第26話 「 The insane sorcerer was born 」


 目の前で繰り広げられる魔術の激突―――いや、二人のギタリストの演奏を、レイラは瞬きもせず見続けた。


 暴挙に走る父と、それを阻止するために偶然の出会いから巻き込んでしまった少年が戦っている。


 父―――ゼノの演奏は圧聴の一言だった。


 天性の才と不断の努力の末に辿り着いた円熟の境地。それにもう一人の―――レイラにとっては異母妹にあたる―――娘への狂想によって、彼の演奏は、プロディーサーとして過去のスターやミュージシャンたちの名演を全て網羅したレイラにして、史上最高の名演を思わせた。


 今ゼノが操るギター《神器ルシファー》には、一流の魔術師にして百人分の魔力が横溢おういつしている。


 対して弦輝は素養があるといっても一週間前まで魔術とは縁遠い普通の学生だったのだ。


 付け焼き刃的な擬似召喚術でいまのゼノに立ち向かうのは、ナイアガラの瀑布に水鉄砲で挑むようなものだ。


 だから《暴風の人狼》による竜巻に《炎の巨人》の炎柱が押し負かされたとしても、むしろ一瞬たりとはいえ拮抗状態に持ち込んだことにレイラは瞠目した。


 そして弦輝のギタープレイ。


 ゼノの絶奏となまじ同じパートを弾いているだけに、普段ならば気付かないような粗が目立ってしまう。


 だが二人の傍で聞いていたレイラは、弦輝の演奏の方にどうしようもなく惹かれてしまう。


 彼のギターの音色には、技術の巧拙を超えた何かが宿っている。


 それは《想い》。


 そしてレイラは、不意に胸に熱いものがこみ上げてきて、涙として溢れてきた。


 弦輝はいま、レイラのために弾いている。


 それが不思議と確信できたからだ。


 異なる奏者が同じ旋律を奏でることを、同調シンクロという。


 この時弦輝はゼノと同じ旋律を弾いてはいたが、違うアプローチで自分の個性を揮うことで、同調しながら同調しないという器用な真似をしていた。


 だが一方で弦輝はレイラのためにギターを鳴らし、レイラは弦輝に応えたいと強く願っていた。


 二人の想いは交差し、二人の心と同調した。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 どうしてなのかは解らなかったが、何が起きたかは理解できた。


 そして、それが起死回生の好機を生み出す最後の希望だということも。


 擬似召喚術には《想像》という操舵輪と《感情》や《想念》といった燃料が不可欠らしい。


 俺は《SHOUT IN THE STORM !》のギターパートを弾きながら、どのような感情あるいは想念を抱いていただろうか?


 初めは多分、ゼノへの怒りだったと思う。


 自分の目的のためならば手段を問わない非道さや、その目的が自分の娘―――清音を復活させるためだけという独善にだけではなく、音楽で人を傷付け、俺の仲間を害したことに対しても。


 同時に、ゼノがレイラを省みていないことにも業腹だった。


 ゼノとレイラにどんな事情があるかは、他人である俺にはうかがい知れない。


 だが、二人の娘のうち清音にだけ固執しレイラを蔑ろにしているのを見たとき、俺は鉛を飲み込んだような感覚になった。


 レイラは『悪い魔法使いを止める』という大義名分を持ち出した。それは間違いないだろう。ただ俺は、そんなお題目よりも父に構ってもらえない娘の反抗心を感じた。


 だからゼノへの怒りの裏側には、レイラへの憐憫れんびんや同情あるいは胸が締め付けられるような、そんな不思議な感情があった。


 まだ十六年と少ししか生きていない俺だが、ぶん殴ってでもゼノにそのことを気づかせないと、取り返しのつかない事になりそうな事くらいは解る。


 だが、今の俺にはギターを弾くことしか出来ない。


 俺の全てを込めて指を動かした。ありったけの技術と思いを振り絞って。


 その結果、《炎の巨人》は半分以上吹き飛ばされた。


 にも拘らず、俺は弾き続ける。


 左手の感覚は麻痺。


 右手は激しいストロークで血が滲む。


 全身はフイードバックにより吹き飛びそうに痛み、轟音に晒された聴覚は遠くなっていく。


 それなのに、俺は弾き続ける。


 視界いっぱいに黄昏の空が映ったとき、ああ、倒れているんだな、とどこか醒めた頭で認識した。


 そんな俺の意識に、聞き覚えのある少女の声が響いた。


―――ゲンキ、ありがとう。


 その声は意識に残響をおいて心臓を通じて全身を巡り、両手を介してギターに、俺の音楽に活力を与えた。


 どんな現象なのかわからないが、レイラの声は俺の脚を踏ん張らせ、スカスカの燃料タンクに、イタチの最後っ屁を放り出す供給をくれたのは間違いない。


「ぶっ飛ばしてやれぇぇぇぇ!」


 渾身の気合いと共に、《炎の巨人》は、辛うじて残った両腕から火焔球は今まで通りゼノの傍らの地面を抉り、右手の火焔球は狙いを過たずゼノに直撃した。


 やはりというか、《暴風の人狼》は難なく火焔球を弾き飛ばした。


 だが、これで―――。


「はっ!その根性は大したもんだが、残念だっ……」


 ビィッン!


 ビルの屋上に響いたのは、張力のくびきから解き放たれた、ギターの弦が空を切る音だった。


「……なっ⁉︎」


 愕然としたゼノが目を向けたのは、一弦から三絃までが無残にも切断された《神器ルシファー》だった。


 これで―――狙い通りの結果にもなった。


 実力差が天と地ほどもあるゼノに対し、真っ向勝負をしても勝ち目はないのは判り切っていた。


 だからこそ、レイラから《神器ルシファー》が頑強な造りをしていると聞いたとき、そこに付け入る隙があると考えた。


 そこで俺―――《炎の巨人》が火焔球で地面を抉りコンクリートの破片をゼノに向けた。


 娘の事以外どうでも良いとうそぶくゼノの事だ。神器のことも使い勝手の良い道具くらいにしか思っていないのだろう。予想に違わず、ゼノは神器を盾代りにつぶてを退けた。


 確かに神器は並の楽器よりもはるかに堅牢のようだ。


 だが、神器に張られている弦は?


 弦は消耗品だ。その耐久性には限度があるし、ただでさえ凄まじい張力が掛かっているのだ。


 あわれ市販のギター弦は、度重なるコンクリート片の餌食となったのだ。


 いかな神器とはいえ、ギターはギター。


 弦が無ければただの木片だ。


「…………っ‼︎」


 時間停止からようやく再起動を果たしたゼノだが、もう遅い。


 俺は正真正銘、最後の力を振り絞り、ギターソロを弾き切った。


 ごうっと唸りを上げる炎。


 炎の籠手はその色を黄金に輝かせ、炎の剣を作り出した。


 大上段から、黄金の焔剣はゼノを斬りつけた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 俺の脳裏に、一人の男の過去が流れ込んでくる。


 男は物心ついた時には既に孤りだった。


 孤児院で親の愛を知らずに育ち、手の付けられない悪童となった。


 体が大きくなれば自然と街のならず者たちとつるみ出した。


 そんな時、音楽ヘヴィメタルと出会った。


 破壊と破滅を尊ぶその暴力的な音と世界に魅了された男は、街で拾ったギターを片手にのめりこんだ。


 教会音楽で養われた音感と歌唱力、そしてそのカリスマ性であれよと言う間にスターダムにのし上がった。


 同時期、彼はまたも人生を変える世界と出会った。


 魔術。


 きっかけは、男が育った孤児院を兼ねた教会から古書店に売り捌いて小遣いにしようかと持ちだした、古びた一冊の本だった。


 それは古代の魔術を記した魔導書だった。


 男はその魔導書が本物だと見抜き、研究に没頭した。


 その価値ある本を巡ってやって来た魔術師たちを退け、あるいは協力することで着実に魔術師として成長していった。


 かくて、男は表と裏、二つの世界で地位と名声を手に入れた。


 そんな男にすり寄ってくるものは引きも切らなかったが、特に媚態びたいを隠そうともしない女達はウンザリするほど多かった。


 うまく遊んでいたつもりだったが、そのうち取り巻きの女の一人が身篭った。


 生まれた女の子は愛くるしかったが、彼には父親という実感が湧かなかった。娘が成長するに付けそれは顕著になっていった。なまじ自分に両親という存在がいなかった為に、娘にどう接すれば良いかわからなくなり、ついには『俺はこの娘の父親に相応しく無いんじゃないか?』という結論に至ってしまった。


 次第に男は家庭を顧みることが少なくなっていった。


 しばらくして男にもう一人、娘が出来た。


 前の娘とは母親は別だった。


 いわば不貞の行いの結果なのだが、それはひとえに第二子の母となった女への愛ゆえだった。


 日本での人気が高まるに比例して、日本でのプロモーション活動も増えていった。


 女はその時のマネージャーの一人だったが、女ははじめ、世界的なアーティストであるゼノを知らなかった。


 それどころか自分の担当するアーティストに微塵も興味がなさそうだった。


 逆にゼノはそんな女に惹かれ、口説き落とした末に子が産まれた。


 だが、女は妊娠と同時にゼノの前から姿を消していた。


 つまりゼノはこの時はまだ娘の存在を知らなかったのだ。


 知ったのは十五年も経ってからだ。


 この頃にはゼノは、長女とも歪な形ながらも交流をしていた。


 長女は演奏の才能には恵まれなかったが、音楽的なセンスは非凡なものを持っていたので、音楽プロデューサーとして教育した。


 また、魔術に関しても欠陥があったが、精霊と交信でき、召喚術にも光るものがあった為、男の出来得る限りの教育を施した。


 行方不明だった日本の愛人から連絡が届いたのは二年ほど前だった。


―――あなたの娘を留学させます。


 留学は建前で、真の目的は父親に合わせることだったのではないか。


 ともあれ、成長した末娘は母親の面影を色濃く残し、美しく成長していた。


 レイラの母は既に他界していたので、父親ゼノと長女レイラ、次女清音のギクシャクした父娘三人の生活が始まった。


 生活してみて判明したのは、キヨネの凄まじいまでのギターの才能だった。


 近い将来、父ゼノを超えるであろうギターの技巧と表現力、女神の力を宿すことで超一流の魔術師に比肩し得る魔力。


 レイラも才能ある娘だが、ゼノとは違う。そういう意味では清音は、まさしくゼノの後継に相応しい娘だった。


 レイラが可愛くなかったわけではない。ただ、清音に自分を投影してしまっていただけなのだ。


 光陰矢の如しで、一年という清音の留学期間が終了してしまった。


 愛娘を手放すのは惜しかったが、清音にも日本での生活があるし、卒業すれば呼び寄せればいい。何なら自分が日本に移住するのも一興だ。


 そう思ったのが間違いだった。


 一年後、清音に会いに訪日したゼノは、目の前で愛娘が交通事故に巻き込まれるという悪夢に見舞われてしまった。


 即死は免れたものの、一刻の猶予もない。病院に搬送していては間に合わないし、さりとてゼノ自身に治癒、回復の魔術は使えない。


 ゼノは生まれて初めて悲嘆に暮れた。絶望に慟哭した。


―――誰でもいい、娘を助けてくれ!


―――その為なら、俺は何でもする!


 辺りを憚ることなく懇願するゼノ。だが、切望虚しく血塗れの清音のか細い体は、みるみる冷たくなっていく。


―――誰かっ‼︎


 それは様々な魔術を見てきたゼノを以ってして、奇跡と断ずることができる現象だった。


 周囲の光景がモノクロに染まり、一切の音が消え、目に映る森羅万象の動きが停止した。


時間が止まった?


 一つだけ確かなことは、ここまで世界の事象を改変しえる魔術は存在しない。―――少なくとも人間の身では。


 つまりこれは人ならざる存在の所業だ。


 気づくと清音の体がライムグリーンの光に包まれていた。


 そしてゼノの頭上に、先ほどまでは感じなかった圧倒的な存在感があった。


 ゆっくり天を仰ぐ。


 空中には《女神》がいた。


 おそらく、この生存本能が雄叫びを上げるほどに強大な力を持った存在こそが、清音の内部に存在した《女神》なのだろう。


 ゼノの頭に《女神》の意思が流れ込んでくる。


『今この時点より世界は分岐します。一つはこの少女がこのまま命を落とす世界。そしてもう一つは、このまま時間が止まった世界。この《停止世界》で私は、この少女を回復させます。この少女は今まで私の半身である私を身に宿し、私の危機を救ったことに私は報いましょう。

ただし、停止した世界を再び動かす力はもう私には残っていません。故に、この少女を生かしたくば《停止世界》からもう一つの並行世界へ、誰かがこの少女を移さねばなりません。そのためには、私ではない私の半身の私を蘇らせ、その力を用いるか、相応の力が必要です』


 要約すると、このような事だった。


 ゼノは誓う。


「オレはやるぞ。どんな手段を用いてでも、清音を蘇らせる」


 ここに狂気の帝王が誕生した。


◆◇◆◇◆◇


 俺の頬を、熱い涙が止め処なく溢れていた。


 理由は判らない。もしかしたらこれは俺の涙ではないのかもしれない。


 黄金の焔剣を通じて流れてきたのは、ゼノという男の半生。そして父としての苦悩。


 何が間違っていたとか、


 こうすれば良かったとか、


『ゼノ』を追体験した今の俺には、彼の人生の何かを断罪することは出来ない。


 ただ、彼に伝えなければならないことはある。


「ゼノ。あんたは十分頑張ったよ。でもやっぱり、やり方が間違っていた。それじゃ誰も幸せになんかなれない。あんたもだ。だから……あとは俺に任せてくれ」


「…………」


 ゼノは何も言わない。


 そのサングラスの奥は、どんな瞳で俺を見ているのだろうか。


「あんたの娘は、俺が幸せにしてやる。清音だけじゃない、レイラもだ!俺はあんたに憧れた、ただのギター小僧だ。まだ頼りないのは分かっている。でも、それがどうした?少なくとも俺は清音を笑顔にする方法をあんたよりは百倍多く知ってるし、レイラは知り合ったばかりだしちょっとぶっ飛んだ事はしでかすが、まぁ相性は悪くないと思ってるし、これからもっと仲良くなれると思う。だからさ――」


 最後の『想像』を爆発させ、


「―――もう、ゆっくり休んでくれよ」


 ゼノの首筋に食い込んだままの、黄金の焔剣を振り下ろした。




〜To be continued〜

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