冬 大学生 ラブゲーム

 冬は苦手だ。というか、寒いのが苦手だ。寒い日に外に出る人間の気が知れない。クリスマスにわざわざ外出してイルミネーション見に行く奴らは全員阿呆の権化なのではとさえ思う。それぐらい寒いのが苦手だった。むしろ苦手をこじらせて嫌いだった。

 そんなわけで、今は大学の中にあるのにめったに使われることのない部屋の中にいる。別に曰くつきというわけではないようだが、一体どうして使われないのだろうか。興味がないわけではないが、面倒くさいので特に調べてもいない。いつか分かる日がきっと来るだろう。分からないならそれはそれだ。

 そう思いながら、目の前に広がる将棋盤と、盤を挟んで向かいに座っている女性の顔を見る。女性は随分とまあ淡白というか、感情の乗らない表情をしていた。一体何を考えているのだろうか。一応ちゃんと相談したことについて考えてくれているのだろうか。分からないので、とりあえず飛車の前にあった歩を一歩動かしてみた。

 「それで、相談という体で話されたあなたの弱音について、私から言えることは特に何もないのだけれど」

 歩を進めたのと同時に、目の前の女性、みゆきが話した。相変わらずツンケンとした声をしている。顔立ちは可愛らしいというのに、その全体的にどこか冷たい、刺々しい雰囲気のせいで彼女の周りにはあまり人が集まらない。

 もっとも、そんな彼女とこうして将棋を指しているモノ好きがここには一人いるわけだが。

 「そんなこと言わないでよ。別に有益なアドバイスを求めているわけじゃないんだし、とりあえず思うところがあれば言ってくれれば…」

 「あら、それはお前なんかに最初から有益なアドバイスが出来るわけないだろう、という趣旨の発言なのかしら」

 「なぜ曲解?そんな嫌なことは誰も言ってないよ」

 「冗談よ。もっとも私は確かに色恋沙汰とは縁遠いから、その手の話をされても実際のところだいぶ困ってしまうのだけれど」

 フッと鼻で笑うように、どこか自嘲めいた響きを伴った彼女の言葉を聞き流しながら、盤面の上の駒を動かした。この子はあれだ、面倒くさいテンションになったらこうしてちょっと黙って放っておくのが一番いい。下手にここで話しかけたら、またも面倒くさい自嘲の言葉が出てきてしまう。一つを倒しても第二第三の言葉が出てくるのだ。大学に入学して、五月ごろから続く付き合いによって身に着けた彼女マニュアルに則しながら行動する。七カ月の付き合いは伊達じゃないということだ。

 「でもまあ、実際のところ本当にお話できることなんてないわ。私はあなたが愛してやまない彼女のことも、彼女が愛してやまない彼氏のことも知らないのだから。本質的に、私はその恋物語において無関係な立ち位置にいるのよ」

 「だからこそ言えることがあるんじゃないかと。ほらっ、第三者視点の意見とかそういうのが」

 「何もないわよ。強いて言えば、「おめでとうございます。末永く爆発して下さい」ぐらいのものだわ。それ以上もそれ以下もないのよ」

 彼女が突き放すような口調で言いながら角を動かしてきた。むむ、ちょっとまずいな。

 「大体、どうして私があなたの愛してやまない彼女のコイバナを、あなたとしなければいけないのよ」

 「それはまあ、何というか,最初にも言ったけど、相談というか」

 「ダウトね。相談ではなく、心境整理でしょうに」

 図星だった。誤魔化すように桂馬を動かすも、あえなく撃沈してしまう。

 「だったら最初からカウンセリングでも受けなさい。それともあれかしら、みんなの窓口みたいな場所をお求めかしら」

 「…いじめられてはいないよ?」

 「でも惨めな気持ちは味わっている、違うかしら」

 少々違う気がするが、おおむね彼女の話すことは当たっていた。惨めというと強い言葉だが、まあ情けないほど弱い心持ちになっていたのは事実だ。

 「大好きな彼女に大好きな彼氏が出来た。確かに複雑な状況で心境なのでしょうけれど、だからといってそれを私みたいな処女に相談するのはやめてくれないかしら。私としても荷が重いし、あなたの下らない、発展性のない話題に付き合わされるのはとても不快だわ」

 容赦がない。いつも厳しいことを言うが、ここまで切れ味鋭かったことはなかったんじゃなかろうか。今日はえらく不機嫌な気がする。

 「そうはいってもさ、この話を彼女にするわけにはいかないじゃない。とすれば、話し相手は必然的に一人になるんだよね」

 そこまで言ってから、再び歩をパチンと一つ前に進めた。静かな部屋に滞留する空気は暖房によって温められているのでほっこりとする。

 「………全然嬉しいと思えないのがとても不思議ね。ありがとう」

 そう言いながら彼女もまた駒を繰る。しかし、それは彼女にしては珍しいポカミスだった。ありがたく盤面を有利にさせてもらいながら話しを続ける。

 どうやら彼女も頼りにされて相応には嬉しかったらしい。なかなか態度に出ないので分かりづらいことこの上ないが、まあその気持ちは分かる。

 「まあ、確かにこの話はもうこの辺りで終わろうか。ごめんね、こっちから振ったのに」

 「全くね。身勝手極まりないわ」

 そこからはお互い、必要以上の会話もなくただ盤面と向き合って時間を過ごした。ぱちぱちという子気味良い音が静かな部屋に響く。時間が経つにつれて、その音の感覚は長くなってきて、それが試合の進捗状況を表していた。

 「それにしても私、将棋ってある意味では完全なゲームだと思うのよね」

 彼女が唐突に話を振ってきた。終盤戦においてそんなことを言ってくるとは、揺さぶりか。いやそういうことするような性質じゃないか。深く考えることなく、その言葉に返した。

 「何で?運が介在しないゲームだから?」

 将棋やチェスは二人零和有限確定完全情報ゲームと呼ばれる類のゲームだ。アブストラクトゲームといった方が通りはいいのだろうか。分かりやすくざっくりいってしまえば、一般的なトレーディングカードゲームやトランプ、ポケモンのレート対戦なんかと違って、絶対に運という概念が勝負に関与しないという意味だ。お互いの条件は常に同じであり、相手の状況もこちらの情報もお互いが把握している。ゆえに、勝敗の決着は常にプレイヤーの技術と知略によるものとなる。

 「それもそうだけど、今は違うわ。…将棋には謀反があるからよ」

 「謀反?」

 「よくチェスと対比される項目ではあるけれど、将棋ってとった相手の駒を使うことが出来るじゃない?」

 そう言いながら、彼女が手元にあった駒をジャラジャラと振る。その駒たちは確かに、つい先刻まではこちらの兵士として頑張って戦ってくれていた駒たちだ。

 「まあ、そこが醍醐味だしね」

 彼女の言葉にそれだけ返す。言いたいことは分かるが、それが将棋の完全性とどうつながるのかはよく分からない。なので言葉ではなく視線で問うた。

 「それってつまり、仲間だったものが敵になって心臓を奪い来るということでしょう?私はその辺りがとてもリアルで、完全に現実を再現していると思うのよ」

 「心臓奪うって…。普通首をとるとかでしょうに。言いたいことはまあ分からないでもないけど」

 彼女の意見は確かに理解できるものだ。実際に戦国時代を生きたことはないのであまり確定的には言えないが、実際謀反とか反逆とかは多くあったイメージだ。そういう意味では将棋はリアルなゲームだし、そのリアルさを完全ということにも納得は出来る。

 「でも同時に、私はこのゲーム性故に将棋はリアルとはかけ離れているとも思うわ」

 しかし彼女は矛盾するようなことを言う。いや手の平返しというわけではないんだろうけど。矛盾することを別に責める気もしないしな。矛盾こそが人間の本質というのが持論だ。裏と表の二元論だけじゃ成立しないことなんてこの世にはごろごろ転がっている。

 「それはまた、どうして?」

 とはいえやはりその理由は気になる。尋ねてみると、彼女はよどみない口調話し始めた。

 「だって、敵の陣地に加わっていなくても、王の命を狙っているものはいるもの。それこそ、いつも隣に立つ者だって虎視眈々と機会を窺っているのかもしれないわ。背中合わせの背後のモノだけが、寝首を書こうとしているわけではないのよ」

 「……何が言いたいの?」

 「別に。ただ、現実世界においては向かい合っている者だけが意識すべき対象とも限らないということよ。でも、将棋というゲームは味方の駒が味方のまま王をとることを絶対に許さない」

 「………………………」

 「まあもっとも、向かい合わなければすれ違うことさえ叶わないところなんかはとてもリアルだと思うわ。皮肉なほどにね」

 「…どっちだよ」

 「どちらもよ。矛盾するからこそそこに深淵が生まれ、深淵が生まれるからこそ人は覗きたくなる。その好奇心をそそられる」

 そう言って彼女は、金をこちらの王の前に進めた。パチリという音が静かな部屋の中を駆け巡った。隣には銀があるが、銀は横には動けない。かといって、もし金を一手早く取っていたら、その時は斜めから睨みを利かせていた角によって王は取られてしまう。もともとこちらの軍勢にあったはずの角のお膳立てによって詰まれてしまった。逃げ場はなく、王は立ち往生することさえ出来ない。

 彼女の猛攻を捌いていなして躱して、それでもやはり逃げ切れない。どうしたって、こうして詰みへと持っていかれてしまう。この展開も、もう何度目だろうか。

 「…参りました」

 それは一体、何に対する言葉だったのだろうか。将棋の勝負に対して述べたものか、それとも……。自分自身はっきりとしない。

 「強くなってきてはいるわね。でも、あなたの弱さは決定的よ」

 彼女は冷たくそう言い放ちながら盤面を整理し始める。お互い将棋ガチ勢というわけではないので感想戦とかは特にしない。

 「……………そう」

 それしか彼女の言葉に返せる台詞はなかった。何せ自分でも弱さの原因はよく分かっているのだ。だからと言って、それを克服できるのかといえばそう上手くはいかないわけで。結局のところ、どうしようもない。

 「折角地頭はいいというのに。将棋というか、ボードゲーム全般が苦手なのね。もったいないわ」

 「……買いかぶりすぎ。そんなに頭もよくない」

 「…そう。それでも私は、あなたを評価したいと思うわ」

 「……ありがとう」

 それだけ言ってから席を立つ。時刻はやがて六時だ。みゆきとは違う彼女との約束が六時半からあるので、この辺で席を立たなければ彼女を待たせてしまう。

 「帰るのね?」

 「うん、彼女と待ち合わせしてるから。なんなら一緒に来る?」

 別に彼女も嫌な顔はしないだろう。まあ相性はあまりよくないと思っているので無理強いしたりはしないが、一応何度か誘ったことはある。

 しかしまあ、

 「遠慮しておくわ。あなたの愛しの彼女とは、話を聞いている限りではあまり仲良くできなさそうだから」

 そう言って、みゆきはいつも断るのだった。今回もそうだろうとは思っていたのでそっかとだけ返した。それ以上言ったって、きっとみゆきは不機嫌になるだけだろう。

 「ねえ」

 去ろうとしてドアに手をかけた時、みゆきが声をかけてきた。それはいつもの彼女とは違う、どこか弱弱しい音色を持った声だった。振り返らないで、感情を殺した声で問う。

 「何?」

 「…………………いえ、何でもないわ」

 「…そっか。じゃあまたね」

 それだけ告げて、ドアを開けた。廊下に溜まっていた冷気を帯びた空気で肌を冷やしながら、白い息を吐いて歩きはじめる。

 彼女の伝えなかった、伝えようとした言葉の意味は、何となく分かる気がした。でもそれは、口には出さない。

どうせ、気持ちには答えられないだろうから。

 心の中に重たい何かがたまっていくのを感じた。それは現実へのやるせなさというやつなのだろうか。ドロドロとした粘度の高い感情が、心の中に気味悪く張り付いていた。

 歩きながら、みゆきの話したことに思いを巡らした。思考とともに、言葉を漏らす。

 「将棋はリアルなゲーム、か」

 本当にそうだと思う。

 別に王をとることは誰だってできるのだ。飛車でも金でも桂馬でも歩でも、それこそ王でもとることは出来る。

 でも絶対に、味方の駒ではとることは出来ない。

 それに、将棋には役割がある。誰もが与えられた役割でしか動くことが出来ない。

 飛車は斜めには動けない。金は斜め後ろには動けない。銀は横には動けない。

 役割に縛られるというのもまた、現実的だ。どうしようもないほどに、現実的だ。

 冬の道は寒い。彼女に出会えば、ある程度はその寒さも緩和されるのだろうか。

 また彼女のノロケ話を、恋愛相談を聞いて、温かくなることが出来るのだろうか。

 不毛な初恋を、実らない情念を、いつまでもいつまでも大事に抱えている。

 そんな自分が今は、どうにも好きになれそうにない。

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