第22話【第五章】

「鎮静剤……効果、切れ……」

「了解、塚島……聴取室……」

「……?」


 僕は再び、真っ白い空間にいた。しかし、そこには光があるだけで、柱も床もない。どうやら、これは夢ではないようだ。

 真っ白いと思ったのは、色ではなく光だった。眩しくて目が開けられないのだ。切れ切れに言葉が聞こえてくるが、意味を成すほどのことは聞き取れない。ツンとした医薬品の匂いが、鼻腔の奥に刺激をもたらしてくる。

 

 そこまでを感知してから、僕は気づいた、両手、両足が枷で固定されていることに。ベッドに横たえられて、動きが封じられている。はっとして、僕は首を上げ、目を見開いた。


「おっと、お目覚めのようだな。塚島優翔くん」

「だっ、誰だ!?」


 僕からは相手が見えない。ただ、その声の主が知人でないことは確かだ。それも、味方ですらない。

 敵意は感じられないが、向こうがこちらを見下している。そんな空気は感じられた。


「安心したまえ。君たちのお仲間から死者は出ていない」


 そこでようやく、声の主が静かに近づいてきた。僕は首を捻り、相手の姿を捉えようと試みる。

 相手は、ジャケットにスーツを着込んだ男だった。頬がこけ、髪の毛は癖っ毛で、半ばアフロヘアーになっている。見た目は三十代中盤くらいに見えるのだが、この落ち着き払った、肝の据わった態度は何なのだろう。僕は相手の年齢を測るのを諦めた。


「さて、まずは挨拶だ。これを」


 穏やかな態度で、男は名刺を取り出した。県警本部の刑事、橋本正樹とある。


「まあ、本来の所属はここではないのだがね。諜報戦のプロとして、警視庁公安部から派遣されてきたんだ。これ以上教えてあげられないのがもどかしいんだが」

「ぼ、僕をどうする気だ!? それより、優海は!?」

「おおっと、質問は一つずつだ」


 橋本はジャケットに突っ込んでいた手を抜き出し、軽く僕に向かって掌を突き出した。


「とは言ってみたんだが、君も、妹の優海さんも、あまり処遇は変わらない。まずは拘置所に入ってもらって、それから少しずつ事情聴取に付き合ってもらう。全員だ。それから、誰を書類送検し、起訴し、贖罪させるか、判断させてもらう」


『ま、君たちの身柄を確保してしまった以上、私の出番はここまでだがね』。そう言って、橋本は自嘲的に笑った。僕は目を逸らし、眉間に手を遣ろうとして、自分の四肢が拘束されていることを思いだした。


「不自由かけてすまないね」

「答えてください!」


 相変わらず薄い笑みを浮かべる橋本に、僕は突っかかった。


「僕たちはいつから目をつけられていたんです?」


 その時、『質問は一つずつ』と言われたことを思い出し、僕は質問の続きを飲み込んだ。


「そうだねえ。私が所轄から回された情報で見たところだと、君たちの存在自体は二年前から既に認知されていた。主要メンバーが大代麻実という人物であることは、半年前に分かったことだな。問題は動機と、武器の入手ルートの解明だが、これは少しばかり急ぐ必要がある」

「僕たちの情報は、どこから漏れていたんです?」


 すると、橋本は目を丸くした。


「君たちの情報の漏洩が気になるのかい?」


 僕は不自由ながら、ぐっと頷いてみせた。


「なんだ、そんなこと!」


 すると、橋本はここが病室であるにも関わらず、口元に手を遣って必死に笑いを堪えた。


「何がおかしいんです!?」

「いやあ、すまない。あれだけ派手に事件を起こしているんだ、目立って仕方なかったようだよ。まあ、所轄から上がってきた情報を解析したのは我々公安だから、分かったのは我々が関与してから、すなわち半年前からということになるな」


 半年。その間、ずっと僕たちは見張られていたのか。


「あなたたちがどれほどの情報を握っていたのかは知りません。けど、だったらどうしてすぐに逮捕しなかったんです、僕たちを?」


 半年前といったら、僕は全く関与していなかった頃の話になるが。


「そんなに僕たちの情報統制は取れていた、ということですか」


 そう言うと、橋本は吹き出した。爆笑したいのを必死に押さえ込もうとしている。片手を口元に、もう片方の手を腹部に当てて。


「ここでは話しづらいな、優翔くん。少し場所を移そうか」


 そう言って、橋本は部下の名を呼び、僕を押さえつけながら枷を外させた。


「立てるか?」

「はい」


 短く答える。これ以上、笑いの種を橋本にくれてやるつもりはない。

 

         ※


 ここが拘置所づきの病院であると分かったのは、廊下に出てからだった。あちらこちらに機動隊員が立っていて、行き来する人たちに鋭い視線を投げかけている。

 そんな彼らも、橋本が通る度に警戒を解いて敬礼する。

それほどに偉いのか、この男は。そんなことを考えながら、僕は手錠をかけられたまま、橋本の背中を見つめた。


「あれ? 小会議室ってこっちだっけ?」

「はッ、現在空いております」

「これはどうも」


 カッチリした態度の警備員たちに対し、橋本の所作はひょうひょうとした印象を与えた。我が物顔で拘置所内を闊歩する橋本。やはり、相当な高官のようではあるが、外見からそんな気配は感じられない。


「ここだな、小会議室」


 橋本はドアノブを引き、僕に入室を促した。

 おずおずと小会議室に入る。そこは、会議室とは名ばかりの、八畳ほどの小部屋だった。照明は薄暗く、無機質なスチール机が中央に一つ。その奥と手前にパイプ椅子がある。


 軽く僕の背を叩く橋本。ここで一体何が告げられるのか。それに気を取られていた僕は、気づけば奥の席へ座らされていた。

部屋の天井隅に、監視カメラがあるのが目に入る。僕が暴れ出したら、すぐに警備員が駆けつける手筈なのだろう。つまり、僕が暴れ出しかねない内容の話が出る、ということに違いない。


「まず尋ねるがね、優翔くん」


 机に肘をつき、指を組みながら橋本が切り出した。


「信じられるかね?」


 信じられる? 何のことだ?

 疑問が顔に出たのだろう、橋本は口元を緩めてこう言った。


「君たちの行為が、こんなにまで次々に成功しているという事実だよ」


『信じられるかね?』と、繰り返す橋本。


「大代麻実率いる組織のやることは、いつも派手だった。拳銃は皆が標準装備、特定の暴力団とのパイプもある。火器の密輸業者ともね。民間人を巻き込みながら、銃や爆弾を使って事件を起こす。こんなことが、いつまでもバレずに済んでいると、本気で思っていたのかね?」


 その言葉は、僕の心に、意外なほどの説得力をもって染み込んできた。

 確かにそうだ。こんな短期間に、それも拳銃や爆弾を用いて事件を起こしてきた集団など、聞いたことがない。


「君たちは立派なテロリストだ、優翔くん。法治国家の日本の安全を預かる警察機関として、我々は、君たちに厳しい刑事罰を要求することになるな」

「そうですか」


 僕は完全に脱力していた。始めは優海を、暴力の沼から救い出すはずだった。それが、自分まで殺人犯になって、こうして身柄を拘束されるとは。馬鹿らしいとしか言いようがない。


 だが、しかし。一つの疑問が、僕の脳内に広がった。

 

「橋本さん」

「何だね、優翔くん? 私の権限で答えられることなら答えよう」

「そんなに僕たちの活動が見えていたのなら、どうして今まで逮捕しようとしなかったんです? SATでもSITでも、もっと早くに動かせたんじゃないですか?」


 僕が語る間、橋本はじっと僕の目を覗き込んでいた。そして語り終えた今も、無感情な目で僕を見つめている。

 緊張感のあまり、僕が目を逸らした直後だった。


「ふっ、はははははははっ!」


 橋本が、爆笑した。片手で両目を覆い、もう片方の手をだらん、とぶら下げる。そのまま宙を仰ぎ見るようにして、椅子の背もたれに体重を預けた。


「何か変なことを尋ねましたか、僕」


 無気力に陥りながら、僕は問うた。すると橋本は『いや、失敬』と言って、何度か咳こんだ。


「なかなか答えづらいことを訊かれてしまったのでね。ショックかもしれないが、知りたいかね? 大代麻実たちが今まで捕まらなかった理由」

「はい」


 僕は即答した。もうここまで来て、引き帰すことはできまい。入手できる情報は、引き出せるだけ引き出してしまえ。


「簡単なことだよ、優翔くん」


 橋本は、今度はゆっくりと口を開いた。


「泳がせておいたのさ、君たちを」

「ッ!?」


 僕は頬を張られたかのように、一気に意識が覚醒した。


「お、泳がせて……?」

「そうだ」


 しっかりと頷いてみせる橋本。


「君たちの実情を把握し始めてから、我々は奇妙な偶然に気づいたんだ」

「奇妙な偶然?」

「君たちが標的にしてきた連中は、現在の警察組織から見て邪魔な存在だということに」

「え……?」


 僕は唐突に、喉の渇きを覚えた。

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