第3話

《次のニュースです。本日未明、市議会議員の矢牧利信さんの自宅に、銃弾らしきものが撃ち込まれる事件が発生しました》


 翌朝のこと。僕はオムライスを掬ったスプーンを止めて、ラジオのニュースに聞き入った。


《当時議員は寝室にいて、怪我はないとのことです。警察は、一連の銃撃事件との関連も含め、殺人未遂事件として捜査を進めています。これらの事件の発端とされる銃撃事件が発生してから、今月でちょうど二年が経過し、犠牲者は代議士、警察関係者、また、暴力団関係者を含め、十一人に上っています》


 僕はごくり、と唾を飲んだ。

 昨日の未明と言えば、僕が優海と遅い夕食にありついていた頃だ。そんな時に、このような事件が起きていたとは。


「なあ、優海……」

「んあ、どしたの兄ちゃん?」


 優海はといえば、季節外れの冷やし中華をずるずるとすすりながら、何事もなかったかのように返事をした。


「いや、この街も意外と物騒だなあと思ってさ。優海、お前も気をつけろよ。登下校の時とか、友達と一緒にな」

「大丈夫だよ、そんな気を遣わなくたって!」


 優海は最後の一口をすすり、顔の前で手をひらひらさせた。続けて『ごちそうさまでした!』と言って両手を合わせる。

 能天気な様子の優海だが、僕は落ち着いてはいられない。


「誘拐でもされたらどうするんだ?」

「誘拐なんて、一件も起きてないじゃん。銃を使った事件ばっかりだし」


『銃』という言葉に、僕は背筋がぞくりとした。そんな恐ろしい殺傷道具、この世からなくなってしまえばいいのに。いや、問題はそこではなく。


「僕が言いたいのはな、優海。この街自体が危なくなってるんじゃないか、ってことだよ。仮に、今の事件を起こしてる犯人たちが、犯罪の仕方を変えたらどうするんだ? 誘拐とか、身代金の要求とかを始めたら?」

「あーあー、それは心配ないって!」


 自信満々で答える優海。何故だ?


「どうしてそう言い切れる?」


 僕は優海を叱責するつもりで、尋ねてみた。すると案の定、優海は返答に窮した。


「あー、それはね、えーっと……」


 だが、その様子に、僕は違和感を覚えた。優海は話題を引きずっている。いつもだったら、すぐに話題を変えて逃げてしまうくせに。


「お前、何か知ってるのか?」


 その声は、我ながら硬質で冷たかった。いや、優海から『そんなことないよ!』という答えを聞きたくて、わざと厳しい声音になってしまったというべきか。


 しばしの沈黙。それを破ったのは、ラジオの時報だった。


《間もなく、午前八時です》

「あっ!」


 僕と優海は、同時に声を上げて立ち上がった。


「マズい、遅刻だ! 友達を待たせてあるのに! あー、やっぱりLINE来てるよー、あたしが遅いから先に行くって!」

「僕だって遅刻ギリギリだ! 今日は地下鉄を使うぞ!」


 そう言って、僕たち兄妹は慌ててアパートを後にした。


 しかし。

 これは地下鉄に間に合ってから考えたことだけれど、どうして優海はスマホの料金設定を変えようとしないのだろう?

 確かに、友達付き合いに必須なツールであることは分かる。が、スマホを手離せば、月に五、六千円の節約にもなるのだ。この金額は、優海にとっても魅力的であるに違いない。


 誰かと緊急連絡を取り合う必要がある、ということか? では、一体誰と?

 いや、こんなことを考えるのは、流石に穿ちすぎというものか。


 そうやって僕が我に帰った時、ちょうど地下鉄は、所定の駅に到着した。


         ※


 その翌日。

 僕は午前中のバイトが休みになった。なんでも、本部の方で店長たちが集まる研修会があるから、だそうだ。だいぶ手持無沙汰になってしまうが、仕方がない。ゆっくり寝ていることにしよう。


「じゃあ、今日はちゃんとカレーを貰ってくるから。兄ちゃんもお大事に」

「お大事に、って、僕は別に病人じゃないぞ」

「いやあ、なんだか兄ちゃんが家にいてあたしが見送られる、っていうのは慣れなくてさ」


 ははっ、と乾いた笑い声を上げる優海。

 

「んじゃ、行ってきまーす」

「くれぐれも気をつけてな」

「へーい」


 ガチャリ、と玄関扉が閉まるのを聞いてから、僕はしばし、ぼんやりとしていた。きっと、脳みそのネジが緩んでいたのだろう。

 今取るべき行動は、さっさと布団に戻ることだ。暖房費の節約になるし、体力も温存できる。

 僕は布団を被り、枕元のラジオを点けた。陽気な歌謡曲が流れてくる。こんな番組ばかりならいいのに、などと思って、大きなため息をついた。

 ちょうどその時、穏やかな鐘の音と共に、ニュース番組が始まった。地方のニュースだ。


《最初のニュースは、市街地で発生している、連続銃撃事件についてです》


 おっと、最初から気になるニュースだ。僕は意味がないことを自覚しながらも、身体を起こしてラジオを見つめた。


《警察は、今回の連続銃撃事件の犯人として、一人の名前を明らかにしました。大代麻実、二十三歳。大代麻実、二十三歳です。警察は、この女が複数の事件に関与したとして――》

「ッ!?」


 僕は驚きのあまり、声も出せなかった。

 大代麻実、だって? 『あの』大代麻実なのか? 同姓同名の別人ではなく?

 真っ白になりかけた頭を現実に引き戻し、頭を回転させた。確かに、記憶にある彼女は、二十二、三歳になっているはずだが。


 僕の背筋を、冷たいクモが這い回るような不快な感覚が走る。いや、不快どころではない。恐怖だ。僕は今、恐怖感に浸され、身動きが取れなくなっている。


 しかし、あの心優しい麻実が、こんな事件を起こすだろうか――?


         ※


 インターフォンが鳴らされ、『こんにちはー!』と明るい声が聞こえてくる。


「あら麻実ちゃん、今日も遊びに来てくれたのね!」

《はい! いつもお世話になってます!》

「まあまあ、いつも礼儀正しいこと! ちょっと待っててね、優翔と優海を呼んでくるから」


 まだ、塚島家が崩壊する前のこと。大代麻実は、近所に住んでいた友達だった。年上のお姉さん、といった感じだ。

 僕も優海も、幼稚園には通っていなかったから、『友達』といったら誰を差し置いても麻実のことだった。


 母との会話を聞いていた僕は、駆け足で玄関へと向かった。目の前で玄関ドアが開けられ、大人びた笑みを浮かべる麻実の姿が視界に入る。


「麻実ちゃん、こんにちは!」

「こんにちは、優翔くん。優海ちゃんは?」

「いっつも寝てばっかりだよ」


 不満げにそう言うと、麻実は『まだ赤ちゃんだから、仕方ないのよ』と優しく諭してくれた。


「さて麻実ちゃん、お上がりなさいな。飲み物は何がいいかしら」

「紅茶をお願いしてもいいですか? おばさんの淹れてくれる紅茶、いっつも美味しいから!」

「まあまあ、嬉しいわね。優翔はオレンジジュースでいい?」

「うん!」

 

 母も麻実も、満面の笑みを浮かべている。僕もまた嬉しくなって、麻実に先立ち『こっちだよ!』と言いながら廊下を駆けて行った。


 客間に入ると、僕のすぐ後に麻実が、次に、ベビーカーに優海を乗せた母が入ってきた。そこは洋間で、白を基調に、洒落た装飾が為されている。

 中央のテーブルには、これまた白いテーブルクロスがかけられ、僕が遊び途中だった色とりどりの積木が乗せられていた。


「優翔くん、今日は何して遊ぶ?」

「じゃあねー、公園で駆けっこ!」

「でもまだ優海ちゃんは走れないよ?」


 言われてみれば当然である。僕は悲しさよりも怒りが湧いてきて、必死に『怒っているぞ』とアピールした。頬を膨らませ、肩をいからせる。しかし、そんな僕の姿を見て、麻実は目を細めた。


「そんな怒ってみせたって、人と仲良くはできないよ。暴力なんて振るったら大変!」

「ぼうりょく?」


 僕は聞き慣れない言葉に、怒りを忘れて首を傾げた。

 麻実は少し困ったような顔をして母の方を振り返ったが、母は笑顔で頷いた。


「暴力っていうのはね、優翔くん」


 麻実は腰を折って、僕と視線を合わせた。その目は、優し気ではあったけれど、有無を言わさぬ真剣さがこもっていた。


「人を叩いたり、蹴ったりすること。そして自分の言うことを、無理やり聞かせようとすること。優翔くん、絶対そんなことをする大人になっちゃいけないわ。分かった?」


 僕は中途半端に頷きながら、麻実の言葉の意味を考えた。

 人を叩いたり、蹴ったりしてはいけない。それは当時の僕でも分かる。しかし、『そんな大人』、つまり『暴力を振るってしまう大人』とは、どんな人物なのだろう?


 きっと、悪い人だ。牢屋に入れられる人だ。ちゃんと裁かれて、罰せられるべき人だ。

 そこまでは考えたけれど、ちょうど母が飲み物を持ってきてくれたので、この会話は打ち切りとなった。

 普通だったら、そのまま忘れ去ってもおかしくないくらいの会話だった。しかし、僕の心には、ちょうど魚の小骨が引っ掛かったように、ずっと残り続けていた。

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