第14話 「 She’s getting away from something 」
午後の授業の間、聖はずっと不機嫌だった。昼休み、弦輝と話した後からずっとだ。
―――ゲンの馬鹿やろー。
昨日鈴木ましろから掛かってきた電話。荒唐無稽な内容だったが、付き合いの良い聖はなんとか要点をまとめ上げた。
内容が内容だけに、とりあえず自分の心にしまっておいて後日改めてましろに訊いてみるかと考えた が、尋常ではない様子、そして『不夜城の友人の外国人の女の子』というフレーズが引っ掛かっていた。
先日ファストフード店に弦輝といた女の子だろうか。
―――めちゃくちゃ可愛かったな。
雑誌のモデルと言われても納得する容姿、自身、そして特別な人間にしかない『自分』という輝きに満ちたオーラ。。
―――どんな関係だろう。
弦輝は浅い付き合いで仕事関係といった。
しかしあの時の秘密を分け合った共犯めいた親密さは、ただ事ではない。
ファストフード店から出るときにすれ違った時の、聖を品定めするような視線。わざわざ聖の前で弦輝を呼ぶ挑発的な行動。
ムカ。
とにかく、あの娘は良くない気がするので、鈴木ましろの話を弦輝に伝えて注意を促した。
―――なんであんな事言っちゃったんだろ……。
後悔に苛まれる。実のところ不機嫌の理由は、元を正せば自分の迂闊さにあるのだ。
ぽかんとした弦輝の表情。
当然だろう。あんな突飛な話を聞かされては。聖自身意味が分からないのだ。
そして授業に集中できぬまま、放課後を迎えた。
まっすぐ家に帰りたかったが、今日は用事がある。
音楽室にある楽器。そのコンディションのチェックである。
聖自身は軽音部ではない。しかしこれは歴とした聖の仕事であり、大事なアルバイトだった。
事の発端は去年の夏前。
軽音楽部副部長である御堂詩織の発言がきっかけだった。
当時軽音部に入部して間もない弦輝をからかいに、聖も軽音部の活動を見学に行っていた―――清音を襲ったショックから立ち直ったばかりの弦輝を励ます意味もあった―――が、聖が楽器屋の娘と知った詩織が話しかけてきたのだ。
音楽室の楽器の面倒を見て欲しい、と。
もちろん初めは聖は断った。自分にはまだそんな技術も知識もないから、と。
詩織は潔く引いたかに見えたが、今度は実家であるクレセント・ミュージックに正式に仕事として依頼するという
父親は初め自分で面倒を見るつもりだったらしい。しかし家業の創始者であり名匠でもある祖父は聖に命じた。
―――これも修行だ!
もちろん仕事であるからには、監督責任は父親のものだ。聖の仕事は楽器の調子を具に見て、異変と思われるもの―――またはその前兆など―――を診て報告する事である。
今日は週に一回の『出張』の日だったのである。
足が重い。
いつもなら弦輝を
「ま、しゃーないか」
聖は独り呟いた。
どちらにせよ行かなければならないのだ。
(仕事、仕事)
自分に言い聞かせ、音楽室の前に辿り着いた。
「お?」
少し離れた物陰に、人がいる。
目が虚ろで、ブツブツと何かを呟いている。
(うわ、ヤバイやつかな)
でも何処かで見覚えのあるなと思いつつ、音楽室の扉をくぐる。
「ちゃーす」
「あら、ご機嫌よう三日月さん」
まず迎えたのは、詩織だった。というか、詩織だけだった。
「あれ、御堂先輩だけですか?」
「そうなんですの。部長、鈴木さん、遊蛇くん、守屋くんの四名は病欠とわかっているのですが、りんごさんはお兄さんの看病という事で、今日は今のところ私一人だけですの。不夜城にも連絡がつきませんし」
「え、ゲンも?」
(もしかしてアイツ、逃げたか?)
いや、弦輝にはそれだけの理由が無い。
もしかしてと、聖の中の『何か』の勘が働いた。
あの外人少女と一緒にいるのでは?
またしても心の中がざわついてくる。
「あれ? でも―――」
音楽室に入る前に見た人影。あれは確か
「―――守屋ってギターの子ですよね。一年の。でしたら、さっきそこにいましたよ」
と言って聖は出入り口を指差した。
「まぁ、本当ですの? でしたら何故音楽室に入ってこないのでしょう?」
特に聖に訊いたわけでは無いのだろうが、呟いた詩織は出入り口まで歩く。守屋を呼びに行くつもりなのだろう。
詩織が扉に手をかけるよりも早く扉がスライドした。
扉の向こう。廊下側には守屋が立っていて、詩織と向かい合うような形になっていた。
「あら守屋くん、御機嫌よう。今日は欠席と伺っていたのです、けれど……?」
詩織の言葉は尻すぼみになって消えていった。
守屋を見上げるような視線が訝しげに揺れる。
様子が
目の下に青い隈。痩けた頬。定まらぬ視点。
「守屋くん……?」
後輩の不審な様子に薄ら寒い戦栗を感じてたじろいた時、
「先輩、危ない!」
詩織の腕をとって、聖が強く引き寄せた。
ボッという音と、焦げ臭い匂い。
「「…………っ⁉︎ 」」
勢い余って尻餅をついた聖と詩織。捲れたスカートを直す余裕も無いほど驚いた。
詩織を殴るような動作をみせた守屋。聖が引き倒さなければ、詩織は殴られていただろう。
否、それだけで澄んではいないはずだ。
端が炭化した詩織のリボンがそれを証明していた。
空振りした守屋の右腕―――その右腕が燃えていた。
「なに……アレ……?」
呟くというよりは、自然に口から漏れたというような聖の疑問。
答えはなく、二人の少女はただ無言で見入っている。
空振りした右手を再びだらりと下ろす守屋。そしてまた振り上げる素振りをする。
我に返った聖は、声を荒げた調子で「先輩、立って! 早く!」と言うと同時に自身も立ち上がった。
詩織も少し遅れて立ち上がった。
二人して音楽室の後部―――教壇とは逆に走った。背後でゴウっと空気が唸り、熱風が二人を追い越して行く。
ちらりと振り返ると、さっきまで二人がいた場所が、人間大の筆で一撫でしたように黒くなっていた。
(なにアレなにアレなにアレなにアレ⁉︎)
疑問が混乱というトラックを何周も走っていた。
森は腕が燃えているにも拘らず、苦痛は感じていないようだった。
ゆらりと体を聖たちに向けて近づいてくる。その動きはゾンビそのものだった。
「ちょ、ちょっと守屋くん、悪質な冗談や悪戯はお止めなさい!」
気丈にも極度に怯えたり、恐慌を起こしてはいない詩織。毅然とした態度で守屋に問いかけるが、返事はない。
「御堂先輩、あの守屋って子、こんなキャラだったの?」
「まさか。彼はお調子者で目立ちたがりでしたが、こんな悪質な行為はしませんでしたわ」
問答の間にも少しずつ歩を進める守屋。
理由は判らない。何故自分たちが襲われているのか。あの炎の『タネ』は何なのか。
一つはっきりしている事がある。今はとにかく逃げなければ危険だという事だ。
音楽室は半分に切った擂り鉢状である。壁に黒板と教壇、アーチ状に広がっていく雛壇。
雛壇をゆっくり一歩ずつ近づいてくる守屋。雛壇にはパイプ椅子が敷き詰められ、両端と中央に通路を作っている。守屋はその中央通路を歩いている。
「先輩、彼がもう少し近づいたら、左側の通路を走ってください」
聖たちから見て正面左側に、出入り口がある。左側は最短通路だ。
「し、しかし三日月さん……」
三年生としての矜持かそれとも副部長としての責任感からか、聖の提案に素直に頷けない。
「大丈夫ですって。アタシ、こう見えても足早いんですよ」
聖の知名度は校内でもトップクラス。故に身体能力の高さは有名であり、詩織も当然知っていた。
「わかりました。ここはお言葉に甘えることにいたします」
「じゃあ行きますよ……せーのっ!」
掛け声と同時に二手に分かれる。
『……』
どちらに反応して良いか判らない―――いや、なにも考えておらず、ただ目標がいなくなったことでそれからなにをして良いか判らない。そんな有様の守屋を尻目に、まず詩織が音楽室から脱出した。
それを見届けた聖も、遠回りであったが出入り口に向けて走っている。
聖が黒板の前を通り抜けようとした時。
ドォォォォォォン!
と空気を震わす音がした。
先ほどいかなる手段を用いて成されたかは不明だが、守屋が腕から炎を出したこと。その空気が燃焼する自然現象の結果としての音ではなく、確固たる理由があって空気を震わす人造の音。
聖には判る。
これはフロア・タムの音だ。
ドォォォォ……ン。
残響が完全に消えるか消えないかというテンポで、等間隔に響く、重厚感のある打音。
音楽室の中からではなく、外―――廊下から這入ってくるような音。
―――嫌な予感がする。
大腿筋をしならせ、一気に廊下へと飛び出す。
ひとまず凶行から逃れた安堵も束の間。
聖の背筋に寒気が走る。
比喩や気の所為ではなく、全身が寒い。気温が低い。まるで真冬の校舎である。吐く息も白い。
(御堂先輩は?)
先に出た詩織の姿を探す。できれば職員室なりに先行していて欲しいのだが、そこは健気なお嬢様のこと、聖を待っている可能性もある。
視線を巡らす。その先には
「せ……んぱい?」
御堂詩織は確かにいた。
しかし校内でも指折りの美貌と肢体は、あたかも氷像のように氷漬けの状態で静止していた。
〜To be continued〜
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