1章・第4話 消えた創刊号③

「すみません、お待たせしました」

 裕子と共に文芸部室へと戻ってくると、早御坂さんは部屋の奥の机に置いてあるPCを使って何やら作業をしていた。私の声に気付くと早御坂さんは振り向き様に「おお、ご苦労様」と言って徐に席を立った。PCのあった机にはキャンパスノートや何かの資料、筆記具が置いてある。

「それで、どうだった?」

 早御坂さんは私と裕子が各々腕に抱えている物を方を交互に見ながら言った。

「はい、絶対百パーセントこれとは言えないのですが、一応筋の通る解答は用意出来ました」

「お、あさひ。自信満々だねー。流石は名探偵」

「おだてなさんな、全く」

「まあ、別に外れててもいいよ。流石に絶対正解しろだなんて烏滸おこがましい事は言わない。要は、筋が通ってればいいんだ」

「はい、私もそのつもりで解答させていただきます。で、ですね、私は探偵的な演出は出来ませんから、もう早速結論から言っていいですか?」

「ああ、構わない」

「ありがとうございます。では言わせていただきます。結論から言いますと、

 一瞬場がしんとした。まあ、これは仕方が無いのだろう。当然こういう反応になることは予想していた。

「存在しない?」

 早御坂さんは眉を吊り上げ、腕を組む。

「ええ。では順を追って説明します」

 私は腕で抱えていたアルバムを机に置こうとするが、生憎スペースが枯渇していた。しかし、裕子がすぐに気付いて机の上を整理してくれた。私は空いた手で部誌の二号、三号を手に持ち、早御坂さんに背表紙が見えるようにする。

「先ずは部誌に感じた違和感からなのですが、これ、何か気付きませんか?」

「そう言われてもな。タイトルは変わらんし、二号が分厚い位しか違いが分からん」

「そう、それです。分厚いんです。具体的には二倍位」

「ん、どういう事だ?」

「分厚いという事はページ数が多いという事なんです。それって単純に、質はともかくとして量としては二倍あるって事になります」

「ふむ、成程。いやしかし、別に可笑しいという程ではないと思うぞ。他所は知らんが、少なくともうちの部誌はページ数なんてころころ変わってるし。現に、二年前に出した号だってその二号と同じく百数十ページ近くいってたしな」

「確かに、これだけでは可笑しいという事にはならないかもしれません。これは取っ掛かりに過ぎないんです。ちなみに早御坂さん、二年前の部員数ってどれくらいいたとか分かりますか?」

「ああ、確か先輩から聞いた話だと十人位だったかな。二年生が四人と三年生が六人。んで、去年二年生だった先輩方も卒業して今に至る」

「ちなみに今は二年生が一人で、我らが一年生が二人だよ」

 裕子が補足する。実にでこぼこした部員数の推移だが、今はそれはいい。

「成程ですね。それなら、部誌を作るのもさほど苦労しませんよね。大雑把に言って一人十数ページ程度書けばいいんですから。小説なら五千字から一万字くらいですかね? まあちょっとした短編小説を書く位で手間はかからないと思います」

「まあそうだ、な。待てよ」

「あれ、気付きましたか?」

「いや、いい。続けてくれ」

「はい、分かりました。まあ二年前の世代の人数なら百数十ページの分厚さは可笑しくはないんです。ただ、この二号目はどうでしょうか? 一応見てみたのですが、編集部からの一言に当たるものが書かれていません。となるとつまり、おっと、ありがとう」

 裕子が察してくれたのか、私が持っていた三号目を代わりに持ってくれた。私は二号の裏表紙を捲って後書きを早御坂さんに見せる。

「一九六七年の五月当時、部員はこの編集委員二人しかいなかった事になります」

「ふむ」

「んで、もうすっかり気付いたかもしれませんが、二人でこの百数十ページをこなすのはまあ普通は有り得ないですよね? そりゃあ、中には一週間位で一冊の長編小説を書いてしまうような作家もいるとは思いますが、この編集委員二人は当時は学生です。勉強もあったでしょうに、こんな事に一人六十ページも時間を使える程暇ではないでしょう。そして実際、この部誌には二人以外の執筆者達による寄稿がいくつかありました」

「ん? 済まない、ちょっと待ってくれ」

「どうぞ」

「二人以外の寄稿があったって事は、それこそ二人以外の部員がいた証拠になるんじゃないか? 彼らの後書きが無いのは不自然だが、付け忘れたって考える事も出来る」

「確かに、頭が良かろうが所詮は学生ですから、そんな事はあり得るかもしれません。事実、私もその可能性は疑いました。ですので、私はそれを確かめるために当時の卒業アルバムを拝見させてもらいました」

 そう言って私は机に置いていた卒業アルバムの所まで歩き、それを開きながら二人を招き寄せる。

「六九年の卒業アルバムにある一九六九年の年の卒業生を見ると、南恩寺明さんと新宮チカさんの名前と写真がありました。同じクラスだったみたいですね。この顔を覚えておいてください。それで、こっちが六八年の卒業アルバムに収録されている当時の部活紹介の写真です」

「あ」

 裕子が思わず声を漏らした。「ほお」と、裕子につられてか早御坂さんも唸る。

「部活紹介には先程見た人がいます。つまり、南恩寺さんと新宮さんです。でも、この二人以外には学生がいない。そう、六七年四月から六八年三月にかけての部員は南恩寺さんと新宮さんの二人しかいないんです。つまり、部誌には部員ではない者の寄稿が掲載されているという事になります」

「確かに、これはそうなってしまう……いや、部員が部誌の発行後に辞めてしまったという可能性があるんじゃないか?」

「そうですね、有り得ない可能性ではないです。今まで出た事実だけなら」

「ふむ」

 それで納得したのか、早御坂さんは腕を組んだまま黙ってしまった。

「でもじゃあ、あさひ。その謎の寄稿者達って誰なのさ」

「OBだよ」

「OB?」

 裕子が首を傾げる。

「うん。二号目の部誌に寄稿しているのは南恩寺さんと新宮さんの他に三人いる。それが浅田光彦さんに大前篤さん、それに久我山彩子さん。んで、一九六七年のアルバムの三組と六組を見る」

 裕子が私の代わりにアルバムを開く。


 三組 浅田光彦。

 六組 大前篤、久我山彩子。


 そこには、部誌に書かれた名前と同じ名前が記載されていた。早御坂さんは今度は自ずからといった具合で「おお」と感嘆した声をあげた。

「卒業アルバムは勿論、卒業生の紹介しかされません。故にそこに写真と名前がある以上、浅田さんと大前さん、久我山さん三名は一九六七年五月時点では既に卒業済で学校にいないという事になります。にも関わらずそこに記載がある。何故か。恐らく、文芸部を創部したと思しき三人は卒業までに部誌の完成に漕ぎ着けなかったからではないかと思うのです。だから、結局卒業後にそれを寄稿する事になった」

 早御坂さんは静かに相槌を打つ。何も返事がないのは、続けてくれという合図なのだろう。

「この憶測にも一応理由はあります。そう思い至ったのは、編集後記のあの一文です」

「願わくは先輩諸氏への誠の手向けとならんことを、か」

「そう、それです。手向けというのは結局世に送り出される事のなかった先輩達の作品を掲載する事だと思います。やるせないですもんね、折角先輩達が頑張って作った作品が日の目を浴びないなんて。不完全燃焼もいいとこです。当時の様子は分かりませんが、南恩寺さんと新宮さんはきっと先輩達に世話になったから、その恩返しも兼ねて先輩達がついぞ果たす事の出来なかった作品の掲載を代わりに叶えたんです。そして、創刊号たる一号目は先輩達への敬愛を込めて永久欠番とした。部の発起人はあくまで先輩達で、自分達はその後を継いだのだという事を示すために。以上です」

 言い終えて、私は軽く礼をする。もう喉がからからだ。飲み物が飲みたい。

 私が頭を上げるか上げないかというタイミングでぱちぱちと手を叩く音が聞こえた。拍手をしていたのは、早御坂さんだった。

「いや、素晴らしいね。短時間でここまで練り上げるなんて」

「こんなので良かったんですか? 正直なところ裏取りもしてないので、事実は異なるかもしれないのですが」

 本当に真相を知りたいのなら、当時の人間に聞くのが一番手っ取り早いだろう。が、既に年月が経ち過ぎていて本人達もあやふやな可能性もあるが。

「いや、構わない。言っただろう、筋が通ってればいいって」

「でも、私が話した事は本当の事とは限りません。もし私の言っていた事が間違っていた場合、事実と反する事を載せる事になりますが、それはちょっと」

「勿論、嘘の事を本当の事のようには載せないし、裏は取るさ。仮に真相が違っていても構わない、君が示した過程が大きな手がかりになるからだ。例えば、当時の先輩達に聞いてみればいいというヒントだ。そもそも創刊号が存在しないという発想が無ければ、この考えに至らなかった。何故なら、号が無いという事実は後の誰かが何かのきっかけで紛失したからと考えるのが自然だからな」

「そうですか、それならいいのですが」

「ありがとう、菅原さん。あー、ささやかなお礼しか出来ないが、何か欲しい本などは無いか?」

 少し照れくさそうにしながら早御坂さんは言った。

「んと、それって」

「まあ文芸部なりのお返しだ。それとも、君は本は読まないか? それなら飯でもいいが」

「いいえ。んじゃあ折角なのでお言葉に甘えて」

 私は前から欲しかったハードカバーの本を希望した。文庫本に比べて割高だが、こんな謎解きに付き合わされたのだ。少しくらい我儘わがままを言ってもいいだろう。

「ああ、分かった。じゃあ明後日にでもまた取りに来てくれ」

 早御坂さんは嫌な顔ひとつせずに快諾してくれた。なんと懐の深い人だ。私もこれくらい心の広い人間になりたいものだ。

「ほんと感謝です」

「安いもんだ。長年の謎が解決されたんだからな」

「いえ、そんな……ん?」

 ふと地面を見ると、何か四角い真っ白いものが落ちていた。どうやらそれはなんの変哲もなさそうな紙片のようで、拾い上げると文字が書いてあった。


   これは始まりの合図だ

   由宇亜美


 なんだこれ? 誰かの落書き?

「どうしたん?」

 裕子が首を傾げて私を見る。

「ああ、これなんだろうって思って」

 そう言って私は裕子に紙片を見せると、裕子は「うーん」と唸る。

「只の悪戯書きじゃない?」

「まあ、そうなんだろうけど」

「どうした、二人共?」

「早御坂さんはこれについてご存知ないですか? 地面に落ちてたんですけど」

「いや、見た事はないな。文芸部室は雑多としているが、そんな変な紙切れが地面に散乱する程、適当でもない」

 成程。一線とやらを定めてそこは必ず守るようにしているのか。考えてみれば、早御坂さんはあまりいい加減な感じには見えない。

「アルバムにでも挟まってたんじゃないん?」

「そうかもね。生徒の悪戯かな」

 しかし、なんの事だ。始まり?

「まあ好きにすればええんでない。捨てるなり、元に戻すなり」

「流石に捨てれんよ」

「ふーむ、文芸部室の何かから落ちた可能性もありか。取り敢えずうちで預かっておこうか」

 早御坂さんは言った。

「いいんですか?」

「ああ、別にかさばるもんじゃないし。最近、職員室に届けるまでもないような落とし物があるから、専用の小箱を作ったんだ。そこに入れておく事にするよ」

「分かりました。じゃあお願いします」


       〇


 文芸部室を出た後、卒業アルバムを返却しに再び図書室へと向かう。裕子も一緒だが、部室棟からまた校舎へと向かうのはやはり気が重い。

 それにしても、

「まんまとおだてられたかな、これは」

「おだてられたって?」

 私がぽつりと呟いたのを、裕子は聞き逃さなかった。

「早御坂さん、真相を知ってたんじゃない?」

「ふーん? 何故そう思うの?」

「二つ理由はあるわ。先ず一つ目は、謎解き開始早々に早御坂さんが二号の事を言及した事。これ、出だしに私が推理の方向を間違えないように誘導したんじゃないかな」

「え、でも創刊号の次の二号に目を付けるのは普通じゃない?」

「そうね。だから、これだけじゃまだ確定とはいえない。それで二つ目、早御坂さんが創刊号の発行月を知っていた事」

「創刊号の発行月? 知ってて変かな」

「変だと思うよ。だって、創刊号が無いのに何処で発行月を知ったのさ」

「ああ、言われてみれば」

「類推して導き出したにしろ、当時の誰かから話を聞いたにしろ、早御坂さんは創刊号が無いという可能性、あるいは真実に行き着いていたって考えられる。だから創刊号の発行月はとりあえず私が推理しやすいように言ったか、あるいは、本来創刊号が発行される筈だった月を言ったんだと思う。ね、そんなこんなで早御坂さんは結局のところ知ってたんじゃないかな」

「もしあさひが言った事が真実だったとして、早御坂さんはなんでそんな回りくどい事をしたのかな?」

「部外者に解いてもらいたかったからだよ」

「部外者に?」

「うん。だって創刊号が無いという謎を文芸部員が解いてもさ、それは話題作りのための自作自演の可能性を疑われるよね。文芸部員なら真相は知ってるだろうってね。それに、文芸部だけで完結する話だから内輪間も出てくる。で、そこで部外者だ。部外者が文芸部の謎を解く事で創刊号が無いという話が面白味を帯びてくる。部外者なら、真相も知らないだろうからね」

「そう言われると説得力あるように感じるけど、早御坂さんそこまで考えてるかな」

「分からないよ。私が語ったのは本当に只の憶測でしかないし。ま、もう過ぎた事だし、どうでもいいよ」

「真相は藪の中、的な」

「そういう事。なんでもかんでも明らかにしなくてもいいのよ。面白い話は考察の余地を残すもんなの」

 そう言いながら私は早御坂さんの事を思い出す。私のこの推測は只の推測でしかないが、もし私の推測が当っているとすると、私は釈迦の掌の上で踊り狂う愚かな妖猿だったというわけだ。全く、恐ろしい男だ。

「しっかしあさひさん。本日も絶好調でしたね。流石、といったところか」

「ありがとう。お世辞でも超嬉しいわ」

「お世辞じゃないぜ、本気だよ」

「そう? なら尚更嬉しい」

 部室棟と本校舎を繋ぐ渡り廊下を歩きながら、私はふとある事に思い至った。

「っていうか今更過ぎるんだけどさ、裕子はなんで文芸部の部長と知り合いなのよ。あんた確か和楽器同好会じゃなかったっけ」

「あれ、言ってなかったっけ。私文芸部にも入ってるんだよ。兼部よ兼部」

 言ってなかったわ。初めて聞いた、そんな事。

「それって両立出来るの?」

「出来るわよ。和楽器の方は週四日だし、文芸部は割と自由に来てどうぞ、って感じだし。余裕」

 そう言って裕子はピースする。

「何故また文芸部」

「文芸部は人手不足でさ、実際のところ私も数合わせで入ったようなもんなんだよね。ほら、上原君も入ってるよ」

「え、そうだったんだ。なんで言わなかったんだろう」

「さあ。敢えて言う必要なかったから? まあタイミング逃したとかそんなじゃないかな。ところでさ、菅原あさひさん」

「なんだ、藪から棒に」

「あさひもどう?」

「何が」

「文芸部」

「断る」

「なんで?」

「理由が無い」

「無くて結構」

「美術部入ってる」

「ぶっちゃけ籍を置くだけでいいんだよ。部を助けると思ってさ。早御坂さん見たでしょ」

「裕子。ひょっとして彼の事が好きなのか?」

「そういうんじゃあらしまへんよ。早御坂さんの事は尊敬してるけど、それはそれ、これはこれ。別物。単純にさ、私も文芸部を存続させたいだけなんだ」

「やれやれ」

「あ、もしかしてそのやれやれは」

「考えとくよ」

「って、それ断る時の常套じようとう手段じゃん」

「そうだったかね」

 私のは特に社交辞令でもなんでもない本当の考えとくなのだが、しかしそれを言ったらまた面倒な事になりそうなのでやめておく事にした。

 思うに、今回の件は単に不定期に発行するとかいう部誌のネタ集めの要素だけでなく、文芸部に関心を持ってもらうためにやったものだろう。極めて日常的な謎であり小説にするには役不足だが、現実的に起きた事としてはそれなりに話題には出来る。もっとも、これくらいで増えるとはあまり思えないのだが。

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