複製《コピー》が夢見る日常
葵月詞菜
第1話 複製《コピー》が夢見る日常
そろそろ記憶の同期の時間か。
小学生の姿をした彼は、ソファーの上に気怠げに腰掛けた。
(今日は
友人のことを考えながら、そっと目を閉じる。
(……本当は、一緒に学校に通えたらきっと楽しいんだろうなあ)
だんだんと頭の中がぼんやりとしてきて、意識が遠退いて行くのが分かった。
それに逆らうことなく、自ら意識を手放した。
一日に一度行われる、
***
「サクラ。起きろ、もう昼飯の時間だぞ」
頭にバシッと鈍い当たりを感じ、サクラは「はへっ?」という奇声を発して目を開けた。
目の前に、椅子の背凭れに頬杖をついた
「豪快な爆睡だったな。口の端に涎ついてんぞ」
「……えっと」
サクラは指摘された口元を拭いながら、机に伏せていた上半身を起こした。
周りにはがやがやとお昼の準備をする高校生たちの姿がある。後方には掲示板とロッカー、前方には黒板。
「学校の教室?」
「何言ってんだ。まだ寝惚けてんのか?」
弥鷹が呆れたように言って立ち上がり、椅子の背にかけていた制服のブレザーを羽織る。
「ほら、早く購買行かねえと限定パン売り切れる」
「え、うん」
理解が追い付かないまま、サクラもとりあえず席を立った。
「え?」
立ち上がると、普段よりもずっと視線が高いことに気付いた。いつも見上げていたはずの弥鷹の顔がほとんどすぐ前にあった。そして、見下ろせばサクラもまた制服を着ていた。
戸惑いに動けなくなったサクラに業を煮やした弥鷹が腕を引っ張って歩き出す。
「ぼけっとしてんな。ほら行くぞ」
いつもとは逆に弥鷹に引っ張られて歩いている自分が少し新鮮だった。
食堂の横にパンの購買があり、もうすでに厚い人だかりができていた。弥鷹がそれを見て舌打ちする。
「お前が寝惚けてるうちに出遅れたじゃねえか」
「弥鷹君、僕に八つ当たりするのはやめてくれない」
これは決してサクラがぼやぼやしていたせいだけではないだろう。そもそも先程の教室から遠すぎる。出遅れないようにしようと思ったら授業終了のベルを五分ほどフライングして、且つ廊下を全力疾走するしかないのではないだろうか。
「これは今日も限定パンはお預けか……」
弥鷹が狙っていたのは、限定三十個のスーパー焼きそばパンだったらしい。たった今、パン売り場に『限定売り切れ』の紙を持ったおばさんが現れた所だった。
「弥鷹君、本気で狙ってるならやっぱり授業のラスト五分をフライングしなきゃだめだと思うよ」
「……そこまでして欲しいかって言われると微妙なんだよな」
「それは本気で狙ってないよね。ますます僕のせいにするのは間違ってる」
弥鷹の返答にサクラは呆れたようにため息を吐いた。
そこへ、購買の方からふらふらと一人の女子高生がこちらに向かって歩いてきた。
(あれは……
サクラの記憶が正しければ、弥鷹とは幼稚園の頃からの付き合いがある立花凪穂だった。
「ミカちゃん! いい所に!」
彼女は白い袋を持った手を大きく振って、弥鷹の元へと駆け寄った。
「ナギ。どうした」
「へっへーん! ついにゲットしたぞ、スーパー焼きそばパン!」
「え、マジで」
凪穂が袋の中から「じゃじゃーん!」と効果音付きで取り出したのは、でかでかと外袋に『スーパー焼きそばパン』と書かれたパンだった。間違いない。
「二個ゲットできたから一個ミカちゃんにあげるね! はい、消費税込みで二百十六円です!」
「……ちゃっかり金は取るんだな」
それでも弥鷹は小銭入れを開けてきっちりと払い、焼きそばパンを受け取った。
「まいどありー」と言いながら、凪穂がちらりとサクラの方を見る。
「まーたミカちゃんはサクラ君と一緒なんだからー。たまには私とも遊んでよね」
「はいはい、また今度な。サクラ、もう少し昼飯調達すんぞ」
弥鷹が凪穂を適当にあしらって、購買の方に足を向けた。サクラが曖昧な笑みを返すと、凪穂が悔しそうに「あっかんべー」をしてきた。
(……相変わらず凪穂ちゃんは弥鷹君のことが好きなんだなあ)
弥鷹は全く気付いていないようだが、弥鷹絡みでサクラに向けられる凪穂の敵対心は小学校の頃から変わっていないようだ。
別にサクラは凪穂から弥鷹を横取りしようなんて思っていないのだけど。
「サクラ、飲み物は?」
「あ、お茶が良い」
弥鷹がテキパキと買い物をする後ろを追いかけながら、サクラはきょろきょろと辺りを見回していた。
混雑する購買フロアに、食堂に向かう生徒たちの集団。わいわいと話しながら行き交う生徒たち。――どこにでも、当たり前にあるような高校の風景だ。
それが、サクラの目にはとても懐かしいような、少し切ない気持ちにさせる。
「今日は天気も良いし、外でも行くか?」
しかも隣には弥鷹がいて、一緒に高校生活を送っているのだ。
(有り得ない)
サクラは弥鷹の言葉に頷きながら、心の中で小さく首を振った。
(本来なら、有り得ないことだ……『僕』には、絶対に)
すでにこれが夢なのだろうということには感づいていた。
(でも……だからこそ)
足を止めて、少し先を行く弥鷹を見つめる。
現実には有り得ないと分かっているからこそ、嫌にリアルなこの時間が愛おしく感じられる。
(ああ、もう少しだけ、弥鷹君と一緒に高校生でいたいな)
サクラはぎゅうっと締め付けられる胸に気付かなかったフリをして、弥鷹の背中を追いかけた。
***
何の前触れもなく、急に意識がはっきりと戻って来る。
オリジナルとの記憶の同期が終了したようだ。サクラの頭の中には、もう一人のサクラ――本来の『
彼は今現実の世界とは別の空間にいて、戻って来られない状況にあった。その代わりに、現実の世界ではコピーのサクラが存在して、こうして定期的にお互いの記憶を共有している。
(あれは『サクラ』が望んだ夢だったのか、それとも『咲来』が望む未来だったのか……)
目を瞑ったままぼんやりしていると、地下書庫の廊下の方からバタバタと近づいて来る足音が聞こえた。ノックもなしにすぐに扉が開く。
「よう、サクラ」
聴き慣れた声に、サクラは安堵を覚えて目を開いた。首を巡らすと、そこには予想通りの男子高校生が突っ立ってサクラを見下ろしていた。
「どうした、どっか具合でも悪いのか」
「ううん、大丈夫。ちょっと眠くてお昼寝してただけ」
サクラはうーんと伸びをして、ソファーから身を起こした。
「お昼寝なんて小学生は良いご身分だな」
「弥鷹君も授業中お昼寝してたりするんじゃないの?」
弥鷹の冗談に付き合って返しながら、サクラは夢の内容を思い出して苦笑した。
(あの時寝てたのは僕の方だったけど)
高校の教室で、爆睡して、弥鷹に起こされる夢だった。
じいっと制服姿の弥鷹を見上げると、彼は居心地悪そうに身じろぎした。
「何だよ」
「いやあ、別に。高校生なんだなあと思って」
「はあ? 俺は前から高校生だろ」
「うん、さすがに小学生には見えないよ」
「どういう意味だ」
あはははと笑いながらソファーから立ち上がり、弥鷹にお茶を淹れてあげるために給湯室に向かう。
湯を沸かしながら、またぼんやりと夢のことを思い出す。
(僕じゃ無理だけど、『咲来』ならまだ間に合うんだよなあ)
所詮『サクラ』はオリジナルである『咲来』の代用だ。この姿も、咲来の小学生の時の姿を模した仮初の姿に過ぎない。『サクラ』は、絶対に高校生になって学校に通うようなことはない。
でも、『咲来』なら。今はここにはいない彼なら、問題さえクリアすれば高校に通うことができるだろう。元々、咲来は弥鷹と同じ高校生だ。
弥鷹とは小学校の時の友人なのだが――これは弥鷹本人は覚えていない。
(ああ、無駄にリアルな夢だったせいでちょっとヘコむ)
サクラは紅茶のカップをトレイに載せて、いつもの作業部屋に戻った。
「ねえ弥鷹君、もし僕が高校生だったらどう思う?」
紅茶を飲む弥鷹にそっと尋ねてみる。すると弥鷹は紅茶を吹き出しそうなるのを寸でのところで堪え、その代わりに盛大にむせた。
「サクラが高校生ってちょっと想像つかねえな」
「……むせるほど?」
思わず口を尖らせたサクラに、弥鷹は苦笑を漏らした。
「俺の中でのお前はもうそのサイズで認識されてるからな。ああでも、たとえ大きくなってもお前はお前なんだろうなあ。周りを散々振り回す、魅惑的な笑顔を持つ小悪魔的な……」
「ねえ、弥鷹君の中で僕って一体どういうイメージなのかな?」
弥鷹の中でサクラは一体どのように認識されているのか気になる。
サクラの訝しむ眼差しをスルーして、弥鷹は紅茶を飲むことに集中しているようだった。
(いつか、本来の『咲来』が君と同じ高校生に戻れる日が来るかもしれないよ、弥鷹君)
それは
(その日が来るまでは)
サクラは自分の分のカップに口をつけながら、心の中で弥鷹に伝えた。
(まだしばらくは、僕に会いにこの地下書庫に来てね、弥鷹君)
サクラにとっては、ある意味夢の中よりもずっと大事な時間が、今まさに目の前で紡がれていた。
複製《コピー》が夢見る日常 葵月詞菜 @kotosa3
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