第17話 「 Keith Reaves (3)」
「ふむ……素晴らしい。実に素晴らしいよ」
スティックを脇に挟み、感銘を受けたと言った様子でキースが拍手をしていた。
こいつの存在を忘れていた。
皮肉を言っているのかと思ったが、俺の演奏中に仕掛けてこなかったことから、本当に感心していたらしい。
「擬似召喚魔術か。珍しい魔術だな。つい見入ってしまったよ。しかしあの魔術は精密さと同時に持続力が必要だ。そんな高度な魔術を極東の学生が行使するとは……」
そこでキースは顎鬚を撫でながら考え込む素振りを見せた。
どうやらこのドラマーは思索に耽るタイプらしい。
「なるほど、その坊やは動力源にして奏者。そして魔術としての型を造っているのはレイラ、というわけか。ギターは……そうか、坊やの
「さすがね。ご明察よ」
少しの思考で結論を導き出したキースに、澄まし顔で答えるレイラ。
「二人で一人の魔術師というわけか。面白い。同じ『音』を媒介にした魔術でも我々とは随分と趣が異なるな」
そうなのか? 俺はレイラに視線で問いかけた。
レイラは俺に一つ頷くと、簡単に説明した。
「キースは魔術を自分の演奏を呪文の代わりとして発動させるの。魔力は通常、術者のものを使うのだけれど、今回はそこの二人のそれを使ったの。この『音響魔術』のメリットはバリエーションが豊富なことよ」
「その通りだ。例えばこんな風にな」
両手に持った黒のスティックを自身の左手前で連打するキース。
スネアの連打音に叩かれて、世界が事象を変化させる。
キースの周囲の空間の温度が徐々に下がり、中空に無数の氷柱が浮かび上がる。
「レイラ、俺の後ろへ!」
傍目にもあれがやばいモノだと判る。レイラは俺が言い終わる前に、俺の背後に回った。聖は先刻からずっと俺を盾にしているので問題ない。
ふわふわと空中を上下していた無数の氷柱がピタリと静止した。
獣が獲物に飛びかかる前の予備動作。
俺はすかさずギターを掻き鳴らした。
籠手が素早く俺たちを
氷槍が俺たちに向けて発射された。その勢いは豪雨のごとく、一片たりとも容赦は感じられない。
いくら大きいとはいえ、籠手は俺の体と同じくらいだろう。
もしかしたらこの物量、総ては防ぎきれないかもしれない。
弱気になってはいけない。多分『想像』とは『こうあるべきだ』という想念なのだろう。出来ない、無理だと思ったら、可も不可になってしまう。
生命の危機を感じた時、人は脳のクロック数が上がって時間が引き伸ばされたように、一瞬が何秒にも感じるというが、俺も瞬きのうちにそこまで考えていた。
ローポジションでAメジャーのコードを押さえる。なんとなく『防衛』のイメージに相応しい気がしたからだ。
果たして手甲は青白い炎を吹き上げ、炎は籠手を中心に炎の壁を築き上げた。
氷柱の集中砲火は、炎の壁に阻まれ
「ふむ……。まさかこれほどとは。正直驚かされたよ。ここでは少し地の利が悪いようだ」
苦笑気味にそう言うと、キースは左手で持ったスティックで左前方の虚空を叩いた。
シャアァァァァァァァン。
クラッシュ・シンバルの音だと思った瞬間、太陽の如く眩い閃光が弾けた、俺たちは目が潰れないように、瞼だけではなく両手を使って目を守った。
「くっ……あ、あれ? キースはどこに行った?」
閃光が収まった時、キースの姿は消えていた。
「……逃げた……の?」
聖はポカンと疑問を口に出した。その声には『助かったの?』という、幾ばくかの安堵が含まれていた。
「失望させるようで申し訳ないけれど、どうやら逃走ではないみたいよ。一旦外に出ただけみたい。今は校門の所に陣取っているようね」
「はぁ? 何であんたにそんな事わかるわけ?」
レイラの答えに食ってかかる聖。聖にしては珍しいことに、何故か喧嘩腰だ。
「それは説明している時間は無いわ。ゲンキ、これはチャンスよ。いまのうちに凍結された人達を助けましょう」
「あ、ああ。けど、どうやって?」
「当然、これよ」
レイラはサムズアップした指を籠手に向ける。
そこには、まだ己の役目はあるとばかりに手甲が宙に浮かんで待機していた。
改めて見ても、まるで現実感がない。しかし、だからこそその圧倒的な存在感が際立ってしまう。
「ゲ、ゲン。こ、これ……何?」
目を丸くする聖。そりゃそうだ。宙に浮いた巨大な手甲だものな。
「悪いジリ、それもまた後で説明する」
とにかく今は、一刻も早く氷漬けにされた生徒達を何とかしなければ。
俺は心を落ち着かせ、ギターを構える。
氷を溶かすイメージ。
「ゲンキ。ビバルディは知っている?」
俺を導くかのよう、レイラが古典の作曲家の名を挙げた。
俺はなるほどと頷くと、アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディの代表曲『春』を弾いた。
本来はヴァイオリンなどの擦弦楽器でのアンサンブル曲なので、エレキギター一本ではうら寂しい。
そこでリバーブ、ディレイなどの空間系エフェクターを音に織り込み、さらに中音域を上げることで温かみのある音にした。
ギターの音に呼応するかのように鋼鉄の籠手が五指を開き掌を天に向けると、微細に振動した。そしてガッと力強い音を立て再び拳を握ると、緑色の炎が唸りを上げて廊下全体に広がった。
「きゃあっ⁉︎」
「……っ‼︎」
聖は悲鳴を上げ、レイラも声こそ上げなかったが、その瞳は驚愕に満ちていた。
やはりと言うか、俺たちにはこの炎は無害のようだ。
緑炎が校舎全体を包み込む。
曲の主題が終わったところで、レイラが軽く手を挙げてストップをかけた。
「もういいわ、ゲンキ。どうやら全員無事に元に戻ったみたい。気は失っているみたいだけれど」
目を閉じ耳を澄ませながら報告するレイラ。精霊っていうのは便利だな。
「さて、これからどうする?」
俺の安堵からか籠手が薄っすらと消えたのを見つつ、俺はレイラに訊いた。
「このまま家に帰れるのがベストなのだけれど、すんなり帰してはもらえないでしょうね。なお悪いことに、キースはいま大規模な魔術を構築しているみたいね」
「時間がないってことか……」
キースが何をしようとしているのかは不明だが、少なくとも俺たちにとって害を為すことだろうとは想像に難くない。すぐに辞めさせないといけない。
「作戦を練る暇はないわ。その子も連れて行きましょう。キースが何を仕掛けているかわからないもの。目に見えるところにいてくれた方が逆にリスクヘッジになるわ」
――――――――――――――――――――
「ふむ。存外に早かったなレイラ。それに、パートナーの坊や」
展開についていけていない聖の手を引いて校門前にたどり着いた俺とレイラを待ち受けていたのは、当然ながらキースだった。
「……っ‼︎」
絶句するとは、正にこの事だろう。
俺たちの目の前には今までで最大の異様な光景が広がっていたからだ。
キースは確かに校門の前にいた。だが声は十メートルほど上空から聞こえてきた。
風船のごとく浮遊しているわけではなく、かと言ってキースが巨大化しているわけでもない。単純に彼は十メートルほどの足場に立っているだけだ。
ただその足場が巨大な蛇だった。
白く艶かしく光る鱗は、照明を反射して妖しく輝き、爬虫類独特の縦長の瞳は明らかに俺たちをロックオンしていた。
頭部だけでも大型のワゴンくらいはあるだろう。そこから伸びる胴回りは大人五人が手をつないで輪を作るほどに太い。とぐろを巻いているので全長が何メートルになるのかは計り知れないが、この胴体で軽く一巻きされただけでも、樫の木など脆く折れてしまうだろう。
チロチロと口から覗く舌が、青白い鱗と相俟って血のように赤く見えた。
「……驚いたわ。まさかこんな短時間で召喚魔術を発動させるなんて」
どうやらレイラは、俺と聖とは別の理由で言葉を失っていたようだ。
「人は成長するものだよ、レイラ。人類は創意工夫を繰り返して繁栄し、様々な道具を生み出してきた。文明の利器とは素晴らしいものだ」
言葉とは裏腹にどこか憂いを滲ませた表情で、キースはコートのポケットから小型の端末を取り出す。
「あれは……スマートフォン?」
「いまや魔術もデジラルの時代だよ。とはいえ、利点が生かせるのは今のところ召喚魔術だけだが」
小馬鹿にしたようにスマホをひらひらと振り、キースは再びスマホをポケットに仕舞った。
「時に坊や、取引をしないか?」
「んぁ?」
まさかここで俺に、しかもキースから話を振られようとは予想していなかった為、間抜けな声を出してしまった。
「理由はわからないが、どうやら君はレイラを手伝っているだけだろう?どうだ、俺たちと組まないか?金ならば倍は出そう。それに俺たちと組めば、世界中の
「キース、馬鹿なことを言わないで。ゲンキ、話を聞いてはダメよ」
レイラが割り込んでくるが、それには構わずキースは勧誘を続ける。
「何より君の才能は魅力的だ。魔術の素養もあるし、ギターのテクニック、トーンはとてもティーンエイジャーとは思えない。どうだろう、悪い条件ではないと思うが」
大仰に両腕を広げ、芝居じみた仕草で語るキース。
だが俺はどんなに良い条件を提示されても乗るつもりは無い。
何故なら―――
「何あいつ。アタシのことは無理やり
そうだ。聖や学校のみんなに危害を加えた人間なのだから。自称プロディーサーで魔法使いのレイラも胡散臭さではどっこいだが、危険度ではキースの方が格段に上だ。
何より俺はキースを許せなかった。
こいつはここで何としても止めなければ、禍を広げることになるだろう。。
「あんた、分かりやすい悪役だな。悪いけど、今時の高校生は、悪ぶって格好つける奴は少ないんだ」
上空にいるキースを睨めつけ、遠回しに断る。
「ふむ。まぁ仕方ないか」
話は終わりとばかりにキースはスネアを連打させた。
俺の視界の端で、何かが動いた。
白蛇の尾だ。
巨大な鞭、いや巨木がしなって迫ってきたと思った。
「危ない!」
俺とレイラは全く反応できなかったが、すんでのところで聖が俺とレイラの襟首を掴んで弾き倒した。
俺のスニーカーのつま先十センチ先の地面を、白蛇の尾が打ち据えた。
学園のメインストリート。そのコンクリートが窪み、小さくはないクレーターを作った。
もし当たっていれば、全身骨折。即死は免れないだろう。
尾は往路とは打って変わり、ずるずると勿体振るように戻っていく。
またやるつもりだ。直感的に俺は確信した。
回避するために立ち上がらなければならない。
だが、情けないことに俺の身体は恐怖ですくみ上がり、微動だにすることができなかった。
白蛇が尾を振り上げる。
もう終わりだ。
が、鱗の白とは別の白が俺の視界を遮った。
無垢な純白のワンピース。
レイラが俺と聖をかばうように立っていた。
多分、俺たちを巻き込んだ責任を感じているんだろう。まだ知り合って間もないが、この金髪の少女は狡さや無邪気な面を持っているが、その仮面の下に誠実さを持っていることは解った。
それに比べ、俺は何をしているんだろう。
このままレイラを盾にしたままでいのか?
断じて違う。
それは自分より華奢な少女に庇ってもらう情けなさとか、女の子は男が守らなければならないとかのヒロイズムでもなく、レイラの誠実さに答えなければ、という思いだ。
経過はどうあれ、協力することを了解したのは俺だし、レイラは俺を危険には巻き込まない方針だった。
ならば俺は答えなければならない。
俺の指は口に含ませ死を待つためにあるのではなく、ギターを弾くためにあるものだ。
倒れたままネックを振り、指で直接弦を鳴らす。
途端に爆音が響き、再び鋼鉄の籠手が顕現する。
紅い炎を巻き上げ、籠手は白蛇の尾を危なげなく弾いた。
コンクリを凹ませるほど凶暴な力を受けたにもかかわらず、籠手には疵ひとつ付かなかった。
白蛇は鼻白んだようにチロチロと二股の舌を出し入れすると、さながら駄々っ子のように間、髪を入れず尾での鞭打を繰り返した。
激しくはあるが、尾はアタックポイントを変えず単調に打っているのが幸いした。まだ俺はこの籠手を細かくコントロールしたことがないから、ちょこまかと動かれると対処できないのだ。
籠手はそのままの位置で停止し、尾打を弾き続けている。
俺はロング・サスティーン―――音を引き延ばすこと―――したまま立ち上がり、レイラと聖の無事を確認した。
「二人とも、とりあえずここから離れろ! 蛇とキースは俺が引きつけるから」
ひとまず蛇のリーチ圏外に避難してもらおうと俺は声を張り上げたが、
「逃しはせんよ」
キースが手の動きを変えて言った。
今まで両手でスネアを叩いていたが、右手でフロア・タムを叩き八分音符を刻み続け、二拍目と四拍目に左手でスネアを叩く。
重厚的でプリミティブなビートに陶酔するように頭を軽く揺らした白蛇は、顎が外れんばかりに―――いや、蛇の骨格上、本当に顎を外し口を開けた。
ゴクリ。鋭い牙に俺は生唾を飲み込んだ。
喰われる―――と身構えたがそうはならず、変わりに白蛇は口からキラキラと煌めくものを勢いよく吹き出した。
「吹雪⁉︎」
猛烈な風圧に吹き飛ばされそうになるが、何とか堪える。
「ちょっ……またぁっ⁉︎」
聖の悲鳴。おそらく職員室前と同じことが起きているはずだ。
振り返ると、やはり聖は膝まで、レイラに至っては腰まで氷漬けになっていた。
「くそっ!何でだ。防御のイメージをしたのに」
「多分だけれど、あの手甲は物理的な攻撃と魔術的な攻撃、同時に防げないのかも……」
下半身が氷塊の中だというのに、状況を分析するレイラの声。冷静極まりないな。
だが平気な訳ではないということは、唇を軽く噛んだその表情から伺えた。
籠手の炎のことに関しては、レイラの指摘通りかもしれない。
今まで概ね俺の意思通り動いていた手甲は、先刻までと変わらず大蛇の尾を受け続けているばかりで、ブリザードに関しては対処できていなかった。俺が念じたにも関わらず。
この氷結現象は籠手の炎で溶かせるはずだ。しかし、レイラの予想通りだとすると、籠手は尾の打撃を防げないのかもしれない。
このままではジリ貧だ。
「どうすれば……。弾き方の問題なのか?」
呻く俺にレイラが首を傾げる。
「いいえ、そういう問題では―――」と言いさしてハッとする。何かを閃いた様子で「いえ、もしかしたらある意味その通りかも」と前言を翻した。
「このっこのっ‼︎」とコンクリートの破片で己の足に絡みつく氷を懸命に打ち砕こうと奮闘する聖に向かって、初めてレイラから話しかけた。
「ねぇ貴女。ジリ……だったかしら?」
「このっ‼︎ ……え、なに?」
いきなり話しかけられ聖は目を丸くする。
「貴女、ゲンキのこと……好き?」
「はぁっ⁉︎」
突然の問いかけに、目が飛び出るんじゃないかってくらい驚いた聖。
レイラこいつ、いきなり何を言い出した。 俺も「はぁっ⁉︎」だわ。
「え、は、あ、え…ええ、なな、何を……」
聖はわたわたとテンパって、振り上げて途中で制止したままのコンクリート片を取り落とした。
「そ、そりゃ好きか嫌いかでいえば嫌いじゃなけどでもそれは幼馴染ってやつだしそれに」
「あ、言葉が足りなかったわ。ゲンキの演奏は好き? ってこと」
「……あー、そーゆーことね。……まぁ、好きだけど」
しどろもどろにゴニョゴニョと何事かを呟いていた聖は、レイラの訂正に決まりが悪そうに言った後、そっぽを向いた。
「という訳でゲンキ」
「な、何だ?」
俺はというと大蛇という目の前の脅威にほとんどの神経を向けていた。
「プレイヤーは大別して二種類の人がいるわ。一つは自分のために弾く人。もう一つは、誰かのために弾く人。貴方はどっち?」
冷や水を浴びせられた―――いや、頰を張られたような気がした。
それはとても大事なことだ。
確かに自らの技術向上にしか興味なかったり、この曲が弾きたいからという理由で延々と部屋やスタジオで弾き続ける人がいる。
俺はそれを否定しないし、できない。楽器は文字通り楽しむためのもので、楽しむ理由や方法は人それぞれだからだ。
ただ、俺はすでにオーディエンスが聞いてくれていることに、誰かのために弾くことに意義や楽しみを見出していた。
俺はそれを、今はもういないもう一人の幼馴染に教わっていたのだ。
何故、いまこのタイミングでレイラが俺に質したのかはわからない。だが、有難いことには変わらない。
何もせずに死ぬくらいならば、ギターを弾きながら死にたい。
そして弾くならば、誰かのために弾きたい。
―――ゲンちゃん。ロックスターになってね。
懐かしい少女の声が、俺の中で再生される。
そうだ。俺という星は単体では輝けない。
籠手への集中はそのままに、俺は一つ深呼吸した。
ギターのトーンはギュンギュンに歪ませるのではなく、クリーントーンに少しだけ歪みをかけてジャキッとしたクランチ・サウンド。
BマイナーでコードはⅠ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅶ。つまりこの場合はBm、D、G、Aのコードを基本に組み立て、アルペジオで鳴らす。
G、A、Bmという、オーソドックスだが味わい深く叙情的なコード進行。
そして……。
「ゲンが、歌ってる……」
アルペジオの響きに、俺はハミングを乗せる。
和音をギターで、メロディーを声で奏でる。
久しぶりに歌うが、喉の調子は悪くない。
「この歌声は……」
レイラが呆然と呟く声に誘われたかのように、変化が起きた。
「チッ! やらせん」
表情から余裕が消え失せたキースはその変化を危険と見做したのか、三度ドラミングを変えてきた。
「これで終わりぐわぁっ⁉︎」
しかし終了の宣告は最後まで言い切ることが出来なかった。
何故なら陽炎のごとく空間を歪ませて顕れた籠手の右手に、強かに白蛇の頭が殴り飛ばされたからだ。当然、大蛇の頭上にいたキースもタダでは済まなかった。ただ振り落とされるのは危うく回避したらしく、大蛇の胴にしがみついていた。
「何……あれ」
聖が見つめる先。白蛇と俺たちの間の虚空が波打つように歪み、その歪みは徐々に強くなり、やがて人の形を成していく。
二等辺三角形に両眼の孔だけ空いた鋼鉄の面。鼻や口などのパーツはなく、眼だけがあるのっぺらぼうの様だ。
肩、胸、スカート状に腰、脚、そして籠手。それ以外は炎に包まれた―――いや、炎そのものが鎧を当てているような巨人。
俺は直感で悟った。こいつは籠手の本当の姿。
俺だけの『情熱』では籠手ひとつ顕現させるだけだったが、おそらく聖とレイラ、二人の情熱や感情のようなものが俺の演奏を通して『擬似召喚魔術』に組み込まれたのだ。
頭を殴られた白蛇は、ジロリと炎の巨人をひと睨みすると、一層大きく尾を振り上げて振るった。
風切り音というにはあまりにも太い音。
今までで最大の威力であろうその一撃を、しかし炎の巨人は左手で難なく受け止めた。
尾が封じられたことに憤りを感じたのか、白蛇は「シャーッ」と唸って口から吹雪を吐き出す。
先刻は防げなかったが、今は大丈夫だと俺は確信していた。
ドミナント・コードからトニック・コードへポジションを変える。
俺は巨人の右手で防御のイメージを想起し、巨人は右手の五指を広げを蒼炎の楯を創って塞いだ。
そしてすかさず反撃に出る。
巨人は右足を砲弾のように勢いよく放ち、白蛇の頭部を蹴り飛ばした。
「おおっ⁉︎」
キースが悲鳴を上げ、とうとう白蛇の頭上から滑り落ちる。
彼にとっては不幸中の幸いにして、そのとき白蛇は六メートルほどまで頭を下げていたが、それでもその高さから人体がコンクリートに叩きつけられた音というのは聞いていて気持ち良いものではない。
キースはそのまま気絶したようで、ピクリとも動かなかった。まさか死んではいないだろうな。
あとは、あの白蛇をどうするか。
大蛇の方も突如顕れて自分を殴る蹴るした炎の巨人を警戒しているようで、微動だにせずに炎の巨人を睨んでいる。
膠着状態を破ったのは俺でもなく、ましてや白蛇でもなかった。
地響きと共に揺れる地面。電車の中くらいの振動だった。足元がおぼつかなくなる程だ。
「な、なんだ⁉︎」
「落ち着いて、大丈夫。『ゲート』よ」
もうこれ以上の異変は勘弁してくれという思いの俺に、レイラが言った。
ゲート? とおれが聞き返すよりも早く、白蛇の背後に巨大な石版が徐に地面から生えてきた」
高さ五メートル、幅が三メートルほどの黒鉛のような質感の、なんの飾りもない、板としか表現しようのない物体だった。
石版には表面を波立たせ、さらにその表面が瞬く間に伸びて大蛇に張り付くと、さながら引き伸ばされたゴムが元に戻るが如く、蛇ともども表面に引き込んだ。
蛇を呑み込んだマットな光沢の物体は出てきたときと同じ真っ平らな板状に形状が戻り、再び地響きを伴って地面に埋まっていった。
「……」
俺たちの目の前に残ったのは、雄々しく佇む炎の巨人と伸びたキースだった。
「ひとまずピンチは脱したわ。さぁゲンキ、もしよければこの無粋な氷を融かしてもらえる?」
呆気に取られていた俺と聖は、レイラの言葉で我に帰ったのだった。
〜To be continued〜
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