夏 中学生 仮表題
2章
「それでね、今日は智ちゃんが……」
太陽というやつはどうにも自己主張が激しくて好きになれない。そう思う人は多分この世に五万といる。まるで「俺様のおかげでお前たち地球人は生活できているんだぜ、感謝しな」とでも秒単位で言っているようなウザさだ。そんなにうるさく自分の功績を語っていては、せっかくのファンや信者も失せてしまうぞと忠告してやりたくなる。まあ、太陽は浮気とかオフ会とかしないから別に大丈夫なのだろうか。知らん。
「その時、真由美ちゃんが……」
第一夏という季節はどうしてこうも暑くなるのだ。クーラーの効いた図書館から解放されて数分なのに、すでに体内から冷気は失われてしまっている。肌を伝う汗が制服を張り付かせて気持ち悪い。早いところお風呂にでも入ってさっぱりしたい。
「そうそう、なんか瑠美ちゃんが……」
心頭滅却すれば火もまた涼しとか名言を残した坊主だか僧だかがいたそうだが、そいつはきっと心頭より先に感覚器官が侵されていたのだろう。でなければ死に際に何か格好いいこと言いたかったか。普通に考えてあり得ない。よく知らない法師だが、熱い風評被害を喰らわせてやろう。そうしておけば、いくらかこちらの暑さは晴れるというものだ。死してなお人の役に立てるというのだからきっと本望だろう。
「……………ゆうちゃん?」
まあ結局のところ、こういう暑さもいつかは夏の思い出として処理され、記憶の中で美化され、ふとした瞬間に思い出して懐かしむようになっていくのだろう。そう考えると、このカンカン照りのお日様も嫌いになり切れない。日光浴は別に嫌いじゃないしな。
「ゆうちゃんってば!」
「大丈夫、ちゃんと聞いてるよ。というか、もう中学生なんだからちゃん付け止めない?恥ずかしいんだけど」
「なんで?いくつになっても、どんな身長になっても、ゆうちゃんはゆうちゃんだよ」
彼女はとても純粋な瞳でこっちを見ながらこともなげにそう言い、首を傾げた。その動きに連動するようにして短く切られた髪が揺れる。光の当たり具合かやや茶髪がかって見えるその髪に若干目を奪われながらも反論する。
「いや、だとしても流石にちゃんは恥ずかしい。普通に名前で呼んでよ」
「嫌だよ。こっちで慣れてるもん。それに……名前で呼ぶなんて、恥ずかしい」
この子の羞恥のトリガーはどこにあるのだろうか。名前呼びとちゃん付けなら圧倒的に後者のほうがレベル高いと思うんだけど。まあ、呼ぶ側と呼ばれる側の見解の相違ということなのだろうか」
「と、に、か、く!私はゆうちゃんのことはゆうちゃんって呼び続けるの!」
大きくパチリとした目をさらに開き、身振り手振りを加えながら彼女は主張してきた。有無を言わさぬ調子で言われてしまえば反論は出来ない。いやまあやれば出来ないことはないんだけど、そうまでして彼女からの呼び名を変えたいわけではない。
甘いなあ。
「あっ、そういえばさ、今日これからゆうちゃんの部屋言っていい?」
思い出したかのような調子で彼女が声を出し、唐突に話題を変える。前後の脈絡に繋がりなどないが、こんなことは彼女と関わっていく上では頻発することなのでさして驚いたりツッコんだりせずに言葉を返した。
「別にいいけど…、何で?つまらなくない、ウチ?」
自分で言うと悲しくなるが、我が家にはおおよそ娯楽系のモノがない。子供が憧れる魔法少女の変身グッズや、レゴブロックのような児童向けの玩具を筆頭に、ゲームハードや漫画のような中高生向けのモノも置いていない。人生ゲームもない。なぜか花札はある。サマーウォーズの影響だろうか。まあ、代わりに阿保みたいに本がある。家族全員基本的に読書が好きなんだよなあ、我が家は。結果、パーティー系のモノはほとんど置いていないのだ。皆で遊ぶためのものなんて、ジグソーパズルぐらいのものだ。もっともアレも一人プレイがデフォルトだが。
そんなことを考えながら視線を向ける。ちなみに彼女が小学校の時に我が家に訪れた第一声は「ミニ図書館」だった。流石にそこまで本はないが、逆に本しかないとも言える。なかなかに的を射た発言だと感心したのを覚えている。
「ああ大丈夫。今日は遊ぶわけじゃないし、家だとちょっと話しづらいってだけ」
話しづらい?彼女が?一体何なんだ、その議題は?
普段快活な彼女が話しづらいことなんて一体何だろうか?命を狙われているとか?それともストーカー被害とかか?
いずれにせよ興味がある。もちろん、親友としての不安もだ。
「分かった。今日は父さんも母さんも少し遅いはずだから、九時ぐらいまでは誰もいないよ」
「ありがとう、ゆうちゃん」
そう言った彼女は笑顔で、やっぱりこの子は笑っている時が一番かわいいなと思う。今日図書館であった後輩ちゃんもそれなりに美人だったが、彼女の可愛さには遠く及ばない。いないところでこうやって比較するのも失礼極まりない気がするが、そこら辺は大目に見てほしいところだ。そんな可愛い彼女に言葉を返す。
「まだ何も話聞いていないんだから、礼を言われる筋合いはどこにもないよ」
「ううん、違うよ。話聞いてくれるってことがそもそもとして嬉しいの。それって私のこと、大事に思ってくれているってことだから」
照れくさくなって返した言葉に、さらに照れてしまうような言葉を被せられて気持ちの整理がつかなくなる。顔が熱い。汗腺が開き、そこから汗がブワッと出てくるイメージが浮かんだ。まったくこの子は…。そんなことばかり言っていたら、いつか男に刺されるぞと今度忠告しておかなければ。
「あっ、もちろんこんなこと言うのはゆうちゃんにだけだからね」
とどめを刺してきた。一体どうしろと言うのか。こんなことばかり言われていたら、いつか精神が崩壊してしまうんじゃなかろうか。流石天然たらし。並の男なら今の一連の流れで即落ちだろう。夜の商売の世界に入ったら一年でトップに上り詰めるやもしれん。もっともそんなことは絶対にさせないが。
「…早めに家帰って片付けとく。お風呂入ってからでいいよ」
「分かった。じゃあ一時間後に行くね」
これ以上心を乱される前にと何とかそれだけ言葉を残して、彼女と別れる。後ろに彼女の声を聞きながら、運動部さながらのダッシュで距離をとった。夏の日差しにさらされて熱くなった身体が運動によってさらなる熱を帯び、漏れる吐息さえもチョコを溶かしそうだ。背中で弾むカバンの中でノートパソコンが揺れて、時折痛みが走る。その間も、胸中を占めるのはたった一つの言葉だった。
「…ドキドキした」
「お邪魔しまーす」
「いらっしゃい。ゆっくりしてね」
約束通り一時間後、着替えた彼女が我が家を訪れた。さっきまでの動揺はシャワーで水と一緒に流したので、落ち着いた気持ちで玄関まで迎えに行って部屋へと案内する。彼女が横を通り抜けたときにシャンプーの香りがして、一瞬ドギマギしたがすぐに気持ちを鎮静化した。今は彼女の悩みを聞くのが先決だからだ。
「それで、一体今日はどうしたの?」
「ああ、うん。なんというか…その…」
促してみたが、彼女の歯切れはどうも悪い。やはり珍しい反応だ。いつもとは違うということを念頭に置きながら様子を窺う。
わずかに上気して見える頬。恥ずかしがっているために伏せられた目。手はモジモジと動き彼女の中のためらいを雄弁に告げ、若干荒くなったように聞こえる息が艶めかしく響いて鼓膜を揺らした。
彼女の発する未知の雰囲気を出来る限り冷静に観察、解析しようとするが、その変な空気に当てられてこっちも正常じゃいられなくなる。とはいえ話は振りづらい。あくまでも彼女から話始めるのを待つべきだと思い、何も言わずに座して待つ。
時計のチクタクという音さえも煩わしく感じる様になったころ、ようやく彼女は口を開いた。体感時間で言えばずいぶん長い間守られてきた沈黙だったので、自然耳が沈黙を破る彼女の音を一際強く聞き取る。
「…私、先輩のこと好きになっちゃったかもしれない」
「最初は尊敬なのかなって思ってたけど、違う。全然そんなんじゃない」
「こんな気持ち初めてで、恋とかもよく分かんないんだけどさ。でも、ドキドキする」
「隣に立てたら幸せで、見つめてるだけでも嬉しくて、笑顔を見ると私もにやけちゃう」
「ねえ、やっぱりこれって恋なのかな?」
「……ゆうちゃん?」
「ゆうちゃんってば!」
「ごめんごめんちゃんと聞いてる。ちょっと意外だったからフリーズしかけてただけ」
「もう!そうやって誤魔化す!」
「本当にちゃんと聞いてたよ。続き話して」
「もう…。それで、どうして先輩のことが好きなのかって考えたら…………………」
彼女の声が右から左に流れていくのを感じた。よし、正常だ。いつもの調子を取り戻したことに安堵しつつ、先ほどまでのフリーズを思い返す。原因は明らかだった。
彼女の言葉を聞いたとき、一体何を思い、何を感じた。深々と己に問うも、答えは出てこない。
あるいは、出したくないと逃げているのか。あの時みたいに。
彼女が使った「好き」という言葉に、心は異常をきたした。それはつまり……
「ゆうちゃん!ちゃんと聞いてる!?」
「もちろん。話していいよ」
「それで、先輩は今日もね……」
彼女の質問をいつも通り笑顔で受け流しつつ、先輩について語る彼女の話を今度はちゃんと聞く。
その先輩の名前と評判は、たぶんウチの学校に在籍するものなら誰でも一度は耳にするものだった。友達少ない文芸部員が知っているくらいだから、一般生徒からしたらもはや超が付くほどの有名人じゃなかろうか。
バスケ部に所属する人で、かなりの美形。プレイも一流でトレセンか何かに呼ばれたという話を聞いた気がする。加えて成績優秀、品行方正なので先生からの評判もすごく良くて推薦は確実だとかなんだとか。以前クラスメイトが、
「あんなの反則だろ。女子はみんなあの人に色めきだって俺らのことなんか眼中にもないんだぜ」
とぼやいていた。その時はへえーそうなんだぐらいにしか思わなかったが、学校生活を送るにつれて先輩の話は耳に入ってくる。そして実際その先輩は、噂に違わぬアイドルだった。
「本当にこんな気持ち初めてで…。不思議なんだ。苦しいのに幸せで、苦いのに甘いの」
そう告げた彼女の頬は朱色に染まっていて、今まで見てきたどんな彼女よりも「女の子」って感じだった。そしてその表情は今まで見てきたどんな彼女よりも可愛かった。知らなかった彼女の顔を見れたことに対して喜ばしい気持ちになったが、心はどうにも複雑だ。理由は分からないが、脈が速くなって、トクトクと鼓動の音が煩わしく騒ぐのを感じた。一体何だというのか。
「そうなんだ。よく分かんないけど、応援するよ」
浅くなる呼吸を誤魔化すように一度大きく息を吸い込み、それだけ告げる。もちろん笑顔で。
でもそれはきっと、感情と一致した表情じゃなかった。
「喉乾いたでしょ?お茶、取ってくるね」
悟られないように立ち上がって部屋を出る。廊下には夏らしい熱気がこもっていて、汗が流れそうになる。せっかくシャワーを浴びたというのに、これじゃあ台無しだ。
階段を慎重な足取りで、一段一段底が抜けないかを確認するようにゆっくりと降りていく。その挙動は傍からは随分滑稽に見えたことだろう。力強い一歩とも決意のある一歩ともかけ離れた、自分の道のりや自分の歩み方を確認するような足運びだった。ようやく降りきって、その後も冷蔵庫まで重い足を動かす。いつもならなんてことは一つ一つの動作が辛い。身体はどこも悪くないのに、不自然な痛みを覚えた。
冷蔵庫を開けて麦茶を取り出し、グラスに注いでお盆にのせる。大したことない所作で、どうということない動作だ。
なのに、今日はやたら時間がかかって仕方がない。一つ一つの動作が緩慢で、挙動に覇気がない。まるで肉を持った機械のような活動だと炎の灯らない心で思う。
ため息を吐きながら、取り出した麦茶を額に当ててみる。冷気は確かに気持ちいいが、このだるい身体を元気にするのはどうもこれではないらしい。
「……どうすればいいんだよ…」
声が漏れ出た。自分でも情けないと思うような弱々しい声だった。彼女に見られたらきっと心配かけてしまう。首を左右に振って気持ちを切り替え、未だ気怠さの残る身体を動かして階段を上った。盆にのせた麦茶がこぼれないように、降りるとき同様ゆっくりとした足運びで、階段を上り切った。
「お待たせ」
その声はきっといつもより明るかったのだろう。勝手に本棚を漁っていた彼女が驚いてこっちを見てきた。
その表情も愛おしく思える。彼女のあらゆる面を大切にしたいと思える。
でも今は、その目をまっすぐ見つめ返すことは出来なかった。
そうしてしまえば、何かとてつもなく深い穴にはまってしまいそうだったから。
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