で、田宮の声が耳朶を打つ。


「今は自分を落ち着けることに集中するんだ。武人、あれを」


 僕が視線を横に遣ると、武人が荷台の隅からブランケットを持ってくるところだった。いつもの、僕に対する敵意は感じられない。それほど僕は、惨めな姿をしているのだろうか。


「優海、兄貴のそばにいてやれ」

「う、うん」


 田宮に促され、優海はそっと僕のそばに座り込み、肩をくっつけた。


「兄ちゃん、大丈夫? って、大丈夫じゃないよね」

 僕は無言。無視するつもりはないのだが、返す言葉が見つからない。

 そんな状況が伝わったのか、優海は田宮に質問を投げかけた。できるだけ情報を僕に聞かせて、不安を解消させようとしているらしい。


「田宮さん、隠してある重火器、ってどんなものなの?」

「対戦車ヘリコプターだ」

「え?」


 流石にこれには驚かされた。僕は顔を上げ、田宮の顔をまじまじと見つめてしまった。


「麻実がいない以上、もうこの組織は骨抜きだ。脱出する」

「だ、脱出って、どこへ?」


 目を丸くした武人が尋ねる。


「世界各地になるだろう。そこまでの交通手段も準備できる。しかしそのためには、一旦引き帰して海岸沿いに出なければならない。船旅になるからな」


 この国から追放される、ということか。


「まさか俺たちが、空対地装備をしたヘリで乗り込んでくるとは、誰も思わないだろう。海岸沿いの敵を排除し、安全を確保する。それから、生存者は船に乗り込んで、世界のあちこちに散らばって身を隠してもらう。俺たちが生き延びるには、それしかない」

「ちょ、ちょっと待ってください」


 僕は慌てて腰を上げた。


「ヘリコプターの操縦なんて、誰ができるんですか?」

「俺だ」


 即答する田宮。


「射手は武人に任せる。だが、生憎人員輸送ヘリではないからな。俺たち二人しか乗れないが」


 つまり、田宮たちのヘリが囮になって、僕たち他のメンバーを海上へ逃がそうというわけか。


「その後、着陸地点を見つけて降下し、俺たちも脱出する。そんなところだ」


 すると、ちょうど会話の隙間を埋めるように、バンの運転手の声がスピーカーから響いた。


《田宮さん、もうじき格納庫に到着します》

「了解だ。皆、新しいバンに乗り替えろ。そして今来た道を戻るんだ。警察車両はこのヘリでなんとかする」


 田宮がそう言い終えるのと、バンが速度を落とし始めたのはほぼ同時だった。


         ※


 バンの荷台から降りると、そこは山頂部の空き地になっていた。緑色の迷彩塗装が施された、四角い物体がある。物体と言っても、かなり大きい。『陸上自衛隊機材 接触禁止』と書かれた黄色いテープが貼られている。


「これは?」

「よし、開けろ」


 僕の問いを無視して、田宮が指示を飛ばす。ゆっくりと、上部から展開していく物体。そうか。これは箱なのだ。何が入っているかは言うまでもあるまい。小型の戦闘ヘリだった。


「まさか、本当にこいつを使う機会が来るとはなあ……」


 ポカンとしている僕の横で、武人が呟いた。


「なあ武人、君は知っていたのか? こんなものがあるなんて」

「まあな」


 一瞥もくれずに、素っ気なく答える。

それはそうだ。自分たちのヘリの存在を知らなければ、当然射手など務まるまい。


「もう一つ、訊いてもいいか?」


 武人は無言。


「僕たちの身柄は保証されるんだろうけど、一体誰が引き取ってくれるんだ?」

「さあな」


 あからさまに肩を竦める武人。


「俺の予想だけど、いろんな国の日系人権保護団体とかじゃねえのか? 俺たちが社会から省かれて、こんなことをやってるってことは、連中なら知ってるはずだ。日本国内での活動は難しいから、俺たちを自分たちの国に呼び込んで、プロパガンダに利用しよう、って腹だろう」

「へ、へぇ」


 僕は思わず感嘆の声を上げた。武人をただの熱血馬鹿だと思っていたのは、誤りだったらしい。

 ガシャン、という金属の擦過音が響く。見れば、箱が展開してヘリコプターが姿を現すところだった。


「武人、火器管制システムが狂っていないか確かめろ。俺も操縦系統を確認する」

「了解」


 前後に並んだ座席に、それぞれ乗り込む二人。


「手の空いてる者は、警官隊と機動隊の動きを確認しろ。接近を許すな」


 僕はごくりと唾を飲んだ。ベレッタを構え、木々の隙間に注意を払う。

 まさに次の瞬間、周囲から銃声が響き始めた。僕は慌てて伏せて、首の向きを変えて周囲を見渡す。

 バンを乗り捨ててきた方向に目線を遣ったが、銃火が舞っているのはそちらだけではない。完全に包囲されている。


「ヘリ、離陸して銃撃を!」


 と、誰かが叫ぶ。三、四発の牽制射撃をして振り返ると、ようやくヘリが主翼を回転させ始めるところだった。


《離陸まであと十秒!》


 僕はその『十秒』という言葉に、不思議な感覚を得た。長いような、短いような。

 いや、一般的には短い時間と言えるだろう。だが、密かに僕たちを包囲していた警官隊・機動隊の動きは、敵ながら見事だった。僕たちのことを『見失った』と見せかけて、密かに包囲し、攻撃を始めたのだから。

 十秒間、持ちこたえられるだろうか? それらのことが、一瞬で脳裏をよぎった。


 僕を正気に引き戻したのは、短い悲鳴だった。


「きゃっ!」

「優海!」


 僕は匍匐前進で詰め寄り、優海の肩に腕を回した。


「だ、大丈夫か? 撃たれたのか?」

「ご、ごめん、兄ちゃん……」


 気づけば、僕の掌はべっとりとした赤に染まっていた。


「衛生係! 来てくれ! 優海が撃たれた!」


 と、叫んだ直後のこと。


《馬鹿、頭を下げろ!》


 武人の声だ。それと同時、キイイイン、と空を斬る音と共に、ヘリは離陸した。それが分かったのは、背後から荒っぽい風の煽りを受けたからだ。やっと、十秒が経過した。


 警官隊が怯む中、ヘリはその銃口をもたげ、情け容赦なく銃撃を開始した。

 隙のない爆音と共に、薬莢がばらばらと零れ落ちる。その先では、敵は倒れ込むことすら許されない。一瞬でバラバラになってしまうのだ。あたかも、手品師が人や動物をマントで覆い、消し去るように。

 一つ違いがあるとすれば、ごく僅かな時間、真っ赤な霧が発生するところだ。肉片が飛散し、そう見えるのだろう。あまりにも暴力性が高すぎて、僕に目を逸らそうという気分すら与えてくれなかった。


「ほら、兄ちゃん!」


 僕の腕を引いたのは優海だった。負傷は大したことはなかったらしい。

 なんだか、他人に救い上げてもらってばかりのように思われる。それだけ僕は、戦いに不向きな人間だということだろうか? 優海に対する申しわけなさが募る一方、一抹の安心感を、僕は覚えた。


「ほら!」

「あ、ああ!」


 優海に急かされ、僕はなんとか足に力を入れて立ち上がった。ヘリはといえば、一旦射撃を中断し、周囲に睨みを効かせているようだ。


 優海と僕が向かう先。そこには、確かにバンが用意されていた。真っ黒で、闇に溶け込んでいきそうなおぞましさを感じる。その周辺に、敵の姿はない。

 荷台の後部ハッチが開いていて、味方が手を振っていた。自然と足が速まる。結局、全力疾走の後に跳躍して乗り込む形になった。走り幅跳び。先ほども同じようなことをしていたな、と思う。


《これより、山道を下りて海岸線に向かう! 残存する敵は残らず叩け!》


 そう言われても、バンの中からどうやって銃撃を? そう思ったのも束の間、優海は右腕で『よいしょ』と側面の小窓を空けるところだった。いや、銃眼と呼ぶべきか。


《山を下りたら、迂回して住宅街を進む! 敵は迂闊に手を出せないはずだ。武器弾薬は積められるだけ積んである! 遠慮するな!》


 一旦ベレッタを見下ろしてから、僕は優海の後ろ姿に目を遣った。どうやら、負傷したのは左の上腕部らしい。僅かに裂けたジャンバーの向こうから、血が滲んでくる。


「いってぇなぁ、畜生……」


 そう言いながら、優海は一旦、銃眼を味方に任せた。這うようにして、荷台の前方へと向かっていく。そこには、白地に赤い十字架のついた箱があった。


「せめて痛み止めくらいは」


 そう呟くのが聞こえたのと同時、轟音が頭上を飛び去っていった。ヘリが敵を威嚇すべく、低空飛行しているのだろう。

 味方による発砲音で、僕ははっとした。


「優海、包帯を巻くぞ」

「うん、ありがと」


 そう言われた直後、荷台が勢いよく揺れた。


「うわっ!?」


 情けない声を上げながらも、僕は両腕を突っ張って、なんとか優海が転倒するのを防いだ。

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