第24話

 気がついた時には、麻実は清潔なベッドに横たえられていた。


「……夢?」


 麻実は小さく呟いた。先ほどの放火騒ぎは、夢だったのかと思ったのだ。いや、そう思いたかっただけかもしれない。

 事実、それは夢ではなかった。自分を挟むように寝ているはずの両親が、ここにはいなかったからだ。代わりに、真っ白いカーテンで周囲を囲まれていること、やたらと薬品臭いことが感じられた。


 麻実の胸中にじわり、と、火事の光景が甦る。その炎は、やがて麻実の視界そのものに燃え移り、見えるものが次々と黒く変色していった。

 麻実は現実を拒絶するかのように、首を左右に振った。


「いや……」


 しかし、炎の勢いは収まるところを知らない。


「いや……!」


 やがて家屋全体が炎に呑み込まれ、膨れ上がって――。


「いやあああああああ!!」


 麻実の絶叫と共に、大爆発を起こした。

 

 それと同時に、麻実の正面にあったカーテンが、ざっと引き開けられた。


「大代さん!」

「麻実さん、落ち着いて! もう大丈夫よ!」

「いやあ! お父さん! お母さん!」


 慌てて入ってきた女性看護師を突き飛ばすように、麻実はジタバタと四肢を突っ張った。しかしそれは多勢に無勢で、完全に手足を押さえつけられ、看護師から『話を聞いて!』と怒鳴りつけられた上で、麻実はようやく黙り込んだ。


「大声上げてごめんなさいね。あなたが一番辛いはずなのに」

「じゃあ、お父さんとお母さんは……?」


 すると、看護師は下唇を噛んでから、視線を上げて麻実と目を合わせた。


「亡くなったそうよ」


 優海は再び、気を失いそうになった。だが、その意識を引き留めたのは、看護師の涙だった。


「ごめんなさい。私たちも最善を尽くしたのだけれど……。もう何を言っても、励ましにはならないわね。ごめんなさい……」


『ごめんなさい』を繰り返す看護師を前に、麻実は胸のつっかえ棒が外れていくような、不思議な感覚を味わった。


 この人たちは、悪くない。悪いのは、放火犯だ。

 現時点で、この火事が何らかの意図によるものであると、麻実には察しがついていた。


「犯人は?」

「え?」

「放火犯はどうなったんです?」

「ほ、放火犯って……」


 まさか子供の口からそんな言葉が出るとは思ってもみなかったのだろう。看護師たちは一瞬、涙を忘れてポカンと口を開けた。


「警察はどうしたんです? 犯人は捕まらないんですか?」


 すると、カーテンがゆっくりと引き開けられた。看護師たちのリーダー格らしい、男性看護師がそっと入ってくる。


「大代麻実さん、だね?」

「はい」


 麻実は幼稚に見られないよう、しっかりと頷いた。


「お父さんにお母さん、それに伯父さんを亡くされたのだから、やりきれない気持ちになるのは分かる。だけど、犯人のことは、警察の人たちに任せるんだ。君や私たち看護師には、どうにもならない」


 麻実は一時、俯いた。考えていたのだ。自分はこの事件に対して、いかに無力であることか。犯人に対して、一矢報いることもできないのか。このままでは、天国にいった両親や伯父に顔向けができないではないか。


 どのくらい沈黙していたのかは分からない。麻実が顔を上げた時には、誰もが俯いていた。こんな幼い少女である麻実が、ここまで頭を回転させていたいたことなど、誰も分かっていなかっただろう。


 だからこそ、次の麻実の発言は、周囲をどよめかせた。


「私、警察の人たちに協力します。だから私を、捜査チームの人たちに会わせてください」

「なっ、君、一体何を……?」


 すぐに応じたのは、男性看護師だった。しかし、動揺を隠しきれていない。


「私は警察の人に犯人を捕まえてもらって、きちんと裁判にかけてほしい。償いをさせてほしい。だから、協力させてください」

「し、しかし」

「無理なんですか? 私が子供だから?」


 男性看護師は黙り込んだ。額に汗が滲んでいる。


「お願いします」


 麻実は頭を下げることなく、首を巡らせて、周囲の人々をじっと見つめた。

 ようやく、麻実の決意に根負けしたのか、


「分かった。私の方から警察の方に相談してみよう」


 男性看護師は、そう請け合った。


「ありがとうございます」


 麻実は、今度こそぐいっと頭を下げて、礼を述べた。


「しかし……」

「しかし?」

「ああいや、なんでもないよ、麻実ちゃん」

「教えてください。何を言おうとなさったんです?」


 男性看護師はもごもごと口を動かしながら、ややあってこう言った。


「君の本性はどちらなんだ、麻実さん?」

「本性?」

「君の語り口は、立派な大人のようだ。さっきはあれほど暴れていたのに……。まるで別人だよ」


 麻実は首を傾げた。果たして、そうだろうか。麻実がその看護師の言葉を理解したのは、彼女が警察関係者の会議に『アドバイザー』として参加した時のことだ。


         ※


「それで、麻実さんは犯罪に手を染めるようになったんですか」

「ええ」


 僕の言葉に、短く答える麻実。


「でも、おかしくないですか、麻実さん? あなたは警察に協力しようとした。それがどうして、警察を敵に回すことになったんです?」


 すると、麻実は少しばかり視線を泳がせた。ここから先が問題なのだと言うように。


「私は次の捜査会議に出席が許されたの。飽くまで周りの大人たちに迷惑をかけないように、ってね」

「それで?」


 武人が先を促す。その態度があまりに不躾に見えて、僕は視線だけで武人を責めた。

 しかし、麻実の口調は、相変わらず淡々としたものだった。


「呆れちゃったのよ」

「呆れた?」


 優海までもが身を乗り出してくる。


「あまりにも適当でね。大人たちの態度が」


 今度は誰も、麻実を急かさなかった。麻実は何か重要な、しかし言葉にしたくはないことを、なんとか形にしようとしている。それが伝わってきたからだろう。

 唇を湿らせてから、麻実はゆっくりと、続きを語りだした。


「放火で人が死んでるから、ちゃんと捜査本部が立てられたのはよかった。不満はない。けれど、大人たちは誰も私を気にも留めなかった。むしろ、私がいることで、余計にやる気を削がれたような態度だった」


 俯いて、震えるため息をつく麻実。


「私の家族のことなんて、どうでもよかったのよ。せっかく犯人を捕まえてくれると思っていたのに。警察というものを信用していたのに」

「裏切られた、ってことですか」


 僕の静かな問いかけに、麻実はぐっと頷いた。


「私にとって致命的だったのは、廊下の角で盗み聞きした内容だった」


 僕と優海、武人は、ちょうどタイミングを図ったかのように、ほぼ同時に唾を飲んだ。


「大代は警察の捜査権の拡大に反対していた、死んでくれてむしろよかった、ってね」

「何だって!?」


 怒声と共に腰を上げたのは、優海だった。そのまま檻の隙間から手を出し、見張りの警察官の腕を引っ掴もうとした。が、手首が引っ掛かり、掴むどころではない。


「畜生!」


 そのまま檻を揺さぶろうとする優海。しかし、鉄柵はびくともしない。


「こら! 止めんか!」


 警察官が、警棒を取り出して檻を叩く。それにも関わらず、優海は口角泡を飛ばし続けた。


「あんたらがちゃんとしていてくれれば、麻実姉ちゃんは救われたかもしれないのに!」

「おい、止めないか! お前たちは殺人犯だ、我々にどうこう言える筋合いではない!」


 警察官もまた、今の話を聞いていて、いたたまれなくなったのだろう。


「ここは警察署だ、お前たちを失神させるくらい、いつでもできるんだぞ!」


 凄む警察官に相対して、そこで退く優海ではなかった。


「やりたきゃやれよ! 目が覚めたら真っ先にてめえをぶっ殺してやる!」

「まあまあ落ち着きたまえ、諸君」


 飄々とした声がした。僕たちをからかうような調子で、優海の物騒な発言を軽く受け流し、わざとらしく靴を鳴らしながら歩いてくる。明らかに、橋本だ。


 先ほどと同じ格好で、コートのポケットに両手を突っ込んでいる。


「今更怒ってもしょうがないだろう? 君らにはもう、自由はないよ。現実を見つめるんだ」


『外せ』と短く指示する橋本。そんな彼に振り返り、敬礼して足早に去っていく警察官。


「さて、次は誰にお話を伺おうかな? と言っても、塚島優海さん、大代麻実さん、お二人のうち一人ずつだがね」


 橋本は懐から、優海のベレッタを取り出した。


「あっ! あたしのベレッタ!」


 すかさず叫ぶ優海。そんな彼女の前で、橋本はしゃがみ込み、ベレッタをカチャカチャと分解し始めた。


「君にならすぐに組み立てられるだろう? 君は銃器の扱いに長けていたかもしれないが、私も心理戦のプロでね。こうしていれば、君が不快な思いをするであろうことは察しているんだよ」

「この野郎!」


 優海が食いつくが、橋本は一瞥さえくれない。素早く弾倉を外す橋本。


「あとは、弾倉から弾丸を外していけば、この拳銃はただの金属の塊になる。優海さん、君には我慢ならないだろうね? 他人の手で相棒が解体されてしまうとは」

「おい止めろよ! てめえ、いつかハチの巣にして――」


 と、優海が言いかけたその時だった。凄まじい轟音と振動を伴って、瓦礫と砂塵が吹き荒れた。

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