そして、貴方がおはようと言うことでいつか世界が救われる

ささやか

たとえば何匹かの蛾と貴方のお話

1.


 目の前に座る瘦せぎすの男性――最初に自己紹介をしていたはずだが、彩佳は彼の名前が思い出せなかったし、いちいち彼のプロフィールカードを確認するほどの興味も持てなかった――が、実に快活そうな笑顔で語りかけてくる。彩佳はそれにぎこちない微笑みを作った。


 はじめて街コンに参加したはいいものの、どうにもこうにも緊張して仕方なかった。もしもひとりで参加していたら、すっかり萎縮してしまっただろう。

 彩佳は隣にいる涼子に感謝した。いや、そもそも街コンに誘ってきたのは涼子であり、その彼女に感謝することはどこかマッチポンプ感があったが、それでも涼子の存在はありがたかった。


 安っぽいイタリアンレストランの一区画を貸し切ったこの街コン用のエリアには複数のテーブルが設けられており、そのうちの一つの六人の男女がいた。二十分ほどで男性の席が変わって今は三巡目。今回の男性は三人とも単独で街コンに参加していた。女性陣は、彩佳と涼子の他に、幸枝という女性がいた。


 男性陣は基本的に涼子に対して一番の興味関心を払っていた。彼女は実にそれっぽい可愛らしさと社交性を持っており、恋人が途切れないタイプだ。今回彼女が街コンに参加したがったのも、ちょうど三日前に恋人と別れたので、新しいのが必要になったからだ。


 一方の彩佳は、辛うじて平均ラインには乗っているものの、どうにも引っ込み思案な性質が災いして、あまり恋愛とは縁のある人生は送っていなかった。涼子はそれなりに自己中心的な性格ではあるが、それなりに友達思いな性格でもあったので、今回のハンティングに親愛なる鈍重な友人に狩りの機会を与えるべくお節介を焼いたわけだった。

 確かにそれは彩佳にとってありがたかったが、しかし彼女がこの機会を活かすことはできそうになかった。もう一人の女性陣である幸枝もそれなりの顔立ちをしていたが、どこか陰のある性格と態度であったため、結局獲物は全て涼子が握っていた。


 たくさんの男性と話して連絡先を交換するという体験は、彩佳にとって得難い体験ではあったが、ここから恋愛に発展することはなかった。つまり、その日の街コンは彼女にとってなんの意味も価値もなかった。

 しかし一方の涼子はしっかり新しい恋人を捕まえており、彩佳はそのことにそれなりの羨望を覚えたのだった。






2.


 人生に意味を求めるなら、お前の人生にそんなもの微塵もない。


 そう言ってやりたいところを、道隆はすんでのところで止めることができた。代わりに甘ったるいくそキャンディみたいな言葉を嘔吐する。

 するとサチは雛鳥のような笑顔で「ありがとう。やっぱりミッチーは優しいね」とかさえずるのだ。


 嗚呼、縊り殺してやりたい。林檎が熟して赤くなるように、ごく自然とそう思う。

 このくだらないファストフード店で、同じように薄っぺらい共感や同調を求めているクソ共がどれくらいいるんだろう。


 透明に黒いコーラを飲む。炭酸の抜けた人工甘味料の甘さ。街コンに失敗しただのという名目で道隆がこの店に呼ばれてから、既に一時間が経過しようとしていた。その間、道隆はずっとサチの愚痴を聞いていた。くだらない話だ。そして仕舞いには「あたしって、もう生きる価値あるのかな……」なんて涙ぐんでみせるのだ。

 サチにはカレシがいるので本来はそんなところに行く必要はないはずだが、彼女曰く、よりよい出会いを求めて動くことは当たり前のことらしい。ちなみにサチは道隆のセックスフレンドだった。現在進行形の。きっとサチは自分の行いを省みることはしないのだろう。責任は常に自分の外にあるのだ。わかりやすい。実にわかりやすい愚かさだった。


 いい加減、ホテルに行って彼女を愉しむことで、この心底くだらない愚痴を聞いたストレスを解消したい。そんな思いで舌打ちが出そうになったころ、キョロキョロとスマホを片手に席を探す眼鏡の青年が目についた。彼にとっては運悪く、空いている席がないようだった。


 道隆は、混んできたからそろそろ出ようとサチを促し、青年に「よかったらどうぞ」と席を譲る。青年のお礼を聞いた後、ごく自然に店を出る。

 道隆はむしろ青年に感謝したいくらいだった。彼のおかげでサチの愚痴を切り上げることができたのだから。

 そして道隆は、いつもどおりにサチとセックスを行うのだが、それが彼にとって幸福であるか、彼自身にもわからなかったし、人生の意味なんて微塵も感じられやしなかった。







3.


 修一は席に座ると急いでカバンの中から充電ケーブルを取り出し、自身のスマートフォンの充電を行った。画面右端の赤い電池マークが充電中の表記に代わる。

 よかった、と修一は大きく息をついた。きっとあと少しでも充電が遅かったら、完全に電池切れになってしまっていただろう。ファストフード店に入るために買ったジンジャーエールを飲んで渇きをいやす。戦いはまだ続いていた。

 

 それを戦いと呼ぶかどうかは、おそらく評価の分かれるところであろう。彼がスマートフォンで行っているのは、最近流行りのアプリゲームだった。本当によくあるようなアプリゲームで、要するに美少女キャラクタをガチャで集めて、敵と戦うとかそんなやつだ。

 そのゲーム内では期間限定イベントが開催されていて、修一はそのイベントにおけるボスを倒すことに血道をあげていた。イベントで稼いだポイントによって決まる順位によってもらえる報酬が異なってくる。修一は、あと少し順位が上がればもらえる報酬が劇的に向上する境目をウロウロしていた。だからこそ、ここで一気にイベントをこなして、確固たる順位を築いておく必要があるのだ。


 こんなくだらないことに時間とお金を費やすなど馬鹿げている。

 そんな世間一般の意見に対して、修一は基本的に同意していた。たとえばこのアプリゲームでランキングトップに躍り出たとして――まあそんなことは絶対に無理だが。この仮定自体がスマートフォンのアプリゲームに対する知識の無さを露呈している――それで修一の人生が好転するかというと、おそらくしない。むしろその時には現時点より悪化している可能性の方が高い。何故ならそれはゲームに対して課金という形で人生のリソースの大半を捧げたことを意味するからだ。そうなれば当然、大学の卒業論文やら就職活動だとかそういう一般的に大事なものに支障が生じているに違いない。


 だがしかし、ゲーム攻略のためにインターネット上で知り合った仲間とあれこれと話すことは修一にとって楽しかった。だからこそ、たとえ自分から見てどんなに愚かしいことであろうと、それに心血を注いでいることに対して、否定的ではありたくない。こいつはそんじょそこらの学校教育よりよっぽど大切なことじゃないか。そんなことを頭の片隅でうすらぼんやりと考えながら、修一は デフォルメされた美少女キャラクタの必殺技を絶妙なタイミングで発動させた。その一撃でイベントボスを倒すことに成功する。

 修一は思わずガッツポーズをしてしまった。無論、すぐにひっこめたが。


 それからしばらくゲームをしていると、日付が変わる直前になってゲーム内のメッセージで仲間からイベントの調子を尋ねるメッセージが届いた。気分よくメッセージのやりとりをしているうちに、修一はしばらく交流が途絶えていたプレイヤーが明日誕生日であったことを思い出した。どうやら今回のイベントにも参加していないようだ。もうやめてしまったのだろうか。そう思いつつも、修一は誕生日おめでとうとメッセージを送った。

 深夜のイベント終了間際になって、ガチ勢による怒涛の追い込みが始まり、結局修一は望んだ順位になれず、彼の努力はある意味徒労に終わったわけだが、だからといってこのアプリゲームをやめようとは思わなかった。







4.


 それはとてもありふれたお話だった。


 つまり、人生が上手くいかない。

 そこに逐一語るほどの価値はないが、たとえば安月給で働き続けてふと我に返った時、両親も結婚相手も友人もいなければ、貴方が自分の半生に意味や価値を見出すことは難しかった。

 その虚しさに気がついてしまった貴方は唇の端に乾いた自嘲をのせた。泣いてみたかったが、どうやって泣けばいいのかもわからなかった。

 

 その夜、貴方は昔流行っていた映画をいくつかレンタルしてみた。ついでにアルコールやつまみも買う。そして帰宅してから型落ちのノートパソコンにDVDを挿入し、映画を観たのだ。


 その映画は確かに面白かった。いや、面白すぎた。そこには失われた貴方の輝きが残っていた。

 嗚呼。貴方は涙と鼻水をすすりながら嘆く。どうしてこうなってしまったのだろうか。何がどうしてなのか自分でもよくわかっていなかったが、とりあえず「ここ」と「これ」は違うということだけがわかった。

 確かに貴方が明日死んだって世界は何も変わらないだろう。きっとそれは真実だった。誰かがそれなりに悲しむけれど、まあそれだけだ。

 貴方は懐かしの映画とアルコールにやわらな心をズタボロにされながら、やがて眠りについた。


 そうして最悪な一夜から目を覚まし、貴方がまず行ったことは手元のスマートフォンで時刻と通知を確認することだった。

 貴方はスマートフォンに入れていたアプリゲームからメッセージ通知が来ていることに気づいた。そのゲームから離れてそれなりの時間が経っていたので、貴方はいったいなんのメッセージなのか気になり、アプリゲームを起動させてみた。メッセージは以前ゲーム内で付き合いのあったプレイヤーからだった。


 誕生日おめでとう。


 その簡単な一文で、貴方は今日が誕生日であったことを思い出す。蜘蛛の糸のような祝福が貴方の朝を優しく始める。貴方の存在は今ここで確かに認められた。貴方には名も知らぬ誰かから祝われる価値がある。それはそう、とても喜ばしいことだった。


 おはようと貴方がつぶやく。


 おはよう。

 ここが貴方の新しい朝だよ。

 

 

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