第16話 「 Keith Reaves (2)」
バッグを背負うのももどかしくタクシーを降りた俺―――不夜城弦輝とレイラは、
「持ってゲンキ。なんだか私、嫌な気配を感じるわ」
そう言ってレイラは、急に立ち止まり俺を呼び止める。その瞳は校舎全体を眺めているようにも、校舎を通り過ぎて、どこか空の彼方を見ているようでもあった。
「どうしたんだ?」
尋ねつつも、俺も普段の校舎とは違う異様な空気を感じていた。それは俺が普段夜闇に晒されている校舎を見ることがほとんどないから、ではないはずだ。
レイラは俺への返答の代わりにまたもや不思議な文言を唱えた。
ふわりと空気が動いた気がした。
目を閉じ、耳をそばだてるレイラ。
「そう……グールが二人。無事な女の子が一人。あとは……そう、残念だわ。そして……『
レイラが何かを呟いている。誰かと……会話をしている?
訝しむ俺に、レイラが話しかける。
「ゲンキ。精霊たちに教えてもらって今の状況が大体掴めたわ。夜だからちょっと時間がかかったけれど。緊急事態ってことで、眠っていた精霊たちも協力してもらえることになったわ」
「そうか。それで、どうなってるんだ?」
未だ『精霊』という文言に慣れない俺だったが、ここはレイラを信用するしかない。
そしてレイラは、現在校舎が一人の魔法使いと手下二人によって、校舎に残っていた生徒と教師が一人を除いて氷漬けされていること、そして残りの一人が逃げ回っていることを俺に告げた。
「ゲンキ」
「なんだ?」
神妙な顔つきで俺と向き合うレイラ。
「今やこの学校は、あなたの常識が通用しない魔の戦場になっている。私は確かに協力をお願いしたし、断れないような口実も作った。けれど、それはあくまで『調査』のためであり、『戦闘』は含めていない。あくまで貴方は一般人だもの。だから、決めて。私と共に戦場に足を踏み入れるかどうかを」
憂いを帯びた瞳。見た目十三歳くらいの少女にはおよそ似つかわしくない眼差しだ。
先ほどの呟きから察するに、校舎内は相当に悲惨な状況になっているのだろう。
しかしそこには聖が―――俺の友達がいるのだ。もしかしたらもう手遅れかもしれない。だが―――。
「レイラ。君になら俺の友達を―――いや、学校のみんなを救える手立てがあるんだろ?」
「ええ。貴方の助けがあれば―――だけれどね」
お互い
「それで俺は何をすればいいんだ?」
遠回しな俺の了解に、レイラは目を細めて微笑んだ。
「貴方はギタープレイヤーでしょう? だったら答えは一つ。ギターを弾くのよ。という訳でゲンキ、今すぐギターを持って。臨戦態勢よ‼︎」
俺は言われるままにギターだけ肩から提げ、レイラと共に昇降口へと急いだ。
「精霊たちが言うには、女の子が一人逃げ続けているそうよ。そして今、一階で追い詰められているみたい。急ぎましょう―――と言いたいところだけれど、これは……」
昇降口の扉は閉ざされ、何故か凍りついて動かない。
「『氷結結界』の魔術。しかもこの学校の校舎全体を覆うほどの範囲と持続時間。……これはかなりの大物かも……」
レイラは自分の言葉が弱気と思ったのか、振り払うようにポニーテールが左右に揺れた。
「どうやら全ての出入り口が閉ざされていると思った方がいいわね。ゲンキ、早速貴方の出番よ」
「え?」
思ったよりも早いご指名に返答に窮する俺だったが、レイラは気にすることなく俺に指示する。
「私と初めて会った衝撃的な夜を思い出して。あの時と同じよ。貴方はただ『想像』してギターを弾いてくれるだけでいいわ。精霊たちにはもう協力をお願いしているわ。ただし―――」
人差し指を口元に当てるジェスチャーをするレイラ。
「まだ誰にも気づかれたくないの。だから、元気が想像する音も、最小限でお願い」
俺は我知らず、ゴクリと生唾を飲み込んでいた。
レイラと初めて会った夜。
あの時は無我夢中でただ弾いていただけだ。身体中が熱くなり、ただ指の命ずるがままに。
だからこうやって改めて『想像』白と言われると随分と難題な気がしてきた。
言うまでもないことだが、エレキギター単体だけでは音は出ない。
実際には弦が振動し、ギターのボディも震わせているのだから鳴るには鳴る。しかしアコースティックギター(主に胴の中心に孔が空いた、瓢箪型のギター)とは違い、その素音の音量は人が喋る声に埋もれるほど小さい。
だからアンプリファイア(増幅器)とスピーカーが必要なのだ
エレキギターを弾く時はギターをシールドケーブルでアンプにつなぎ、電源のスイッチをオンにする。
アンプには音量、音色、特殊効果に関するツマミが並んでいる。プレイヤーがそのツマミを操作して『音』を決める。基本的に自分好みの音、つまり各ツマミのセッティングは決まっているので、初めからそこに合わせてそこから音量を徐々に上げて行くのだ。
そこまで考えた時、俺はハッとした。
そう。もうすでに決まっているのだ。俺の中にある。
俺はいつも通りの手順を思い出す。
脳裡に思い浮かべたアンプのツマミを、いつも通りの位置に合わせる。ただし音量のツマミは0。
そこで俺は、ギターの一弦を鳴らした。当然、ピーンという素音しかならない。
そこから徐々に音量のツマミを回して行く。少しずつ。慎重に。
……ィィィイ……ン。
「そのくらいでいいわ」
『想像』の中のボリューム・ノブが南南西の方向から南西の方向に行くか行かないかのところ―――1に行くか行かないか―――のところでレイラがストップをかけた。
「やっぱり貴方、センスあるわね」
なんのセンスだろうか? 俺の疑問は果たして解消されなかった。レイラが次の指示を題したためだ。
「じゃあ次は、障碍を打ち破る。そんなイメージを持って弾いてちょうだい」
俺といえば、イメージ通りの音がアンプもなく出せた事に感動したのだが、レイラの言葉に顔を顰めた。
「漠然としすぎだろ。せめて何の曲とかないのか」
「この間は、あくまでイメージしやすいようにどちらかといえば攻撃的な曲を要求しただけよ。例外はあるけれど、曲によって術の効果が定義されている訳ではないわ」
つまり、同じ曲を弾いたとしても必ず同じ現象が起きるとは限らないということか。
「これから私が常に一緒にいられるという可能性は、絶対ではないわ。だから今のうちから慣れておいて欲しいの。自分の『想像』とを『創造』に変えるということを
ある程度の『即興演奏』は出来るのでしょう?」
「わかった」
俺は首肯すると、改めてギターを構えた。
炎。
俺はAマイナー・スケールで弾くことにした。五絃の開放弦(ローA音)を中心にして組み立てる。四小節ほどのそう長くもないフレーズ。
効果―――魔法―――は一小節目を過ぎたところで顕れた。
淡い緋色の光の粒子が幾つも顕れ、凍りついた扉に貼りつくように動いた。扉は緋色の光に照らされて赫赫と輝き、光はその後に弾けて消えた―――と同時に空気が燃焼する音を立て、一度だけ炎が舞い上がった。
俺が四小節弾き終わる内に、その現象は全て終わった。
「成功よゲンキ。さぁ、行きましょう」
言うが早いか、レイラは扉を開いて校舎内に滑り込むように這入った。
水溜まりをペチャっと踏んで、俺も遅れないように続いた。
生徒用の下駄箱を通り過ぎ、「こっちよ」レイラが俺を先導する。動きに魔用意がないのは、精霊とやらに教えてもらっているからだろうか。
レイラはそのまま職員室の方へ走って行った。
突き当たりの角を曲がればもう職員室だ。
先行しているレイラが角を曲がった瞬間、「ゲンキ、弾いて!」と叫んだ。
少し送れて角を曲がった俺も、出し抜けにレイラが叫んだ意味が判った。
そこには二人の人物がいた。
一人は外国人の壮年の外国人男性。
もう一人は対峙するようにこちらに背を向けている昂星高校の女子生徒。後ろ姿しか見えないが、俺が彼女を見間違えるはずがない。
聖だ。
しかし様子が
考えるまでもなく非常に危険な状況にある。
聖を発見してここまで考えるのに一秒にも満たなかっただろう。しかし、それを上回る早さで俺の頭は沸騰しそうになった。
俺の友達に―――聖に手を出したな!
状況はレイラにも、目の前の二人に確認するまでもなく、聖は外国人の男に襲われている。
聖を救ける!
俺はその思いだけを両手に込め、ギターを鳴らした。
緋色の光が聖の身体の周りをスパイラルを描きながら上昇し、廻る。
一際大きな光を放った時、聖の下半身にまとわりついていた氷が瞬く間に溶けた。
聖がこちらを向く。
「遅いよ、ゲン」
「悪いな。でも何とか間に合ったみたいだから赦してくれ」
右手で両目を軽く擦った聖は、急ぎ足で俺の背後に回った。途中で俺の隣にいるレイラに気付き一瞥したが、それだけで余計なことは言わなかった。
「キース……リーブス」
苦みばしった口調でその名を口にするレイラ。
キース・リーブスと言えば知る人ぞ知る名ドラマーだ。それがなぜこの学校に? そしてなぜ聖を襲っているのか。
「レイラ……か。君が日本に来ているのは知っていたが、まさか目的は俺たちの邪魔をすることではないだろうな?」
重々しく口を開くキース。英語で喋っているからよく聞き取れないが、どうやらレイラとは知り合いらしい。
「そのまさかよキース。私の方こそまさか、こんなたいそれたことをやってのける魔術師が貴方だったとは思わなかったわ」
レイラの皮肉めいた返答を眉をピクリとあげるキース。
「人は成長するものだよ、レイラ。たとえ何歳になろうともね。とは言え確かにここまで『魔術』を維持し続けるのは、私一人では難しいな」
「でしょうね。ではどのような方法で不可能を退けているのか、ご教授願いたいわね」
「賢い君のことだ。
そう行ってキースは、鋭い視線を俺に向ける。
「魔術を実質的に行使できないはずの君がこの魔術的かつ物理的に封鎖された建物へ侵入し、あまつさえそちらのお嬢さんに掛けた私の魔術を台無しにできたのは、そこの坊やのおかげかな?」
「それこそ訊くまでもないわ。たったいま彼の成したことを見たでしょう? 見たままのことを問うのは愚問でしかないわ」
敵対心丸出しのレイラの剣幕に、「やれやれ」と首を振るキース。
「しかし、だとすると妙だな。日本も魔術師気取りの術者は少なくないが、我々と同じ『音楽』を媒介とした魔術を使えると言う報告は読んだ覚えがないが……まぁいい。坊や―――」
そこで初めてキースは俺に話しかけた。しかも有り難いことに日本語だ。実はヒアリングは何とか出来ても、スピーキングは殆ど出来ないのだ。
「―――おそらく君の友人だろうが、君の後ろのお嬢さんを引き渡してもらいたい」
聖を? 何故だ。
しかし、俺が疑問を口にするよりも、先にレイラがキースに噛み付いた。
「そう言われて『ハイどうぞ』なんて言えるワケが無いでしょう? 貴方たちの―――いえ、彼の目的は分かっているけど、何の関係もない一般市民を無差別に襲うなんて常軌を逸しているわ」
「私はをこの坊やに話しているんだがな。まぁ確かに、今日は彼の―――いや、我々の目的には直接関係はない。たまたま昨日のライブで贄となった者の中に、我々の音楽に対して非常に情熱を発する者がいてね。しかも二人とも若くて活力旺盛ときている。素晴らしい逸材だ」
「そこでその二人を『屍鬼』にしたのね」
歯噛みして呟くレイラに対し、キースは教師が生徒を褒めるように言った。
「話が早くて助かるよ。そこで私は以前から構想を練っていた、『屍鬼』から魔力を引き出す実験を試みようと思った。魔力を効率よく引き出すために愛着のある場所を案内させたら、二人ともここに来たのは偶然だったがね」
「そう、やっぱりね。『屍鬼』とした人間から強制的に魔力を絞り出して、ここまでの範囲と持続時間を実現させたのね。ではもうその実験とやらはもう十分でしょう? 屍鬼とした人たちを解放して引き揚げてもらえるかしら?」
「ところがそうはいかなくなった。これこそ偶然に感謝すべきだが、そのお嬢さんは普通の人間より優れた魔力抵抗を持っている。ぜひ連れて帰ってサンプルにしたい」
自分の話をしているのに気付いた聖が、俺のブレザーの裾をぎゅっと摘む。
ひとまず聖だけでもこの場から脱出させたい。
幸いにもキースはレイラと話をしている。二人が知り合いなのは驚いたが、よく考えたらキースも所属レーベルはレイラたちの会社だ。それに魔術なんて胡散くさい世界の人間だ。知人であっても不思議はない。よし、この二人が話をしているうちに、聖だけでも逃が―――。
「うわっ。また来た……」
心底嫌そうな声で聖が呻くように言う。
何だ?と俺が振り向いた先には……。
「高梨部長⁉︎ それに守屋も……」
俺の学校の、そして部活の先輩と後輩の姿があった。
二人とも俺・聖・レイラを挟んでキースとは逆方向に現れた。
ただ、様子が尋常ではない。
先輩と後輩の様子。現在の会話を鑑みた結果、俺は消去法で嫌な答えを導き出した。
「なぁレイラ、もしかしてこの二人―――」
部長と守屋を指差して、俺はレイラに尋ねる。レイラは俺に皆まで言わせずに「そうよ」と肯定した。
「あれが『屍鬼』。本来は死した屍を己の
「……どう言うことだ?」
「安心してゲンキ。死した人間には魔力がないわ。逆巻きに言えば、あの二人はまだ生きている。それも時間の問題だけれど」
レイラの言葉にいったん安堵しかけたが俺だが、その口ぶりから悠長なことを言っている場合ではないと察した。
「あの二人を元に戻す方法はあるのか?」
「ええ、あるわ。あの二人を正常に戻し、その
「それはパーフェクトだな。そんな都合の良い方法があるなら是非教えてくれ」
是非と言いつつ俺の語気は勢いがなかった。もう答えが予想できていたからだ。
「とても簡単よ。キースをknock-outすればいいの」
「……そんなことだろうと思ったよ」
しかし、それしか選択の余地はなさそうだった。とはいえ実質的に三人を相手取らなければならない。どうするか。目の前のキースが平和的な話し合いに応じてくれるとは思えない。
「ふむ……。良く解らんが、話は纏まったようだな。そこの坊やには興味があるが、こちらはもう時間がない。悪いが実力行使させてもらうぞ」
物騒な宣言をすると、キースは右手に握ったスティックを勢いよく振り下ろした。
ドォォォン!
どのような原理によって為されているか解らないが、フロア・タムの音が校舎に轟いた。
空気の振動が『令』として部長と守屋に届いたのが解った。
『あ……あー、あー』
部長と守屋は苦しそうに異口同音で呻いた。
苦しいわけだ。
部長は氷で、守屋は炎で身体中つつまれたのだから。
「部長っ!守屋っ!」
俺は堪らず呼びかけた。
「大丈夫よゲンキ。彼らが攻撃されたわけではないから。あれは、ヨロイよ」
鎧。ということは当然、戦うということか。
正直、俺は躊躇していた。
正気で無かろうが、操られていようが、部長も守屋も俺の先輩と後輩であり、軽音部の仲間だ。
俺の躊躇いを忖度したのか、レイラが支持を出す。
「まずは彼ら二人を無力化……いえ、救い出しましょう。あっ!」
最後の驚きは、守屋が
守屋がフリスビーを投げるような動作で右腕を振る。その軌跡を追うように炎が広がり、俺たちに迫りくる。
「ゲンキ‼︎」
レイラが何を言いたいのかを察した俺は、考えるよりも先に両手の指を動かしていた。
想像したというよりはむしろ防衛本能に近かったが、なんとか俺の望み通りにそれは顕れた。
紅蓮の炎を内包した巨人サイズの鋼鉄製の籠手が、夜の闇と自らが発する炎を照り返し、力強く浮き上がっていた。
俺と聖とレイラの三人を抱え込むように浮いている籠手に阻まれ、守屋が放った炎は消えていた。
不思議なことに、暑さは全く感じない。
「な……何これ」
突如
「レイラ。救うって、具体的には?」
「申し訳ないけれど、ゲンキの想像に任せるしかないわ」
又しても無茶振りである。
「たぶん大丈夫。音楽の可能性は無限よ」
こんな緊迫した場面など見えていないかのように、俺に微笑を向けるレイラ。
俺がレイラに返答するよりも先に、視界の端で何かが動いた。
守屋に続き、部長が動いた。部長は相撲の突っ張りのように、右手を突き出した。
部長の右手からは螺旋状に吹雪が繰り出された。が、籠手はビクともせず、俺たちも無事だ。
「マズイわ……」
レイラの深刻そうな呟きに俺は訊く。
「どうした?」
「あの二人の男子。今まで魔力を吸い取られていたせいで、もう限界に近いわ」
「限界だと……どうなるんだ?」
恐る恐る俺は訊いた。
「今彼らは『情熱』ではなく『生命力』を魔力に変換している。生命力の枯渇は、すなわち『死』よ」
死。
そのシンプルな響きに愕然とする。シンプルだからこそ、ダイレクトに俺の脳を、記憶を直撃する。
清音。
昨年、近しい友人を喪った俺だからこそ解る。死は深い傷と堪え難い痛みを遺された者にもたらす。
俺はあんな思いはもうしたくないし、彼らの肉親や他の友達にも味あわせたくない。
確かに人はいずれ天寿を全うするんだろう。または何らかの形によって『死』が訪れるんだろう。
だが、それは『今』じゃないはずだ。まだ早い。早すぎる。
俺は彼らを救いたい。
俺が決心したと同時に、部長と守屋が今度は二人掛かりで襲いかかってきた。
炎と氷。別々の場所から籠手の隙を突かんとしていた。
このままではジリ貧だ。
いま俺に出来ること。それはギターを弾くことだけだ。
だからこそ、全力で弾く。
すると俺の『想い』に呼応するかのように、籠手が生み出す炎の色が変化した。
赤から緑へ。
「緑の……炎?」
レイラが呟く。
炎の―――火の色が温度によって変化するということは小学生でも知っている。
しかし、この変化は単純に温度が上昇したからということではなさそうだった。
鉄鋼が手を差し伸べるように、その掌を部長と守屋に向ける。
緑炎はふわりと二人を包み込んだ。
その光景に「ええっ⁉︎」と聖は驚いていたが、俺は大丈夫だと奇妙な確信を持っていた。
やはり二人は緑色の炎に包まれても焼かれることはなかった。
しかし、それからは俺にとっても不思議なことが起きた。
これは―――感情?
緑炎を通して、二人の感情が流れ込んできたのだ。
部長は『孤独』。守屋は『虚栄心』。
俺は確かに感じた。二人が抱えた心の傷や寂しさを。
誰かに構ってもらいたい。
誰も自分のことを分かってくれない。
そんな誰もが持つ負の感情。
キースはその心の隙に漬け込むように魔術をかけたのだ。
俺は急に悲しくなり、そして怒りを覚えた。もちろん、自分自身に対してだ。
部長と守屋。確かに学年は違うし、それほど深い仲ではない。だが、仮にも同じ部活で時間を過ごし、ともに演奏した仲間だ。
翻ってみれば、清音を
他人に深入りせず、適度に距離を保つ。
だから気付かなかったのだ。他人の『痛み』に。
しかし俺は気付いてしまった。この不思議な緑炎を通じて通じてくる部長と守屋の心の傷。
ならば、俺には弾くべき曲がある。
俺は一つ息を吸い、頭でカウントをとる。ワン、トゥー、スリー、フォー。
ピックは口に咥え、フィンガリングで弦を弾く。
俺がクリーン・トーンで弾き始めたイントロに、今まで意思らしい意思を見せなかった部長と守屋が、ピクリと動いた。
ゆっくりとしたテンポで弾く分散和音。
この曲は世の中の誰も知らない。唯一の例外は昂星高校の軽音部とその関係者のみだ。
先月、入部したての香山せいらが作った曲だからだ。
将来シンガーソングライターとしてアーティスト活動したいという香山が、『この部の曲です』といって書いてきたのだ。
部長は目を輝かせて喜び、斜に構えている守屋もあの時ばかりは『へぇ、いいじゃん』と興味を示していた。
昂星高校軽音部にとって忘れられない曲の一つであることは違いない。
だから部長。
だから守屋。
この曲を聴いてくれ。
『 LET’S PLAY TOGETHER 』
それがこの曲のタイトルだ。
イントロが終わりヴォーカル・パートに入る。しかし敢えて俺はバッキングのみに徹する。ギターの譜割りは8ビート。一小節を八個の音で割った基本的なリズムだ。
しかし機械的にならず、弦を弾く力に強弱をつけて二拍目と四拍目を微妙にずらす事で、リズムに抑揚をつける。
ここで部長に大きな変化があった。一度ビクンと震えた後、両手かがゆっくりと動き出した。右手は一定の早さで小刻みに、左手は二拍目と四拍目に合わせて。
間違いなくハイハットとスネア・タムを叩く動作だ。俺のギターに合わせて、部長は『 LET’S PLAY TOGETHER 』のドラムスを叩いている。
部長。俺はなぜ部長がそんなに孤独を感じているのかは判らない。でも俺たちがいるじゃないか。俺たちでは部長の孤独を埋められないかもしれない。だが、部長は個性的な部員ばかりの軽音部をしっかりと纏めてくれているじゃないか。清音を喪って喪失感に侵されていた俺は、部長が纏めている軽音部で活力が蘇ってきた。
恐らく他の部員も、あの部活が居心地いいから集まってきているんだ。
エゴかもしれない。でも、俺たちには部長が必要なんだ。だから孤独なんて感じないでくれ!
籠手から放たれている炎が一層勢いを増した。
曲はサビが終わり、感想に差し掛かった。コード進行は同じ。本来はここでちょっとしたギターソロが入る。しかし俺はここでもバッキングのアルペジオのみ。
だってここは、お前のパートだろ、守屋?
お前は先輩を先輩とも思わない生意気なやつで、演奏も俺以上に独り善がりだ。
でも俺は知っているよ。守屋が陰で努力していることを。いや、多分みんなわかっている。だって毎日守屋の音は成長しているから。
入部当初は音を外しまくったりとミスが多かったが、今じゃもうほとんどミスがない。それどころか難易度の高い速弾きも
俺も軽音部のみんなも守屋のことは口だけじゃないってわかっている。だから―――。
いよいよメインのギターソロパートに入る。いつもは俺もバッキングに徹している。この『LET’S PLAY TOGETHER』のリードギターは守谷で、ギターソロも守屋が作ったからだ。
しかし俺はこの曲で初めてギターソロを弾く。
守谷のギターソロは、これでもかというくらい音を詰め込んだ速弾きがメインだ。しかしこの『 LET’S PLAY TOGETHER』はジャンルでいえばJ-POPの分類だ。
俺はこの曲の世界観を壊さないように、メロディ主体のソロを即興で弾く。
なぁ守屋。お前もギタリストならこの一音一音の大切さがわかるだろう?
そして俺はギターソロの締めに、今の守屋には真似できないであろう技巧を駆使して演奏した。
そう、俺は今プレイで守屋を挑発している。
そして守屋は今、緑炎に巻かれながら涙を流している。―――だから守屋、これからももっと上手くなって俺と競い合おうぜ。
ギターソロを弾き終えたと同時に勢いを増し、火柱となって部長と守谷の姿を隠した。
俺はもうギターを弾いていなかった。
火柱が消えた後、廊下に倒れている部長と守屋の姿があった。
無事だろうか……。
俺が疑問を口にするより早く、レイラがさっと二人に駆け寄って容体を診た。
「まだ息はある。術は……大丈夫そうね。解けているわ」
成功したのか?
ほっと胸を撫で下ろすと同時に、俺は肩で息をしていることに気づいた。だいぶ疲れたな。
俺も二人の様子を見に行こうと思ったが、後ろから聞こえてきた
〜To be continued〜
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