第7話【第二章】

「ん……」


 気づいた時には、僕の身柄は所定の場所に移された後だったらしい。少なくとも、車やトラックの中ではない。

 白い壁に囲まれた、六畳ほどの何もない部屋。一面だけが廊下に面していて、動物園のような鉄柵で隔てられている。照明は薄暗く、窓の類はない。


 僕はごろん、と転がされたように横たわっていた。冷静に状況を見極めねば、と思う程度には頭が回っている。しかし、そんな僅かな落ち着きも、すぐに霧散することとなった。


「おい、飯だ」


 という声と共に、先ほど僕を殴って羽交い絞めにした男が、柵の向こうに現れたからだ。

 いや、それだけならなんともなかったかもしれない。問題は、彼が肩から自動小銃をかけている、ということだ。


「うわあっ!」


 先ほど目にした拳銃とは、比較にならない迫力。威圧感。存在感。きっと殺傷能力も高いことだろう。しかし、男は別に僕に危害を加えるつもりはないらしい。廊下から差し込む照明の逆光で見にくかったが、少なくとも殺気のようなものは感じられなかった。


 僕がじっと男を見つめていると、彼は意に介さぬ様子で、柵の下にある引き出しのような部分から、トレイに載ったコンビニ弁当を差し入れてきた。牛カルビ丼の小サイズ。ここでも出てくるのはコンビニ弁当なのか。


「食えるか? ああ、箸がないな。ちょっと待ってろ」


 その声は低く、掠れていた。だが、わざわざ箸を持ってきてくれるというのだから、根っからの悪人、危険人物というわけではないのだろう。

 しかし、彼が戻ってきた時、もう一人の人影がついてきた。そして、その人物の顔を見て、僕は息を飲んだ。


「麻実さん……?」

「久しぶりね、塚島優翔くん。まあ、さっき電話で激論を交わしたばかりだけれど」


 すると麻実は、何事か男に呟いた。


「いいのか、麻実? 二人っきりにしても?」

「ええ。田宮くん、あなたは通信室に戻って」

「了解した」


 田宮と呼ばれた男は、律儀にも割り箸を麻実に預け、素直にその場から去っていった。


「さて、と」


 そう言って、麻実は懐から鍵を取り出し、柵を開いた。

 日本人離れした高い鼻に、色素の薄い瞳。髪は地味な茶髪で、ポニーテールに結っている。そして身長は僕よりも高い。その身長以外は、幼い頃から変わってはいなかった。


 ゆっくりとこちら側に入ってくる麻実。その腰元に、優海が着けていたのと同じようなホルスターがあるのを見て、僕はぞくり、と寒気を覚えた。


「これが怖いの、優翔くん?」


 麻実は半分真剣な、半分面白がるような不思議な表情を作り、軽くホルスターを揺らしてみせた。


「そうよね。優翔くんは小さい頃から、喧嘩や言い争いが苦手だったものね。増してや拳銃だなんて、こんな殺傷道具、見たくもないでしょう?」


 分かってるなら外してくれ。そう言いたいのは山々だったが、それを言い出すほどの度胸は僕にはない。


「皆はいい加減オートマチックにしろ、って言うんだけど、ジャムが怖くてね。私はずっとリボルバーを使うつもりなの」

「え?」


 な、何? オート? ジャム? リボル……バー?


「あ、そうか。あなたは銃について、何も知らないんだものね。まあ、おいおい説明するわ。今はあなたの身柄の扱いについて、相談させてくれないかしら」

「だ、だったらその拳銃を置いてくれ! 怖いんだ! 僕はさっき、優海に撃たれかけたばっかりなんだぞ!」


 僕は唾を飛ばしながら抗議したが、麻実は立ったまま僕を見下ろし、『それはできないわね』と一言。


「この拳銃――コルト・パイソンはね、私の生命線なの。これがそばにないと、おちおちご飯も食べられない。就寝するなんてとても無理ね」

「生命線?」

「そう」


 麻実は遊びの表情を消し、真剣な顔つきで僕の目を覗き込んだ。


「誰にも、無許可で私に近づかせない。そのための意志表示。まあ、威嚇かしらね。動物的に言えば」

「い、威嚇……」


 自分の考えとは相容れない、あまりにも過激な理屈に、僕は愕然とした。


「そんな生き方、できるんですか?」

「何言ってるのよ優翔くん、そういう生き方をしてる人間が、今あなたの目の前にいるじゃない」

「そ、そう言われても」


 その時、田宮が戻ってきた。弁当のパックを手にしている。


「あら、どうしたの?」

「麻実、夕飯がまだだったんだろう?」

「あ、そうだったわね。ごめんなさい、わざわざ」

「いや」


 不愛想に告げてから、この場を後にする田宮。

 ふと、僕は拳銃の存在に恐れながらも、興味が湧いた。


「麻実さんと田宮さんって、どういう関係なんです?」

「夫婦」

「はあ!?」

「冗談よ」


『あなたをからかって、緊張をほぐそうと思って』。そう言って、麻実は手を口に遣った。その所作が昔のままだったので、僕は一抹の懐かしさを覚えた。


「同胞って言うのかしらね。恋愛なんてしてる暇ないし、しようとも思わないわよ」

「そうですか」


 僕はぼそりと呟いた。どうやら、緊張をほぐすという麻実の目的は、多少なりとも達せられたようだ。それよりも。


「同胞って言いましたよね。同じ考えや理念がある、って意味ですか?」

「そういうこと」

「それってどういう……?」


 すると麻実は、ふぅん、と息をついてから、『一言で表すのは難しいけれど』と前置きした上でこう答えた。


「復讐かしらね」

「復讐?」


 オウム返しに尋ね返した僕の前で、麻実は初めて、困惑の様子を見せた。眉間に手を遣り、顔を上げた時には眉をハの字にしている。


「それより、ご飯を食べましょう。あなたも食べてないんでしょう?」

「ええ、まあ」

「隣、座ってもいいかしら?」

「この牢屋の中、寒いですよ」

「構わないわ」


 そう言って、麻実は牢屋の鍵を開けて入ってきた。

 僕はふと、今麻実を突き飛ばせば脱出できるのでは、などと考えた。が、相手は銃を持っている。すぐさま僕は、この脱出プランを却下した。


 いや、それでも僕は怯えすぎだろうか? 優海による拳銃の取り扱いを思い出してみると、拳銃には必ずセーフティがかけられる。暴発を防ぐためだろうな、ということは、素人の僕にでも分かることだ。

 しかし、麻実の射撃の腕前は分からないし、早撃ちが得意だったとしたら、僕はこの場で殺されるかもしれない。


「それじゃ、いただきます」


 麻実は、黙した僕を気に掛けることなく、自分の幕の内弁当の蓋を開けた。しばしの間、麻実もまた、静かに弁当を口に運んだ。


「まだ食べられる食材なのに捨てちゃうんだから、コンビニって罪な場所よねえ」


 自分の弁当を半分ほど食べ終えたところで、麻実が声をかけてきた。

 そうですね、とだけ返す僕。


「あら、優翔くん、食欲ないの?」

「当たり前ですよ!」


 僕は弁当と箸を置いて、声を荒げた。自分が殺傷される可能性が高いことは、これでもかと承知している。もしかしたら、そのせいで自棄になったのかもしれない。


「そりゃあ、拳銃なんてチラつかせる輩がそばにいたら、食べる気力もなくなっちゃうか」

「ええ、その通りです! 僕は怖いんですよ! 自分の身柄がどうなるのか、何をされるのか!」


 そこまで言い切ると、僕の中でもう一つの可能性が浮かび上がってきた。何を『されるのか』だけではない。何を『させられるのか』ということだ。

 まさか麻実は、僕にまで拳銃を持たせて、殺人を行わせるつもりなのだろうか。


 麻実は僕の言葉を受けて、しばし、目をしばたかせた。


「身柄、って……。何を考えてるの、優翔くん?」

「優海に言われましたよ、僕に警察に通報されたら困るって! 僕を脅すこととか、最悪、口封じに殺す、ってことまで考えてるんじゃないんですか?」


 すると、麻実もまた弁当を置いて、再び口元に手を遣った。


「なっ、笑ってる場合じゃないでしょう!?」

「あなたを殺す? 私が? それこそ冗談でしょう、優翔くん!」

「え……?」


 僕はポカンと口を開けた。


「だって考えてもご覧なさいな。あなたは優海ちゃんの、大事なお兄さんなのよ? 誰が殺すもんですか!」

「で、でも、僕は優海に銃を向けられた!」

「セーフティを掛けた状態で、でしょう?」


 と、言われても、あのアパートで拳銃を向けられた時の状態など、僕の知ったことではない。あれが、僕が初めて銃器をリアルに見つめた瞬間なのだから。


「まあ、分からなかったとしても無理はないわね。セーフティがかかってたかどうかなんて。実際、セーフティをかけていても、暴発する可能性は零ではないわけだし」


 僕は何を言えばいいのか分からなくなり、足を正座に組み直した。


 その時だった。田宮が牢屋のある廊下に飛び込んできたのは。


「麻実、来てくれ! 非常事態だ!」

「どうしたの、田宮くん?」

「別動隊が、警察の検問に引っ掛かった!」


 麻実はすっと立ち上がり、尋ねた。


「場所は?」

「国道の北側、住宅街に入る一歩手前の信号だ!」

「了解。優翔くん、あなたにも来てもらうわよ」


 僕の腕を握る麻実。女性のものとは信じられないほどの力で、僕は引っ張り立たされた。

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