1章・第3話 消えた創刊号②

 夕暮れの日差しが窓から差し込み始めた図書室の中は数人の利用者しかいなかった。誰もが熟練の暗殺者の如く息を殺すかのように音を立てず、実にしんとしている。それもそうだ。わざわざ放課後に好き好んで図書室に行くような人間など少ないだろう。今頃大多数の学生はめいめいの部活動に精を出すなり、帰るなりして充実した時間を過ごしている筈である。何が悲しくてお行儀の良い本ばかりが陳列されているであろう退屈な書室に赴かねばならないのか。健全な男子高校生にとっては図書館にあるような高尚で婉曲的なエロ本より、コンビニや書店で売られている低俗で直截ちよくさい的なエロ本を手に取った方が得られる幸福度は遥かに高いであろうし、健全な女子高校生に至っては、その発情した心を満足させるシチュエーションなどをそのうらぶれた書架から見出せはしないのだ。にも関わらずこんな所にわざわざ来る人間は可及的速やかに解決したい事があるために仕方なく来たか、さもなくば変態だ。もっとも、変態である事を悪いとは全く思わないし、むしろ多少好ましくも思うが。

 私は図書館を一望した後にカウンターの方へと目を移した。そこにはちょこんと、学ランを着たなんとも愛らしい美少年が座っていた。彼は私に気付き、さらさらな髪を揺らしながら手をひらひらと振って挨拶をする。

「上原君」

 彼の名前は上原言也うえはらことや。一緒のクラスの男子であり、見た目に反してとても元気で活発な子であった。あまり他人との間に壁を作らず、男子だが女子からも話しやすいと思われているようだった。多分、私とは正反対の子であろう。

「やあ、放課後以来だね。っと、藤原さんも一緒か」

 ども、と言って裕子は上原君に手を振り返す。

「っていうか、上原君って図書委員だったんだね」

「まあね。本は結構好きな方なんだ」

「へえ、どんなの読むの?」

「フィクション系の小説を中心にオールジャンルかな。ミステリも読むし、ファンタジーや伝奇ものも読むし、SFも読んだりする事もある」

「雑食系って訳ね」

「そういう菅原さんは普段どんな本を呼んでるのかな?」

「私も同じ雑食性。強いて言うならミステリかな」

「ふーん、それはどうして?」

「そうね。勝手な偏見だけど、ミステリは一番カタルシスが得やすそうだから。ほら、ミステリってオチが重要だと思うの。他のジャンルだってオチは強い方がいいだろうけど、やっぱり一番オチに意識を向けるのはミステリだろうし。どんでん返しとかくらった時のなんかこう、興奮性物質が分泌される感じが堪らないんよ」

 気が付くと、私はカウンターに手を付けて語っていた。慌てて手を引っ込める。そんな私の様子を見て上原君は苦笑していた。

「いや、失礼」

 私は声のトーンを意識的に引き下げて言った。ここは図書室だ。利用者は数人しかいないが、兎に角静かにしなければいけない。何が可笑しいのか、後ろでくすくす笑いを押し殺している裕子がいるが、それは無視する事にした。

「クールかと思ったら、菅原さんって結構熱いんだね」

「別にクールじゃないよ。私だって人並みに話すし」

「そっか。それは何よりだ」

「そんな事より、上原君」

「何?」

「文芸部の早御坂さんから話がいってると思うのだけど、ここに学校の歴代の卒業アルバムがあるのよね」

「そうだね、所蔵してるよ。でも禁帯出だったと思うけど、どうするつもりなの?」

「まあちょっとね、野暮用」

「野暮用ね。ああ、ひょっとして文芸部の部誌の件かな」

「知ってるんだ」

「まあね。前に早御坂さんから聞いたんだ。それで、卒業アルバムは何年度のがご所望かな」

「ああ、そうだったね」

 そういえば早御坂さんには卒業アルバムの年度まで伝えていなかった事を思い出した。まあ、だからといって大事な卒業アルバムが揃っていないとは到底思えないが。

「えっとね、一九六八年と、一九六七年、後は一九六九年をお願い」

「分かった。ちょっと待ってて」

 そう言って、上原君はカウンターの奥の部屋へと消えていった。

「裕子」

「ん、何?」

「多分これだって目星は付いたんだけど、もし外れてたら私この件から手を引くわ。悪いね」

「いんや、構わないよ。半分駄目元でもあったし。こっちこそ無理に付き合わせて悪かったね」

 裕子は申し訳なさそうに言った。

 ふと、カウンター上にあったPCに目が留まる。PCは旧世代のものか。薄型全盛期のこのご時世に大きな図体をしている。画面は見えないが、ひょっとしてOSは95のものだったりするのだろうか。PCについてはよくは知らないが、以前ネット検索した時にセキュリティの問題で今は推奨されていないという文章を見た気がする。

「だいぶ古いよね、これ」

 裕子も関心を持ったのか、その箱型のPCへと視線を向けて言った。

「そうね。ノスタルジー感半端ない」

「ああ、それ言えてる」

 そのPCを特に理由もなく見ていると、上原君が仰々しい本を抱えて持ってくるのが視界に入った。

「そのPCね、本当は買い替えるべきなんだけど、予算が降りてないらしいんだ。ネットに繋ぐ必要はないから問題ないって事で後回し」

「そうなんだ。でも古すぎない?」

「これもうレトロだよね」

 暇を持て余したのか、割って入る裕子。レトロ、まさか現代機器を象徴するPCに対して使われる日が来るとは、数十年前の人たちは思いもよらなかったであろう。

「ああ、モニターに関してはね。でも、頭脳自体はもう少し新しいよ。まあ最新と比べるとそれでも何世代か古いけど」

「古いやつで大変だねえ」

「そうでもないよ。少しもたつく時あるけど貸出ってそんなに多くはないし。勿論、最新に出来るならそうしたいけどね」

 上原君はにっこりと笑う。

「それで、これが言ってた卒業アルバムだね」

 そう言って上原君はシックな装丁の本を胸の前に持って見せた。

「ありがと。ちょっと見せてもらうね」

 そう言って私は図書室の空いてる席に座ってその重々しいページをめくり始めた。

「何を調べるの?」

 小さな声で裕子が語りかけてきた。

「卒業生一覧と部活紹介の欄。後で一緒に裕子にも説明するから、ちょっと我慢してて」

「ちぇっ、分かったよ」

 そう言うと裕子は近くにあった雑誌コーナーへと向かう。どうやら束の間の暇潰しをするらしい。

 私はそれを脇目に三つの卒業アルバムを漁る。そして目的のページに辿り着いて、私はそれらの事実を確認した。

 ビンゴだ、多分そういう事だろう。

 私は卒業アルバムを閉じ、席を立ってカウンターへと赴く。裕子もそれに気付いたのか、手に取っていた文芸雑誌を置いてカウンターに戻ってきた。

「ねえ、上原君。しおり持ってない? 三つ、いや、四つ」

「あるけど、それに挟むの?」

 怪訝な顔をしながら上原君は尋ねた。

「うん。まあ後でちょっとね」

「まあ、別にいいけど」

 私は上原君から栞を貰うと、三つの卒業アルバムを順に開いて必要なページに栞を挟み込む。

「ねえ、上原君」

「今度は何かな」

「物は相談なんだけどさ、これ文芸部室に持っていっちゃ駄目かなー」

「うーん、それ禁帯出なんだけどな」

「そこをなんとか」

「やれやれ。じゃあこうしよう。今日の十八時半までに図書室までに返す事。流石に一時間半くらいあれば十分だよね?」

「成程ね。分かった、それで手を打とう」

「よし、契約成立だ。もし期限過ぎたら文芸部室に強制的に回収しにいくからね。じゃないと僕の首が叩き落とされるし」

「うんうん、大丈夫。ありがとう、恩に着るよ」

「別にいいって。まあ書庫に眠っているだけより、活用される方がアルバムとしても本望だろうし、そういったものが誰かの役に立つのは図書委員としても悪い気はしないから」

「はー君は良いやつだね」

「そんな事よりいいの? 早御坂さんを待たせてるんじゃなかったっけ?」

「おっと、そうだったよ。んじゃあ、借りてくね。あ、裕子」

「一つか二つ持てって事でしょ。分かってるよい」

 そう言って、裕子は机に置いたままにしていた本を二冊脇に抱えた。

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