第3話 「 Who is she ? 」

 街はもうすっかり暗くなっていた。


 ギターもエフェクターケースも決して軽くない上に、学校の鞄もある。バスに乗って帰ろうかとも思ったが、どうせバス停ふたつ分の距離だ。俺は諦めて歩き出した。


 クレセント・ミュージックはどちらかといえば繁華街に近い立地にある。


 しかし一つ通りを外れれば、途端に人通りが少なくなる。


 大通りを歩いて帰るよりも裏道を通ったほうが早いので、俺はいつも通りのコースをたどるべく角を曲がった。


 すると―――何か違和感を感じた。


 その原因を探ってみると、百メートルほど先で、何やら諍いが起こっている。


 無用なトラブルは避ける主義なので、素知らぬ顔でパスしようと思い、三メートルほど距離を開けて横を通り過ぎようかとしたが、俺の足はその場で止まってしまった。


 諍いは一対一ではなく、多対一だった。女の子一人を男が四人で取り囲んでいる。


 男たちは揃いも揃ってびょうつきの革ジャンやら赤や緑の原色に染め抜いた長髪やら、やたらとゴツいシルバーアクセやらで装っており、何ともハードコアな連中だった。


 そいつらに絡まれているのは、十三十四歳くらいの少女だった。俺の足がその場に縫いとめられてしまったのは、その娘が原因だった。


 義侠心?


  違う。そんなものは、あいにく持ち合わせちゃいない。


 その女の子が可愛かったから?


 それも違う。いや、顔の美醜云々びしゅううんぬんではない。どこかで会った気がしたからだ。


 しかし、知人である可能性は極めて低い。


 なぜなら彼女は金髪碧眼の外国人だったからだ。


 立ち止まった俺の気配に気づいたのか、男の一人が俺を睨んできた。


「おいガキ。何か用かよ?」


「いや、用っていうか……」


 まずいことになった、と思った。


 このとき俺の脳裏に現れた選択肢は、


1.誤魔化して逃げる

2.女の子だけでもなんとか逃す

3.男達を全員ノックアウト→女の子を救出



 うん。3はとりあえず選択肢から外そう。不可能そうだから。


 腕っ節に全く自信がないわけではないが、むくつけき凶暴そうなオニーサンたち四人を相手取って勝てると思うほど夢見がちな性格はしていないし、中二病でもない。


 逡巡しゅんじゅんしている俺と少女の視線がぶつかった。


「あー!」


 突然、少女が俺を指差して叫んだ。


「ダーリン。救けにきてくれたのね。嬉しいわ」


 理解不能なことを叫ぶと残りの男たちも俺を注視した。


 その隙をつき、少女は男たち間を風のようにすり抜け、あろうことか俺の背後に回った。


 ここで選択肢1も消えた。


「あの……俺たちどっかで会ったことあったっけ?」


 俺も少なからず顔立ちに見覚えがあったので、確認のために訊いてみた。


「あいにくだけれど、初対面よ。でも、ちょうど良いところに来てくれたわ。盾になってちょうだい。」


「わかったよ。なんとか君だけでも逃がすから……ってちょっと待て」


「何かしら?」


「いま『救けてちょうだい』じゃなくて『盾になってちょうだい』って言ったか、もしかして」


「その通りよ。私の日本語がうまく通じているようで喜ばしい限りだわ」


 悪びれずに言う少女。


「大丈夫よ。あなたが盾になって時間を稼いでくれたら、あとは私が彼らを無力化するから」


「いや、何をするつもりか知らないけど、あまりにも無謀すぎるだろ。とにかく、今のうちに君一人でも逃げろ」


「逃げたところですぐ捕まるのがオチよ。ところであなた、これってギター?良いもの持ってるじゃない」


 黒いギターバッグを背中に背負っていたので、暗がりではすぐにわからなかったのだろう。しかし俺の背後に回ったとき、目敏く気づいたようだ。


「それって、ギターを武器にしろってことか……」


 数十年前の、まだバンド=不良のイメージが強かった時代。荒っぽい系のバンドマンたちが喧嘩の際にギターを打撃用の武器として使っていたと言う話を、俺の父親から聞いたとこがある。


 だがしかし、ギターは楽器だ。喧嘩の道具ではない。


「オイ、お前ら。ごちゃごちゃ言ってんじゃねーぞ」


 俺と少女のやり取りに業を煮やしたのか、赤髪の男が怒鳴った。


「貴方達、とてもうるさいわ。私は貴方達に用はないのよ。さっさと消えていただけるかしら?」


「ンだとクソガキ。手前ェになくてもこっちにはあるんだよ。さっさと来やがれ」


「ちょっ……」


 剣呑な雰囲気が膨れ上がる中、俺はどうすべきか考えた。


 やはり選択肢2を―――


「貴方達のようなゴミクズみたいな連中は、速攻でノックアウトしてあげる―――ってダーリンが言ってるわ‼︎」


「ほーう。おもしれぇじゃねぇか。ニイちゃんよ」


 無理めの選択肢3がここでまさかの復活。しかもそれ一択になってしまったようだ。


 男達は両拳をパキパキ鳴らしながら近づいてくる。


 こうなったら仕方ない。


 いったん全ての荷物を地面に下ろし、ソフトケースからギターを取り出す。


 ギターの材質は木材だ。いくら硬そうに感じても、衝撃を与えれば壊れてしまう。


 ギターは大切に扱え。父親にそう教えられたし、俺自身もそう思っている。


 しかしこの状況では致し方ない。


 俺はとうとう諦念し、両手でネックを握り、野球のバットのように構える。


 俺が臨戦態勢に入ったと見るや、男達はおしなべて獰猛どうもうな笑みを見せた。


「おいおいおいおい。そんなギター一本でどうしようってんだ?」


 緑の髪の男が言い、それにつられて他の男達も野卑な嘲笑をあげた。


「本当にそれでどうするつもりなの、貴方?」


 金髪の少女が『信じられない』と言う顔をして疑問を呈する。俺に対して。


 んん?予想外の反応だぞ。


「貴方もしかして、そのギターで彼らをアタックするつもりじゃないわよね?」


「も、もしかしなくてもそのつもりだけど……」


 暗にこのギターを使えと言ったのはこの少女ではなかっただろうか?確かに、武器にしろとはっきり口に出したわけではないが……。


「貴方、ギタープレイヤーなのよね?だったらギターをどう使うかわかるわよね?」


「どう使うって、まさか……」


「弾くしかないでしょう‼︎」


 俺はこの少女の頭の中身を疑った。一触即発のこの場で、よりにもよってギターを弾け? 正気の沙汰じゃない。


 しかし。


 俺はこの少女の瞳を見た瞬間、何故かこの少女は限りなく正しい助言をしているのだと思った。理屈ではなく直感で。


「わかったよ」


ストラップはギターに付けたままだったので、立ったままでもすぐにギターを抱えられる。


「「「はぁ? 」」」


 男達は異口同音、タイミングもこれ以上ないくらい見事にユニゾンした。


「私はレイラよ。ねぇ、貴方は?」


 少女が俺に尋ねる。


「弦輝だ。不夜城弦輝」


「ゲンキ。力強い響きね。ゲンキ、一曲リクエストしていいかしら?」


「いいぜ。レパートリーは少ないけどな。ただし、この状況でメロウなナンバーは勘弁してくれよ」


「たぶん大丈夫よ」


 不思議だ。本当に不思議だ。


 目の前には気炎万丈の屈強な男達。開戦一歩手前。ことが始まってしまえば全く太刀打ちできず、ひとたまりも無いだろう。


 そんな状況下において、俺はギターを肩から下げている。しかもアンプにも接続せず、素の音で一曲演奏しようとしている。それも、初対面の少女の要請で。


普段の俺ならば足がふるえ、立ちすくんで動けずにいただろう。


  では今は?


 自分でもなぜかはわからない。ただ、かたわらの少女の瞳から発せられる自身、炎のような意志の強さ、この程度で屈してたまるかという闘志。そして―――これは俺が勝手に感じていることだが―――俺に対する何がしかの期待感……のようなものを感じて触発されたのかもしれない。


 少女―――レイラの瞳を見た瞬間、俺の中の何かのスイッチが入った。俺はこの感覚を知っている。


 心臓のBPMが上昇し続けている。ドーパミン? アドレナリン? 脳からよくわからない自家製の麻薬が俺の指先まで浸していく。体が震えたが、これは恐怖によるものではない。


 これはステージの開演直前の感覚だ。


 俺はいま、ステージに立っている。


「それでレイラ、リクエストは?」


「『暗闇の爆撃ERUPTION』よ」


「オーケー」


 ヘッドとフィンガーボードの間、ナット部分に挟んであったティアドロップ型のピックを右手に持つ。

 

 その時レイラが何かを呟いた気がしたが、よく聞き取れなかった。


暗闇の爆撃―――原題、ERUPTION―――アメリカのロックバンド《 Van Halen》のデビューアルバムに収録されている、ほぼギター1本で弾くインストゥルメンタル曲だ。


 原曲は半音下げのチューニングで、いまこのギターのチューニングはレギュラーチューニングだが、構うものか。

 

 ワン、トゥー、スリー、フォー。


 頭の中でカウントを取り、一発目のロングトーンを鳴らすべく弦に向かって腕を振り下ろす。


ギュウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン‼︎


 明らかにギターの生音とは違う、辺りの空気を暴力的に震わす大音量。そして空間を無理矢理引き裂くかのような歪んだ音。


 アンプに繋いだわけではない。しかし俺がアンプラグドで奏でる音は大型アンプで思い切り鳴らしたときの音そのものだ。


瞠目する俺。思わずレイラを見遣るが、彼女の瞳は『そのまま気にせず続けて』と語っていた。


 一歩後退あとじさる男達。彼らもこの尋常ならざる光景に呑まれたようだ。


 しかし、ひとまず俺をどうにかすれば収まると思ったのだろう。


 赤髪が「オラァァっ!」と吠えながら殴りかかってきた。



『我が創りしは彼のものの魂。其の勁さにして脆さ。魂のきらめきを現世にあらわしたりて、彼のものの弓、矛、盾とならん』



少女の声が響いた。


俺のギターの爆音が鳴る空間とは別の空間を通り抜けたかのように、かすかに、しかし確実に俺の中に届いた。


 赤髪の男は少女の声など気にも掛けず―――もしかしたら聞こえなかったのかもしれないが―俺を殴打する最後のモーションに入っていた。


 右のストレートパンチが俺の顔面を直撃した―――と思った。


 しかし男の拳は、俺の顔面直前五センチメートルのところで急停止した。


 赤髪の男が自ら止めたわけではない。彼の拳は巨体のすべての体重を乗せ、目標に向かって間違いなく風を切って迫ってきた。そしてそれは成功した―――半分だけ。


 赤髪の拳は確かにしたたかに殴った。しかし、その分厚い拳は俺に届いてはいなかった。


「弾き続けて!」


 何が起きたかわからず呆然とプレイを中断しかけた俺に、レイラの鋭い声が飛ぶ。


 俺は無心に、命じられた通り強く続ける。


「ぐ……うぉぉ!」


 苦悶の表情を浮かべる男。みれば右の拳を突き出したまま固まっていた。


 そして、おそらく今日一番アンビリーバブルなことが起こった。


 赤髪が殴った何か。それは俺の眼前五センチの所にった。


 いや―――浮かび上がっていた。


 不透明度が下がるように、初めはぼやけていた輪郭も次第にくっきりと形をなし、もやのようだった質感もやがてアイデンティティを得たかのようにこの世に歴然と顕れた。


 鋼鉄の籠手こて


 それ以外に言いようがなかった。

 中世の騎士が備えるようなデザインで、五指まで鋼鉄で装われている。


 大きさは赤髪の男の頭の、優に二倍はある。


 その巨人の籠手とも形容すべき存在が、男の拳を受け止め、そしていま包みように握り込んでいる。


「イメージしなさい。漠然とでもいいわ。貴方はいま敵を攻撃する戦士よ。そのイメージをプレイにぶつけなさい‼︎」


 なんとなく彼女の言わんとすることが理解できた。


 このERUPTIONという楽曲は超絶技巧の筆頭に挙げられるほどの難易度と知名度を誇っている。


一小節の中に何十個もの音符が並んでいる数える気もなくすほどの早弾きで、しかも左手だけでなく右手の指も使って押弦する―――ライトハンドまたはタッピングという―――奏法を要する。


 それゆえに正確に再現しようとすれば勢いのようなものが曲から失われてしまう。なので、楽譜の再現に捉われずに弾け、ということだ。まぁその前に、正確にすことは俺にはまだ難しいが。


上等だ。いま俺にある『こいつらをぶっ倒す』というイメージを全てこの曲に込めてやる。


いつの間にか、俺の周りで起きている全ての不可思議で奇天烈な現象を、俺が違和感なく受け入れてしまっている。


曲は中盤まで進んだ。


赤髪の男は、握り潰されそうになっている右拳を何とか解放しようと、左拳で手甲を殴ったり開かせようとしていたが、やがて痛みのためか失神した。


《鋼鉄の籠手》は、失神した男を解放すると、そのままゆっくりと前に移動した。


「おお……」


 男達は再び後退る。しかし恐怖に生存本能や闘争本能を刺激されたのか、ある者は逃走し、ある者は果敢にも籠手に立ち向かって行った。


 襲いかかった勇敢(?)な最後の一人である緑髪の男は、籠手を二発殴ったところで籠手にデコピンをされ昏倒した。


「もういいわよ」


 少女の声に、ハッと我にかえった。


 俺は演奏を止める。


 このとき俺は、眼前の籠手を初めてまともに視た。


 よく視ると籠手は肘の部分までで、籠手は腕周りをぐるっと包むデザインになっている。本来腕があるはずの空洞には、チラチラと炎が詰まっていた。


 やがて鋼鉄の籠手は出現した場面を逆再生するように、ゆっくり途中にすけて消えて行った。


「終わった……のか?」


 俺は呟いた。


 しかし、俺の声に答える声はなかった。


〜To be continued〜

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