第31話 「 long time no see 」

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 聴こえてくる。


 人々の悲哀や恐怖の心の旋律が。


 何故、人々の声が聴こえるのかは解らない。ムーサの力かもしれないし、『ルシフェル』の神器としての機能かもしれない。


 もしかしたら、その二つの相乗効果なのかもしれない。


 一つ確かなのは、俺はいま、限りなく貴重な体験をしていると言うことだ。


 人の心に触れて、嘆きや苦しみ、悲しみをダイレクトに知った。


 他人の心を、自分の経験を基に推し量るのではない。自分以外の感情をそのまま受け取っているのだ。


『不夜城弦輝』という人間の精神体が、心の器が広く、深くなっていく気がした。


 器が容量を増した分を埋めるように、『歌』の素が生まれてきた。


 負の感情を打ち消すかのような激励、鼓舞の想いが込められたそれはすぐに俺の器を満たし、喉を通して溢れ出た。


 歌詞などはない。


 ただ思いつくままに旋律を口ずさんでいるだけだ。


 1コーラスほど歌ったところでそれは起こった。


 俺がギターを弾き始めた時から原因不明の行動停止をしていた異界の神。その頭頂部にあった琥珀色の物体が仄かに輝き出し、やがて白く輝く靄で出来た気流を作り出して、靄は俺に向かってゆっくり上昇してきた。


 歌いながら俺は、ゆっくりと手を伸ばしてくる光の渦を眺めていた。


 怖くは無い。むしろ待ち遠しくなって、自ら翼を動かし高度を下げたくらいだ。


 光の渦は俺の足元に触れた後、全身にじゃれついてきた。


 そして―――。


―――ゲンちゃん。


 一年ぶりに聞く、幼馴染の女の子の甘やかな声が、俺の耳朶を震わせた。


 光の渦は俺の眼前に凝集し、徐に少女のシルエットを形作った。


 柔らかな長い髪に優美な顔立ちの少女。


「久しぶりだな、清音」


 もう二度とその姿を見ることは叶わないと思っていた、天野清音だった。


―――うん。


―――でも、私の主観では昨日ゲンちゃんと会ってるんだけどね。


 緑の光に象られた清音はそう言って苦笑した。


―――でもでも、いま、ゲンちゃんや私、そしてこの『世界』がどう言う状況にあるのかはだいたい教えてもらったよ。


「教えてもらった?」


―――うん。ムーさんにね。


 ムーさんってのは、文脈から考えるとムーサのことかな。


 なるほど。そういえば清音にも女神の分身(でいいのか?)が乗り移っているはずだ。だからか、俺と同じようにムーサと意思の疎通ができるのだろう。


「そうか。それで清音、悪いが俺はまだお前を救けてやれない」


―――うん。わかっってるよ、大丈夫。


 俺を気遣うように、優しく微笑む清音。


「でもな、必ず……どんなに時間がかかっても、俺はお前を救けだす。必ずだ。信じてくれ」


そして清音はくすりと可笑おかしそうに言った。


―――『ロックスターはファンを見捨てない』


「え?」


―――ゲンちゃん、昔言ってたよね。『ロックスターってのは、聴いてくれる人あってのものだ。だから困っている人がいたら見捨てないんだ』って。


「そ、そうだっけ……?」


―――そうだよ。そして、私はゲンちゃんのファン第一号なんだから。絶対に私を見捨てないもの。 


 微塵も疑わない、確信に満ちた瞳で、彼女は断言した。


―――だからその時まで聖ちゃんにゲンちゃんを預けとくねって、聖ちゃんに伝えておいてね。


「バーカ」


俺は苦笑しつつ言うと、俺は清音と握手をした。


「わけわかんねーよ。何か言いたいことがあるなら、直接言えよ」


―――そうだね。そのためにも、いまはこの状況をなんとかしないとね。


 頷いた俺は、再びアルペジオを奏でた。


 また、人々の心が流れ込んでくる。


 先ほどとは打って変わって、希望や勇気などが伝わってくる。


 どうやら俺のやり方で間違いはなかったようで、俺は安堵した。


 ふと、何か異質な気配―――感情ともいえない様な、赤ん坊の様に未発達の意思を感じた。


 これは―――この怪物か?


 漠然たる予感で、俺は意識をそちらに向けた。


――――――。


 そうか。


 朧げながら俺はこの外宇宙の生物のことを理解した。


 空虚・孤独・生存本能。


 果てなき宇宙空間を彷徨さまようこの生命も、ただひたすらに己の本分を全うしているだけなのだ。


 この時俺は、この異形の生命体に対して既に敵愾てきがい心などを持っていなかった。


 地球人の都合で召喚され、都合が悪いと思ったら退治しようなんていうのは筋が違うのだから。


 俺は新たな『想い』を込めて曲を奏でた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ビルの屋上には二人の少女が佇んでおり、どこから聴こえてくる心強い音色に耳を傾けていた。


「ゲンの声だ……」


 三日月聖は、幼馴染の少年の歌声をあやまたずに聴き分けた。


「今もそうだけど、あいつの歌とかギターって何か元気が出てくるんだよね」


 ボソッと小声で呟かれたヒジリの言葉に、隣で耳をそばだてていた金髪の少女は答えた。


「彼―――ゲンキは本当の意味で魔術の才能があったのよ」


「?」


 小首を傾げて訝る聖を見て、レイラはくすりと笑って続ける。


「太古より《音》は人類だけでなく、あまねく生命に重要な役割を担っていたわ。意思の伝達に止まらず、索敵や異変の察知などのために。やがて人類が進化するにつれて太鼓や角笛などの原始的な楽器が創られて、警告や儀式などで気分を高揚させるために。人類最初の文明は《火》であるけれど、人類最初の文化は《音》だと私は思っているわ。そして《音》は昔から人々の生活に、親しみやすい魔術として根付いていたわ。貴女も使ったことがあるはずよ、ヒジリ?」


「え?いや、アタシ魔術なんて……」


「日本には『拍手かしわで』というものがあるでしょう?神社でお参りくらいはしたことがあるはずよ。拍手には魔除けの意味があるわ」


「へぇ、そうなんだ」


「そうよ。そういう意味では人類最初の魔術は『音楽』であるとも言えるかしら。それにね、あの女神ムーサは文芸や詩歌の女神でもあるの。アルクマーンやヘシオドス、キケローといった古代の詩人や文筆家たちによって、様々なムーサがムーサイ姉妹として描かれているわ。一人一人が、アオイデーやカリオペーやテレプシコーラなどという名前を持ち、それぞれが合唱や喜劇、舞踊や天文などの分野を司るわ。

つまり、ムーサやムーサイという言葉はいまでいうファミリーネームや種族名みたいなものね。

ところで、ムーサは英語圏や仏語圏ではミューズという名前で知られているのだけれど、このmuseミューズという言葉から、musicミュージック―――音楽という言葉が生まれたのよ。

そしてここからは私の勝手な想像なのだけれど、ミューズが創った魔法だから音楽になったんじゃないかしら。だからそう考えると、音楽に生まれたときから慣れ親しんでいるゲンキに女神ムーサが目をつけたのは、必然といえば必然ね」


 そしてレイラは体ごと聖の方を向いて続けた。


「もちろんキヨネもそうだし、ヒジリ、貴女もよ」


「ア、アタシも⁉︎」


「きっとね。貴女は楽器を作るビルダーでしょう?いま言ったようにムーサは音楽の神様なのだから、楽器を作ることに慣れ親しんでいる貴女にも女神が寄生したのも納得できるわ。あ、キースの魔術が効きにくかったのも、そのあたりに関係がありそうね」


「そ、そうなのかな……?」


 まさか自分に、そんな理由で白羽の矢が立てられていたとは露ほども思わなかった聖は、困惑するしかない。


「だから、大丈夫よ」


「え?」


「ミューズの加護を受けたヒジリが調整した神器ミカエルを、同じくミューズの加護を受けたゲンキが弾くのだもの。これ以上は考えられない組み合わせだわ」


「そっか……そうだよね!」


 レイラの理路整然とした励ましに、聖はすっと胸が軽くなった。


(この子、いい子かも)


 そんな風にも思い始めていた。だが、


「それに、私の祝福も授けたのだし」


「……」


 ニッコリと、それでいて挑発的に目を細めるレイラを見て、


(やっぱり、油断できない)


 そう固く誓う聖だった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 何だか妙なエネルギーを感じた為に、彼―――《変容の暴食》はその身の動きを止めてしまった。 


 本能がアラートを発令する。


 だが、危険という感じまではしない。どちらかと言えば、未知への警戒か。


 そういえば、あれだけ恐怖やその他のエネルギーを吸収したのに、ちっとも腹に溜まらない。それも妙だ。


 その妙な波動を発しているものは、《変容の暴食》のすぐ上方にいる。


 食べてしまおうか。


 いやしかし、迂闊に手を出してはまずい気がする。


 何しろ彼が出会ってきた中でも中々ないほどのエネルギーの質と量だ。


 複雑なエネルギーだ。彼にもし光学的な受容器官があれば七色に見えたかもしれないし、刻々と色が変化したように見えたかもしれない。


 彼が判断しあぐねていると、やにわに上方にいるエネルギーが彼に接触してきた。


 そして。


 彼は一億もの年月を生きてきて、初めて知性というものに目覚めた。正確には知性の種ともいうべき未発達の概念なのだが、それでも彼にとっては進化の兆しであった。


 彼が先ほどまで食していたエネルギー。その由来を知り、感情を知り、知性を知ったのだ。


 彼は満たされた。


 満腹にはならなかったが、自分の中の『何か』が満たされたのだ。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



―――もう、大丈夫みたい。


 動きが止まったままの怪物を見下ろしながら、清音が言った。


 同時に、怪物のすぐ傍に、例の《ゲート》と呼ばれる黒い板が地面からせり出してきた。


「そうか……」


 清音の言葉は、取りも直さずこの奇跡的な再会の終焉を意味していた。


―――ゲンちゃん、じゃあ私、行くね。


「ああ」


 名残惜しそうに言う清音に、俺はそう言うしかなかった。


 清音の輪郭が大小さまざまな光の粒子となって消えて行く。


 これでいいのか?


 いや、俺にはまだ伝えることがある。


「清音!俺は、お前がいなくなって悲しかった!お前がいなくなって気付かされた!俺は、お前が―――」


 俺の言葉はしかし、清音が光の泡にまみれて消え去ってしまったが為に、最後まで言い切ることが出来なかった。


 だが、消える前の清音が目を丸くした後、泣き笑いのような顔をしたのを見たとき、きちんと伝わっただろうと確信した。




〜To be continued〜

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