第25話
照明が赤色灯に切り替わり、ヴーン、ヴーンと警報が鳴り響く。
「おい、何事だ?」
橋本は手首に取りつけられた小型マイクに声を吹き込んだ。
「何? 隔壁破損? 馬鹿な、ここは警察署だぞ!」
慌てる橋本をよそに、咄嗟に動いたのは武人だった。
「優海ちゃん、これを!」
自分のそばに滑って来たベレッタの部品を引っ掴み、檻の内側に引き込む。
「サンキュ、武人さん!」
それから優海は、目にも留まらぬ速度でベレッタを組み上げた。
「手を上げろ、橋本!」
「ッ!」
橋本が自分の拳銃を取り出すのと、優海がベレッタのセーフティを解除するのは同時。銃声は二つ。倒れ込んだのは、優海だった。
「ゆ、優海!」
僕は慌てて駆け寄った。しかし優海は顔をしかめながら、
「いってぇな、畜生……」
と言って歯を食いしばるばかり。見れば、優海は左肩に右の掌を遣っている。掠めただけらしい。
僕ははっとして、優海の取り落としたベレッタを拾い上げた。素早く橋本の方へと向ける。しかし、当の橋本は、時間差をもって倒れ伏すところだった。腹部に手を当てている。
四つん這いになって、吐血する橋本。その血は、赤色灯と相まって、実にどす黒く見えた。
「が、は……」
橋本はそのまま、倒れ伏した。次に動いたのは麻実だ。橋本の袖からマイクを、右耳から小型スピーカーを取り外し、自分の耳に装着した。僕たちにも、微かにスピーカーから声が聞こえてくる。
《応答してください、橋本警部! こちら、一階の火器安置室! 廊下向かいの隔壁が、何者かに破壊されました! 対物ロケット砲が使用された形跡あり! 敵勢力は強大で――くっ! ぐあっ!》
そこまで聞いて、麻実はマイクとスピーカーを外し、踏みにじって破壊した。
「状況が分かったわ。田宮くんたちが、私たちの救出に来たのよ」
「田宮さんが?」
微かに希望の表情を浮かべる武人。
「それも、わざと武器庫に近いところから突入してくれた。私たちに、武器を取れと言いたいのよ」
「じゃ、じゃあ!」
「行くしかなさそうね。優海ちゃん、ちょっと貸して」
「は、はい!」
優海からベレッタを受け取った麻実は、檻の鍵に向けて数発発砲した。幸い、ここの鍵は南京錠ではなく、指紋認証型のロックだった。すぐに破壊され、バチバチと火花を散らす。
「よし、脱出するわよ」
短くそう言って、麻実は檻の扉を蹴破った。ガチャン、という鋭い音が、警報音に混じって響く。優海はベレッタを返され、僕たちの先頭に立った。麻実、武人、それに僕が続く。
そのはずだった。
「ッ!」
背中の左側を思いっきり突き飛ばされるような感覚と共に、僕は半回転して倒れ込んだ。自分が撃たれたと気づくのに、しばしの時間が必要だった。
「逃がさねえぞ、ガキ共……!」
先ほどまでの余裕はどこへやら、橋本は口元から血を溢れ出させながら、自分の拳銃を握っている。
「俺たち公安が汚れ仕事をしているお陰で、この国の治安は保たれているんだぞ……! その一角を担う俺が、貴様らなんぞに……!」
すると、麻実が僕のそばを通り抜けて、橋本の方へと駆けて行った。
これでは、麻実も撃たれてしまう。しかし麻実は、橋本の銃口に晒される前に、思いっきり跳躍した。微かに舞った血飛沫は、麻実の足を掠めた弾丸によるものだろう。
次の瞬間、パキリ、という嫌な音がした。
目を凝らすと、麻実は橋本の手首を踏みしめていた。今の音は、橋本の右手首が折れる音だったらしい。
「お生憎様、私たちもあなたと一緒なのよ。この社会の底辺を引きずり回ってきた、という意味ではね」
お互い様よ、と言って、麻実は橋本の右手から拳銃を奪い取った。それから、流れるような所作で銃口を橋本の額に当て、あっさりと引き金を引いた。橋本は、一瞬痙攣してからすぐに動かなくなった。
麻実は振り返り、僕と目を合わせた。
「優翔くん、怪我は?」
「う、撃たれた……。僕、撃たれたんですか……」
途端に目眩がしてきた。撃たれたってことは、僕は死ぬのか?
すると、思いっきり身体をひっくり返された。優海の仕業だ。
「ひっ!」
途端に走った激痛に、僕は悲鳴にならない声を上げた。しかし優海は、
「大丈夫、これなら死なないから。あたしだって撃たれたし、兄ちゃんもしっかりして!」
死なずに済むのか? まだ生き長らえることができるのか?
僕は自分の背に手を遣った。ぬるり、と嫌な感触が掌に貼りつく。これは、血なのだろうか。
だが、血が噴き出してくる、という様子ではない。優海の負傷と同様、掠り傷らしい。橋本とは違うのだ。
僕は静かに深呼吸をした。こうなったら、前進するしかあるまい。
「優海ちゃん、先頭に。しんがりは私が務めるから」
「了解! 行くよ、皆!」
威勢のいい優海の声に、僕たちは足早に檻の元を後にした。
※
そこから先、武器を使う機会はなかった。誰もかれもがパニックに陥り、僕たちに注意を払う者はいない。
《警備任務担当中の警察官は、ただちに火器安置室に急行せよ! その他の人員は、直ちに地下の防護区画へ避難せよ! 繰り返す!》
けたたましく警報音が鳴り響き、廊下のあちこちに配されたスピーカーが叫ぶ。行き来する警察関係者たちには、橋本のように私服の者も多かったので、僕たちは注目を集めるには及ばなかった。
「皆、急いで! 田宮くんたちだけでは、長くはもたない!」
「分かりました!」
すぐ後ろから聞こえてきた麻実の声に、僕は必死で応じた。そのくらい、全力疾走で、大声を張り上げなければならなかった。
すると、前方から銃撃音が響いてきた。どのような状況なのか不明瞭だが、田宮たちと警察官たちが戦っていることは分かる。
「ちょっとストップ!」
先頭を走る優海が、足を止めた。むざむざ突っ込んだのでは、両脇からの火線に晒され、一瞬でズタズタにされてしまう。
優海はしゃがみ込み、銃声のする方に得物の矛先をあちこちに向ける。
その時、何かが床を滑ってきた。これは、銃器か? 僕が手に取ってみると、確かにそれは、拳銃、僕が愛用しているベレッタだった。
「受け取れ!」
火薬の煙の向こうから、田宮のドスの効いた声がする。次に滑ってきたのは、麻実のコルト・パイソン。最後の自動小銃は、武人に向けたものだろう。
真っ赤な視界の中で目を凝らすと、ボウッ、と緑色の光が煌めいた。実に鮮やかだ。廊下の壁面に、大穴が空いているのが見える。
この光は、発煙筒だろう。それはすぐに、綺麗な弧を描いて廊下を横切った。僅かに銃撃の勢いが緩む。
僕ははっとして、発煙筒の煙の方へと銃口を向けた。『万一のために』と、田宮に教わっていたのだ。敵味方の区別がつかなくなったら、発煙筒の発光している方に狙いをつけろ、と。
同じことを考えていたのか、麻実は姿勢を低くしたまま、緑色の光と反対側の壁に背中をつけた。優海と武人も続く。
やがて、煙によって混乱をきたしたのか、警察官たちがゆっくりと進み出てきた。そこに、武人が横薙ぎに銃弾を浴びせた。
「うっ!」
「退け! 敵が合流したぞ!」
「これ以上、敵に武器を取らせるな!」
流石に防弾ベスト程度の装備はしていたらしい。これでは、僕たちの方が分が悪い。
優海が舌打ちする。その時、今度は青い発煙筒が焚かれた。これは、逃げ道を示すための光だ。
「皆、先に行って!」
「そんな、麻実さん!」
僕は振り返らず、それでも明確に聞き取れるように叫んだ。しかし、最も敵から遠く、かつ敵の横合いを突けるのは麻実だ。
麻実の言葉を聞いたのか、優海が青い光の方へとにじり寄った。武人も続く。
「麻実さんも早くこっちへ!」
だが、麻実はそれには答えずに、
「優翔くんも田宮くんたちに合流しなさい! 急いで!」
左肩を銃弾に掠められた僕は、右手だけで、緑色の光の方へと銃撃した。
「麻実さん、援護しますから今すぐに!」
「ああもう分かったわよ! 先に行きなさい!」
その言葉を聞いた直後、何か丸いものが僕たちの方へと放り投げられてきた。それが手榴弾だと、僕にはすぐに見当がついた。
「う、うわあっ!」
しかし、麻実は落ち着いていた。
「ほら、優翔くん! これはピン抜かれてないから! 田宮くんが寄越したのよ」
そう言ってから、愛銃の引き金を続けざまに引いた。
「早く逃げて! あなたも爆発に巻き込まれる!」
「ま、麻実さんはどうするんです!?」
「いいから早く! 私のことは忘れなさい!」
麻実に突き飛ばされるようにして、僕は壁に空いた大穴から叩き出された。
バアン、という平板な爆発音が響いたのは、まさにその直後だった。
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