春 小学生 緑に染まる日
4章
あの調子で走り続けたので、十分後にはすでに家についていた。元々そう遠くない場所にあるが、今日は格別に早い。
「ハアァ、ハアァ」
乱れた息を整えながら、ランドセルからカギを取り出して玄関の扉を開ける。早いところかきすぎた汗を流すためにシャワーを浴びたいところだ。
階段を上り、自室に入る。適当にランドセルをぶん投げてから、着替えをとって浴室へと向かった。
お湯を浴び、さっぱりしてからもう一度自室に戻る。今日はやたら疲れた。色々とイベントが起こりすぎていた気がする。今後はこういうことがないといいなと祈りながら、この土日をどうやって過ごそうかと照明をにらみながら考えていると、足が何かを蹴飛ばした。
見てみると、それは算数の教科書だった。さっきランドセルをぶん投げた拍子で少し散らかってしまったらしい。腰を屈めてそれを拾おうとすると、激痛が走った。
原因はアレだ。今日の本探し。あの時も随分と中腰になって作業していたからな。身体が痛むのも当然なのかもしれない。
そこまで考えて、やはり誤魔化しきれないなと思う。走っても、お風呂に入っても、今日のことはうやむやには出来ない。
教科書を机の上に置いてから、ベッドに飛び込み目を瞑る。考え事は、リラックスした状態でするに限るからな。
暗闇の中で、今日のことを思い返す。
本探しを手伝ってくれたこと。一緒に笑ったこと。下駄箱までの道を、二人並んで歩いたこと。
そして、友達告白。
そこまで考えて、顔が熱くなったのを自覚する。枕に顔をうずめて、クロールをする時のように足をバタバタとさせた。ボフッボフッという音を聞きながら、冷静に思考しようと努める。
簡単な話だ。深く考える必要なんてどこにもない。考えるべき問いは、最初から一つなのだから。
友達になりたいか、なりたくないか。
自分に問い、そして一つの答えを得た。
それはどうにも照れくさくて、言葉にするには恥ずかしかった。だからあの時も即答してあげられなかった。
「月曜日が……楽しみだ」
出した答えの結果がどうなるか、今から期待と不安でドキドキが止まらなかった。
五月という季節は、ゴールデンウィークがあるから価値を持つ。この言葉に異論がある人はきっといないだろう。夏休みは子供の特権だが、公休日による連休は国民の特権だ。堕落に身を落とすことを許される世界というのは、随分甘美なものであるように感じられる。故にゴールデンウィークを終え、学校の始まった五月とは、サンタのいないクリスマスのようなものだ。
「それでねっ、その時ねっ、ママとパパったら…ってゆうちゃん?ちゃんと聞いてるの!?」
「聞いてる聞いてる。」
思索にふけりながらもちゃんと彼女の話は聞いていた。というか、元々彼女の話を聞いていたのだ。ただ、ストーリーの展開がない上に、きちんとしたオチが用意されているわけでもないのでこうして思考のリソースを別のことに割いていたわけだ。
「本当に?じゃあ続きを話すよ。えっとどこまで言ったっけ?」
今日も彼女は元気である。しかし元気故に今は空回ってしまっているらしい。とりあえずエンジンの調子が戻るまで、また別のことを考えていよう。
彼女と共に本を探した金曜日から二日後の月曜日、学校に着いてからすぐに彼女の元へと行った。当然、返事をするためだ。
彼女と目が合ったとき、随分と不安そうな目をしていた。彼女の性格上、嘘は付けないだろうから、きっと本当に心配だったのだろう。
ずんずんと歩いていき、目の前に立って見つめる。わずかに潤んだように見えるその瞳から目をそらさないようにしながら、出来る限り簡潔な言葉で告げた。
「友達に、なってください」
それが、考えないで出した答えだった。彼女と仲良くしたいというのが、心が選んだ答えだった。
告げた言葉を聞いて、彼女はその目を濡らした。悲哀故ではなく、歓喜故に。
「うん、友達。ゆうちゃんは私の友達!」
「ゆうちゃん?」
「うん。結城だからゆうちゃん。私、友達になったらこう呼ぶって決めてたんだ!」
そう言った彼女は極上の笑顔を浮かべていて、そんなものを見せられてしまってはこちらとしては何も言えなくなる。ぐうの音しか出ないというものだ。
ニヘへと幸せそうに口元を緩める彼女を愛おしく思う。今後上手くやっていけるかどうかという不安はあるが、しかし今は嬉しい気持ちの方が大きい。それはきっと、「友達」が出来たからだ。
まあ、何はともあれ、
こうして彼女とは友達になったのでした。
めでたし、めでたし。
「あっ、そうだそうだ。それでね、その時パパったら……」
回想を終えている間に、彼女も話の内容を思い返したらしく話の続きをしてくる。楽しそうな声で、歌うような調子で一生懸命に言葉を紡ぐ。
まあ、それは五分前に聞いた話なんだけどね。
このままじゃゴールデンウィークの思い出を語り終える前に世界が終わってしまう。呆れてやれやれとため息をつく。
まったく、彼女を見ていると呆れる。
でも、そんな彼女は見てて飽きない。
元気に愉快に笑う彼女を見ると、まあいいやと思えてくる。それが人柄の為せる技ということなのだろうか。それも含めてまあいいかと思った。
彼女だからという理由で、今は全て納得してやろう。
「それでそれで…。あっ!赤井君だっ!おーい!」
前方方向に人影を発見した彼女は話を途中で切り上げ、声を大にしながらぶんぶんと大きく手を振った。その声に気づいて、一人の男子生徒が振り返る。
赤井というのは、よく女子を泣かせているあの男子のことだ。ちなみに女の子の方の名字は吉田という。
クラスメイトの名前を覚えたのは、彼女と友達になってからだった。
そして彼女に引っ張られた結果、世界はずいぶんと広がった。
関わる人が増えた。
人と過ごす時間が増えた。
家に帰ってから、学校の話をする機会が増えた。
あと、笑顔が増えた、と言われる回数が増えた。自覚はなかった。
ただ確かに、読書の時間は少しだけ減った。
でも不思議と嫌な気持ちはなかった。
隣で彼女が赤井に向かって駆け出そうとしていた。そんな彼女を見て、苦笑いする自分が、存外に嫌いじゃない。友達がいるということは、案外悪くないことだと思えた。
ゴールデンウィークを終えた五月に価値はない。その言葉を撤回する気はない。
でもまあ、学校という場所はただつまらないだけの場所でもないらしい。
だから、意外にこういう日々を過ごすのも、ありなんじゃないかと今は思う。
そう思わせてくれた彼女の背中を追いかける。腕を振り、地面を蹴り、追い越す勢いで前へ前へと進んでいく。
新緑の木々の隙間を縫うようにして差し込んできた春の日差しが強く照り付ける道を、今日も通って学校に向かう。
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