清少納言と、ふみちゃん

 桜の花も散り終え、新緑が目に優しく温かい季節になりはじめた。GWの恒例ということで、図書館裏の公園には家族連れのピクニック客が多くみられる。彼女と出会い一年近く経つが、それでも僕らは毎週のように会って話をするということは変わらなかった。僕たちの関係も。

「いい季節ね。温かくて、優しい」

 彼女は気持ちがよさそうに伸びをしている。今にも芝生の方へ行って寝転びだしそうだ。

「君はどんな季節も好きだと言っている気がするな。冬は人のぬくもりがより感じられる気がするから好きだとか、秋は夕暮れが綺麗だとか、夏は青春の匂いがするだとか。君は清少納言なのかい」

 つまらないジョークを言う。

「そんな文才はないわよ」

 彼女も同じように返す。ただ、と一言付け加えた。

「確かに、暇人なところは似ているかもしれない」

 そう微笑んだ。彼女はいつも図書館にいる。彼女が来なかったことはほとんどないし、それは本当のことなのだろう。そういえば、僕は彼女のことをあまり知らない。僕らは、お互いのことを知ろうとする関係でもない。

「あと、私はすべての季節が好きよ。日本に生まれてよかったと思うもの。そういう点でも清少納言かもしれないわね」

 面白くもない冗談をふふ、と笑いながら彼女は言った。すべてが好きなら語るまでもないだろうと思うのだが、そうした感動を口にせずにはいられないのが彼女の性格上の特徴であるともいえる。いまどき、珍しい人間だなとよく思わされる。

「あぁ、君は清少納言だ。これからは君じゃなくてそう呼ぼうか?」

 特に何も考えずに言葉を返す。ふと遠くを見遣ると、六歳くらいの女の子が一人シロツメクサの中でクローバーを探している。

「そうね、君とは呼ばなくていいけれど、清少納言じゃなくて四葉がいいわね」

 不意を突かれて彼女の顔を見る。したり顔の彼女が僕を見ていた。

「そこは気分で呼ばせてもらうよ」

 驚いたことを表に出さなかったように返す。たかが名前だ。何も思うことなどない。

「そう。残念ね。私はいつも五月くんと呼んでいるのに」

 綺麗な眉を曇らせる彼女は、やっぱりどこか得意げなのである。僕はやれやれと言わんばかりに空を見上げる。

 しばし沈黙の時間が流れる。語らない間もどこか話をしているような感じがするのが彼女との時間である。そうしていると、先ほどクローバーを探していた少女が僕達のところにやってきていた。

「これ、お姉ちゃんにあげる。お姉ちゃん、お姫様みたいだから」

 少女はいつの間にか作り上げたのだろうシロツメクサとその葉の花冠を彼女に差し出した。なるほど。美人は子供にも愛されるのか。少女が純粋なだけかもしれないが。不意のことに目を丸くしている彼女を見遣る。

「ありがとう。けれど、これはお嬢ちゃんの方が似合うんじゃないかな」

 少々困ったように笑いながら、少女に花冠を返そうとしたが少女の手によって遮られていた。

「いいの。ふみは自分で作れるもん。お姉ちゃん絶対似合うから被ってみてよ。お兄ちゃんは王子様。お姉ちゃんはお姫様なの。お似合いでしょ?」

 無邪気に嬉しそうにまくしたてる。ふみちゃんというらしい。突然王子様などと言われて戸惑いながらふみと名乗る少女を見ると、自分に差し出された四葉のクローバーに気づく。思わず受け取ってしまった。

 「お兄ちゃんは、お姉ちゃんに四葉のクローバーを渡すの。お兄ちゃんとお姉ちゃんは王子様でお姫様なの」

 えへへと可愛らしいその顔をピンクに染める。思わぬ展開に僕らは顔を見合わせた。

 「ふみちゃんは、お姫様じゃないのかな?」

 ふみちゃんと同じ目線になるまでしゃがんだ彼女はそう返した。

「ふみちゃんはねえ。魔法使いなの。お姫様や王子様を幸せのクローバーで幸せにするの」

 ふみちゃんは、指をビビディバビディブーと言わんばかりにその小さなイ人差し指を小さく振りながら言った。どうやら、そういう年らしい。

 「ふみちゃんはとっても優しい子なのね。それじゃあ、この花冠貰っておくね。ありがとう」

 この問答はどうにもならないことを察したのだろう。彼女はすんなりと手に持ったままであった花冠を被った。白いシロツメクサと緑のクローバーで織りなされた花冠はなんだか悔しいくらいに彼女に似合っていた。

「ほら、やっぱりお姉ちゃんにすごく似合う。お兄ちゃんもそう思うでしょう? 思わない? 」

 純粋な瞳が僕に問いかける。

「ああ、とても似合っていると思うよ」

 本心だか社交辞令か自分でもわからないままに言う。彼女はというと少し照れくさそうに笑っていた。その顔がなんだか珍しく感じ、もう少し見ていたいような気がした。そこでひとつ思いついて、口に出す。

「このお姉ちゃんの名前、四葉って言うんだよ。似合っていて当り前だよ」

 柄にもないセリフだが、なんだかおもしろい風になるような気がした。

「お姉ちゃん、四葉お姉ちゃんって言うんだ。ふみやっぱり魔法使いだ。すごくかわいい名前。いいなあ」

 ふみちゃんは少々興奮気味に言った。そうすると、彼女はやっぱり元々桃色に染まりかけていた頬をさらに赤くした。どうやら、こうした場面に慣れてないようだ。たくさんの男が彼女を口説いてきたはずだから、その種の言葉には慣れているような気もしていたがそうでもないらしい。なんだか、彼女の新しい一面を見つけたような気がした。そこで、僕は先ほど少女に手渡された四葉のクローバーを彼女の耳にかける。

「僕のお姫様。四葉のクローバーがよく似合いますね」

 そういってかしずき、彼女の手の甲にキスするふりをした。少女がうわあ、素敵と声を上げる。思わず顔を覆った彼女の表情は見えなかったけれど、きっとさっきよりも赤くなっているのだろう。いつもしてやられているので、たまには仕返しというやつだ。しかし、そんな彼女を見ていたらなんだかこちらまで気恥ずかしくなり、片手で顔を覆い思わず笑ってしまった。ふふっと笑った僕の笑い声につられてか、彼女もふみちゃんも笑っていた。そうしてくだらない話をしばし続けていたところ、ふみちゃんの母親と父親らしき人があいちゃーんと呼ぶ声が聞こえてきた。どうやら帰る時間らしい。

「お兄ちゃん、お姉ちゃんまたね」

 小さいもみじのような手をひらひらと振ってふみちゃんは去っていった。僕らにも確かにこんな時期があったのだろうか。なんだか嘘みたいな気がする。子供と大人なんてどちらにせよ同じ人間ということにかわりはないはずなのに、何故こんなにも違う生き物のような気がするのだろう。いつから、あんなに笑ったりしなくなったのだろう。そんなことを思いながら手を振り返して、ふみちゃんが見えなくなるのを待った。ふと横を見るとまだ花冠を被り耳にクローバーをかけた彼女が儚げに立っていた。その姿は、なんだか見ていられないくらいに綺麗だった。

「なんだか、嵐みたいな子だったわね。いつもならこんな恥ずかしいかっこなんて頼まれたってしないのだけれど。子供ってすごいわね」

 ふふふと笑いながら、彼女はその頭に被っていた花冠を頭から降ろす。

「いや、僕もついついのせられてしまったよ。柄にもないことをしてしまった」

 そう言っている間に彼女の耳にまだクローバーがかかっていることに気づき、そっと手を伸ばした。彼女はすっかりその存在を忘れていたようで、何をするんだといわんばかりの目で僕を見た。それに構いもせずに僕は彼女の耳からクローバーをスッと取り上げた。

「ほら、忘れていただろう? 」

 そう言って彼女に手渡す。少し焦りを帯びていた彼女の表情は安堵に変わる。何を想像したのだろうか。

「キスでもされると思ったのかい」

 思ってもないことならいくらだって恥ずかしがらずに言える。

「殴られると思ったのよ」

 すねるように彼女はそううそぶいた。意地の強い彼女のことである。照れ隠しなのだろう。

「まぁ、キスしても私はよかったのだけれどね」

 さあどうだと言わんばかりに僕にそう言った。今度は僕が面食らう番だった。しかし、こんな調子の会話は最近慣れてきている。

「僕はアメリカ人じゃないからね。好きでもない若い女性にキスなんてしないさ」

 うっかり乗ってしまうとそこは彼女のステージになってしまうのであえてそこにはかぶせない。そうね、あなたはそういう人だわとこどものように拗ねる彼女を放っておいて、ふと思ったことを告げる。

「でも、確かに似合っていたね」

彼女が手に持っている花冠と四葉のクローバーに人差し指を向けた。

「なんてったって四葉ですもの」

ツンと顎をあげて高貴な貴婦人を彷彿とさせるようなポーズをとる。そして、その言葉に一言続けた。


「でも、私に四葉なんてほんとうは似合いはしないのよ」


 思わず、彼女が泣くのではないかと思った。彼女が哀しそうに笑う表情を今まで何度となく見てきたが、こんなにも泣きそうな彼女を見たことはなかった。けれど、その理由に踏み込んでいいのかなんて自分にわかるはずもなかった。

「え、今何か言ったかい」

 僕は一番今を動かさないであろう言葉を選んでいた。彼女を必要以上に知ってはいけないような気がしていた。彼女はなんでもないわとその悲しげな表情をいつもの微笑みに直して言った。その日は、なんだか会話も弾まずになんとなく別れた。


 

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