第20話 「 That’s just your wishful thinking 」

 鈴木の家を辞去し聖と別れた後、俺はL.D.Gのオフィスへと向かった。


 というのも、急にレイラから呼び出しをくらったからだが、話なら先刻ファミレスで話せばよかったじゃないかと釈然としないものを抱えていた。


 だが逆に、聖には聞かせたくなかったか、はたまた火急の事態が発生したのかとも思い、足早に向かった。


 果たしてL.D.Gのオフィスで俺を待っていたのは、全く予期せぬ、しかも強烈な出会いだった。


「やぁ、初めまして。君がレイラのパートナーか、少年?」


 L.D.Gのオフィス。その一室で俺に声を掛けてきたのは、ウェーブのかかった長い黒髪をオールバックにした一人の男だった。


 レザーパンツに包まれた長く細い脚を無造作に投げ出し、ふんぞり返るような態度で革張りのソファに浅く腰掛けている。だが横柄な姿勢とは裏腹にその声には不快な感じはなく、気安さやある種の親しみやすさがあった。


 レイバンのサングラスで目元が隠れているが、堀の深い顔立ちは明らかに日本人のそれではない。


 俺はこの男とは初対面だ。だが俺はこの男を知っている。


 ギタリストを標榜ひょうぼうするもので、この男を知らないものはモグリとすら言える。


 しかも俺は先ほど、この男が関わる話を聞いてきたばかりではないか。


 ゼノ。


 いわば、事件の元凶。


 しかし、なぜ今ここに?


「ごめんなさいゲンキ。とつぜん呼び出したりして……」


 言葉もなく立ち尽くす俺に声を掛けたのは、悄然と謝罪するレイラだった。


「おいレイラ……こ、これ、どういう事だよ!」


「落ち着いて、ゲンキ。気持ちはわかるけれど」


「悪いね少年。レイラに言って呼びつけさせたのは、オレだよ。少し君に話があってね」


「話……俺に?」


 身体中に緊張が走る。


 現状、ゼノに対する評価は悪いものしかない。


 一流の魔術師にしてC.E.P事件の主犯者。ことによると、昨夜のキースの件もこの男が一枚噛んでいる可能性がある。


 まさかレイラも、実は共謀者なのだろうか。そうすると俺は、嵌められてノコノコ罠に飛び込んだことになる。


「何の……用だ?」


 警戒感を滲ませ、俺は声を絞り出した。


 緊張で口内がみるみる乾いていく。


 一週間前の、こんな事件に巻き込まれる前の俺だったら、別の意味で緊張していただろう。


 何しろ目の前にいるのは世界的なギタリストであり、一斉を風靡ふうびしたスターなのだ。


 俺の一介のギター小僧の嗜みとして、あらゆるギタリスト、ロックバンドのナンバーをコピーした。無論、ゼノの曲も数多く。


 彼のプレイスタイルや機材のセッティング、イクイップメントなど、参考になることは沢山ある。


 そんな憧れだった存在に対して敵対せねばならない身の上に悲しくなり、世の儚さを嘆きたくなった。


「うん。なに、簡単な話だ。手を引いてくれ」


 何を、とは言わなかった。言わずとも判るだろうと、ニヤリと吊り上がった口角が物語っている。


 だが、俺の答えは決まっている。


「断る」


 ヒュウ、と口笛を吹くゼノ。


「即答だな。いちおう理由を聞いてもいいか?」


「あんたは危険だ。俺の友達は先日C.E.Pのライブに行って、悲惨な体験をした」


「そうか」と呟き、ゼノはリラックスしていた体勢から一転、深く腰掛けて身を乗り出した。


 表情も心なしか真剣なものになった。


「それは悪いことをしたな。だが少年、オレは何も大量虐殺をしようなんて思っちゃいないぜ」


「だがC.E.Pのライブでは暴動が起こり、何人も病院に運ばれた。それに昨日はあんたの昨日はあんたの仲間が俺の学校で暴れ、危うく俺も殺されかけた」


「キースか。その話は聞いたよ。もともとオレは今日、キースの身柄を返してもらいに来たんだが、すげなくこの子に断られてね」


 そう言ってゼノは、先ほどから心持ち目を伏せたままのレイラを見遣る。


 なるほど。これでレイラに嵌められた可能性は薄れた。


「ただまぁ、昨日の件はキースの独断専行だ。信じられないかもしれないが、オレは関与していない。キースは自分の研究のために暴走することがままあってね。困った奴だよ」


 オレが言うのもなんだけどな、とゼノは肩をすくめた。


 まったくだよ。


「俺はな、少年。オレのステージを観た人たちから、少しずつエネルギーを拝借しているだけなんだ。あくまでオレの演奏で、人々の普段は抑圧された『影』を解放しているだけ。憧れのステージで感極まって失神なんて、よくある話だろう?例えばM.Jとかな」


 ゼノは偉大なPOPスターの名を出した。


 ステージの奈落から飛び出し、その後微動だにせずにステージに立つ彼の姿を見ただけで気絶するファンが続出したというのは、音楽界の伝説の一つだ。


 だがゼノのやっていることは、それとは異なる性質のものだ。同じ次元で語るべきではない。


 俺はそう述べた。


「そうか。ただな、少年。性質というならハードコアやメタルのステージでは、程度の差こそあれ似たことはあちこちで、それこそ世界中で起こっている。それに日本でもビジュアル系とかいうんだったか?そういうバンドのステージでもファナティックなオーディエンス、主にティーンの少女のようだが、あざや傷を作ることも珍しくないと聞くな。それらと俺のステージと、どう違うんだ?」


「だが、それは……悪いことじゃないのか?」


 言いながら、俺は語気が鈍化するのを感じていた。


 ゼノの全く悪びれない泰然とした態度に、自信が揺らぎ始めていたのだ。


 そんな俺に、ゼノは気迫を増して畳み掛けた。


「悪い? おいおい少年、事をいうなよ。音楽に『善』も『悪』もないだろう」


「……っ!」


 反論できない俺を蔑むでもなく、ゼノは俺を無言で眺めていた。


 やがレイラの方を向いて言った。


「なぁレイラ。キースの件、やっぱりダメか?」


 対してレイラは、


「お断りといったはずよ。ねぇゼノ、馬鹿な真似は止めてちょうだい。お願いよ」


 いつもの余裕が感じられない平坦な声色で言った。


「無くしたと思った宝物が見つかったんだ。手を伸ばさない道理はないだろう?」


 そしてゼノはやおら立ち上がると、出入り口に向かって歩き出した。


 扉の前で立ちっぱなしの俺を一瞥もせずに通り過ぎるゼノの背に、俺は声を掛けた。


「あんた、天野清音って女の子を知ってるか?」


 途端に、背後のゼノの気迫が膨れ上がった。


「貴様、なぜその名を知っている?」


 怒気をはらんだゼノの声。それに臆する事なく俺は答える。


「清音は大切な友達なんでね。あんたの目的ってなんなんだ?」


「それを教える必要はないな。オレの前に立ち塞がるつもりなら、覚悟しておけよ。邪魔なものは全て薙ぎ倒していくぞ」


――――――――――――――――――――


「ふぃ〜……」


 ゼノが出て言ったドアに凭れ掛かり、俺は溜め息を吐きながらズルズルと座り込んでいく。


「大丈夫?」


 珍しく労わるような優しい声で、レイラが俺の顔を覗き込む。


「ああ、ちょっと緊張したけどな。―――よっと」


 反動をつけて体のバネで立ち上がった俺は、反転してドアノブを掴んだ。


「帰るの?」


「ああ。もう用は済んだみたいだしな」


 清音がどう関係しているのかとか、レイラとゼノの関係とか、訊きたいこと訊かねばならない事は山ほどあるが、今はそんな気分になれない。


「そう……ごめんなさい」


 悄然として項垂れるレイラに手を振り、廊下へ出る。


「ゲンキ。ゼノは四日後に、彼のミュージック・ビデオの撮影予定が入っているわ。間違いなくそこで仕掛けるつもりよ」


 レイラの言葉を背中で聞き、一つ頷くとドアを閉めた。



◆◇◆◇◆◇ 



 茜色の陽が教室を見事に染め上げ、俺はその眩しさに目を奪われた。


 教室には1組の男女。俺と―――。


「ねぇゲンちゃん。ちゃんと聞いてる?」


「あ……悪い。清音、なんだっけ?」


 もう、と頰を膨らませて半眼で俺を睨む少女。


 長く艶やかな黒髪。日本人でありながらクッキリとした顔立ち。


 天野清音。


「もういいよ」


 プイッと俺に背を向ける清音。


「ごめんって。ええと、留学の話だったよな。まぁ俺は清音が無事に帰ってきてくれただけで嬉しいよ」


 清音の頭を撫でる。これは清音の機嫌を直すスイッチ。


「……ずるいなぁ」


「ん?」


「なんでもない。まぁそうだね。大変だったよ」


 はぁ、と一つため息を吐く清音。


 普段は弱音を吐かない清音だけに、かなり沈鬱になっているといえる。


「何があったんだ?」


「色々、かな。でも共通していることはあるよ」


「なんだよ、それ」


「みんな救いを求めてるってことかな。大人も子供も、男の人も女の人も、肌の色とか生まれとか関係なく苦しんでいる。悩んで迷ってるの」


 俺は清音は髪の滑らかさを感じながら、続きを促す。


「でもね、導く人がいないの。本当の意味で救いを与えられる人が。政治家とかお役人さんとか、みんな見て見ぬ振りだし、酷い時なんか自分の利益しか考えてないし。……もちろん全部の人がそうとは言わないけど、そういうシステムになっちゃてるんだよね」


 俺はまじまじと清音の顔を見てしまった。


「なぁに?」


「いや、凄いなって思って。俺、そんなこと全然考えたことなかった。なんていうか政治家とか役人とかさ、みんな困ってる人を助けるもんだと思っていたからさ。なんか清音、大人になったなぁ」


「やめてよ」と、はにかんだ清音はスタスタと扉の前まで歩いていき、ドアノブに手をかける。


 開いた扉の先には、白い壁の広い部屋。


 清潔感のあるカーテンはそよ風になびき、広い窓の外には、陽を浴びて輝く新緑と果てなき空があった。


 この病室にはベッドが一床だけ。そのベッドの主は、入院着のままギターを爪弾いていた。


「ねー、きよ姉ちゃん。もっと弾いて〜」


 清音のベッドの周りには、長期入院で退屈を持て余している子供達の姿があり、いずれの瞳も輝いていた。


「ねぇゲンちゃん。誰かの為に演奏できるって良いよね。少なくとも私はいま、この子たちを楽しませてあげられてるよね」


 そう言って清音は、誰でも耳にしたことのある子供向けアニメの曲を弾き始めた。


 再び窓に目を向けると辺りはすっかり夜の闇で、空には爛々と月が輝いていた。




 ピピピ、ピピピ。




 アラームの音で目覚める。


 やっぱ、夢だよな。


「なぁ清音。お前はどんな思いで弾いてたんだ?」


 俺の呟きに答えるのは、かまびすしい雀の鳴き声だけだった。




〜To be continued〜

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