第29話 「 Maiden's blessing 」

 ゼノは死んだ。


 目の前で人の死に立ち会ったのは、俺にも少なくない衝撃をもたらした。


 だがこの未曾有の大惨劇の渦中にあっては、俺までいつまでも腑抜けていられない。


「さて、どうするか……」


 異形の破壊神は今なお街への破壊活動を継続中。


 ただ幸いなことに、触手攻撃自体は速いが攻撃から攻撃までのインターバルが長いようだ。


 目的は単純なのだ。ただあの異形の怪物を無力化すればいい。


 しかし、その手段が問題なのだ。


 ゼノ亡きいま、怪物のエネルギーを空にできる人間はいない。


 少なくとも、現在この付近には。


 俺以外にはな。


 もはやここまできたら、『やるかやらないか』ではなく『どのようにしてやるか』にしか焦点が当たらない。


 成功する確率は限りなく低い。


 もしかしたら死ぬかもしれない。


 だが、いずれにしても人は死ぬ。


 みっともなく生きながらえるよりも、早くても意義のある死の方が万倍もマシだ。


「それに、死ぬと決まったわけじゃないしな」


 ひとりごちた時、バラバラと空気を荒く切り裂くプロペラ音が聞こえた。


 音は次第に近付いてきて、やがてビルの真上でホバリングし出したが、ハッチが開き顔を覗かせた人物を見て、俺は今日何度目かになるか分からない驚愕に見舞われた。


「ジ、ジリィッ⁉︎」


 そこには俺の幼馴染、三日月聖の姿があった。


「おーい、大丈夫ー?」などと呑気に手を振っている。


「ど、どういうことだ?しかもあのヘリ、俺たちが乗ってきた機体やつじゃないのか?しかもアレって……」


 聖が手に持っているのは、純白のギター。アレは清音の形見だ。


「ジョーにヒジリを連れてきてもらったのよ」


 突然俺の背後から声が掛けられた。


 振り向いた先には、


「レイラ!大丈夫なのか?」


 目の周りを赤く腫らしながらも、落ち着いた様子でレイラが立っていた。


「ええ。何とか、ね。ゲンキ、心配かけてごめんなさい」


「あ、ああ。それよりも、なんでジリを連れてきたんだ?」


「先日、ヒジリのお宅にお邪魔した時、彼女に依頼したの。キヨネのギターが必要だから、急いでメンテナンスをして欲しいって。本音はダディとの戦いで、ゲンキに切り札として使ってもらおうかと思ったんだけれど……逆にこれはグッドタイミングかもね」


「なんで清音のギターを?」


「だってあのギターは―――あ、危ない!」


 レイラの警告に、俺は彼女の視線を追う。


 異形の肉鞭が、聖の乗ったヘリを襲ったのだ。


 パイロットのジョーは凄腕のようで、からくも直撃には至らなかった。だが、ヘリの底部をかすった為に、大きくバランスを崩した。


 結果、聖は中空に投げ出されてしまった。


「ジリィィィ!」


 ギターを抱えたまま抛物線を描き落下する聖を、俺はスローモーションで眺めた。


 あのまま落下すれば、聖は数百メートル先の地上に叩きつけられてしまう。


 そして俺は、考えるよりも先にギターを投げ出して宙に躍り出た。


 何が起きたか分からない、という顔の聖。


「ジリィ!手を伸ばせぇぇっ‼︎」


 弾かれたように俺に向けて手を伸ばす聖。


 俺はその手を捕まえようと、必死に手を伸ばす。


 もう少し、後1センチメートル。


 だがビル風で聖の体は揺れ、俺の右手は空を切る。


「くそっ!」


 諦めずに、今度は左手を伸ばす。


 俺の手が聖が抱えたままの清音のギターに触れた。


 刹那。


 清音のギターが緑に眩く輝いて俺と聖を包み込み、冥府へ引きり込まんとする重力の腕から解放された。


 呆気にとられたまま虚空に漂う俺と聖。


『何が起こったの?』


『判らん』


 俺は聖と、長年の付き合いで培ったアイコンタクトで意思を疎通させた後、ふと気付いた。


 俺たちの背後に、今まで感じたことはないが、しかしどこか懐かしさを感じさせる存在感があることに。


 振り向いた俺たちの先には、絶世の美女がいた。


 ゆるくウェーブのかかった長い髪。


 茫洋とした瞳には、悠久の深淵を感じさせる知性。


 決して人間には成し得ない美貌。


 きわめつけは、半透明の肢体と全身を覆う緑光の粒子。


 俺は彼女を見たことがある。


 昔、聖や清音と共に。


「女神……」


 呟いた俺の頭の中に、凛とした声が響いた。


『小さき子らよ。まずは礼を言います』


 日本語ではない。そもそも言葉というよりは、意思のようなものが直接流れ込んでくるようだ。


『そなた達には、かつて傷付いた私の一部をかくまってもらいました。私が感じたように、やはりそなた達には私を再構築するための素養がありました』


 なるほど。ということは、昔あの森で遭遇した時、彼女は何らかの事情で弱っていて、たまたま見つけた俺たち三人が都合良さそうだったから、彼女はバラバラになって俺たちの中に入り込んだ、という事か。


『そなた達にはそれぞれの素養に応じ、ここにはいない少女に私の半分を、そなた達にはさらに半分ずつの私を保護してもらいました。

本来ならば私は顕現できない筈でしたが、私の四半身を持ったそなた達が触れ合い、さらに私の加護で鍛えたその器……異界の力ある大樹に依る器を依り代とすることで、それが叶いました』


「よく判らないけど……そもそもあなたはその、一体……何なの?」


 聖が直球勝負に出た。


『人間は私を《ムーサ》と称する』


 女神ムーサ。歌や文芸の神様……だったか?


 確かに聞き憶えがある。


「ムーサ、あんたは俺たちを助けてくれたのか?」


『然り。そなた達の命尽きるとき、取りも直さず私の消滅を意味するが故に』


「そうか……だったらあんたに頼みがある。実は」


『皆まで言わずとも構いません。私にとってもあの者は、招かねざる客なのです』


 そう言ってムーサは彼方を見遣る。


 その視線の先には、異界の神がいた。


――――――――――――――――――――


「ゲンキッ‼︎」


 先ほどまで戦っていたビルの屋上に再び足を下ろすと、レイラが駆け寄ってきた。


「だ、大丈夫なの?」


「ああ、何とかな」


「一体何があったの⁉︎ というか、何の準備もなしに飛び降りるなんて、無茶にもほどがあるわよ!」 


 珍しくお冠のレイラ嬢。というか、彼女にこんな風にお小言を頂くのは初めてではないだろうか?


「まぁ、ヒジリも無事だったようだし……。それに、これは一体―――?」


 そしてレイラが見上げたのは、空にいるムーサだ。


 胡乱うろんげなレイラに、俺はことのあらましを説明する。


「そういうことなのね……。確かに彼女からは、かつてキヨネから感じていたものと同じ波長を感じるわ」


「え……そういうのも判るもんなのか?」


「私には《絶対音感》があってね、私の場合は音波だけでなく、霊感や魔力波も『音』として聴こえるの」


 よく解らんが、何か凄そうだ。


「そ、そうか。とにかく、俺はムーサの力を借りてあの怪物を退治しに行くぞ」


 俺の宣言を受けて、レイラは眉根を寄せる。


「でもゲンキ。貴方もう、体がボロボロよ?」


「まぁ、何とかなるさ」


 自分でもこんなに楽観的だったろうかと思うほど、あっさり言った。


 ひとつ溜息をついて、レイラは俺にさらに近寄る。


「わかったわ。私もついて行きたいところだけれど、多分、足手纏いにしかならないわね……だから私にしかできないことでフォローするわ。ゲンキ!」


「な、何だよ?」


 急に語気が強くなったレイラに、鼻白む俺。


 というか、少し俯いているが顔を赤らめているような気がするのは俺の気のせいだろうか。


「どうせなら、気力も体力も万全な状態で臨んだ方が良いと思わない?」


「あ……ああ」


 現在の俺は満身創痍で、身体の動きも頭の動きも鈍麻している。


 成功の確率を上げるならば、元気の方が良いに決まっている。


「魔法の薬かなんかあるのか?あるのなら、ぜひ欲しいな」


「そう……ならば私は指先を見て。何か見える?」


 そう言ってレイラは、自分の顔の前に人差し指を立てた。


「は?何かあるか?何も見えないけど」


「もっとよく顔を近づけて」


「んん?」


 ずいっと俺の指先まで近寄るが、何も見えない。


 それどころか、急にレイラの指先まで視界からスッと消えた。


 そして―――。


「んんっ⁉︎」


 俺の唇は、彼女の小さな唇に塞がれた。


「な、ななななななななに何なにをををを⁉︎」


 聖の慌てふためいた悲鳴をBGMにしながら、俺の頭は真っ白になっていた。


 たっぷり十秒ほど経過して、ようやくレイラは体を離した。


「お、おいレイラ……何をすろぶっ⁉︎」


 そしてなぜか聖のビンタをお見舞いされた俺。


「おま……ジリ!いきなり何するんだよ⁉︎」


「うるさい黙れロリペドギター小僧!あんたやっぱりそういう趣味が……」


 嚇怒かくど戦慄わななく聖の瞳の奥には『殺』の文字が見えた気がした。


 今日一番の殺意を浴びた俺は必死に弁明する。


「待て待て誤解だ!ていうか見てただろ⁉︎あれはレイラの方から……ていうか、レイラ、な、何であんな真似を……?」


 問うた俺に、レイラは顔を背けながら消え入りそうな声で言う。


「……私が使える数少ない魔術の一つ、『回復』よ。本来ならば非接触状態でも効果があるのだけれど、私が使うとその方法だと効果がないから……粘膜同士の接触で直接行使した方が効果が高いの。だ、だから体力も回復しているはずよ」


「そ、そういえば……」


 気付くと全身が痒い。よく見れば全身に出来た切り傷が、いつの間にか瘡蓋かさぶたになっている。それに鉛のような怠さも消えている。


 つまり〈全快−ビンタ一発=現状〉という事だ。


「そ、それに……」


「ん?」


「か、勘違いしないでよね!キスくらい、挨拶みたいなものよ!そんなに大騒ぎするほどのことではないわ!お、乙女の祝福と思って有り難がりなさい‼︎」


「お、おう……」


 言う割にはテンパっているからか、そこはかとなくキャラが違うようなレイラに、俺は頷く他なかった。


「じゃあ……行ってくるわ」


 若干の気まずさを拭い切れず、俺は告げた。


「……ゲン。何かこんな大変なことになっちゃったけどさ、無理はしないでよ。危なくなったらすぐに逃げなさいよ」


「おう。ジリ、このギター整備してくれたんだな」


「え? ああ……レイラが、このギターが勝負の行方を決める的なことを言ってたからさ。アタシの全身全霊込めてばっちりメンテしといたよ」


「そうか、サンキュー。ってかレイラ、このギターってもしかしてゼノのギターと……」


「ご明察。そのギターも神器の一つ。その名も《ミカエル》よ」


「やっぱりか……」


 何となくそんな気がしていた。


 ゼノの《ルシファー》を見たときの既視感は、間違いなくこの《ミカエル》に由来している。


 何と言ってもそのシルエットとデザインは、ルシファーのそれと酷似しているからだ。


 違いといえばボディカラーが白へ、メタルパーツがシルバーへ変わり、幾何学のライン薄く灰がかっていることくらいだろうか。


 さすが聖と言うことで、弦の太さもエクストラ・ライト・ゲージが張ってあり、ストラップの長さもピッタリと、俺仕様にしてくれている。幼馴染の面目躍如と言うところだ。


「資料によると《ミカエル》の神器としての特性は、『奏者によって音色が変化する』、『奏者の想いの強さによって魔術の強さが変化する』ということが判明しているわ。今のところね」


「「今のところ?」」


 レイラの引っかかる言い方に、二人揃って首を傾げる俺と聖。


「なんといっても前のオーナーがキヨネだもの。ミカエルの情報は彼女の使用感に基づいているわ。それにキヨネはいっていたわ。『ミカエルには、まだ不思議なところがある』って」


「そういうことか。まぁ何にせよ、俺はギターを弾くだけだ」


 俺は踵を返し、片手を挙げて言った。



〜To be continued〜

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