第19話
「げほっ、がはっ、ぶふっ……」
《あー皆、我慢してくれ。優翔は殺しの経験が浅くてな。ショックもあるだろうから、しばらく放っておいてやってくれ》
撤退中、来た時と同じトラックの荷台にて。
運よく荷台にあったバケツの上で、僕は嘔吐していた。田宮がアナウンスを入れてくれたのが救いか。
優海は僕の背中を擦り、武人は露骨に顔をしかめながら、明後日の方向を向いている。他のメンバーは、そんな僕たちを無視して、負傷者の手当てに当たっていた。
「ゆ、優海、怪我人は……」
なんとか喉から声を絞り出す。すると優海は、
「大丈夫。兄ちゃんの傷は大したことないから」
と答えてくれた。が、僕が訊きたいのはそんなことではない。
「皆は? 無事、なのか?」
すると、優海は短く『うっ』と唸った。
「つまり、兄ちゃんが訊きたいのは、死傷者のこと?」
「そうだ、ゲホッ」
ようやく嘔吐感が弱まってきてから、僕はハンカチで口を拭い、優海に繰り返し尋ねた。死傷者は出たのか、と。
「そ、それはね、えっと……」
「おい、優海ちゃんを困らせるな」
武人が会話に割り込んできた。
「軽傷者五名、重傷者二名、死者三名だ」
『まったく、正面から突撃した班の苦労も知らないくせに』――武人の口調には、そんな気持ち、悲しみと悔しさが滲んでいた。
おっと、うっかり訊き忘れていた。
「優海、お前は大丈夫か? お前も正面から突撃したはずだろう?」
「ああ、あたしは無事だよ。無傷」
「そう、か」
僕は俯いた。安堵からだ。もう吐き気は収まっている。
ゆっくりと立ち上がり、足が震えていないことを確認してから、僕は運転席後ろの壁を叩いた。ゴンゴン、と鈍い音がする。
《どうした?》
「あー、優翔です。麻実さんはどうしたんですか?」
《おう、優翔か。麻実なら心配いらない。お前よりは軽傷だ》
「ああ、よかった」
僕は天を見上げるように首を曲げ、両目に掌を当てた。
《いまはアジトに戻るところだ。詳しい話は麻実に訊いてくれ。他に何かあるか?》
「いえ、大丈夫です」
《緊張を引きずって、痩せ我慢なんかするなよ。少し揺れるから、注意しろ》
アジトに帰り着き、トラックの荷台から降りる。周辺には、人目に付かないようにバイクが数台、敢えてまとまらないように置かれていた。何故『人目に付かないように』置かれたバイクの存在に気づいたのかと言えば、僕の周囲に対する警戒心が強まったから、だろうか。
アジトに踏み入ろうとした時、武人の怒号が飛んだ。
「おい、どいてろ!」
彼は他のメンバーと共に、重傷者を担架に乗せて、アジトに運び込むところだった。他にも、田宮や優海が、同じような担架を持ってアジトに入っていく。
最後の負傷者が運び込まれ、ようやく僕はアジトへと歩み入った。
真っ先に気づかされたのは、血と消毒液の混ざった異臭だった。もう嘔吐するものは胃袋にはないはずだが、それでも酸っぱいものが込み上げてくる。そんな中を、消毒液や輸血用血液、鎮痛剤などを持ったメンバーが駆けまわっている。
きっと、重傷者の処置となると、大変な荒療治になるだろう。病院に運び込むわけにはいかないのだから。僕は俯き、入り口脇の角に背中を預け、ぎゅっと目を閉じた。
それでも、激痛に呻くメンバーたちの言葉は耳に捻じ込まれてくる。異臭も弱まる気配はない。
「はあっ!」
僕は思いっきり大きなため息をつき、掌で顔を覆った。一体僕は、何をしているのだろう?
その時だった。麻実がアジトに入ってきた。上半身のライフジャケットは真っ赤に染まり、頬に散った血飛沫は、まだ拭き取り切れていない。が、本人は無傷のようだ。
「あの、麻実さん!」
僕は麻実を呼び止めようとした。意外なほど大きな声が飛び出す。
僕が何をやらかしたのか。それを彼女なら、僕本人よりもよく知っている。そんな根拠のない思いが、僕を突き動かしていた。
「麻実さん!」
再度呼びかける。しかし、麻実は一瞥もくれずに、靴底の血の足跡を残しながら去っていく。いや、部屋の奥にある演台のような場所へと向かっている。
そして、麻実はマイクを手に取った。
《皆、手を止めずに聞いて頂戴》
場はやや静かになった。
《今回の最優先ターゲット、市議会議員の安田幸三殺害は、手順通り行われました》
あちこちで溢れる、安堵のため息。
「おい、手を休めるなよ」
田宮がメンバーたちに声をかける。
《とは言っても、作戦は失敗です。資金の調達には失敗しましたから》
ざわざわと不安げな波が広がる。動じていないのは、田宮くらいのものだ。
《現金はなく、キャッシュカードで大方の資金を動かしていたようですが、カードは回収しそびれました。これは一重に、私の調査不足です》
演台に両手をつき、深々と頭を下げた。
《亡くなった三名にも、申し開きできる状態ではありません》
黙祷を捧げるかのように、麻実は目を閉じ、俯く。そして再び顔を上げた時、その表情は、殺人者のそれに見事に切り替わっていた。
《今回の作戦で、資金を大幅に使ってしまいました。銃火器を密輸するには不十分で、大規模な作戦を決行するのは困難です。したがって、次の標的は地方銀行の支店、そして目標は、現金の強奪、ということにします》
まるっきり銀行強盗か。分かりやすいと言えば分かりやすいが。ただ、常駐している警備員や、その場に居合わせた民間人はどうするのだろう。前者は殺害するのも止む無しとしても、一般市民に危害を加えるのは、麻実の望むところではないはずだ。
いや、待て待て。警備員の殺害を容認する、だと? 僕は何を考えている? 無力化するだけにしても、まだ手段はあるはずだ。確かに、殺害してしまうのが手っ取り早いけれど。って、だからそういう考えを抱いてしまう自分がどうかしているのであって――。
僕は思いっきり頭を掻きむしりたくなった。しかし、麻実は真剣に話をしているのだ。そんなことはできない。代わりに僕は眉間に手を遣って、かぶりを振ることで不快感を振り払った。
《新しい作戦要綱は、追って皆さんに連絡します。以上》
※
麻実の行動は、実に迅速だった。
僕と優海が帰宅して、手持無沙汰にしていた時。僕は布団に横たわり、しかし眠気に呑まれることもなく、ただぼんやりと天井を見つめていた。
「兄ちゃん、麻実姉ちゃんから連絡だ!」
「……」
「兄ちゃん?」
「あ、ああ」
僕は中途半端な音を喉から発した。優海は僕の両肩に手を載せ、ガクガクと揺さぶる。
「麻実姉ちゃんから連絡だってば!」
「わ、分かったよ。それで?」
「なあんだ兄ちゃん、リアクションが淡白だねえ」
立ち上がった優海は、両手を腰に当てて僕を見下ろしてくる。
「悪かったな、淡白で」
実際、僕は自分が慌てたり、動揺したりしないことに、微かな驚きを覚えていた。
銃を使って人を殺した。その事実が、僕の思考に靄を湧き立たせて、理論的な思考力を奪い去っていく。そんな感じだ。事の重大さが認識できない、というか。
「あたしたちは三、四人の班を組んで、郊外にある銀行を一斉に襲うんだって!」
「決行は?」
「明後日!」
「そうか」
明後日、ね。それまでに逮捕されなければいいが。
「あ、麻実姉ちゃんから追伸。兄ちゃんには、ベレッタを任せるって!」
「僕に拳銃を?」
優海は目を丸くして、何度も首を上下させている。
「で、場所は?」
「北町の支店。ここからなら、歩いて十分もかからないよ!」
僕は想像した。地方銀行の北町支店といったら、僕がよく利用する銀行だ。踏み込もうとするのなら、まずは正面から入り、警備員をどうにか押さえつけて、適当に銃を乱射するだろう。それから銀行員を人質に、金を出せと脅すことになる。警察への緊急回線は、あらかじめ切断しておく必要があるな。
と、そこまで考えてから、僕は自分の肩に、ぞくりという冷気を感じた。
今まで僕が戦ってきたのは、それほど馴染みのある場所ではなかった。他人の家、他人の所有地、他人の思い出が詰まった場所。
しかし、今回攻め込もうという銀行の支店は、いわば僕の『行きつけ』だ。よく見かける場所なのだ。
銀行に特別な思い出があるわけではない。それでも、その支店は、通い慣れた道の脇にあるのだ。きっと突然、店舗が廃墟になっていたら、相当な違和感を覚えるだろう。
さらに言ってみれば。
僕は、その店舗に強盗に入るべし、という麻実からの指示を受けた時から、『どのように立ち回るべきか』を考え始めていたのだ。
誰に言われたわけでもなく、作戦成功に向けた計画を練っている。これは、僕の心の無意識の範囲に、暴力が踏み込んできた。そう言えるのではないだろうか。
疲れた。もういい加減にしろ、優翔。考えを放棄してしまえ。そんなちっぽけな倫理観がどうなるというんだ。暴力の渦に、身を任せてしまえ。
「優海」
「な、何だよ」
優海が怯んだのを見て、ようやく僕は、自分の身体に活力が満ち満ちていることに気づいた。
「僕のベレッタはどこだ? 早く手入れしなくちゃ」
「あ、ああ、それならあたしが持ち帰ってきたけど」
おずおずと差し出される、黒いベレッタ。僕にはそれが、自分の腕の延長にすら感じられた。今度こそ、僕はこいつを使いこなしてみせる。抵抗する者は殺す。それでいいじゃないか。
「優海、麻実さんに返信だ。優翔は喜んでこの作戦に参加する、と」
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