第23話
まさか、そんなことが。しかし、否定材料を僕は持ち合わせていない。どういうことだ?
今の僕にできるのは、単刀直入に、橋本に問うてみることだけだった。
「僕たちは、泳がされていたということですか? あなた方警察からして目障りな人間を標的にしているから?」
「ほう、話の飲み込みが早いじゃないか。その通りだよ」
僅かに身を乗り出す橋本。
「だが、流石にその活動も目に余るようになってきてね。余計な人間まで手にかけるようになったんだよ、君たちは。だから、そろそろ潮時だと思ったんだろう、上層部は」
『私個人としては心苦しいが』と言葉を挟んで、
「君たちの組織を破壊することにした。トカゲの尻尾切りみたいなものさ」
「トカゲの、尻尾?」
「そうだ。失礼な喩えで申し訳ないがね」
僕は沈黙した。要するに、僕たちは政府やら何やらの権力の元で踊らされていた、ということか。そして、今は捨てられる立場にあると。
「おや、怒りださないのかね?」
「は?」
全く予想していなかった言葉に、僕は間抜けな声を上げた。
「おかしいな。優海さんにこの話をした時は、大層怒鳴りつけられたものだが」
「怒鳴る、って……」
橋本は片手をひらひらと振りながら、言葉を続けた。
「いやあ、凄まじかったよ、優海さんの怒りっぷりは。危うく私もぶん殴られるところだった」
僕はずいっと身を乗り出し、叫んだ。
「優海は? 優海は無事なんですか!?」
「心配いらない。もっとも、暴れ出したせいでまた眠らされているがね。怪我はないよ」
僕は、手錠をかけられた手を胸に当て、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「会わせてもらえませんか」
「ああ、問題ない。しかし――」
「しかし?」
橋本は、無精髭の生えた顎に手を遣った。
「君よりも罪が重いからな、今を逃したら、次にいつ会えるか分からないぞ」
「じゃ、じゃあなおさら……!」
「分かった」
机に備え付けられたマイクのスイッチを押し込み、橋本は声を吹き込んだ。
「私だ。塚島優海の意識が戻ったら、兄の優翔に面会できるように手配してくれ」
《了解しました》
「了解、だそうだ」
「あ、ありがとうございます」
ふと目を上げた橋本に向かい、僕はもごもごと礼を述べた。
「時間はある。君にも私にも。話はまた今度だ」
そう言うと、橋本は立ち上がって、僕にも起立を促した。
「ついて来てくれ。君の待機室まで案内する。少し寒いかもしれんがね」
※
「あっ、優翔!」
「ああ」
僕は、先客だった武人と顔を合わせた。金属柱で仕切られた向こう側に、武人が座り込んでいる。
「二人を頼みますよ」
「はッ」
見張り役と思しき警察官が二人いて、両方が橋本に敬礼した。橋本は、軽く頷いてみせただけで、すぐに背を向けて廊下の角の向こうに消えた。
「さあ、入れ」
僕は警察官に促されて、拘置室の中に足を踏み入れた。
そこはいかにも牢屋といった部屋で、清潔ではあったが薄暗かった。僕は手錠を外され、背中を押されて牢屋に入った。ギシリ、と鈍い音を立てて閉まる牢屋。椅子や机の類はなく、武人は床にぺったりと座っていた。
「武人、優海を見なかったか?」
「それはこっちの台詞だ! 俺だって、自分がどうしてここにいるのか、それすら分からないんだぞ!」
喚く武人に、警備係の警察官が殺気を孕んだ視線を送る。彼の同僚が、僕たちに殺されてしまったのかもしれない。僕は武人に、静かに喋るようにと、口の前で人差し指を立ててみせた。
「お前、兄貴のくせに、優海ちゃんのことが心配じゃねえのか!」
「心配に決まっているだろう!」
僕は唾を飛ばしながら、武人に言い返した。
「でも、心配だからって僕たちにできることなんて……!」
と言いかけた、その時だった。
「放せよ! 自分で歩けるよ!」
「落ち着きなさい、優海ちゃん。大人しくした方が身のためよ」
「でもさあ、麻実姉ちゃん!」
はっとして、僕は立ち上がって鉄柵に掴みかかった。
「優海!」
「あっ、兄ちゃん!」
思いっきり突き飛ばされるようにして、鉄柵に手を当てる優海。振り返りながら、自分たちを連行してきた警察官に睨みを効かせるが、相手は意に介さない様子だ。
「何すんだよ!」
「だから抵抗しないで、優海ちゃん! 相手の敵意を買うだけだから」
優海も麻実も手錠を外され、僕たちのいる牢屋に入ってきた。
優海の様子を見る限り、大した怪我は負っていないようだ。暴行を受けた形跡もない。それでも僕は、分かり切ったことと思いつつも、優海に声をかけた。
「優海、大丈夫か?」
「兄ちゃんこそ、怪我してないの?」
しゃがみ込んだ優海が、僕の両肩に手を載せる。いつもと逆の立場になってやや戸惑ったが、僕は『大丈夫だ』と答えるに留めた。
わきから武人が、声をかけたがっているのが目に入った。が、今は兄妹だけで遣り取りをさせてほしい。
「優海、お前、どうやって連れてこられた?」
「いやあ何も、気づいたらここにいたんだ。銀行に突入してきた特殊部隊に、気絶させられたらしいことは分かるんだけど……」
「橋本って男、あいつ、何か言ってたか?」
「まったく気に障る野郎だ!」
優海は声を荒げた。
「あたしたちを舐めきってるんだよ! いつかぶっ殺して――」
「ちょっと優海ちゃん!」
流石に今の発言はマズい。麻実が軽く優海の頬を叩き、黙らせた。
思い出したようなタイミングになってしまったが、僕は麻実にも尋ねた。
「麻実さんは? ご無事ですか?」
「ええ、ご覧の通りね」
肩を竦めてみせる麻実。いつも通りの様子に、僕は安堵した。優海も麻実も、負傷してはいない。
「田宮さんは? 別動隊だったんですか?」
武人の問いに、麻実は考え深げに頷いた。
「ええ。だから捕まったかどうか、生きてるかどうかも分からないわ」
ため息混じりに答える麻実。僕もつられて、長いため息をついた。
僅かな沈黙の後、口を開いたのは麻実だった。
「まあ、田宮くんの無事が確認されない以上、私には皆に話す義務がありそうね」
「何がですか、麻実さん?」
「私がどうして、皆を巻き込んでまでこんな暴力犯罪に手を染めているのか」
「あっ……」
僕は間抜けな声を漏らしてしまった。
「田宮くんだけには話しておいたのよ。彼、サブリーダーみたいな立場だったから。でも、彼の安否が分からない以上、今ここであなたたちに話しておく必要がありそうだと、私は思う」
そうだ。僕たちの幼少期、あれほど優しかった麻実が、どうして暴力の沼に引きずり込まれてしまったのか。確かめておきたいという思いが、今更ながら僕の心中に芽生えた。
再び訪れた沈黙に寄り添うように、麻実は静かに語りだした。
※
それは、僕と優海が養護施設に送られて間もなくのことだった。
ある夜、麻実はトイレに起きた。二階で、両親と共にベッドに横たわっていた麻実は、布団を押し退けて立ち上がり、部屋を出て、一階への下り階段に足をかけた。二階のトイレは、修繕中だったのだ。
こうして一階へ下りたことが、彼女の命を救うことになるとは、予想だにしていなかった。
「ん?」
麻実は異臭に気づいた。焦げ臭い。麻実は直感的に、臭いの濃くなる方へと足を進めた。玄関に近づいていくと、だんだん周囲が明るくなってくる。これは、まさか。
やがて麻実は、リビングに足を踏み入れ、愕然とした。カーテンとガラス戸越しに、凄まじい光と熱が襲い掛かってきたのだ。
「きゃあっ!」
麻実はその場で尻餅をついた。これは、火事だ。しかし屋内ではない。炎がその舌を伸ばしているのは、屋外のガレージ。ちょうど父の車が停められているところだ。
これは放火だと、麻実は察した。台所ならまだしも、ガレージに火の気はないからだ。もし車のガソリンにこの火が引火したら――。
麻実は自分の身の安全を確保すべく、慌てて玄関から出た。そこでちょうど、近所に住んでいた伯父と鉢合わせした。
「おお、麻実ちゃん!」
「伯父さん! 車が! 家が!」
「お父さんとお母さんは?」
「え、えっと……!」
伯父は一度、二階を見上げ、『まだ中にいるんだな?』と問うた。コクコクと首を振る麻実。それからスマホを麻実の胸に押しつけ、
「一一九番通報しなさい! 伯父さんは、麻実ちゃんのお父さんたちを助けに行く!」
「は、はい!」
伯父の鬼気迫る表情に、麻実は再び頷く。
「おーい、火事だ! 火事だぞ!」
近所の人たちも、次々に家を出て様子見にやって来た。
伯父が玄関から入り、その姿が見えなくなる。しかしその直前、ドガシャン、という轟音が、麻実の鼓膜を震わせた。
「きゃああああっ!」
慌ててしゃがみ込み、両耳を押さえる麻実。父の車が爆発したのだ。
「お父さん! お母さん!」
「待つんだ、麻実ちゃん!」
立ち上がって駆け出そうとした麻実は、誰か大人に押さえつけられた。ガラン、ゴトン、といって、車の破片が降り注ぐ。
幸い、麻実たちは十分距離を取っていたが、伯父は爆発に巻き込まれたに違いない。それに、これで玄関は封鎖されてしまったに等しい。両親の逃げ道は、ない。
あまりの絶望感に、麻実は全身が脱力するのを感じた。
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