第6話
「あたしの学費はね、あたしが自分で稼いでるんだ」
「ど、どういう意味だ?」
ベッドに腰かけた優海は、僕を見下ろしながらため息をついた。
「だってさあ、兄ちゃん。兄ちゃんの方が記憶にあると思うけど、あんな両親があたしの学費なんて稼げると思う? 生活保護受給者だよ?」
ジト目を投げかけてくる優海。
「でも、親には子供の義務教育を全うさせる義務があるんだろう? だったらその分のお金は、ちゃんと父さんや母さんが――」
「だから、稼げてないんだってば」
優海はややイラついた様子。『同じことを二度言わせるな』とでも言いたいのだろうか。
「窃盗、強盗、恐喝、殺人。いろいろやってるよ。それを仕切ってるのが、大代麻実さん。あたしは『麻実姉ちゃん』って呼んでる」
「あっ」
僕は、以前優海のスマホに着信表示された名前を思い出した。確かに『姉ちゃん』という名前が登録されていたはずだ。
「麻実さんは、どうしてこんなことをやってるんだ?」
「こんなこと、って?」
「だから、お前が今言ったことだよ! 強盗とか、殺人とか」
口にするだけで、胸が締め付けられるような感覚に囚われる。しかし優海は、『知らねー』と一刀両断。
「とにかく、姉ちゃんが指揮を執って、いろんな連中から金を巻き上げてるんだ。今の社会を創った、ロクでもないような奴らからね」
記憶のページを捲ってみると、確かに、ここ一、二年の間に起こった事件(拳銃が用いられたもの)の被害者は、地方議員や警察関係者、富豪と呼ばれる人々が多かった気がする。
いや、『気がする』のではなく、そんな人々ばかりだった、と言えるか。
僕の疑問を先読みしたのか、優海はさらに語った。
「この組織の全容は、あたしにも分からない。知らされてない、っていう感じかな。でも、それがあたしたちの生活の糧になってるのは事実なんだ。あたしは止めないよ」
「そ、そんな……」
麻実だけではなく、優海までもが『暴力』という悪意、狂気に取り込まれてしまったというのか。僕は一体、どうすればいいのだろう?
スマホが鳴りだしたのは、僕が眉間に手を遣った時だった。優海のスマホだ。
「あ、もしもし、麻実姉ちゃん?」
「麻実さん!?」
僕はざっと立ち上がった。麻実と話をして、優海との接触を断ち切るべきか。場合によっては『警察に通報する』とでも脅して。
しかし、優海の身のこなしは軽々としていた。スマホをひょいひょいと両手の間で弄び、僕に隙を見せない。
「おい麻実さん! 聞こえてるんだろう? 僕にも話をさせてくれ! 僕は塚島優翔だ!」
「え? 兄ちゃんとも話すの? 分かった」
すると、優海はスマホを操作してからベッドの上に放り投げた。
《あー、聞こえる、優翔くん?》
「麻実……さん」
本当に、大代麻実の声だった。記憶にある通りだ。
《この前はびっくりさせちゃったみたいね。ごめんなさい、だって優海ちゃんが出てくれないものだから》
「悪かったよ姉ちゃん、うっかりしてたんだ」
優海は唇を尖らせる。
《早速で申し訳ないのだけれど、優翔くん。あなたに一一〇番される前に、やっておかなければならないことがあるの》
「逃げられると思ってるんですか?」
僕はつい、麻実の話をぶった切って、挑戦的な口調になってしまった。怒りがふつふつと湧き上がり、恐怖心と拮抗している。
「ニュースでも散々放送されてますよ、麻実さん。あなたの名前も、顔も」
《ええ、知ってるわ》
「だったら逃げることなんて――」
《いいのよ、別に。逃げることが目的じゃないから》
確かにそうだろうが、状況が危険になることに変わりはない。
それに、僕は冷静ではなかった。少なくとも、麻実が僕に何を仕掛けるつもりなのか、それを確かめられるほどには。
僕は横目で優海を見た。彼女の目には、今まで見たこともないような冷徹さが宿っている。
「麻実さん、あんたが優海を人殺しにしたんだな!!」
僕は我ながら、唐突に声を荒げた。
「あんたの目的は知らない。けど、これ以上僕らに関わるな! 犯罪に手を染める前の、純粋な優海を返せ!」
《じゃあ優翔くん、あなたは信じているの? 心から純粋な人間がいるだなんて》
「何だと?」
僕は眉根を寄せた。
《あなただって思い当たりがないわけではないでしょう、優翔くん? 理不尽なことに怒った経験くらいはあるんじゃないかしら。人間がどれほど純粋であろうと、その性根は変えられない。それが紛争や戦争に繋がって、人間を進歩させてきたのよ》
『争いをする動物である、ということが、人間の定義の一部なのよ』
そう、麻実は言い切った。
僕はその哲学的な思想に引き込まれそうになった。しかし、今はそんな話をしている場合ではない。
「話を逸らすな! 僕は優海に、もとの優しい女の子に戻ってほしいだけで――」
「もう戻れないよ、兄ちゃん」
「なッ……!」
気楽な様子で答える優海に、僕は愕然とした。しかし、ここで退くわけにはいかない。
優海の両肩を掴み込み、揺さぶりながらまくしたてた。
「何を言ってるんだ、優海! お前だって、父さんや母さんがまともだった頃のことは覚えているだろう? 麻実に遊んでもらったことだって、記憶にあるだろう? それなのに、もう戻れないなんて……!」
《諦めた方がいいわよ、優翔くん》
「あんたには訊いてない!」
《聞いてもらうわ。優海ちゃんはね、もうあなたの知っている塚島優海ではないのよ。だって考えてもご覧なさいな。今日が初めてだったとはいえ、立派に人を殺したのよ?》
「えっ……」
絶句した。人を、殺した? 優海が?
確かに、僕は先ほど『優海を人殺しにしたこと』を挙げて麻実を責めた。だが、今のように、麻実にはっきり開き直られると、それが変えようのない現実なのだと思い知らされる。
「じゃああのおっさん、死んだんだ?」
《ええ。後で田宮くんに確かめてもらったから。出血性ショック死ですって。あと、撃ちすぎ。あれじゃあサイレンサーをつけても周囲に不審がられるわよ。弾丸は大事に使って頂戴》
「はあい」
何気ない調子で、二人の会話は進む。しかし、僕にはそれが、地球の反対側で行われているコミュニケーションのように聞こえてならなかった。
「優海、麻実さん、あんたたちは快楽殺人犯なのか?」
恐る恐る、僕は声を上げた。電話の向こうにいる麻実からすれば、蚊の鳴くような声に聞こえただろう。しかし、きちんと返答は帰ってきた。
《何を以て快楽と呼ぶのか、そこが悩みどころね。だけど、私には復讐するだけの過去がある。さっきは自分のことを棚に上げてしまって、失礼したわね、優翔くん。私も私で、ずっと前にあなたや優海ちゃんと戯れていた頃の大代麻実ではないのよ》
麻実の口調は整然としており、それでいて理論的に一部の隙もないように思われた。
変わってしまったものは、もう元には戻らない。麻実の言葉を反芻する度に、僕は自分の魂が砕かれ、その欠片の一つ一つが持ち去られていくように感じられた。
これがいわゆる絶望感、喪失感というものなのかもしれない。そう、頭の隅でぼんやり考えた。
「さて、そろそろ時間かな」
「な、何だ?」
僕は優海の方へ振り返った。優海は再びテーブルを回り込み、拳銃を手に取った。カバーをスライドさせ、初弾を装填する。そして躊躇いなく、その銃口を僕に向けた。より正確には、僕の左胸に。
「う、うわっ、ひっ、ぐはっ!」
僕は悲鳴を上げかけては喉が詰まる、という現象を繰り返した後、ベッドによじ登って必死に優海から距離を取った。
「一緒に来てもらおうか、兄ちゃん」
そう言うと、優海はすっと銃口を逸らし、発砲した。パン、という軽い音だったが、響き方が尋常ではない。この狭い部屋の壁に反響し、あちらこちらから銃撃を受けているような感覚になる。
「た、頼む! 殺さないでくれ、優海!」
「誰も兄ちゃんを狙ってはいないって! ほら」
優海はいつの間に装着したのか、ホルスターに拳銃を収め、発砲した先にあるものを目線で示した。恐る恐る振り返ると、そこには見事に粉砕された僕のスマホがあった。
「あ……」
「兄ちゃんが警察に通報したり、騒ぎ立てたりしないように、ちょっと身柄は預かるからね?」
「え? お前、何を言って――」
『言ってるんだ』といいかけた時、廊下とリビングを繋ぐドアが、勢いよく押し開けられた。入ってきたのは、優海と同じく拳銃を持った男が二人。
そんな、馬鹿な。玄関ドアの鍵はかけておいたはずなのに。いや、ピッキングされたと思えば不思議でもないか。
そんな的外れなことを考えていると、男のうち背の高い、線の細い方にぶん殴られた。痛みはあまり感じない。僕をベッド際に追いやって、捕まえる算段なのだろう。
僕は呆気なく、背後から羽交い絞めにされ、後ろ手に手錠をかけられた。
「や、止めろ! もう何もしないでくれ! 頼む、命だけは――」
と言い終える前に、僕は後頭部を強打された。鈍痛が滲み、意識に白い靄がかかってくる。
「た、助け……ゆう、み……」
それが、この時点で僕が知覚した最後の言葉だった。
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