1章・第5話 高校生探偵、怪文書持て来る

 他の学校の事情は分からないが、当校の美術部は規則が緩く部員がいつ帰ろうとも特に問題にはならない。文化祭などの例外を除き、ただ各々が目的とする展覧会なりに作品を出品し、そこで実績を示す事が出来ればそれで良いのだ。それなら別に入る必要はないのではないかとも思った事はあったが、私も典型的な学生であり社会的動物である以上、何処かに所属しているという安心感が欲しかったのだ。実際、所属していれば多少なりともその組織との交流が発生するし、部にいる事で得られる経験もある。故に私は美術部に所属していた。

 文芸部の戯れに付き合ってしまった事により、私が美術室に戻って来た時には午後六時半を回っていた。今更作業をするというのもなんだか中途半端なので、今日は早々に切り上げる事にし、後片付けをし、荷物をまとめて部屋を後にする。

 今日は家で作業をしよう。校門から出てすぐの坂道で少しずつ輝きを放ち始めている月を見つつ、そんな事を考えていた時だった。

「菅原、あさひさんですね」

 振り返るとそこには、女性向け恋愛ゲームか、あるいはゴールデンのドラマにでも出て来るような水も滴る良い男が立っていた。

「どうも、下校中かな?」

 そう言って背の高い男は私に微笑みかけた。そういえばケルトの神話には、その泣き黒子を見た婦女子を漏れなく魅惑してしまう男がいたと聞いた事があるが、この男の笑顔もその類ではないだろうか、と私はその微笑を見て思った。

「何か用でしょうか?」

 そう言いながら私は男の服装を見ると、どうやら彼はウチの学校の生徒らしい。そういえば、この美男子を学校の何処かで見かけた事があった気がする。

「ええ、私は二年六組の森須京介もりすきようすけと言います。まあ、分からないですよね」

「まあ、分からないですね」

 はは、と森須と名乗った男は笑った。一体何が可笑しいのか分からないが、ひょっとするとこれは恋愛熟練者のさり気無いチャームの一つであるかもしれない。成程、これは警戒しなければならないと私は思った。私にハーレムを築く願望はあっても、ハーレムの一員になりたいという願望はない。

「唐突で何を言っているのか分からないかと思いますが、大事な事を伝えに来ました」

「大事な事?」

 こういう時に伝えられるであろう事について私は考えてみた。考えてみた結果、伝えたい事とは本人の心の奥に仕舞っているものをさらけ出すものである事に思い至った。故に私は彼が心を楽にして己が内の心情の暴露を出来るように、

「告白とか、ですか?」

などと口走ってしまった。

 私は後悔した。私は要らぬ言動を発してしまった事による自らのこれからの社会生活への影響を脳内をフルに活用して計算し始めたが、如何なる手法を用いようとも行き着く先は一つであった。

 ナルシスト。これに尽きる。言い訳したいところであるが、世間的に見てこれはもうそう取られても仕方がない反応の仕方であろう。

「いいえ、残念ながら違います」

「あ、そう」

 違った。彼は殊更私を嘲笑するわけでもなく、ただ淡々と否定した。

 それにしても、一体何が目的なんだ。

「実は私は学生業の傍ら探偵をしておりまして、そのせいか色々と不可解な出来事に出くわすのですが、まあ今回はまた一段と奇っ怪なものが届いてしまったのです」

「すみません、さっぱり話が見えないのですが、ずばり結論をお先に言っていただけませんか?」

「いえすみません。確かに小説じゃあるまいし、長ったらしい講釈はスマートではありませんね」

 そう冗長な前置きをたれて、彼は私に近付いて一枚の紙を差し出した。それは、キャンパスノートの切れ端であった。そこには何やら古臭い文字が書かれていたが、何分いつの時代の文字なのか判然としないので、それは達筆なのか拙筆なのかよく分からなかった。辛うじて分かるのは、これが漢字かな交じりの日本語だという事だ。

「何ですかこれ」

「見たままの怪文書です」

「そりゃそうですが」

「これを解読した結果、面白い事が分かりました」

「へえ」

「来たるX日、ここF市にて大変愉快な事が起きるので、諸賢におかれましては刮目されたし」

「はあ、そうですか」

 末尾を見ると、そこには至ってまともな日本語が記載されていた。

 ディオゲネス倶楽部。さぞ不毛そうな営みに興じ、詭弁に現を抜かす集まりなのだろう、そう私は思った。というのも、ディオゲネスとは古代ギリシャの哲学者の名前で、皮肉ととんちで有名な存在だったからだ。

「伝えたい事は分かりました。いやしかし、それと私と何の関係があるんですか? 断っておきますが私は只の善良な−−」

「忘れかけてしまったけど、菅原あさひにおいては、無関係ではないので、よくよく留意されたし」

「は?」

「これを菅原あさひに届けるように、などと書いてありましたので、貴方にコンタクトを図ったわけです。要するに私は体のいい使いっ走りをさせられたみたいですが、まあそれはともかく、何か心当たりは?」

「いやいやいやいや」

 あるわけなかった。誓って私は誰かに背後から刺されるような恨みを買った覚えがない。

「同姓同名の別人じゃないですかね」

「大鶴高校一年三組、とあります」

「はあ、まじすか」

 森須さんが私に怪文書の該当部分を見せる。ご丁寧に、私の部分については清く正しい楷書体でしっかりと書かれていた。

「まあ兎に角忠告はしました。これをどう取るかはあさひさん、貴方にお任せします」

 では、と言って森須さんは優雅に手を振りながら私の元を去って行った。

 その場に取り残された私は只その場に立ち尽くし、

「一体私が何をしたというんだ」

 とポツリと呟いた。


 この時は知るべくもなかった。

 この下らない怪文書に、私の静かでさざ波のような日常が振り回される日々が来ようとは。

 そして、水面下では既に事は動き出していたのだ。

 にも関わらず、この時の私は至って呑気であった。

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