第19話 「 She need healing 」



 閑静な住宅街。


 夕刻に近づいてきたからか、下校途中の小学生の姿がちらほら見える。


『二級河川』という看板が掲げられた川。幅もそこそこ広く、対岸に渡された橋も百メートル置きに設置されている。


 しかしコンクリートで覆われ、ほとんど氷が流れていないこの川は、果たして川と入れるのだろうか。


 そんな川とは名ばかりの用水路の縁を、俺と聖は歩いていた。


 ファミレスを出てから三十分ほど歩いているが、お互い会話らしい会話はしていない。


 まだ俺も聖も、先刻のレイラの話の衝撃から立ち直れていなかった。


 とはいえ、いつまでも黙っているわけにもいかない。折しも十メートルほど先に自動販売機があったので、コーラと聖の分のお茶を買った。


 聖はありがと、と受け取るとプルタブを開け、一気に煽った。


 俺たちは自販機の横で足を止めていた。


 ふうっと一息ついた聖は努めて明るく言う。


「さっきの話さ、驚いたね」


「……ああ、驚いたな」


 天野清音。


 俺と聖の幼馴染であり、かけがえのない友人だった。


 事故で早逝したとしても、心の棚に仕舞うのは早すぎる。


 だからこそ、レイラの口から聞いたときは信じられなかった。


―――――――――――――――――――


「おい、なんで……清音のことを知ってるんだ?」


 ファミレスでレイラが清音の名を出した後、ようやく俺は問うた。


 勿体付けているのか、はたまたどう答えるべきか思案しているのか、レイラはしばらく両の瞼を閉じた後、紅茶を一口飲んだ。


「私がキヨネに会ったのは四年ほど前。彼女は私の家にホームステイしていたの」


 四年前。確かに中学一年の時に清音は海外留学していた。


「キヨネは天才的なギタープレイヤーだった。私は初め遺伝的な作用かと思っていたけれど、それだけではなかった。私は彼女に尋ねたわ。どうしてそんなにファンタスティックなプレイが出来るの?って。彼女はこう答えたわ。私は女神の欠片を持っているの、と」


「女神?」


「ええ、そう、当然私はどういうこと?って詳しく尋ねたわ。するとキヨネは話してくれたの。小さな頃に森で女神と出会い、そしてその一部がキヨネに入り込んだということを」


「……」


 俺も、そして聖も黙るより他なかった。


 清音のそんな話は初耳だった。聖もそうなのだろう。


「私と出会った時、彼女はすでに覚醒していたわ」


「ちょ、ちょっと待って! 覚醒? 清音ちゃんが⁉︎ な、なな、何に?」


「魔術師としての自分に、よ」


 しれっとした顔で、ことも無げにいうレイラ。おそらくわざとだろう。


 しかしレイラの気遣い虚しく、俺と聖は再度、思いがけない事実がもたらす衝撃に翻弄されていた。


「本来、魔術は『術』とあるから、確たる理論、手法というメソッドがあり、それを学ぶことにより誰でも行使することは可能よ。けれどキヨネは違った。理論ではなく直感で、修練ではなくエッセンスを掴み取ることで一流の魔術師になっていったわ。まさに女神の加護よ。彼女はその類稀なる力により、様々な活躍を見せたわ。けれど、強すぎる力には相応の代償があった……」


 俺はすでにレイラが何を言っているのか予想できた。


「清音は留学から帰ってきたくらいから、以前と比べて明らかに病弱になって行った。それのことか?」


「その通りよ。女神の力に、キヨネの身体が耐えられなくなっていったの。軽自動車にスーパーカーのエンジンを載せるようなものだわ」


 聖は「う〜」と唸りながら自分のこめかみをぐりぐりしている。そろそろ聖のメモリは埋まりつつあるようだ。


 レイラもそれに気づいたようで、ふっと軽く息を吐き、紅茶のカップに口をつけた。


「今日はこれくらいにしましょうか。あまり詰め込み過ぎても体に悪いわ。いまの話で私もちょっと調べたいことができたし、仕切り直しをしましょう」


 そういうとレイラは伝票を持って立ち上がった。


 俺たちの分は払うといったのだが「昨日のお礼と巻き込んだお詫びの一環よ」といって譲らなかった。


 立ち去る時に「あ」といったん立ち止まった時、黄金色のポニーテールがふわっと揺れた。


 そして俺は嫌なデジャヴを感じた。


 果たしてレイラはいつぞやのファストフード店とは違う種類の、しかしそれ以上の威力の爆弾を落としていった。


「『敵』の目的は女神の降臨。つまり―――キヨネの復活よ」


 俺も聖も、それ以上追求する気力を失っていた。


――――――――――――――――――――――


「あれってどういう意味なのかな?」


 聖は橋の欄干に身を乗り出しながら呟いた。


「さぁな」


「ねぇゲン。アタシさ、あの子……レイラに協力したくなってきた。真剣に」


 どうして、とは聞かなかった。


 清音のことであることは間違いない。


 まさか魔術師たちの争いという胡乱極まりない状況において、清音の名が出てきたのは思いがけない事だった。


 しかし、それにより俺のスタンスも変わりつつあった。


「そうだな。さ、そろそろ行こうぜ。もうすぐなんだろ?」


 俺と聖は缶を空き缶入れに押し込み、再び目的地に向かった。


―――――――――――――――――――


 五分後。


 聖のスマホの地図アプリが示す地点には、一軒の住宅があった。


 大理石の表札には金色の『SUZUKI』の文字。


 インターホンを押して出てきたのは、鈴木ましろの母親と思しき女性だった。


 鈴木の部屋にはまず聖が入った。


 俺も一緒に入ろうとしたのだが、聖に三白眼で睨まれ「ゲンはそこで待ってて!」と小さな声で怒鳴られてしまったのだ。


 部屋の外で待機していると、中から聖と鈴木の話し声が聞こえてきた。が、壁越しのため内容までは判らない。


「ゲン、入ってもいいって」


 許可が出たので俺も入室する。


 よく考えたら、聖と清音以外の女子の部屋に入るのは初めてだ。気恥ずかしくなってきたが、そんな場合ではないと気を引き締める。


「鈴木、元気か?」


「うん、なんとかね。不夜城くん、ありがとね。お見舞いに来てくれて」


 本人の言葉とは裏腹に、鈴木の様子は傍目には憐憫を誘うものだ。


 青い隈にこけた頬。数日でここまでという程のやつれ方に、俺は訪問したことを早くも悔いていた。


 本当ならば鈴木は、俺にいまの姿を見られたくなかったのかもしれない。


 パジャマではなくブラウスとキュロットスカートということは、わざわざ着替えたのだろう。


「ごめんね、鈴木ちゃん。急にゲンも連れてきちゃって。これでもこいつ、一応男だからさ、何かの役には立つかもって思って……あ、話し難いこととかはもちろん後でアタシにだけにだけ話してくれてもいいし」


「うん」


「それで鈴木、C.E.Pのライブで何があったんだ?」


「ゲンっ⁉︎ ちょっ、このばかっ」


 ストレートすぎるデリカシーのない俺の質問に聖は慌てながら、かつ小声で俺を罵った。

でもあまり長居もできないしなぁ。単刀直入に訊くしかないよな。


「ううん、いいよ三日月さん。じゃあ話すね、不夜城くん」


 そしてポツポツと鈴木は語ってくれた。あの夜の事を。


 概ね聖にメールで送った内容と同じ内容だった。


 だがライブハウスから逃げ出すくだりから、鈴木の様子が目に見えておかしくなり始めた。


「わ、私、ヒロキを……ヒロキを置いてきちゃっ……あ、ぁぁぁぁぁああ」


 眼は焦点を結ばず、頭を抱えて震えだした。


 俺は自分を殴りたくなった。


 精神科医でもカウンセラーでもない俺が、浅はかな気持ちで触れて良い問題ではなかったのだ。


 ヒロキとは、鈴木の彼氏の名前だろう。


 鈴木はライブでの恐怖と併せて、彼氏を阿鼻叫喚の地獄に置き去りにしてしまった罪悪感と慚愧の念に苛まれていたのだ。


「だ、大丈夫だよ、鈴木ちゃん。大丈夫だから!」


 なんとか鈴木を落ち着かせようと、聖は鈴木を両腕で包み込んだ。


 しかし鈴木の恐慌は一向に収まらなかった。


 俺までパニックになってしまっては目も当てられない。しかし、どうすればいい?


 途方に暮れかけていた時、ふと俺の目に止まるものがあった。


 スマホを接続できるスピーカーだ。


 俺のスマホにも対応した機種で、俺はそれを見てある事を閃いた。


 スピーカーに俺のスマホをbluetooth 接続し、プレイリストから目的の曲を再生する。


「ぁあああ……あ?」


 スピーカーから残響感たっぷりのサウンドが流れると同時に、鈴木の震えがピタリと治まった。


 静謐な森林の奥深く、あるいは壮麗な湖畔にいるような錯覚を起こしそうな音。


 アイルランド出身の女性アーティストで、ヒーリング・ミュージックの代名詞であるエンヤの『only time 』という曲だ。


 相変わらず焦点は合わず呆然としているが、聖は鈴木がある程度の静まりを見せた事を見て取り、改めて、しかし一層強い力を込めて彼女を抱きしめた。


「大丈夫。大丈夫だよ」


 子供をあやすように鈴木の背中を優しく撫でる聖。


 それが引き金になったのか、鈴木の両眼から熱い雫が止め処なく溢れてくる。


「ぅ……うわぁぁぁぁぁ」


 再び大声を上げ、今度は泣き出した鈴木。しかし俺は逆に安堵した。


 そしてこの涙とともに嫌な記憶も流れ去ってしまえばいいと思った。


 同時に、鈴木を―――俺の友人をこんな酷な目に合わせた奴に対し、怒りで拳を握りしめていた。



〜To be continued〜

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