我と世界

N0ア

第1話 1つ目の命

何度も浴びた日光の光に起こされ、我の一日が始まる。第一にすることは変わらな

い。体を伸ばし、ストレッチをする。これで朦朧としていた意識が鮮明になった。そして、廊下に置いてある器の中の水を数滴口にしその隣の器から飯を頂く。よく噛んでから、飲み込む。美味い。前の我なら、この水や飯が当たり前と思っていただろう。だが、この八つの猫生で、我はいくつもの体験をした。

初めて猫としての輪廻を始めた時の我は無論、無知であった。透明な籠の中に入れられてから、それが全てと思い何一つ疑問を持たなかった。この中では何をせずとも、飯も水も貰える。欲に忠実であった我にとっては最高であった。時折ガラス越しに人間と遊んでいたが、すぐに飽きフカフカのベッドでよくねていたものだ。不思議だ、あの頃は人間のことなど全く知らず、ただ自分に飯をくれる存在と思い決してそれ以上には思えなかった。実に傲慢であった。彼等にも我と同様に心があるのだから。しかし生まれて間もない我は、そんなことなど知らぬし気にしなかった。こんな傲慢な我の前に、我の飼い主となる婆と爺が来た。


「何この子?足が短くて凄く可愛いわねー。へー、マンチカンって呼ぶんだ。ねぇあなた、この子にしてもいいかしら?」

「この子がいいのか、分かった。店員さんに話してくる」


爺は我とは遊ばずに、別の所へむかった。仕方ないので、眠ることにした。しかし、バンバンと音がしていて眠れなかった。目を開けると、目の前には小さな人間の姿があった。飯をくれるのかと思えば、バンバンバンと籠を叩き続けるだけである。とても五月蝿い。我にとって初めての苦しみである。こんな苦しみなど、実に可愛いものであるが。しかし、この苦しみはすぐに終わった。

「猫ちゃんがかわいそうだから、窓叩くのやめてね」

「はーい」

いつも飯をくれる女性が来たとたん、小さな人間は窓を叩くのを止めた。その姿を見て無意識によだれが出始めていた。まちにまった飯だと思った。しかし、予想は裏切られた。飯は貰えず、代わりに持ち上げられて箱から出される。そして我は、婆の手に渡った。

「あらー、なんてかわいい子なのー」

見上げると、婆の頬が緩んでいる。悪い気はしなかった。横では、爺は座って白い紙に何かを書いていた。


箱から出たとたん、環境が大いに変わった。人間が家と呼ぶこの建物は発見の連続であった。新しい匂い、感触、景色、全てが新しく、それを体験するのは楽しいひと時であった。今でもあのワクワク感は憶えている。気分の高ぶり収まり、数日がたった。婆の足元を歩いていると白い物体が動いていた。考えるより先に体が動いた。物体に飛びつき、噛みつく。その勢いで、机の柱に当たった。すると婆は心配そうな顔で我を持ち上げた。その腕は、温かかった。

「大丈夫かい、幸太郎」

何を言っていたのかは分からないが、こうたろうという響きは不思議としっくり来た。あまりの居心地に気づけば、目を閉じていた。この腕の中は、母と同じくらいの安心感があった。

次の日、目を開けると婆の顔がそこにあった。婆の顔をつつき起こす。

「おはよう、幸太郎」

その声につられ我も鳴いた。

「にゃっ」

婆は微笑んでいた。そして婆は起き上がり、我を持ち上げた。再び眠りそうになるが、そうなる前に柔らかい場所に置かれた。婆は自分を置いて、別のところにむかった。心配になり、後を追おうとしたが、床と今の場所の段差が大きくひるんでしまった。しかし、ここを越えなければ置いて行かれる。勇気を振り絞り飛んだ。婆がいった道を通ったが、どこにもいない。

「にゃー、にゃー」

婆のことを呼ぼうとする。

「ちょっと待ってね」

ジャーと聞いたことの無い音がしたあと、急に壁が動いた。驚いて、後ろに飛んだ。そうしている内に、壁の後ろから婆が出てきた。安心感が身を包む。再び部屋に戻る。そしてお日様に当たる透明な壁の前で寝転がる。ここも暖かい。安心感と温度で再びねむりそうになったが、爺が部屋に入る音で起きてしまった。何か話しているようだ。

「どうだい、幸太郎は」

「ちょっとやんちゃだけど、元気で可愛いわねー、ありがとう。和也。猫が飼いたいって、願い事を聞いてくれて。猫アレルギーなのに」

「いいって、なんでも言っておくれ。それで真紀子が笑顔になれるのなら、俺も嬉しい」

二人とも微笑んでいたが、婆の顔はどこか悲し気であった。励まそうと婆に寄り添う。すると微笑みは笑顔に変わった。我も元気がでた。

たまに婆と遊び、食べて寝る。幸せな毎日だ。爺はとなりで、我のこと微笑んで見ている。だが触ろうとはしない。爺が我に触れられないのには、薄々気づいた。自分から爺に寄り添おうとすると、急に咳をし始め、距離を取られる。それ以来、我も爺に合わせることにした。今思えば、あの頃の我は他の同類よりかは少し賢かったのかもしれない。やんちゃではあったが、無謀なことはしなかった。

月日が経ち、我は大きくなった。逆に、婆の様子が悪くなっていった。今日の婆はやけにふらふらとしていた。婆のことが心配と伝えるために鳴く。

「にゃー?にゃー」

「大丈夫よ、幸太郎、私はまだ大丈夫」

いくら寄り添おうと、笑うことをはあれど婆が元気になることはなかった。不安な毎日が一か月つづいた。たまに婆と爺が家から居なくなることが数回あった。その度に、二人の表情は暗くなっていく。そんな中でも、婆は我と遊んでくれた。白い物体は我のお気に入りであった。いくら捕まえようとしても、中々捕まらない。それが楽しかった。婆は最高な状況ではないかもしれないが、それでも元気になって欲しくて婆に寄り添った。婆はたまに笑うが、爺は笑わなくない。その意味を嫌でも知ることになった。

いつものように、婆の隣で起きる。そして毎回のように顔をつつく。だが起きない。もう一度つつく。起きない。何度もつついたが起きない。事態を伝えるために、隣の部屋で寝てる爺のところへ行く。

「へっくしょん」

つつかずとも起きた。

「どうしたんだい、幸太郎」

伝えなければ。

「にゃー!にゃ!にゃーー!」

婆の部屋に走って戻る。運よく爺も付いて来た。爺が部屋に入ったとたん、異変にきづいた。

「真紀子!おい、真紀子!」

爺が体を揺らすが、案の定起きない。爺は部屋を出て、誰かに話し始めた。

「妻が起きません、助けてください。住所は...」

数分後見知らぬ人達が家に入り込んだ。そして彼等は、婆を連れ去った。爺は手と手を合わせて何かをつぶやいていた。

心配で眠れなかった。爺も同じように寝ていなかった。部屋はの静寂で包まれていた。その静寂を一つの音が破った。

「プルル、プルル」

すぐに爺は立ち上がり、音の方へ向かった。 

「はい、はい、今向かいます」

彼は、急いで部屋に入りすぐにに戻ってきた。手に何かをはめ、口には白いなにかを着けていた。そしてその手で我を持ち上げる。初めて爺に触られた。爺は玄関で靴を履き、走り出した。年なため、早くは走れないが、それでも爺は息を切らしながら走った。5分程で最寄の病院についた。病院に入ると、白い服を着た女性が爺に話しかけてきた。

「ペットの持ち込みはご遠慮させて頂いてもよろしいでしょうか?」

「少し、だけ、なので、はぁ、妻の、ところに、はぁはぁ、案内してください。名前は、飯田真紀子、です」

爺は何かを女性に伝えようとしていた。それが伝わったのか、女性は爺と我を奥の方へ案内した。しばらくすると、一つのドアの前に来た。そこで女性は再び口を開く。

「真紀子様の様態は、あまりよろしくありません。器具で一命を取り留めていますが、何も出来ない状態です。手術するという手段もありますが、成功する確率は大変低いです。そのため、言い難いのですが、先はあまり長くないということを心に留めておいて下さい。」

何を言っていたのかは分からないが、表情は暗く声のトーンは低かった。きっと婆の容態はよろしく無いのであろう。

「入ってもよろしいでしょうか?」

と爺の声。

「どうぞ」

と女性の声。

ガララと、爺はドアを開いた。ドアを開けて目に入ったのは、変な管に繋がれている婆であった。そして管は一つではなく、体のあちらこちらに繋がれている。爺は我をそっと、婆の横に置いてくれた。寝ている婆をつつく。頭では分かっていても、希望を捨てきれなかった。そんな我の願いを叶えてくれたのか、婆はピクリと動いた。そして、弱りきった体で腕を持ち上げ我の上に置く。その手は冷たかった。けれど、いつも以上にその手には安心感を憶えた。

「手術は、いいで、す。けど、もう、少し、少しだけ。幸太郎、と、いさせて下さい」

婆は声を振り絞って言った。

「普通なら駄目ですが、今回は特別です」

なにか言い残し、女性は部屋を出る。そして爺は婆に静かに寄り添った。

この時がずっと続けばいいのに。ずっと。ずっと。







婆に寄り添いながら、婆との思い出を思い出す。一緒に遊んだ時、一緒に散歩した時、一緒にご飯を食べた時。今思えば、全て当たり前ではなくかけがえの無いひと時だった。もっと婆と共にいれば良かったと思う。しかし、過去に戻ることは出来ない。いくら過去に後悔しても、変わることはない。少しでも婆の存在を感じようと、腕に体をこすりつける。なにか変わる訳ではないが、我にはそれしか出来なかった。





婆の手に触れていた我はすぐに気づいた。婆の冷たかった手がさらに冷えていくのを。最後の時はすぐに来た。



となりにあった、心拍数測定器の数がゼロになる。



冷え切った婆の体は、白い箱の中に入れられた。我はそれをみていることしか出来なかった。爺も、涙を流し叫んだ。今思えば、悲しみに涙できる人間は羨ましい。我は力なく、鳴くことしか出来ないのだから。やがて、婆の箱は、焼けくさい部屋に運ばれた。そして、部屋で待機していた黒服の男性が鉄の引き出しを開く。婆が入っている箱は、その中に入れられた。その引き出しが閉められようとした時、我はすかさず何に入った。男性は我を出そうとしたが、我は全力で抵抗した。

「旦那様、どうなさいましょうか?」

爺は無言で我を持ち上げようとした。すかさず爺をひっかくが、爺は少し怯んだだけで気にすせず我を手に取る。

「お願いします」

爺がその言葉を発した後、引き出しは閉められた。嫌な予感がする。爺の腕から逃げようとしたが、爺は我を離さなかった。次の瞬間、火の匂いがした。その匂いがしてから、婆の姿を見ることはなかった。生まれて初めての、別れの瞬間であった。

家から婆の姿が消えてから、爺はずっと手を合わせて畳の部屋に籠っていた。飯を食べる時以外は、爺は一歩たりとも部屋を離れなかった。心配になり、爺によりそってみたが、我を見ると同時に涙を流し始めた。それ以来、我から爺に近づいたことは無い。今までのように、水と飯は貰えた。しかし、今までの生活のままにはならなかった。婆と遊ぶことが無くなり、一日の大半は寝るようになった。食べては寝る、この繰り返しである。この状態が続き、我の体は大分重くなった。しかし、家から出ない我に不自由はなかった。なんとも虚しい毎日が一日、また一日と過ぎていった。そして少しずつ、我の睡眠時間は増えていった。何も無い現実より、夢の世界の方が居心地が良い。


やがて我は、永遠の眠りについた。不思議と苦しみはなかった。


これが我の一生目である。










 



















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