夏 中学生 仮表題

3章 

 僕はついに自分の感情の答えを見出した気がする。確認するように、誰にも聞こえないぐらいの小さな声で呟いてみた。囁き声のようなそれが鼓膜を揺らすと、不思議なむず痒さが全身に走った。口に出すと恥ずかしさで死にそうだ。でも、それが偽らざる本心だ。

 彼女が先輩と一緒にいるのを見るとムカムカとする。彼女の隣に僕以外の奴がいると気が気じゃなくなる。彼女のことを下卑た視線で見る奴を知るとぶん殴りたくなる。

 余りに過激な感情だが、でも彼女を大切だと思う気持ちは本物だ。それだけは自信をもって言える。

 告白

 漢字二文字が頭にチラついた。ようやく自分の気持ちを自覚したというのなら、次にやるべきは間違いなくこれだろう。

 それは多分そんなに難しいことじゃない。

 だって僕は彼女のことが……

 

 そこまで打ち込んでから、キーボードを打つ手を止めた。時計に目をやると、時刻はすでに八時を回っていた。夏は日が落ちるのが遅いといっても当たり前だが夜になれば月は出る。微かに視界に差し込んでくる月光を手で遮ることで暗闇を作り、考え事をした。

 あの日、彼女が先輩への恋心を打ち明けてくれた日からはすでに一週間の時間が経っていた。その間も二人の生活に大きな変化はなく、二人とも部活やら何やらで慌ただしく日々を過ごしていた。

 ただまあ、一個だけ変化はあった。

 彼女が毎日家に訪れては、恋愛相談という体で先輩の自慢話をするようになっていたのだ。

 別に付き合っているわけではないのでノロケとは違うのだが、彼女は飽きることなく先輩の魅力を興奮した様子で語ってきた。やれ今日もまたスーパーゴールを決めただの、やれ今日はチームの喧嘩を収めただの。毎日毎日一時間以上、彼女は熱く語っていた。その度に薄く微笑んでは、そうなんだとだけ返した。それ以上の言葉を上手く紡げる気はしなかった。

 嬉々とした笑顔、熱のこもる声、赤くなった頬と、興奮具合を表す手の動き。

 彼女の見せるその一挙一挙手一投足に心がざらつきを覚えていた。彼女の見せる幸せの、至福の表情をどこか苦々しい気持ちで見つめていた。

 彼女の恋を、喜べなかった。

 友達失格だと思う。大切だと言いながら、彼女のその感情を、成長を喜べない。親心というやつなのだろうか。ずっと隣にいた彼女がどこか遠くに行ってしまうのを手放しで喜ばないとかそういう…。

 それとも………

 そこまで考えて思考を中断した。これ以上はやめておいた方がいいと告げる警告音が聞こえた気がしたのだ。理由は分からない。最近は、分からないものばかりだ。小さい頃は、あんなに何でも理解したつもりでいたのに、今は答えのない問いにばかりさらされている。

 どれもこれも、彼女にまつわる疑問ばかりだった。その理由さえ分からない。

 ベッドにドサッと身を投げる。今日のところはもう小説は終わりだ。これ以上は筆が進む気がしない。何だかんだでラストシーンに近いところまで漕ぎついたわけだが、しかしここから先の物語がなかなか難しい。うまく言葉が思いつかず、似たり寄ったりな表現が頻出してしまうのだ。やきもきとした気持ちを抱えながらため息を吐き、目を閉じた。普通に疲れたし、早いところ寝るとしよう。


 その日夢を見た。彼女と先輩が手をつなぎながら歩く夢だ。どちらもにこやかに笑っていて、とても楽しそうな様子だった。そしてそんな二人を後ろから眺めるオオカミのような怪物が一匹。

 餓狼のようにギラギラとした瞳を光らせ、口元からは光沢を帯びた粘ついた雫がポタポタと落ちていく。鋭利な爪を携えた両手は震え、息遣いは荒く、その姿勢はまさに肉食動物、獣であるかのようであった。

 瞬きをして世界が一瞬暗くなり、再び世界が光を持った時、目の前の光景に震撼した。

 そこでは彼女と先輩が重なるように倒れあっていた。二人は紅すぎるほどに紅い水溜まりにその身を浸し、そしてその水溜まりの真ん中には、先ほどまで後方にいたはずの怪物がいた。

 怪物はその場に立ちながら、言葉をかけてきた。その声はどこか聞いたことがあるように感じた。

 「お前は彼女のことが「」なのか」


 そこまで見てから目を覚ます。身体はもちろんベッドまでも汗でぐっしょり濡れていて気持ち悪い。エアコンをかけていなかったので部屋に充満する空気は蒸し蒸しとしていて、そこにもまた不快感を覚えた。時計を見ると十時過ぎだった。この時間まで寝れるのは夏休みの特権である。今日はどうせ図書館も蔵書点検で休みだから外出の予定もないしな。

 窓を開けながら夢の内容を思い返す。おぞましい内容だったからか、やたら鮮明に覚えていた。その色も、その匂いも寸分たがわずに思い出せる。

 なのに何故か、最後怪物の告げた言葉だけがはっきりとしない。記憶の中にすっぽりと空白が出来ていた。

 一体アイツは、何を訊こうとしていたのだろうか。

そこまで考えると電話がブルブルと震えだした。彼女だ。急いで取ると、電話口から聞こえてきたのは震える声と鼻をすする音。

 「どうしたの?」

 「家行っていい?」

 「……いいよ」

 「ありがとう」

 それだけ伝えると彼女は電話を切った。いつ来るかを言わなかったということは、つまり即行ということだろう。

 汗だけ流しておこう。そう考えて、シャワーへと足を運んだ。


 十分ちょっと経った後、彼女が玄関のベルを鳴らした。いつものように玄関まで迎えに行って、いつものように部屋まで案内して、いつものように麦茶を提供する。

 でも彼女の様子は全然いつも通りじゃなかった。

 黙って下を向きながらグラスにチビチビと口をつける彼女の様子を見ながらも、あくまでも彼女から話し始めるまで待つ。そういや一週間前もこんなことしたかもしれないな。あの時とは雰囲気百八十度違うけど。

 赤く腫らした目元とか、やや整っていない息とかそういうのを見ると、あんまりいい話じゃないことは分かる。

 「あのね……」

 黙って観察していたら、彼女がようやく口を開き始めた。ポツポツと単語単語で話し始める彼女を静かに見つめ、その話に耳を傾ける。

 要約すると、どうやら件の先輩はマネージャーとすでに付き合っていたらしい。

つまるところ、彼女の初恋は告白よりもはるか前方の地点で潰えてしまったわけである。それが彼女の涙の原因であり、元凶であったというわけだ。

 えんえんと泣きじゃくる彼女の背中をさすりながらなぐさめるも、頭の中には別の思考が、感情が宿った。

 彼女を護りたい。

 自分の心が波打つのを感じた。経験したことのない激情に似た何かに身を突き動かされそうになる。

 彼女を助けたい。

 友達としてじゃない。幼馴染としてじゃない。

 彼女のために何かしたい。

 この感情の正体は分からないけど、きっとそういうものなのだろう。

 今はまだ仮表題のこの感情を、しかし大切にしながら彼女とともに歩んでいきたい。

 夏の象徴、太陽の光が差し込む部屋の中、泣き止まぬ彼女の隣で誓いを立てた。

 何があっても、彼女を幸せにすると。

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