第21話
翌日、夕刻。
粉雪の舞い散る中、僕と優海は街へと繰り出していた。武人と合流するためだ。今、僕たち兄妹は、とある喫茶店の一番奥の席にいる。
ジャンパーの類は脱いではいない。腰元に装備したベレッタを隠すためだ。僕はアイスティーを、優海はオレンジジュースを、それぞれちびちびとすすっている。
「なあ、優海」
「何?」
「今朝、僕はうなされてなかったか?」
「いやあ、別に? 起きたのだって、兄ちゃんの方が早かったじゃん」
言われてみればそうだった。
再び沈黙する、僕と優海。僕はジャンパーの内側に手を入れ、自分の得物に触れた。無論、ベレッタのことだ。
一ヶ月ほど前までは、あれほど忌避していた殺人道具。それが今、僕に安心感を与えている。これさえあれば戦える。自分の、優海の命を救える。そんな考えが、僕の脳みその内側にへばりついてしまったようだ。
腕時計を見下ろす。集合十分前だ。目を上げたその時、『いらっしゃいませー』という声と共に、武人が入店してきた。
「優海さん、隣、いいかい?」
「うん、いいよ」
僕の存在を無視するように、ソファに腰を下ろす武人。まあ、こちらは気にはしないのだが。ちなみに、注文したのはホットココアだった。
「それでさ、武人さん。一応あたしたちで作戦は立ててみたんだけど」
そう言って、優海は説明を開始した。
武人が、裏口にある警察との緊急通報装置を破壊すること。同時に僕と優海が、正面から突入すること。そして現金を引き出させ、可能な限り速やかに撤退すること。
「それに、もう一つ僕から言っておきたいことがある」
「何だよ?」
武人が、じろりとこちらを睨む。だが、もうそんな脅しには慣れきっている。無視して僕は、優海と武人の間で視線を行き来させながら言った。
「警備員は無力化するだけでいいよな? なにも殺さなくても」
「何言ってんだ、お前?」
真っ先に異を唱えたのは、やはり武人だった。
「指揮官はお前じゃないぞ、優翔」
「じゃあお前が指揮を執るか、武人?」
僕の落ち着き払った態度に、武人は目を逸らした。しかし、その言わんとするところを、優海が引き継いだ。
「警備員は敵だよ、兄ちゃん! 別に殺しちゃっても」
優海の言葉に、いやに鮮明だった昨夜の夢が甦る。暴力に引きずり込まれていく自分。だが、あれはただの夢だ。夢の中に出てきた麻実だって、僕の深層心理の生み出したものだろう。幻覚のようなものだ。
できる限り死傷者を出したくないという気持ちに、僕は立ち戻りそうになっていた。
警備員に関しては、足を撃って、頭部をベレッタのグリップで強打し、昏睡させればそれで済む。それくらいの銃の扱いは、田宮から教わっている。
そのことを告げると、優海は『兄ちゃんがそう言うなら』と言って俯いた。武人はふん、と鼻を鳴らしたが、今度は異議を唱えなかった。
「よし、そろそろ行こう。麻実さんから連絡が入るんだろう、優海?」
「うん。五ヶ所の銀行支店を一度に襲うんだ。警察も、いっぺんに五ヶ所の強盗事件を制圧することはできないだろうから」
「作戦決行は午後六時だから、あと十五分か」
僕は腕時計を見下ろしたまま、話を続けた。
「ギリギリまで店舗に近づくのはよそう。怪しまれる。いいな? それまでは、ここで見取り図を見て、イメージトレーニングといこうか」
それから十分間、僕たちは銀行の見取り図とにらめっこをしながら、最後の打ち合わせを行った。LINEはひっきりなしに着信を告げ、グループ内でのメッセージの遣り取りの緻密さを物語っていた。それほど、今回の作戦は切羽詰まったものだということだ。
同じことを、何度も何度も繰り返し確認し合った。僅か十分間とはいえ、それはかなりの情報密度をもった十分間だった。
「そろそろ出よう」
僕の提案に、真っ先に武人が立ち上がった。次に優海、最後が僕。僕は三人分の飲食代を支払って、寒空の下に出た。
普段なら、寒さで襟元を掻き合わせるところだ。しかし、そんな日常的なことをやっていられるほど、僕たちは落ち着いてはいられなかった。当然といえば当然か。これから人を殺しに――いや、そうでなくとも、人を傷つけに行くのだから。
この星空が、今回で見修めになるかもしれない。そんな縁起でもないことを考えつつ、僕は優海に追いついた。
「ここだよ」
優海が自分の足元を指し示す。なんのことはない、ただのアスファルト舗装された歩道だ。
「ここが、防犯カメラの境目。誰かいる?」
優海が、背負っていたバッグを下ろしながら尋ねる。
「いないな。人影はない」
と武人が言うと、優海はバッグから丸いものを三つ取り出した。耐衝撃用のフェイスマスクだ。銀行には、間違いなく防犯カメラが設置されている。だから顔を隠して、身元が特定されるのを遅らせつつ、作戦に臨もうというわけだ。
「じゃあ、俺はここで」
「気をつけろよ、武人」
「ああ、お前に言われなくともな」
僕に向かって憎まれ口を叩きながら、武人は銀行の裏手に繋がる狭い通路に入っていった。
僕と優海は、通りに面した銀行の入り口に近づく。そして、閉ざされたシャッターの前に立った。
それから間もなくのことだ。何かが弾けるような音と共に、銀行出入口の照明が消えた。武人が、裏口のブレーカーを破壊したらしい。
優海は慣れた動作で、小型の爆薬を出入口のガラス戸に貼りつけ、僕の隣で身体を丸くした。
「兄ちゃん、耐ショック姿勢!」
「あ、ああ!」
優海に倣い、僕は地面に額がつくほどに頭部を下げた。優海が手元で、小型の通信機らしきものを操作する。
唐突に、ピシャン、と落雷を連想させる音と共に、出入口の防弾ガラス戸は砕け散った。
優海は、ベレッタの銃口に取り付けたライトを点灯させた。肩でガラス戸の破片をぶち破り、跳び込む。
僕もすぐ後に続き、天井に向かって三発発砲した。僕のベレッタには、ライトの代わりに消音器が取り付けられている。
「全員そこを動くな!」
嗄れそうな喉から叫び声を押し出し、僕は優海のそばに立った。優海もまた、すぐに立ち上がって銃口をさっとよぎらせる。優海のライトに、一瞬目を眩ませる人々。
室内にいるのは、警備員が二人と銀行員が五名。僕は素早く銃口を上げ、無線機に手を遣っていた警備員の足元に向け、四発発砲。足を狙うのは困難だったが、この距離で四発も撃ち込んだところ、二発は相手の足元を掠めた。
「ぐあっ!?」
足元から姿勢を崩し、その場に崩れ落ちる警備員。もう一人は、優海が相手をしている。どうやら優海もまた、警備員を殺害せずにいるつもりのようだ。
僕は、我ながら意外なほど落ち着いて行動した。警備員が取り落とした無線機を踏みにじり、破壊。その足で警備員の胸のあたりを蹴りつけ、仰向けに転倒させた。そのまま馬乗りになって、ベレッタを構え直し、把手で思いっきり側頭部を強打した。
許してくれ。あんたを殺さずにしておくには、こうするしかないんだ。
するとちょうど、カウンターの向こうから光が差し込んできた。
「武人!」
僕が声をかけると、『おう!』という返答があった。それから怒声が続く。
「早くカウンターから金を出せ! 持てるだけ持って行くんだ! どうせ金庫は開かないからな、今レジにある金だけでもかっさらうぞ!」
最早完全に悪役である。
「優海、そっちは大丈夫か?」
「兄ちゃんはそっちのレジから金を盗って! 武人さん、援護頼む!」
「了解!」
そう答えた直後、武人は天井に向かって自動小銃を乱射した。天井の蛍光灯が砕け散り、床へと降り注ぐ。数名がガラス片を浴びたかもしれないが、そのくらいは致し方あるまい。
僕は両手をついてカウンターを乗り越え、レジの前に立った。すぐそばで屈んで震えている女性の銀行員に向かい、
「暗証番号を教えてください。皆さんを傷つけはしませんから」
と述べる。
すると、僕の言い方が柔らかだったためか、銀行員は立ち上がり、震える指先で暗証番号を入力した。それから自分の人差し指を、機械に差し入れる。静脈認証を採用していたらしい。パソコンわきの小型ランプが赤から緑に切り替わり、レジが開錠された。
「ありがとう」
僕はできうる限り優しい声音で、銀行員を慰めるように声をかけた。
その直後。
「全員そこを動くな!」
先ほどの僕が発したのと、同じ台詞が響き渡った。同時に、軽い破裂音がして、白煙が濛々と立ち込めた。
「武人、何やってるんだ!」
「俺じゃねえ! いや、俺たちじゃねえ!」
どういう意味だ?
しかし、僕が考え始める前に、後頭部に鈍痛が走った。
「ッ!」
僕は歯を食いしばったが、転倒は免れなかった。そのまま背中を押しつけられ、腕からベレッタがもぎ取られる。
「こちらはSITだ! 抵抗する者には射殺許可が出ている! 大人しく投降しろ!」
SIT? 特殊部隊が動いている? どういうことだ?
いや、そんなことはどうでもいい。優海を早く逃がさなければ。
「優海! 早くここから――」
「黙れ!」
僕は、再び後頭部を強打され、意識を失った。
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