1章・第2話 消えた創刊号①
「すみません、あさひさんいませんか?」
五時間近。私が真面目に部の活動に勤しんでいると、美術室に裕子がひょっこりと現れた。
もしかして先程の話を蒸し返しに来たのであろうかと心にもない事を思ってしまったが、どうやらそれは違ったようだ。
彼女ははっとして周りの美術部員に「申し訳ございません、少しの間失礼します」と軽く頭を下げた後、デッサンに励んでいた私の方へとずかずかと歩いて来た。
「あさひ」
「どしたのさ、いきなり」
「貴方の頭の良さを見込んでちょっと頼みがあるのだけれど」
「いやでも、今部活動ちゅ――」
「来週一週間ジュース飲み放題とかでも?」
「話を聞こう」
私は何を言っているのか。よりにもよって美術部員のいる前でこんな阿呆な事言わなくてもよかっただろうに。とはいえ、放任主義のうちの美術部でそんな事を気にする者など皆無なのだが。
「よかった。じゃあちょっと来て頂戴」
そうやって裕子は私の腕をがっしり掴む。そして美術部員達に「すみません、一身上の都合により少しお借りします」と頭を下げた後、私を連れて大股で美術室を後にした。
「ねえ、ちょっと」
「ん、何?」
裕子は振り向くが、歩くスピードは緩めない。
「どこに行く気なの? それを教えてもらわないと」
「ああごめん、言ってなかったね。文芸部室よ」
「文芸部室?」
「そう。
「さあ、存じ上げませんね」
「そっか、その人私達と同じ中学出身なのに」
「んなこたあ言われても、接点無かったら余程の事でもしてないと知りようがないし」
「まあそうなんだけど。まいいや。会えば分かるべ」
〇
文芸部室は部室棟三階の端にあった。美術室は本校舎の中にあるのだから、これは大移動と言わざるを得ない。
「ここよ」
取り立てて言うべき特徴も見当たらない簡素で無愛想なドアの前で裕子は言った。そうして彼女がドアをノックすると、「入って」と返事が返ってきた。
ドアを開けると、腕を組んでパイプ椅子に座っていた体格のいい男子生徒が立ち上がって出迎えてくれる。
「すまんな、藤原」
「いえいえ、お安い御用で」
男子生徒はこちらを見て一瞥する。どうやら彼が裕子の言っていた先輩らしい。中々角張った顔をしていて、平たく言えばごつい人だった。何処となく、梶井某を連想させる。
「どうも、菅原さん。わざわざ呼び付けて申し訳ない。早御坂という」
早御坂と名乗った男はパイプ椅子を勧める。座ると自然と目の前の長テーブルが視界に入るが、そこは書き殴ったような跡があるアイデア帳やら参考資料であろう本が雑然と並んでいた。これは性格なのだと思うが、机がこんなに雑然とした状態はどうも私の心をそわそわさせた。率直に言うと、目の前の混沌たる有様を整理して情報量が少ない机にしたいという衝動に駆られた。
「早御坂さん、ひょっとして私の事知ってるんですか?」
「ああ、それは中学で有名だったからな」
「え、そうなの?」
私が裕子の方を向くと、裕子は「うん、有名だったよ」と頷く。
「学年トップクラスの成績に運動神経抜群。おまけにあんたは美少女だ。そりゃ話題にもなるさ」
「そんな噂聞いた事無いんだけど」
「あさひのいる所で話するわけないじゃん」
「そりゃそうだけど」
話題にはなっていたのかもしれないが、思い返してみても自分が持て
しかし、それだけ有名で美少女と
「まあいいや。それで、早御坂さんは私に何の用ですか? 私に小説や詩とか短歌を書けと言われても、流石に文才はないですよ」
「流石にそんな事はお願いしない。俺がお願いしたいのはだな、謎解きだ」
「謎?」
「そう謎」
「ちょっと待ってください」
「どうしたの?」
「いや、なんで私が謎を解かなきゃならんのですか? 私は探偵じゃない」
「中学の時に探偵役として合唱コンの事件とやらを解決したと藤原から聞いたのだが」
「いや、あれは成り行き上で」
そういえばそんな事があったと思い出した。しかし、それについては特別な事情があったからやむにやまれずやったに過ぎない。
「それに、別に推理でもなんでもないですよ。丁寧に調べていけば、誰だって行き着く問題でした、あれは」
「しかし菅原さんが最初に解決したのだろう。それは冴えているからという事じゃないか?」
「早い段階で知り得ましたから」
「だが、君より早く知ってた人間は君より早くは解けなかった」
ああ言えばこう言う。私は半ば諦め気味にこう尋ねた。
「具体的には、何があったんですか?」
「おお、じゃあ引き受けてくれるのか?」
「話次第です。あまり入り組んでそうなら、
「ああ、助かる。謎というのはだな、部誌に関する謎だ」
「部誌……?」
「ああ、うちは文化祭の時期と卒業の時期と、後不定期に部誌を出すのだが、頼みたいのはその部誌に関する謎だ。部誌はそこにある」
そう言って早御坂さんは戸棚の一つを指差した。ガラス戸の中には文学全集などの他に『文新』と題された
「『文新』ってやつですか?」
その問いに早御坂さんは「そうだ」と返す。
「それで、謎というのは?」
私が問いかけると、早御坂さんは私の視線を誘導するようにそっと戸棚の一点を指し示した。私がそこを見やると、すぐにその事に気が付いた。
「始めの号が、ない」
一度見間違いかと思ったが、何度見返しても四号、三号、二号に続く一号ないし創刊号が見当たらなかった。
「そう。『文新』には創刊号が無い」
「ひょっとして、謎っていうのは創刊号を盗った犯人は誰かとか、そういう事ですか?」
私が言うと、早御坂さんは静かに首を振る。
「分からん。盗られたのかもしれんが、いずれにしろ昨日今日の話じゃない」
「どういう事ですか?」
「つまりだな、創刊号は俺が来た時からもう無かったんだ」
その言葉に思わず私は眉をひそめた。無かった? 早御坂さんが来た時から?
「解いてほしい謎というのはまさにその事だ。創刊号がいつ頃無くなったのか、何故、誰がやったのかを知りたい」
「知ってどうするんですか?」
「さっき、不定期で部誌を出すって言ったの覚えてるか?」
「はあ、まあ。って、まさか」
「そう、そのまさかだ。俺は創刊号の謎を解き明かす事で、部誌のネタにしようと思っている。こういう謎めいた事件は人の興味を惹きやすいからな。まあそうでなくても、記念すべき創刊号が欠けたままというのはどうも気になる、という事もある」
「成程ね」
「それでどうだ。協力してくれるか」
「まあ、一時間くらいで片付きそうならやりますよ。あまり難航するようならさっきも言ったように手を引きます」
「済まん、助かる」
そう言って早御坂さんは頭を下げて手を合わせる。
有難がられるのは悪くないが、私は仏でも菩薩でもないのです。
〇
「先に言っておくと、一応関係がありそうな二号辺りを見てはみたんだが、結局何も掴めなかった。俺には」
早御坂さんは言って、ため息をついた。
「そうですね。じゃあとりあえず、部誌の二号から五号あたりを見せてくれませんか?」
「ああ」
「ちょいと待ってね」
そう言って裕子は棚の扉を開け、部誌を番号の小さい順から四冊取り出すと、散かっていた机の物をどかして置いた。それは、無線綴じのモノクロ冊子であった。ぱっと見、二号は三号や四号などに比べて二倍程の厚さがあるようだった。
「とりあえず言われた通り取ってきたけど、これくらいでいい?」
「うん、ありがとう裕子」
私は二号を取り出してパラパラとページをめくり始めた。約百数十ページ程のその冊子には創作小説や詩の他に、文芸評論などが掲載されていた。執筆者は計五人、内容は特にこれといって何の変哲もなさそうなものだ。
当時センセーショナルな話題となっていた、イギリスのバンドグループの来日に関する私見が書かれたページを私はめくる。
発行月:昭和四十二年(1967年) 五月
編集員:南恩寺 明
新宮 チカ
最後のページには、二人の編集員の名前が発行日と共に掲載されており、他には印刷会社の名前や編集後記などが記載されていた。編集後記を見ると定型文の後に「願わくは先輩諸氏への誠の手向けとならんことを」などと一文が添えられている。
「早御坂さん、第一号の発行日とか分かったりしないでしょうか?」
「発行日か。そうだな」
「正確な日付じゃなくていいです。発行月が分かれば尚良、そうでなくても春とか夏とかといった大まかな時期でも大丈夫です」
「ああ、それなら昭和四十二年、一九六七年の二月だな」
「成程ね。貴重な情報ありがとうございます」
「ああ? そうか」
早御坂さんは首を傾げる。
「追加ですみません、歴代の卒業アルバムって何処に置いてあるか分かりませんかね」
「確認した事はないが、そういうのは図書館に行けばあるんじゃないか。ちょっと待て」
そう言って早御坂さんは机に置いていた携帯を取って電話をかけ、話を始めた。
「ねえ、裕子」
私は早御坂さんの邪魔にならないよう小声で裕子に語りかける。
「ん、何?」
「ここの部員って何人なの? 知ってる?」
「三人」
「三人って。大丈夫なの、それ」
「大丈夫じゃないだろね、それ」
「他人事かい」
「まあ他人事ではないね。今文芸部は部員集めに躍起になってるとこ。じゃないと、人数不足でこの歴史ある文芸部が空中に雲散霧消しちまうんだわ」
「成程ね」
特に文化部系は人が集まりにくい。じゃあ運動部系は集まりやすいのかと言われると、やはり運動部は運動部で不人気部活があるのだが、文化部系はその傾向が顕著だ。今所属している美術部だって、美術部の中に写真部、漫画研究会が含まれているが、これは一説には人数対策と言われている。他に英語研究会などもあったが、既に人数不足で廃部の憂き目に遭ってしまった。勝手な推測だが、個人で完結するような活動や一見すると地味な活動には人気が出にくいのだ。なんといったって学生である。もっと活動的で見栄えの良さそうな事をしたいと思うのが大多数なのであろう。
「まあここ駄目なったら早御坂さんは推理研究会に入るかとか
「おいおい」
「でもま、早御坂さんはあれでこの文芸部に愛着があるし、今も結構必死なのよ」
「そうなんだ」
早御坂さんは電話を切って机に携帯を置いた。
「確認したが、やっぱり図書室にあるらしい」
「分かりました。じゃあちょっと行ってきます」
「それはいいが、何故卒業アルバムなんだ?」
「後で説明します。少々のお待ちを」
文芸部室を後にしようとする私を早御坂さんは「ちょっと待った」と言って引き止めた。
「何か?」
「いや、図書室に行って誰に聞くつもりだったんだと思ってな」
「あ、そうだった」
少し格好付けてしまった故か、私は少し顔が火照っているのを感じた。
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