第17話【第四章】

 その翌日のことだった。


「あっ!」


 という、悲鳴にも似た優海の声で、僕は目を覚ました。


「ど、どうしたんだ?」


 言いながら、時計を見る。まだ午前五時だった。


「新しいアジトの場所が確定したって!」

「アジト……アジト? 本当か?」

「ほら!」


 優海は勢いよく、自分のスマホを僕の眼前に突き出した。ただし、そこに映されていたのは地図ではない。文字の羅列だ。住所を示しているのか。


「これ、どうして地図じゃないんだ?」


 と尋ねると、優海は


「地図よりも、文字の方が暗号化しやすいんだよ!」


 と言いながら胸を張った。お前の手柄でもなかろうに。

 かくいう僕も、確認のためと思い、優海からスマホを受け取った。なんだ、僕が田宮から戦闘のいろはを教わっていた、旧市街地じゃないか。自転車で、いや、徒歩でも三十分あれば行ける。車を使う必要はないだろう。


 僕が確認している間に、LINEの追加メッセージが届いた。今日の夜、県議会議員の自宅を襲撃し、関係者を殺害。できうる限りの金品を奪って撤退、という、強盗らしきことをするらしい。いや、これは強盗以外の何物でもあるまい。


 集合は今日の正午、各員の配置はその時に通知する、とある。

 すると、いつの間にか僕の横からスマホを覗き込んでいた優海は、手の指を組んでポキポキと関節を慣らし始めた。


「久々に派手なことができるな! ベレッタちゃん、今日もたくさん殺しましょうね~」


 歌うように語る優海。

 昨日の議論(というか兄妹喧嘩)がなかったら、僕は『何を気楽なことを考えているんだ!』と優海に迫ったことだろう。

 だが、ここまでどっぷりと『暴力』という沼に入り込んでしまった僕たちに、LINEで送られてきた指示を断れるだけの権利はない。そう思えた。


 最初は優海を救うためだったのに。ミイラ取りがミイラになる、とはまさにこのことか。

 この時、『優海を救う』というのは、かつては『優海を暴力行為から遠ざける』という意味合いだった。

 だが、今は違う。『優海と共に戦い、その命を守る』という意味合いに、完全に切り替わってしまった。戦うということは、すなわち暴力を振るうということだ。


 暴力は、底なし沼だったということか。


         ※


「皆、本当によく来てくれたわね」


 新しいアジトでの作戦会議は、麻実による、皆への労いから始まった。雑居ビル一階の、埃っぽい部屋だ。前のプレハブ小屋の方が、僕にはあっていたようだが。


「今更、私たちがどんな目的で行動しているのか、そんな説明はしません。ただ、命令を下す者として、不肖この大代麻実が、皆の命を預からせてもらいます」


 深々と頭を下げる麻実。その前で、皆のリアクションは様々だった。拍手喝采する者、大きく頷く者、早く命令をくれと急かす者。優海は僕の傍で、爛々と目を輝かせている。

 僕本人はといえば、じっと麻実を見つめるしかなかった。そんなことしかできない自分は、まだ宙ぶらりんの立場なんだろうか。そう思うと、全身がむず痒くなってしまう。


「さて、ここから先は、田宮くんと一緒に作戦の細かい説明をしていきます。田宮くん、お願い」


『ああ』と不愛想な声で応じた田宮は、皆から見える位置にあるホワイトボードに大きな地図を貼りつけた。大きいと言っても、それは広範囲を示している地図ではない。地図というより、見取り図と言った方がよかったか。外観を撮った写真が並べて配置される。


 見た目は、大きな庭園を備えた和風豪邸のようだ。池があり、一部は小さな林のようになっている。建物そのものはといえば、古めかしい感じはしないが、門や土蔵、瓦造りの屋根などが、なんとも言えない重厚感を醸し出している。


「まずは、重火器と手榴弾で正面玄関前の機動隊員を仕留める。その前に、音響閃光手榴弾を使ってもいいが、数が少ない。慎重にやれ」


 レーザーポインターで円を描きながら、田宮は説明を続ける。


「同時に、裏口から別動隊が攻め込む。ブレーカーの配線を切断し、敵をパニックに陥れろ。生憎、暗視ゴーグルが足りない。別動隊で先陣を切る者が、優先的に装備するんだ」


 さらに。


「残りの者は二班に分かれて、この家の横合いから攻め込め。駐車場の車のプラグを抜いておくのを忘れるな。以上」

「質問は?」


 田宮の説明を引き取って、麻実が皆に尋ねた。


「班はどのように分けますか?」


 挙手と同時に問うたのは、武人だった。


「自分の愛用武器によるわね。例えば武人くんなら、自動小銃を使えるわよね。だったら、正面から突入する班に入ってもらいたいんだけど、どうかしら?」

「了解っす!」


 大袈裟な敬礼をしてから、武人は満足気な表情で腰を下ろした。こいつは死傷することが怖くないのだろうか? それとも、そんなリスクを見落とすほどの馬鹿なのか? まあ、僕は一度、彼に命を救われているので、文句を言えた筋合いではないが。


「では、作戦開始は今日の午後八時にしましょう。それまで皆、自分の武器の点検をしっかりしておくように。以上!」


         ※


 午後七時半。

 僕たちは新しいアジトを出て、輸送トラックの荷台に乗った。


「おい優翔、何だよそりゃあ?」


 僕の正面に陣取った武人が、口をへの字にしながら訊いてきた。


「見ての通り、鉄パイプだよ」


 淡々と答える僕。今は、鉄パイプを目の前に転がせている。


「そんなもんで、拳銃相手に戦おうってのか?」

「安心してくれ。僕はお前と違って、真正面から突撃する班じゃない。後方支援だ。裏口から入ってブレーカーを壊してから、適当に振り回す。お前たちの班と一緒に、敵を挟み撃ちにするんだ」


 僕が理にかなった説明をしたのを聞いてか、武人はふん、とさもつまらないように顔を逸らした。


 今回の作戦で難しいのは、決行場所が住宅地のど真ん中だということだ。一般市民に与える損害については、麻実は言及しなかった。しかし、僕は個人的に、一般人から死傷者を出すわけにはいかないと思っている。

 僕たちが行おうとしている暴力行為は、自分たちのウザ晴らしであったり、生活費獲得のためだったり、復讐劇を演じるためだったりする。そんなもののために、武器を持たない人々を巻き添えにすることは、決して許されることではない。


 僕がそんなことを考えていると、武人は自分の自動小銃に弾倉を叩き込み、初弾を装填した。


「優海ちゃん、大丈夫?」

「平気だよ、武人さん」


 優海もまた、自分のベレッタのセーフティを確認してからホルスターに収める。彼女も正面からの突入班に入ったらしい。

 顔を上げることもなく、ぼそりと返答した優海に、武人は少しばかり肩を落としたように見えた。おいおい、そこで狼狽えるか。恋愛経験に乏しい僕が言うのも妙だけれど、こんな些細な相手の一挙一動に気分を乱されていては、作戦に支障が出るのではないか。


《到着まであと十分だ。皆、準備はいいか?》


 荷台の隅に据えられたスピーカーから、田宮の声がする。前回同様、彼が運転しているのだ。


「優海、オーケー」

「武人、大丈夫です!」

「優翔、えーっと、何もやることはないですけど、大丈夫だと思います」


 その後、数名が名乗りを上げてから、『了解した』と田宮が低い声で答えた。


《残り三分》


 僕は、自分の胃袋の形にそって、ぞわり、と震えが走るのを感じた。これを武者震いというのだろうか? いや、単に人の殺傷行為に関わるのだという自覚が、僕を苛んでいるのだろう。


《残り一分》


 僕はごくり、と音が出るほどの勢いで、唾を飲んだ。


「大丈夫だよ、兄ちゃん」


 視線を合わせることもなく、優海はそう言った。


「あたしだって生き残ってきたんだ。それに、兄ちゃんには田宮さんが同行するんだもの。楽勝だって」


 ふっと、笑みを浮かべる優海。しかし、その目は笑っていなかった。こんな場面で、心から笑えるほど、緊張と無縁な人間はいるまい。


「おっと!」


 僕は思いがけず、優海の肩を抱き留めた。トラックが勢いよくカーブを切ったらしい。


「大丈夫か?」

「大丈夫だって。作戦のことでしょ?」

「え? ああ……」


 そうか。優海の心は、もうここには存在しないのだ。今はきっと、先ほどの作戦会議で出てきた見取り図で頭がいっぱいなのだろう。

 その時、再び荷台が揺れて、トラックは停車した。


《降車位置に到着。全員降りろ。武器を露骨に出すなよ》


 一番扉に近いメンバーが、荷台のロックを内側から外し、向こう側へと押し開いた。


「降りろ、もたもたするなよ。降りろ、降りろ」


 運転席から回り込んできた田宮が、小声で、しかし緊張感溢れる口調で急かす。僕が腰を上げると、優海もまたついて来た。


「それでは皆、自分の班に分かれろ。この屋敷の見取り図は頭に入ってるな?」


 皆が無言で頷く。


「では、散開。優翔、ついて来い」

「は、はい」


 僕も、なるべく声を立てずに、田宮の背後についた。

 

 僕たちが裏庭の庭園に回り込んだ直後、爆発音が響き渡って来た。

 始まった……!

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