第26話
「どわあああっ!」
壁に空いた大穴から飛び出した僕は、思いがけない勢いに、無理やり押し出された。同時に、背中全体に走る灼熱感。一瞬だけ、炎にさらされたようだ。
「無事か、優翔!」
うつ伏せに倒れ込んだ俺の腕を引いたのは、田宮だった。そばには優海や武人がいて、まさに駆け出そうとしている。
「ま、待ってくれ! まだ麻実さんが!」
「死んだよ」
「え、だって麻実さんは――」
「死んだって言ってんだろうが!!」
田宮の言葉に、僕はびくり、と肩を震わせた。
考えれば当然のことだ。あれほどの熱量と爆風を有する手榴弾を、手元で爆破したとすれば、生きてはいられまい。遮蔽物のない場所で、まともにこの熱量を喰らった警官たちもまた、大怪我は免れないだろう。
しかし、僕がそんなことを考えられたのは、もう少し経ってからのことだ。
その瞬間、いや、しばしの時間、俺の頭は麻実のことでいっぱいだった。
早く。早く助けなければ。
僕は田宮に怒鳴りつけられて、状況の理解はできていたと思う。頭では。しかし、心は別だ。
僕たち兄妹に構ってくれた麻実。暴力という手段ではあるけれど、僕らを導いてくれた麻実。誰がここに置いていけるものか。だが、全身に力が入らず、その場から動くことはできない。
その僅かな逡巡のうちに、僕は田宮に手を引かれ、拘置所のフェンスに向かって走っていた。
「全員伏せろ!」
今度は引っ張り倒された。後頭部に、田宮の広い掌が載せられ、力を込められる。
「ぶっ!」
僕は無理やり、地面に顔を押しつけられた。口の中に泥が入りこむ、不快な感覚。
だが、それを打ち消したのは、再び起こった爆音だった。田宮が手榴弾を投げて、フェンスを破ったらしい。外に出るまで、あと百メートルといったところか。
「よし、このまま走り抜けるぞ!」
再び立ち上がった僕たちは、咄嗟に腕で目を覆った。サーチライトが、僕たちを照らしている。同時に、見張り台から銃弾が降ってきた。
「急げ! あの車だ!」
眩しさの中で目を凝らす。その先には、一台の大型バンが停車していた。フェンスに横付けされ、しきりにヘッドライトを点滅させている。
「畜生!」
武人が走りながら、上方へ向けて自動小銃を乱射する。狙いは全く定まらないが、牽制にはなっているようだ。
先頭を行く田宮が、バンの元へ辿り着いた。横合いのドアがスライドし、彼を迎え入れる。
「皆、急げ! 武人、もういい、撃ち方止め!」
武人は自動小銃を投げ捨て、猛ダッシュをかけた。目を前方に戻すと、優海が田宮に抱え上げられるところだった。
「兄ちゃん、武人さん、急いで!」
僕の心臓は、今にも口から飛び出しそうだ。それでも、足を止めるわけにはいかない。止めたら死ぬのだ。ズタズタに全身を撃ち抜かれて。
僕は、感覚のなくなった両足に力をこめて、思いっきり跳躍した。走り幅跳びの要領で、勢いよく荷台に飛び乗る。
「だはっ!」
ドタン、と大きな音が響く。と同時に、横合いから突き飛ばされた。
「急げ、武人!」
僕を突き飛ばした張本人は、やはり田宮。彼は今、両腕をバンから差し出して、武人の腕を掴もうと試みている。しかし、アイドリングしていたバンはゆっくりと前進を開始した。荷台の隅にあるスピーカーから、運転手の声がする。
《田宮さん! 警察車両に包囲されます! 早く脱出を!》
「ど、どうするの!?」
問うた優海の言葉を無視して、
「構わん! 車を出せ!」
と一言。しかし、田宮は腕を引っ込めようとはしない。
「急げ、武人!」
「うわっ!?」
転倒しかけた武人の肘を、田宮はがっしりと掴んだ。そのままぐっと引き上げる。銃弾の飛び交う地獄の底から。
「よし、かっ飛ばせ!」
《了解!》
こうして、僕たちは拘置所をあとにした。
※
『流石に公道で銃撃を加えてはこないだろう。各自、武器の点検をしておけ』。
そんな言葉が、僕の片耳から入ってもう片方から抜けていく。
「大丈夫か、優翔?」
「あ、田宮さん……」
「に、兄ちゃん大丈夫?」
奥から声をかけてきた優海を、田宮が片腕を上げて制する。
「優翔、よく聞け。俺たちはこれから海岸線に出て、別動隊と合流する。今すぐに戦力を補充するのは、警察の方でも難しい。包囲を狭められる前に、なんとか突破するんだ」
ぼんやりしている僕に代わり、武人が問うた。
「で、でも田宮さん、まだ別動隊がいるんですか? 俺たちだけで検問を突破できるとは思えなくて」
しかし、田宮はそちらに一瞥もくれない。代わりに、すっと懐から何かを取り出した。
「お前の愛銃だ」
ぼんやりした意識の中で、僕はその把手を握りしめた。何故だろう、今までよりもずっとよく手に馴染む。
「検問が近づいたら、バンは強行突破する。生憎防弾車両じゃないんでな、威嚇でいいから撃ちまくれ。武器弾薬は、取り敢えず運べるだけ運んできたから、遠慮はするな」
「は、はい」
「おい、返事が聞こえねえぞ!」
「えっ、あ、はい!」
荷台で揺られながらも、僕の肩に手を遣る田宮。それから振り返り、武人に向き直った。
「別動隊は、あと三人ずつ、四班がいる。彼らを回収しながら、アジトから遠ざかるように移動する。そのまま県境を突破して、山道に入るんだ」
山道に入る? そんなことをしたら、車線が狭くなって挟み撃ちに遭うのではないだろうか。
そんな僕の危惧を読み取ったのだろう、田宮はその場であぐらをかきながら、僕と目を合わせた。
「非常事態用に、重火器のストックがある。山道に入ってすぐだ。そこで、挟み撃ちに遭う前に敵を叩く。俺たちを追いかけてきている、県警の特殊車両をふっ飛ばすんだ」
ふっ飛ばす? 地下に戦車でも隠してあるのだろうか。
「敵を殲滅してから引き帰して、次のアジトへ移動する。海岸沿いの、古いコンテナが放置されたあたりだ」
そんなところに、アジトの候補地があったのか。
「俺たちが重火器をもって戦い、姿をくらませれば、警察も容易に手出しはできなくなる」
そうなのか、と納得しかけて、僕はある疑問にぶつかった。今までぶつからなかったのが嘘であるかのような、大きな疑問だった。
「僕たち、いつまで戦い続けるんですか」
ギクリ、と音がするくらいの緊張感が走った。
「正直、追い詰められてますよね、僕たち。どこに行くんでしょうね」
僕は敢えて、誰かに詰め寄るようなことはしなかった。誰にも分かるまい。暴力に魅せられ、これだけ人を殺傷してきた僕たちに、どんな運命が待ち受けているのか。
いや、分かっているからこそ、誰も口にしないのだ。
戦いの中で命を落とすか。
捕まって極刑に処されるか。
はたまた上手く抜け出して、この世界のどこかでひっそりと、怯えながら暮らしていくか。
きっと、これらが暴力に魅入られた人間の末路なのだろう。
僕の場合はどうだろうか。
唯一の肉親、優海を助けたかった。きっかけはそれだけだ。それがいつの間にか、人殺しも止む無し、と思うようになってしまったとは。いったい僕は、人間としてどこまで堕落してしまったのだろう。
耳が痛くなるような沈黙。それを破ったのは、運転手の声だった。
《検問所接近! あと五百メートル!》
「よし、全員得物のセーフティを外せ! 強行突破する!」
僕は田宮に言われるがままに、カバーをスライドさせて初弾を装填した。同時に、田宮が荷台の側面ドアをスライドさせ、銃撃体勢を取った。
「優翔、お前は反対側だ! 武人を援護しろ! 荷台から落ちるなよ!」
僕がセーフティを外した時には、武人は銃撃を開始していた。
「焦るな、武人! もう少し接近してからだ! 優翔、聞こえているな?」
「は、はい!」
軽く身を乗り出すと、パトカーが三台、二手に分かれて停車していた。その間には、踏切にあるようなバーが配置されていて、車道を封鎖している。その両脇で、警察官が十名近く警戒の目を光らせていた。
異常に気づいたのか、警官隊はホルスターから拳銃を抜き、次々に真上に発砲した。威嚇射撃のようだが、『止まれ!』と注意しなかったところを見るに、彼らも焦っているらしい。
「よし、銃撃開始だ!」
田宮が叫ぶ。
スタタタッ、という鋭利な銃声が、冷たい空気を切り裂く。それに合わせて、警官隊がフォーメーションを崩し、倒れ込む。被弾したのか回避したのか、そこまでは分からない。
「おい、邪魔だ!」
「うわっ!」
僕は襟首を武人に掴まれ、突き飛ばされた。
「何するんだよ! 僕だって戦える!」
「拳銃じゃ防弾ベストを貫通できないだろうが! 引っ込んでろ!」
返す言葉もなかった。確かに、今は僕は引っ込んでいた方がいい。
しかし、待てよ。
今僕は何と言った? 『僕だって戦える!』だと? これは、積極的に暴力の渦に飛び込もうとしている証ではないのか。
田宮の『撃ち方止め!』という言葉が響き、検問の突破を確認した時、僕は自分の身体が、真っ黒な泥の塊になっていくような感覚に囚われた。いつか夢で見た、麻実のように。
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