秋 高校生 深化
1章
人間は当たり前だが年を取る。そして年をとればとるほど、責任とか重圧とかを背負う必要が出てくる。そしてその筆頭はおそらく、自分に人生に対する責任だ。
夕暮れの教室の中、席に座ってそんなことを考えてみた。みんなは部活やら遊びやらでとっくに帰っているので教室は貸し切り状態だ。差し込む茜の光が眩しくて目を細める。開け放っておいた窓からは秋という季節にふさわしい清涼な風がそっと吹き込んできた。そしてその風が、机の上に無造作に置いてあった一枚のプリントを微かに動かす。飾り気のない黒色の文字と面白みのない黒色の枠が、その用紙が実用性重視であることを告げている。
「進路調査書」
それは高校二年生の秋頃になると大変に重い響きを伴う。ウチは一応進学校で通っているため、生徒の大学進学に関して先生方はかなり意欲的だ。だから、この時期になるとこういう話題がよく出てくるのだ。こちらとしては勘弁してほしいものだ。色々言われてしまうと、色々考えてしまう。
白紙の紙を睨みながら、自分の将来に関してあれこれと思案する。中学の頃は文芸部として小説を書いてもいたが、あれは職業に出来るわけでも、したいわけでもない。将来何がしたいかと言われると分からない。現実や将来は曖昧模糊としていて、その輪郭を上手く捉えることが出来ないのだ。
ため息を吐き、スマホをポチポチといじる。画面に表示されるのは模試の結果だ。今はこういうのもオンラインサービスで見れるというのだから、教育現場も着実に変化しているんだろうなと他人事に考える。
並ぶ数字は決して悪いものではない。まあ流石に旧帝大とかは目指せないが、それでも今の学力を維持し続ければそこそこの大学には進学できるだろうという具合だった。なので目下の脳内議論の争点は、「努力して県外の一つ上の大学に進学するか」、それとも「今の学力を維持しながら県内の大学に進学するか」というところだった。個人的な希望としては、彼女も進学するし親としても安心できる後者の選択なのだが、しかし先生方からは熱い激励メッセージを賜るばかりだ。そしてその全てに適当に相槌を打っていた結果がこの進路調査書である。別に頑張る気がないわけではないんだがなあ。
とはいえ先生方の言い分も分からんではない。努力すれば手が届くというのなら、そりゃ努力はするべきだろう。その考え方はよく分かる。
なにせこちとら努力じゃどうにもならない案件を抱え込んでいるのだから。
もう一度ため息を吐く。まるで昔に戻ったようだ。彼女と関わる前のあの頃は、ことあるごとにため息を吐いていたものである。
変わったと思っていたが、別に根底から覆されていたわけではないらしい。そりゃそうか。人間そんなに簡単に百八十度変化出来たら困りはしない。コインじゃないのだ。裏と表だけじゃ判別できないグレーな感情や思想を多く抱えている。
それは例えば、「好き」だけど「好きになれない」とか、そういうことなのだろう。
「めんどくさい…」
声をポツリと漏らした。儚い言葉は大気をわずかに揺らして、でもそれだけだ。この空気の震えがいつかどこかの世界で大きな揺らぎを引き起こすのだろうか。蝶の羽ばたきが遠い場所で竜巻を巻き起こすように、このささやかな愚痴が世界に影響を与える。人間は小さい生き物だが、その実影響力は無駄に持っているからなあ。
椅子に体重を預けながら、蛍光灯の光に目をやる。そうしていると何故か落ち着く。何だろう、この定量って感じが好きなのかもしれない。そのまま光を浴びて椅子をグラグラと揺らす。気持ち悪くて心地よい。
「結城?何やってんの?」
そんな風にくだらないことにうつつを抜かしていたからか、教室に人が入ってきたことに気づくのが遅れた。おかげで奇行を見られてしまった。不覚だ。
声の主は、柴崎だった。クラスメイトだ。ちなみにそんなに仲良くはない。まあ理由は比較的明瞭だし、向こうもそれをある程度了解しているようなので、そういう空気を察知できるところには好感が持てる。
「別に。そっちは?」
「俺は忘れ物。明日朝一で英語小テストだから」
「そっか」
真面目だなあ。柴崎は成績上位者だったはずだが、なるほど。こういうところでちゃんと努力しているのか。納得だ。
ちなみに今の一連の流れで大まか柴崎との距離感は把握していただけたと思う。まあ、こういう感じだ。
「結城は人待ち?」
「そうだよ。進路について考えながらだけど」
「いつものお姫様だな」
「…半年前は別の王子様がいたのにな」
その言葉に柴崎は苦笑した。元カレのくせに皮肉が効いている気配がない。まあ、高校生の男女交際なんて、そんなものか。
お互い一時の情念で付き合って、後腐れなくお別れする。どいつもこいつもライトな結合である。
「まあそうなんだけどな。別に今でもいい子だとは思ってるぜ」
「じゃあどうして?」
思わず口をついて言葉が出てきた。言ってからマズッたなと反省。そういう繊細なことには立ち入らないというのが自分ルールだったというのに。
口に手を当てても言ったことは取り消されない。仕方がないので柴崎の目を見て返事を待つ。視線の意図を理解した柴咲はややためらいながらも、軽い感じで口を開いた。
「別に大した理由はないんだけどさ、何か純粋すぎて罪悪感がわくんだよ」
柴崎の告げた答えが鼓膜を揺らしたとき真っ先に思い浮かんだ言葉は、「確かにな」だった。怒りや失意とは違う納得が、胸の中にストンと落ちてきて苦笑する。
彼女は女子高生となっても幼かった。容姿の面ではなく、精神的な面が。流石にコウノトリやキャベツ畑を依然として信じているほど性教育ゼロではないだろうが、でもサンタクロースのこととかは本気で信じていそうだった。言葉を選ばずに評すれば、夢見がちなわけだ。いかにも処女っぽいというか、無邪気って感じがする。そしてそういう彼女の性格というか、性質はきっと、性的な部分を多く考える思春期における交際では色々と不都合を生み出すのだろう。
「なるほどね」
「納得してくれた?」
「これ以上ないほどに」
柴崎のことはやっぱり好きになれない。どんな理由があれ、彼女のことをフッタのは明確な事実だし、その結果として彼女が悲しい思いをしたのもまた事実だ。
とはいえ、彼女のことをそれだけ理解してくれている人がいるというのは嬉しい気持ちもする。それに罪悪感がわいたということは、柴崎は無垢なる彼女に色々としたわけではないらしい。そういうところも好感をもてた。
「まっ、結城は結城で頑張れよな」
柴崎は明るい口調でそう言うが、実際のところどうしろというのか。
そもそもとして、眼中にあるかすら危ういというのに。
「ゆうちゃん!!」
その時、教室の扉がガラッと開き、元気な声が聞こえてきた。いうまでもなく彼女だ。扉の方からズカズカという足音を立てながらこちらまで歩いてきて、バンと手で机を叩く。その振動で机の上の進路調査書が微かに浮いた。
高校生になっても依然変わらぬちゃん付けなわけだが、もう慣れたので訂正は求めない。というか無理だと悟ったのである。もっとも彼女以外の人間が呼んだら容赦なくグーパン喰らわせてやるが。
「もう、探したよ。図書館かと思ったのに…」
「ごめんごめん、ちょっと進路のことで…」
怒る彼女に適当な言い訳をつく。ふくれっ面の彼女にペコペコと頭を下げるも、誠意とかは特に込めていないので自動人形みたいな動きとなった。
「あははは、結城、尻に敷かれてんな」
その様子を見た柴崎が声を上げて笑った。前言撤回だ。こいつはやっぱりタチが悪い奴な気がする。主に彼女がいるのに普通に目の前で笑うところとか。さっきまで持っていた好感は後でまとめて処分しておくとしよう。
「あっ、柴崎君…。…いたんだ」
「うん、久しぶり」
柴崎に気づき活力を失った彼女とは対照的に、柴崎はにこやかに挨拶する。うーん、別れた後の男女の距離感なんて分からないが、これはあまり穏やかな空気じゃないな。主に彼女にとって。
「帰ろうか、もう暗いし。柴崎もまた明日」
出来る限り平静を装って、努めて明るく声を出した。いつもよりはワントーン高い自分の声に我ながら気色悪いなと思う。でも今はまだその方がマシだ。
席から立ち上がり、カバンを背負いながら彼女の肩をそっと押す。華奢なその体に触れることで彼女の動揺を悟るも、あえて無視した。「行こっ」とだけ小さく囁いて足を出口の方へと向けた。そうすれば自然、彼女もついてくる他なくなる。
「おう、また明日な」
柴崎の返す言葉に片手を上げることで対応し、彼女とともに教室のドアを抜ける。そして靴箱までの道のりを静かに歩いた。彼女が声を発しないというのなら、こちらもまた口を噤んでおく。こう見えて、意外とこの子は色々なことを考える子なのだ。
だからその思考の邪魔をしないために、今は無言で連れ添い、彼女の隣を歩くとしよう。
夕焼けが伸ばす影は、さっきまでよりもいくらか薄くなっていた。
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