第11話
《はい、どちら様?》
「塚島優翔です。麻実さん、ですよね?」
《あら、優翔くん! よくこの番号が分かったわね》
「優海のスマホで確認させてもらいました。ちなみに今は、公衆電話からかけてます」
僕が優海を叩いてしまった翌日。
翌日といっても、結局僕は寝つくことができなかったので、あまり日付が変わった実感はない。
今は午前五時。空には日差しの気配はなく、真冬の日の短さと寒さを痛感させられる。幸いなのは風がなかったこと、くらいか。
僕は、優海が寝ている間に、彼女のスマホから『姉ちゃん』の番号を確認していた。優海は気づいた様子もなく、寝息の乱れもなかった。銃撃戦のあったその日のうちに、あれだけ熟睡できるとは。僕の妹とは、到底思えない。
それはさておき。
「麻実さん、随分警戒心が薄いんですね。僕がかけた電話にすぐ出るなんて。逆探知でもされたらどうするんです?」
《まあ、そのくらいの警戒は機械任せね。逆探知に関しては問題ないわ》
『で、ご用件は?』と尋ねてきた麻実に対し、僕は本題に入ることにした。空咳を一つし、電話ボックスの中で姿勢を正す。
「優海を解放してやってください」
《え?》
「だから、優海を脱退させてください。あなたの組織から」
《それは構わないけれど》
今度は僕が、『え?』と声を発する番だった。
「解放してもいいってことですか?」
《もちろん。来る者拒まず、去る者追わず。それが私たちの総意だから。皆が出て行こうとしないだけよ》
「つまり、優海は完全に自分の意志で、暴力行為に走っている、と?」
《まあ、私たちも、お手伝いはさせてもらっているけれどね》
僕はしばし、黙考した。
田宮は、この組織に入ったのは五年前だと言っていた。ということは、組織のリーダーたる麻実は、五年以上は暴力に走っていた、ということになる。
僕が優海共々施設を出たのは、約九ヶ月前。暴力に手を染めてからの期間は、麻実や田宮よりずっと短いはずだ。まだ、救い出せる。
「麻実さん、今までこういうケースはありましたか? メンバーの親族が、解放してやってくれと要請してきたことは?」
《ええ。あったわね。全員返り討ちにしたけれど》
「返り討ち?」
僕は、頭を強打されたような感覚に囚われた。
「それってどういう……?」
《うちのメンバーは、皆家族から見放されてるケースが多いからね。まずはメンバー本人に意見を聞いて、構わないというのであれば、家族を殺すわ。口封じにね》
ぞわり、と胸が異様な振動を覚える。
「なっ、なんてことを!」
僕は叫んだ。というより、獣のように喉を震わせた。しかし、麻実の口調は変わらない。
《大変なのよ、家族の殺害って。一、二回は通報されちゃって、アジトの移転をしなければならない事態に陥ったこともあったけれど》
「じゃ、じゃあ僕も殺されて……?」
《まさか!》
吹き出すような気配と共に、麻実は笑い出した。人が自分の命の心配をしているというのに、いくら何でも不謹慎だろう。
「何がおかしいんです!?」
僕が声を荒げたまま疑問をぶつけると、麻実は『ごめんごめん』と言ってから、言葉を続けた。
《いやあ、優翔くんは、自分が優海ちゃんからどれほど大切に思われているのか、知らないんだなあと思ってね》
「僕が、大切?」
《そう。あなたは大切。私の旧友でもあるわけだし、殺してやろうなんて思わないわよ》
僕は世の理不尽というものを、眼前に突きつけられたような思いを抱いた。
これだけ僕を大切だ、大切だと思いながらも、そう言ってくれる優海や麻実は平気で他人を殺す。これは矛盾して、屈折して、皮肉めいた事実であるとしか言いようがない。
《もしもし、優翔くん?》
「はい」
僕は口内の渇きを感じながら、掠れた声を上げた。
《あなたは命の心配をする必要はないわ。信じてくれていい》
『ただし』と言って、麻実は言葉を続けた。
《もしあなたが、優海ちゃんに組織脱退を強要して、彼女がキレるようなことがあれば、保証の限りではないけれどね》
※
「ふわーあ……。あ、おはよう兄ちゃん。早かったね、どこか出かけてたの?」
僕を出迎えたのは、優海の欠伸だった。僕の前だというのに、憚りもなく大口を開けて伸びをしている。
「ああ、ちょっとな」
「麻実姉ちゃんと話でも?」
優海の洞察力に、僕は一瞬怯みそうになった。が、『そうだ』と即答。昨日あれだけショックを受けたばかりだ。これ以上、優海や麻実に振り回されている場合ではない。
次に優海は、『何を話したの?』と尋ねてくる――と思ったのだが、実際発せられた言葉は『あ、そう』とだけ。まるで、最初からこの事態を予期していたかのようだ。
「お前こそ、どうして今日はこんな早起きなんだ?」
「射撃訓練」
「し、しゃげき!?」
頷いてみせる優海。
「昨日は下手打っちゃったからね。あたし、撃とうと思っても全然狙いがつけられなくて。だから、練習しようと思ってさ。アジトの近くの河原に、倉庫街があるんだ。ペイント弾を使って訓練すれば、そんなに音も立たないし。だから、練習してくる」
「ちょ、ちょっと待て!」
ホルスターからベレッタを抜き、弾倉を込めている優海を見て、僕は彼女の両肩を掴み、押し留めた。幸い、僕ももうその程度ではビビらないようになっている。
「何だよ兄ちゃん、早く行かないと周囲にバレる恐れが――」
「そんな話をしてるんじゃない!」
僕は真正面から、優海の目を覗き込んだ。そこには単純な疑問の意が浮かんでいる。
優海を止める。そのためには、僕が付きっ切りで警戒するしかあるまい。優海が危険な行為を行おうとしたら、すぐに止められるように。
もし、優海が一人では暴力行為を抑えきれなかったならば、という場合の話だが。
「いい加減にしてくれよ、兄ちゃん! あたしだって、早く田宮さんや武人くんみたいに戦えるようになりたいんだ!」
「だったら、僕も連れていけ」
一瞬の沈黙。その一瞬の間に、優海の目が見開かれる様子は、まるでスローモーションがかかっているかのように感じられた。
「兄ちゃん、何言ってるの?」
ぼくは一度視線を上に逸らし、ふっと息をついて、自分を落ち着かせた。
「優海、お前の気持ちの強さは分かった。だから、今度はお前がどれほど危険な行為に及ぶ覚悟があるのか、それを見定めたい。邪魔立てはしない。だから、同行させてくれ」
僕は暴力というものを、あまりにも一方的に忌避しすぎていたのかもしれない。ならば、過去に僕や優海が両親から受けた暴力ではなく、現在進行形の暴力がどういったものか、見定めてから身の振り方を考えても遅くはあるまい。そう思ったのだ。
優海はしばし、顎に手を遣って考え込んでいた。つと、視線だけを上げて、僕と目を合わせる。
「他言無用だよ?」
「もちろん」
「通報しない?」
「無論だ」
「じゃあ、兄ちゃんにはバイクの後部座席に乗ってってもらうしかないね。一緒に来て」
そう言うと、優海はジャンパーを羽織り、僕にもコートを放り投げながら、外出の準備に入った。
※
優海のバイクは、近所のコインパーキングに止められていた。こんなに堂々と、しかし僕からは隠されて、自分の愛車を持っていたとは。
「さ、ここに乗って」
ぽんぽんと座席後部を叩く優海に従い、僕はバイクにまたがった。
流石に今回は、目隠しはなかった。いや、目隠しされていなくとも、入り組んだ住宅地を抜け、一度も来たことのないような道を走られては、ここがどこなのかは分からなくなる。
そのどこだか分からない道路を走っていると、やがてその道路と並行するように、川が見えてきた。
「このへんでいいかな」
やや大きめの声で、優海は語りかけてきた。静かにしろ、と言いたかったが、その声の方が大きくなりそうだったので、僕は『分かった』とだけ返した。
そこは、優海の説明通り、川沿いの倉庫街だった。今はもう使われなくなって久しいのだろう、屋根がなくなったり、壁が錆びついたり、挙句、扉だけが立っていたりするような倉庫(倉庫と言えるのだろうか?)が並んでいた。
ギシリ、と音を立てて、優海はある倉庫に入り込んだ。僕は背後を確認し、誰にも見られていないのを認めてから、すぐに扉を閉めた。
弱々しい冬の朝日が、壁に空いた穴から差し込んでくる。
「それじゃ、早速」
優海はベレッタを抜き、弾倉を取り換えた。ああ、ペイント弾を使うと言っていたな。
すると、なんの前置きもなく、優海は発砲。しかし、その音は反響することもなく、おもちゃの銃のそれのようにすら感じられた。
「うーん、適当だなあ」
反対側の壁を見ると、確かに、赤い小さなペイントの円が、無造作に散らばっている。
しかし、僕は全く別のことを考えていた。その赤いペイントが、人の流血に見えてならなかったのだ。
目を逸らしたいのは山々だった。が、ここで退いてしまっては、『暴力の何たるか』を知らずに、優海との心的距離が大きくなってしまう。それだけは避けなければ。
僕は唾を飲み込みながら、優海の試行錯誤を見守っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます