第18話
冷たい冬の空気を割いて、響いてきた爆発音。続けて、戦場を映したドキュメンタリー番組の中に叩き込まれたような、おびただしい銃声が轟く。いや、僕自身、そんな暴力的なものを観た覚えはない。しかし、『そういう感覚』は容易に想像される。
緊張感が痛みに変換されて、肌をピリピリと震わせる。
宙を舞っていた雪が、ふわりとそこから逃れるように漂う。
そして、田宮が号令をかけた。
「行くぞ!」
塀の陰で身を潜めていた僕たちは、一斉に身を起こして牽制射撃を開始した。僕にはその銃声が、冬空の雲の向こうまで突き抜けるようにすら思われた。
僕は火器を任されていないから、必死に耳を防ぐことしかできない。うずくまり続ける僕。そんな情けない格好をしていると、唐突にジャンパーのフードを引っ張られた。田宮だ。
「優翔、援護しろ! 俺がこの屋敷の電源を破壊する!」
「は、はい!」
僕は丸い鉄パイプを取り落としそうになりながら、なんとか膝を立てた。震えている。
「撃ち方待て! 突入する!」
自動小銃を握ったメンバーの背を叩き、銃撃を止めさせる田宮。
「身を低くしろよ、優翔! 俺がケーブルを切断するまで、傍で敵を牽制しろ!」
「わ、分かりました!」
田宮は膝をつき、反動に気をつけながら、窓を銃撃した。バリン、と派手な音を立てて、ガラス扉が砕け散る。その向こうは廊下になっているが、照明がダウンして見通しが利かない。
被っていた赤外線ゴーグルを目に掛けると、同じくゴーグルを装備した田宮が先行するところだった。
「ほら、優翔!」
僕の背を叩きながら、前進を促すメンバー。彼はゴーグルをつけていないが、大丈夫だろうか。
僕は、上半身を折った姿勢で素早く前進した。ぎゅっと鉄パイプを握りしめる。
「俺は、田宮さんよりも先で警戒にあたる! お前の方が目は利くからな、俺を援護してくれ!」
僕は大きく頷いた。しかし、それが相手に見えるかどうかは分からないほど、室内は闇に呑まれていた。その場で腹這いになり、自動小銃を構える味方。彼に並んでしゃがみながら、僕は鉄パイプの端を引きつけ、闇の向こうを見据える。
敵の視界を奪ったのはいい。だが、銃声は止まない。敵も応戦している。つまり、何らかの手段で視覚を確保している、ということだ。もしかしたら、この屋敷の電源を破壊しても、戦況は変わらないかもしれない。
その時、ざあっ、と降り注いだ水滴が、僕たちの服を湿らせた。スプリンクラーが機能したのだ。
「ん?」
僕は目を凝らした。赤い何かが、視界の向こうで動いている。あれは、赤外線で捉えた人影だ。
「誰かいる!」
「何? 敵か味方か分かるか?」
「ちょ、ちょっと待っ――」
すると、ビシッ、と鋭い音がして、僕の頬が微かに熱を帯びた。この灼熱感。きっと、僕は狙撃されたのだ。
「う、撃たれました!」
慌てて僕も腹這いになる。
「何だと? 敵なんだな?」
「向こうもこっちの様子を窺っているみたいです! 倒すなら早い方が!」
と、言い終える前に、味方が銃撃を開始した。赤外線映像の向こうで、赤い人型の熱反応が崩れ落ちる。
「やった!」
僕は思わず、そう叫んだ。そして、はっとした。
たった今、僕は人が死傷するのを見て、安堵感を覚えたのだ。なんということだろう、まさか、こんな日が来るなんて。
確かに、自分の身の安全が確保されたのだから、そこは安心してもしょうがないところだろう。その直前に、僕は射殺されかけたのだから。
しかし、人が死んでいるという現実に、僕は押し潰されるような圧迫感を覚えた。
銃を使えば、人が死ぬ。だったら代わりに、この鉄パイプで敵を全員打ち倒してやる。そうすれば、怪我人は出ても、死人は出まい。
「僕が突撃する! 銃撃を止めてくれ!」
「お、おい優翔!」
僕は、自分がそもそも運動神経の悪い人間であることを忘れて、一気に闇の中に突撃した。
「待て! おい優翔!」
後方からの援護は望めない。僕はきっと、気が狂っているように見えただろうから。そんな人間は、味方に背中を誤射されてしまっても文句は言えまい。しかし、そんな反省をするには、現状況はあまりにも危険すぎた。
「うあああああああ!!」
僕のように、飛び道具を持たない人間が突っ込んでくるとは、全く以て想定外だったのだろう。次に赤い影が見えた時、相手は廊下のこちら側を覗き込むところだった。
「喰らえ!」
僕は、田宮との訓練で身体に染み付けた動きで、思いっきり鉄パイプを振るった。硬質な鈍い感覚と共に、鉄パイプが角を直撃。反動で僕はたたらを踏む。しかし、その先端は、相手の頭部に見事、直撃していた。無様に倒れ込む相手。
「ええい!」
邪魔になったゴーグルを外し、相手を見下ろす。
どうやら相手は、今日の最優先目標である議員のSPだったようだ。黒のスーツに白いシャツ、手元には拳銃。
僕は拳銃を蹴り飛ばし、止めを刺すべく鉄パイプを振り上げ、腹部を思いっきり強打した。
「がはっ!」
鼻血とは別に、口から鮮血が吹き上がる。だが、日頃鍛えているからだろう、手ごたえは鈍い。もう一撃だ。
「ふっ!」
思いっきり腕を振り上げる。しかし、相手はプロとしての意地を見せた。両手で身体を回転させ、思いっきり足払いをかけたのだ。
「うあ!?」
僕は無様に転倒し、水浸しになった廊下に背中を打ちつけた。相手は膝立ちの姿勢を取り、足首から小振りのナイフを取り出す。そのまま、僕にのしかかるようにして襲ってきた。
僕は、まだ辛うじて握りしめていた鉄パイプを振り回そうとした。が、相手のナイフが振り下ろされる方が早い。最初の一刺しを、僕は転がるようにしてかわした。
腹部へのダメージが響いたのか、相手はナイフを手離し、そのまま取り落とす。
僕は運よく、身体の回転が止んだところで立ち上がった。そして、相手が再びナイフを拾い上げる直前、思いっきりその背中を鉄パイプで打ちつけた。
「ッ!」
今度は、相手は声も上げられなかったらしい。無言で水溜まりに没する。頭は狙わなかったのだから、死にはしないだろう。
その時、やや離れた襖が開いた。
「おい、大丈夫か!?」
僕は慌てて、廊下の陰に身体を隠した。今の声は、明らかに味方のものではない。敵の増援だ。
相手は十分な警戒をしているはずだし、距離もある。鉄パイプでは戦えない。
だが、その時の僕の頭には、誰かの援護を待つという判断はなかった。僕はもう、頭に熱がこもって冷静ではいられなかったのだ。鉄パイプを強く、強く握りしめ、再び叫び声を上げながら突撃した。
「うおおおおおおお!!」
相手がはっとして、こちらに視線と銃口を向ける。銃声が一発。今度は、肩が焼けるように痛んだ。が、その時には、僕は鉄パイプを放り投げていた。銃声の轟く、薄暗い廊下。そこで相手に向かって、思いっきり槍投げの要領で投擲したのだ。
まさか、こんな長さのある物体を投げつけられるとは思わなかったのだろう。鉄パイプは相手の腹部にめり込んだ。くの字に身体を折りながら、背後に倒れ行く相手。拳銃を使わせまいと、僕は急いで駆け寄り、鉄パイプを滅茶苦茶に振り回した。
壁に当たり、照明を割り、床を傷つけながらも、僕は相手を滅多打ちにした。
しかし、倒れながらも、相手はナイフを振り回した。
「うっ!」
右の膝下に、鋭い痛みが走る。僕は怯み、一歩後ずさった。それが、僕にとっては致命的な隙を生むことになった。相手は、頭突きの要領で僕を後ろに押し倒したのだ。それからナイフを手に取り直し、思いっきり振りかぶる。
僕には武器がない。このままでは殺される。
だが、それでも僕は、悪あがきすることを選んだ。何か、何かないか? 武器になりそうなものは……!
その時、望んでいた『何か』が手に触れた。これは、まさか。いや、しかし僕に扱えるか? ええい、そんなことを言っている場合ではない。
僕は素早くそれを引き寄せ、右手に握らせた。そのまま相手の腹部に狙いを定め、引き金く。
そう。僕の手に触れた『何か』は、拳銃だったのだ。相手が取り落としたもの。
照明が消えて薄暗くなった中、マズルフラッシュが煌めく。そして、相手はバランスを崩し、ナイフは再び僕の頬を掠めるようにして逸れ、床に突き立てられた。
僕は急いで転がるように、その場を逃れた。相手は腕を突き、突っ伏するように倒れ込む。しかし、まだ死んだわけではない。血走った目で、僕を睨みつけてきたのだ。
「……ころ……して、やる……」
放っておけば、こいつは出血多量で死ぬだろう。だが、僕はその瞳の中で燃え盛る怒気に圧倒されてしまった。
怖い。とんでもなく怖い。この男を生かしておく限り、僕は彼の執念で殺される。そう思った。
セーフティも初弾の装填も、知ったことではない。僕はただひたすら、でたらめに銃撃した。弾倉が空になり、カバーがスライドして止まるまで。
僕の目には、穴だらけで煙を上げる男の背中が映っていた。既に事切れていることは明らかだ。
「くっ! 当たれ! 当たれ!」
「優翔!」
「どうして弾が出ないんだよ!」
「落ち着け、優翔! 撤退だ!」
僕は突然、横合いから腕を叩かれた。カチャリ、といって拳銃が僕の手から落ちる。
「う、うわ、うわあああ!」
「もうこいつは死んでる! お前はよくやった!」
僕に声をかけていたのは、田宮だった。ぐいっと僕の腕を引き、僕たちが突入時に使った裏口の扉まで引きずっていく。
「落ち着くんだ、優翔。歩けるか? 怪我は?」
「うわ、ああ……」
僕はようやく腕を振り回すのを止め、つっかえながらも足を動かした。
「軽傷が三ヶ所か。大丈夫だ、俺と来い」
こうして僕は、二度目の殺人を犯した。
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