第22話 「 from a totally different world 」

 太陽が没しかけ、空のキャンバスには青から茜のグラデーションを壮大に描かれている。


 美しくも切なくなる光景だ。だからだろうか、この時間帯を、この日本という国では『逢魔が時』というらしい。


 今から始まる、一世一代のステージに相応しい時間じゃないかと男は思った。


 日本でも有数の大きさを誇るスタジアム。そのすぐ隣の高層ビルの屋上に、吹き荒ぶビル風に長髪とコートの裾をはためかせながら一人の男がいた。


 黒いギター、そしてワイヤレス・システムで接続されたHUGHESヒュース & KETTNERケトナーのアンプ、TRIAMP 3 だけがある。そして彼の手には一台のスマートフォンが握られている。


 今日はミュージック・ビデオ撮りで、このビルは最後のロケ地である。ヘリで空から撮影するという手はずになっているので、スタッフは全て下がらせてある。だが、そんなことはゼノにとって些事に過ぎない。


 この一年間、今日のために生きてきた。


 ゼノは屋上の縁に立ち、眼下を睥睨する。


 この国が、この街が、娘に過酷な運命を背負わせた。この街が娘の未来を奪った。


 これはリベンジだ。娘に代わって鉄槌を下すのだ。


「もうすぐだ……待っててくれ、清音」


 ゼノは手にしていたスマホを操作し、一つのアプリを立ち上げる。


 このアプリこそ、今回の作戦の肝。これが無ければもっと大掛かりになり、作戦の期間は大幅に長くなっていただろう。


  十数年前。アナログである真空管アンプの音をデジタルで再現できると知った時は驚いたものだが。


 それから人類の技術は着実に且つ勢いよく進化し続け、デジタルの再現性は高まり多様性は広がった。


 そして現在では手の平サイズの板切れほどの機械があれば、何トラックも多重録音でき、アンプの種類も三桁以上から選べるようになった。


 やがてデジタル技術の恩恵は、閉鎖的な魔術の世界にも及んだ。


 このアプリはその最たるものだ。


 古来より召喚魔術は強力であるが実践に向かないとされてきた。その理由は至極単純で手間と時間がかかるからである。


 複雑極まりない術式を行使しながら魔力を注ぎ続け、それが数時間、ことによると何日にも渡るのである。生半な事ではない。一度手順をしくじれば水の泡。気を抜いて手が止まってしまうと、複雑ゆえに再び繋ぐにはかなりの技術を要する。


 とどのつまり、不安定なのだ。


 しかしこのアプリは術式を数字の羅列で再現した。画期的だ。術者はアプリを一時停止したとしても、アプリを再生すればあたかも音楽プレイヤーで音源を再生するかの如く、一寸も乱れる事なく正確に継続することができる。


 これを開発したのはゼノの協力者の一人だが、ゼノはどんな仕組みになっているのか知らない。


 知る必要はない。


 ゼノはエンジニアではなくプレイヤーなのだ。


―――さぁ、始めよう。


 ゼノはアプリのスタートボタンを押すと、足元に放り投げた。


 ローポジションでAのパワーコードを応現し、右手をアップストロークで振り上げる。


 ゼノが立つビルから一キロメートル離れたビル街。雑踏にまみれた街中を歩くビジネスパーソン達の耳にもはっきりと届いた。


―――なにこれ、ギター?


―――いったい何処から?


 人々は周囲を探るが、それらしき姿は見えない。


 まぁ、どこか近くでストリートミュージシャンが弾いてるんだろう。人々はそう結論づけたが、この異常さに気付いた者はいない。


 ゼノは魔術によりアンプから出力される音の指向性を、あたかも広げた傘を雨が滑り落ちるが如く全方位の放射状に変え、さらに空気中を通るときの減衰率を限りなく下げたのだ。


 それにより、本来は聞こえるはずのない場所まで音が届いているのだ。


 そして―――。

 

 このギターの音には、もう一つ魔術を施してある。

 

 音響魔法『ソウル・ドレイン』。

 

 人々の耳に届いたこの魔術音は、音波信号から鼓膜を介して生体信号となり、脳を駆け抜ける。


肉体的には中枢神経を刺激し、精神的には集合無意識にある『影』と呼ばれる要素を刺激する。


『影』は全人類の精神体の内にあり、本性に直結するものである。


 この影が膨れ上がると、ある者は攻撃的になり、ある者は涙に濡れる。そしてその増大した精神エネルギー『リビドー』はソウル・ドレインにより魔力に変換され術者―――ゼノから呪術ラインを通ってアプリへと流れ込む。


 アプリの無骨なインターフェイスに表示されているカウント・バー。その数字が0を示したとき、それは起こった。


「なんだぁ、アレぁ?」


 最初に目撃したのは、軽トラから配達する積荷を降ろしていた酒屋の従業員だった。


 遠目に見えるスタジアムの屋上に屋根を突き破るように巨大な黒い長方形の物体が現われたのだ。


 やがて黒い物体は、黒い靄を大量に吐き出した。


 もやの流出を終えると、黒い長方形の板はドームの中に埋没していった。


 その頃には他の通行人達もこの怪奇現象に気付き、中にはスマホで動画撮影している者もいた。


 靄はドームの屋上に留まっていたが、次第に濃密になり、背景を覆い尽くすほどの分厚い黒雲になっていた。


「キャァァァァァ‼︎ なにアレぇっ⁉︎」


 目撃者の一人が悲鳴を上げた。


 黒く禍々しい雲は何の前触れもなく、雨後の濁流のごとき勢いでおぞましき肉塊を吐き出したのだ。


 その量、実にドームを覆い隠すほど。


 醜悪なフィーバーを終えた黒雲は、黒鉛のような質感を持つ物体へと凝固した。


 この時点で、街のあちこちで車のクラクションの音が鳴り響いた。


 異様な光景に目を奪われたが為に事故が続出したのだ。


 雑踏にざわめきが混じる。


 ずるり。


 触手のように長い肉感のひと束が、鎌首をもたげた。


「うおぉぉ。凄ぇ。あんなデカい肉ぐぶぇっ―――」


 動画を撮影していた金髪の青年の言葉は最後まで言えなかった。肉の触手につぶされたが為に。


 惨劇が始まった。



 ゼノはその様子を満足げに眺めていた。


 彼が呼び出した存在は、肉の触手を何本も振り回し、人を潰し、車を弾き飛ばし、ビルを破片に変えていた。


 ギターはもう弾いていない。ゲートを呼び出した時点で、召喚魔術は完了したからである。


 上空から、大気を細く叩く轟音が聞こえてきた。


 ヘリが複数機、高空を旋回していた。警察と報道である。自衛隊機は出動していないようだが、時間の問題だろう。


 ゼノは口の端を吊り上げ、怪物の頂点に視線を向けた。


 そこには琥珀色をした半球状の物体が埋まっていた。


 そしてその奥に滲むように、何かの影が見える。目を凝らせばそれは、人間の少女のシルエットのように見えた。


―――――――――――――――――――


 突如現われた異形の怪物。


 それは地球から九億光年ほど離れた宇宙を漂っていたエネルギー生命体だった。


 彼らにはおよそ知性と呼べるような者は存在しない。本能のみだ。


 そんな彼にも名と呼べるものがあった。もちろん彼が名乗っているわけではなく、彼の存在を知った別の知性生命体が観察と研究の為につけたものだ。


 その概念を日本語に変換すれば『変容の暴食』となる。


 由来はその特異な性質にある。『変容の暴食』は宇宙空間を移動する為、エネルギー体である。惑星が発する電磁波などを吸収して存在を永らえさせるが、他の生命体に遭遇すれば彼らの体内にある何らかのエネルギーも吸収できる。


 当然ながら惑星ごとに環境は激変するし、生命体もそれぞれ違う構造をしている。ゆえに億の年月を生きる内に対処できるようになった。


 即ち、その特異な性質こそが『変容』である。


その星、その次元それぞれの環境に即時適応し、自らの構造を変える。


エネルギーを摂取しやすいように。


 そしてついさっき、『変容の暴食』たる彼に、不思議なアクセスがあった。


 本能しか持ち得なかったが、そのコンタクトは、彼を狩場へと誘う概念だということは感じ取った。


 空間を渡るトンネルをくぐると、惑星自体が放つエネルギーとは別のエネルギーが満ち溢れていた。


 多種多様なエネルギーがあったが、彼の本能は即座に最も変換効率の高いエネルギーと、その引き出し方を感じ取っていた。


  即ち、『恐怖』とそれを喚起する『異形の怪物』。


  かくて外宇宙からの来訪者は、嬉々として食事を始めたのだった。


 しかし、地球に向かう途中で余計な存在をくっつけられたことと、それが彼が吸収するはずのエネルギーを掠め取っていることには気付かなかった。


〜To be continued〜

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