第10話 「 C•E•P shock (1) 」
その日、鈴木ましろは学校を早足に出ると急いで帰宅し、出かける準備をした。
実を言うと、初めてのデートである。本音をいうと休日にゆっくりと街を歩いたり映画を見に行ったりしたかったのだが、彼氏は自分と違って社会人である。しかもライターという職業柄、カレンダー通りというわけにはいかない。
来て行く服は昨夜にしっかりと選び抜いている。おかげで寝不足である。
しかし寝不足など、若さと恋する乙女のパワーの前には有って無いようなものだ。
急いで身支度を整えると、下ろしたての靴で家を出た。
駅前で彼氏と落ち合うと、服装や髪型を褒められて嬉しかった。昨日、美容室に行ったり夜遅くまでコーディネートに悩んだ甲斐があった
開場まで少し時間があったので、ファストフード店でお喋りしながら食事を済ませ、ライブハウスに向かった。
地下一階に目的のライブハウスはあった。
地元では有名なハコである。しかしましろは初めて来た。
彼氏はモギリに前売りのチケットを二枚渡し、「この子と一緒で」とましろを指差した。
店内にはまずバーカウンターがあり、壁側には椅子が何脚か置いてあった。壁にはラクガキやステッカーなどが貼ってあり、第一印象は「小汚い」だった。
そして溢れんばかりの人、人、人。男女比で言えば八対二くらいだろうか。革のジャンパー、ライダースジャケット、鉄板でも仕込んでありそうなブーツ、アクセサリーといえばドクロか
女性といえばましろよりも少し年上であろう少女たちもいたが、こちらも似たり寄ったりのファッションで、違うといえばリボンがついていたり、グリーンとかピンクとか男性に比べて多少カラフルなヘアカラーだろうか。ピアス、タトゥー当たり前というご意見無用なオーラが違っていた。
対してましろは、白いブラウスに膝丈までのフレアスカートという、大人し目のファッションだった。
はっきり言って浮いていた。
彼氏の方はといえば、洗い晒しのジーンズに長袖のシャツ、スウェードのブーツという格好だったが、不思議と馴染んでいた。
「何飲む?」という声にましろは我に返った。
カウンターの上のメニューを読むと、ほとんどアルコールだ。
「コーラ」というと、彼氏は自分の分のビールと同時に頼んでくれて、手渡してくれた。
その『手慣れている感』や先ほどからさりげなく人の流れからましろを体で庇ってくれている『守られている感』など、同世代の男子に持ち得ない頼り甲斐、大人の甲斐性のようなものに、ましろは幸福感を味わっていた。
やがて人の流れが、ステージのあるメインルームに流れていった。
そしてましろは、先程の幸福をかき消すような恐怖に見舞われる。
――――――――――――――――――――――
会場は人の群れですし詰めだった。
二百人規模の客席は、通る隙もないほどに人垣ができている。
ましろのことを
この時からましろは、違和感を感じていた。
―――なんだろう、この空気。
そう、空気だ。いままで見て来たライブ開演前の雰囲気とは違う。
今でもましろはいくつかのバンドのライブに行ったことはある。これでも学生ミュージシャンの端くれだ。機会と時間、そしてお小遣いに余裕があればいろんなバンドのライブを見に行っている。
かつてましろが観てきたライブ。その幕が開く前は、観客は笑顔が多く期待感に溢れていた。
そう、笑顔だ。
今ここに居る観客にはおしなべて笑顔がない。
そしてこのピリついた殺気じみた空気。
―――怖い。
ましろは背筋に悪寒が走った。できれば今すぐにでも客席から出て行きたかったが、彼氏との初デート。しかも彼氏がすごく楽しみにしていたライブである。ここは我慢するしかない。
やがてSEが止まり、シンバルでの4カウントが聴こえてきた。
鼓膜が破れたり、吹き飛ばされるかと思った。
ステージ両脇のスピーカーから襲いかかってきた爆音に、ましろは目を丸くした。
ドラムは8ビートを刻み、リードギターとベースは半音符や全音符を基本に、リズムギターがドラムスに乗っかるようにリフを刻んで居る。
そこまで速いビートではない。しかし重く厚く、まるで獲物に飛びかかる前の大型獣を思わせるサウンドである。
暴力的な低音に、ましろは腹部を押さえた。
『ウォォォォォォォォォッ!』
大歓声と共に幕が上がる。
メンバーはドラムスとベースにギターが二人。そしてヴォーカルの計五人。ドラムスだけがなぜか外国人で、他のメンバーより年嵩の気がした。
ヴォーカルが吠えた。
ギター、ベース、ドラムス。全員が8ビートのリフを刻む。
やたらと長いイントロの後、ヴォーカルが歌い出した。
そこから先は、よく覚えていない。
テンポは曲ごとに変わり、速くなったり遅くなったりした。しかし全体的には似たり寄ったりのイメージだった。
ましろはなんだか頭がぼうっとしてきた。
周りのオーディエンスは逆に、曲とともに白熱してきている。ヴォーカルは相変わらずダミ声で吠え続けている。
三曲目くらいで、オーディエンスの様子に変化が生じた。
前列の方で、人が動き出した。いや、今までも動いていたのだ。首や手を振り、さらには体全体で。
しかしそれは総じて『縦』方向である。それが前列の一部から『横』方向にも動き出した。それは波紋が広がるように観客席全体に伝播してきた。
人の体が他人の体にぶつかり、「この野郎‼︎」とばかりに体当たりのお返しをする。それに巻き込まれた者たちも、その横から横にタックルをお見舞いする。モッシュと呼ばれる現象だ。
それだけならばまだマシだったのだ。
ついに誰かが誰かを殴った。
それがスイッチになった。
客席はあっという間に修羅場と化した。
すごいな。こういうライブでは、こんな事もあるんだ。
ましろは夢でも見ているように、冷静に―――いや、他人事のように
もうその時点で、ましろもどこか故障しくなっていた。普段の彼女ならば泡を食って逃げていただろうに。
今は果たして何曲目か。
そんなことを考えながら、殴り合いを続ける彼氏の背中を眺めていた。
ましろは彼氏が目の前で乱闘していたし、ちょうど角にいたので今のところ無傷だった。しかし、戦渦から弾き飛ばされるかのように、茶髪の少女が尻餅をついた。
ましろと目線が合った。
少女はゆっくりと立ち上がりましろに近寄ると、出し抜けにビンタを放ってきた。
視界に星が飛び、脳を直接的な振動が揺さぶった。
痺れる頰。思考が自分の名前と同じように真っ白になる。
―――あれ、何? 今何が起こったの?
自分が頰を張られたのだという事実を認識するに比例して、目の前にいる少女に対する怒りの火が勢いを増しやがて炎となり、ましろの中の決してつけてはいけないものに着火し、爆ぜた。
気付いた時には、茶髪の少女を殴っていた。もちろん拳で。
鈴木ましろという少女は温厚であり、決して暴力を振るわず、大半の女子と同じように荒事とは無縁の人生を送ってきた。
いわば人生初の出来事である。が、何の感慨もなく、こうしなくてはいけない、という思考に取り憑かれていた。
敵―――茶髪の少女の頰に自分の拳がめり込む時のペチッという音。骨の上に薄い肉がついているという事実を、ましろは自分の拳に伝わる衝撃によって体感した。
ましろは自分が他人を殴ったという『場面』だけは、この混沌とした修羅場に
相手がましろの右フックによって尻餅をついて倒れた―――と思った次の瞬間には、茶髪の少女はいきなりましろの目の前に立っていた。
―――え、瞬間移動?
と思ったが、よく考えれば確かに立ちあがり、歩いてましろの前まで戻ってきていた。
『場面』から『場面』までワープする。
次の場面―――茶髪の少女に髪を掴まれていたので、また殴ろうと思って右拳を握った。手はじんじんと痛んでいたが、構うものかと突き出す―――ことはできなかった。
演奏が止んだからだ。
『音』が止まると、乱闘も止んだ。
束の間の静寂。
ここで、ヴォーカルによるMCが入った。
『みんな、お待ちかね。ここで今日のスペシャルゲストを紹介する。俺たちの大先輩であり、この音楽シーンを席巻する帝王であり、カリスマであり―――神、神、神‼︎テメェら喜べ、ゼノ様の降臨だぁ‼︎』
ある者は鼻血に塗れた顔で感涙にむせび、またある者は右腕を押さえながら狂気を叫んだりしている。
ましろは右足で何かを踏んだ気がして、足元を見下ろす。
ノックアウトされた彼氏の顔を踏んでいた。
まぁいいや、と思い再びステージを見る。
上手から、一人の外国人男性が登場するや否や、
『ウォォォォォォォォォッ!』
と
ゼノと呼ばれた男は黒のロングコート、この暗闇の中にあってもサングラスという出で立ちだった。
そして漆黒のギター。
ボディだけでなくフレットやヘッド。果てはブリッジなどの金属パーツまでブラックメタリックというこだわりようだった。
しかし、異様なのは外観だけではなかった。
ゼノは微笑を浮かべ、静かにステージの中央に佇んでい!たが、明らかに『違う』というオーラを放っていた。しかも、ギターからも放たれているような気さえしてきた。
〜To be continued〜
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