一章 ****の陰謀

1章・第1話 菅原あさひと灰色の日々

 幼い頃の事だ。私は幼馴染おさななじみのなっちゃんという子とよく遊んでいた。なっちゃんはよく白系のワンピースを着ることが多く、その姿は思わず嫉妬するくらい可愛かった。うろ覚えだが、そんななっちゃんに比べて私は中々男の子らしかったと思う。だから私はなっちゃんをよく色んな所に連れ回していた。

 なっちゃんは喜怒哀楽がとても豊かだ。例えば肝試しの際、私がなっちゃんを驚かせようと夜中の境内で白い着物姿に髪を振り乱した姿で追っていった時などは、命を削らん程に力の限り喚き散らしながら逃げるという子役顔負けの力量を見せつけた事がある。しかしその時は流石にやり過ぎと両親に叱られたものだ。私はやると決めたら万事徹底的にやる子供だったから、お化け役だって本物のお化けが尻込みするくらいのつもりで事に当たった。しかし、本気でやった結果両親に叱られるという末路を迎えた私は、時には手を抜いた方がいいという事もこの体験から学び取った。なお、叱られたのはなっちゃんが喚き散らす原因を作った張本人である私だけであった。

 そんな幼き日々のある時の事だ。私がいつものようになっちゃんを連れ回して遊んでいた時の事、なっちゃんはいつもより一層遠慮がちで、そして伏し目がちだった。当時の私は幼く、人の気持ちなどに想いをせる事も出来ない幼子だったから、つまらなさそうに見えたなっちゃんを少し怒ったような口調で問い詰めてしまった。そうするとどうだ、なっちゃんはせきを切ったように泣き出してしまったのだ。何故泣いてるのかを問い質しても泣くばかりで答えてくれないなっちゃん。怒った私は「もうそんなんだったら絶交するからね!」などと心ない罵声ばせいを浴びせ、家に帰ってしまった。

 結局、なっちゃんとはそれ以来会う事もなく、その内、なっちゃんは遠くに引っ越してしまった。

 その時私は気付いたのだ。なっちゃんは野蛮な私と違って乙女だったのだから、本当は外を駆け回ったりするような事なんかより、家や公園の砂場で女の子らしい遊びをしたかったのではないかと。でもなっちゃんは優しかったから私に合わせてくれてただけで、あの時泣いたのは、私のがさつな遊びに我慢できなくなったからではないかと。

 結局仲直り、というより謝る事も出来ないまま別れたなっちゃん。連絡する勇気も起きずそのまま本当に絶交となってしまった。今頃あの泣き虫さんはどうしているのだろうか? 虐められてなければいいが。

 そういえばそれを境にしてからだった気がする。従来私にあった奔放さが鳴りを潜め、慎重でどちらかというと大人しい、堅実、真面目と言われるようになっていったのは。


       〇


 私は恋愛漫画を読まない。恋愛小説も読まない。

 何故なら、登場する当て馬が決まって軟派なんぱな男だからだ。

 私は中学の時、友人に勧められて恋愛漫画を読んでみた事があったが、登場する気取った恋役に世の辛酸を舐め尽くさせるべく肥溜めの中にぶち込みたくなった事を覚えている。

 無論、私は世の恋愛漫画が全てそうだと言っているわけではない。中にはとても爽やかで健全な異性交遊を描いた作品も多数存在しているのだろう。しかし、そんなものをいちいち探す気にもなれないし、第一、他人の恋愛なんぞ覗き見たところで殊更そんな劇的な恋が出来ない自分が惨めに感じられるだけである。現実は創作物のようにはいかない。当たり前である。現実はジャンル分けなどされておらず、日常系が些細な事の積み重ねであったり唐突であったりでサスペンスに様変わりするなど実に雑多であるが、創作物というものはジャンルやテーマを阻害するイレギュラーは徹底的に排除されているからだ。キュンキュンキュンキュンいちゃつき合ってる男女に動物園から脱走した猿が糞を投げつけたりするような事態は絶対に起きないし、キス寸前のシーンなのに片方の口臭が意外にきつくて顔をしかめてしまい、千年にも等しい恋が瞬間冷却されるような事も絶対に起きない。良く使われる等身大という言葉も同様に信用ならない。結局作者におぜん立てされているのだから、そもそも現実の人間と作品の中の登場人物には越えられない圧倒的な格差があるのである。現実の人間にはそんな神の采配はない。もし仮にこの世界に神がいたとしても、その神様はソファに寝転がりスナック菓子でもむさぼりながら気怠げにこの世界の住人を観察して只々観察日記でも付けている事だろう。しかしもし本当にそうだったら、京都を流れる鴨川にでも放り投げてその肥え太った肉体を魚の餌にでもしてやりたいものだ。

「あさひさー、社交辞令でもいいから話とか加わったといた方がいいよ」

 放課後の事である。私が恋愛の話についてあまりに素っ気なさそうな態度を取っていたのか、目の前の席の友人、藤原裕子ふじわらゆうこにこんな忠告をされた。真ん中分けの栗色セミロング、おでこが特徴的なこの友人とは中学からの腐れ縁で、何故か高校でも一緒のクラスであり、尚且なおかつつ席も前後同士であった。

「一応加わってた気がするけど」

「えー凄いどうでもよさそうな態度が顔に出てたけど」

「え、まじ」

「あさひ。この際聞いてみるけど、誰か好きな人とかいないの?」

「あー、どうかなー」

「へー。その態度、いるんじゃん」

「いやそれ誤解。誰かいるかなーって探してただけ。でも思い付かんかったわ」

「本当?」

「ほんとほんと。そういう裕子はどうなのさ」

「いない」

「人に振っといていないんかい」

「さっきも言ったじゃん」

「ええと、そうだっけ」

 私がそう返すと、藤原さんはじとーっとした目で私を見つめ返す。

「やっぱ聞いてなかったんだあの――」

「そろそろ行くね」

 私は彼女の追求を逃れるように席を立ち、教室を後にした。

 気にならない人がいないわけではない。私だって、発情くらいする立派なホモ・サピエンスの一員だ。

 しかし、数が多すぎるのだ。人生の進路は一つに選ばねばならないが、何故恋慕する人間まで一人に絞らなければならないのだろう。昔はもっと大らかだったという。明治に素晴らしい技術や学問等が流入した事は有名だが、脳みそのひん曲がった偏屈野郎が考えた要らぬ倫理観まで持ち込まれてしまった。お陰で私はこんな窮屈な思いをしなければならないのだ。叶うものなら皆を等しく愛し、愛されてもよい世の中になってほしいものだ。そうすればみみっちい独占欲から来る痴情ちじようのもつれも少しは解消するだろう。サスペンスや推理小説から痴情のもつれによる事件が無くなってしまうのは少し寂しいが。


       〇


 大鶴おおつる高校は男子は学ラン、女子はセーラー服の進学校である。この高校は県立の癖に体育祭や文化祭などの行事が盛んな事で知られており、そのお盛んなイベントのお陰か卒業生の愛校心も高めであった。私こと菅原すがわらあさひはこの春、そんな市内の高校に進学した。自慢ではないが、私は客観的に見ても成績優秀者で運動神経も良好、また一般的に称賛され得る美的センスも持ち合わせていた。

 だが私の内面は灰色であった。何故なら、私は何事もそつなくこなしてはいるものの、ただそつなくこなすだけでは人生に潤いは生じなかったからだ。周りの人は上っ面の私を褒めてくれるし、時に羨ましがってくれるが、別によく出来る子が必ずしも青春を謳歌おうかしているわけではない。

 しかし、人生なんてそんなものだろうと私は思うのだ。別にこれといった起伏はないものの、別に楽しくないわけでもなく、それなりに日々の心の無聊ぶりようを慰めるものはある。下手に目立とうとせず、周囲を引っ掻き回さず、堅実かつ建設的に生きるのがよい。そしてメディアの放つ綺羅びやかな青春群像に振り回されず、日々の何気ない中に喜びを見出すのだ。今の人間は欲を肥大化させており、させられている。大人達が垂れ流している青春なんてそんなものは幻想で、誰もがそんな望むような世界を送れないし世界はそんなふうには出来ていないのだ。誰もが美男でもなく美女でもないし、誰もが何かに打ち込んだ結果、それに見合った結果が得られるわけではない。学校で出会いがあるとは限らないし、案外何も起きないものだ。

 灰色大いに結構。私は、薔薇色に恋焦がれて他人の迷惑など顧みもせずに暴れ回る大馬鹿野郎などには絶対にならない。只、困っている人にささやかな手助けが出来る、そんな小市民でありたい。


       〇


 裕子と別れ教室を後にした私は美術室に向かっていた。何故美術室に向かうのかというと、それは私が美術部の部員だからである。

 ふと校庭の方を見やると、そこには金髪ロングの女の子が友達と思しき女の子達と仲睦まじく話していた。

「ヒルデガルト・フォン・クノックス」

 私は呟いた。些か信じられない事だが、この公立高校には海外からの留学生がいる。それが、先程私が呟いたヒルデガルト・フォン・クノックス、略称ヒルデさんである。

 私は入学して間もないが、この高校で金髪の女子高生といえば先ず彼女の事であった。聞くところによるとヒルデさんは親の仕事の都合でこちらにやって来たのだというが、何故名門私立高校ではなく公立高校たるこの大鶴高校に来たのかは分からない。もっとも、留学生は軒並み私立高校へ行くものだという事が只の偏見に過ぎないのだろうが。

「ま、私には関係ないか」

 同じ学年ではあるものの、クラスも違う。何か部活に入っているかもしれないがそれも分からない。多分、今後私が関わる事も無いのだろう。私は校庭の談笑から、美術室へ続くうら寂れた廊下へと視線を移した。

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