1章・第6話 気障で気障で漫画的な探偵について

「どうしたの、菅原さん」

 それは朝のホームルーム前の事である。机にへばっていた私に、上原君は心配そうに声をかけてきた。彼は人畜無害そうな純真な瞳で私を見る。

「ああ、別に何でもないよ。ただ昨日夜更ししてしまっただけ」

「そうなんだ。夜更しって深夜テレビでも見てたの?」

「いんや、ちょっとネットをね」

「ネットねー。ひょっとしてネット掲示板?」

「んー見たような見てないような」

「あんま見過ぎちゃ駄目だよ。見始めると止まんないから」

「そういう上原君も見てんだ」

 私がにやにやしながら尋ねると、この美少年は少し戸惑ったようにやんわりと首を振った。

「僕は見ないようにしてるよ。軽い電子的なドラッグみたいなものだから止めとけって明石君に忠告された」

「なーる」

 確かにドラッグと言われると否定が出来ない。見たところで己に何ら資する事のない情報を延々と見続けているのは何と退廃的な営みであろう。

「ねえ、上原君」

「ん、何?」

「話変わるけど上原君ってさ、森須さんって知ってる? 二年六組の」

 その問いかけに上原君は怪訝な顔をする。

「んー、その人がどうしたの?」

「いや、何かあの人絡みで噂とかないかなって思っただけ」

「そうだね。それなら、藤原さんとかに聞いてみれば?」

「あー、裕子かあ」

「呼んだ?」

 ばっと私は後ろを顧みると、そこにいたのは見紛う事無き裕子であった。裕子は私の前の自分の席に座りながら上原君を見る。

「珍しいね、二人が話してるなんて」

「まあね。僕が丁度窓際の方を見てたら菅原さんがグロッキーな感じだったからつい」

「ふーん。それで私が何って?」

「そうだった。ねえ、裕子。二年の森須京介さんって知らない?」

 私は何の気なしに聞いてみた。

 何故私がここまで森須なる人物の事を聞くのか。それは彼について純粋な好奇心を抱いていたからだ。あの美男子と会った日の夜、私は急遽予定を変更して彼についての素性をネットで調べていた。別に弱みを掴んで裏から支配してやろうなどという下心があったわけではない。ただ純粋に、私は彼について好奇心あっただけだ。結果掴んだ情報によると、森須京介は確かに探偵であった。インターネットを検索するとあっさりと事務所のサイトが引っかかったのだ。私はウェブデザインに詳しくはないのだが、やたらと気取った、いや、洗練されたホームページが私を出迎えてくれた。それが何とも鼻についたが、しかし、見栄えに劣らぬだけの実績を上げているようで、流石にあけっぴろげには書いていないが、資産家やら地元の名士とやらからの依頼もあるようであった。にわかには信じ難いが、しかし事実は小説よりも奇なりともいう。相談料や調査料はさぞ高いに違いない。

 もりす、もりす、などと裕子は何度も口にその名を出しながら「あっ」と思い出したように手のひらをもう片方の手で叩いた。

「森須京介、ああそうだ、結構有名だよ」

「へえ、どういう方面で」

 あくまで興味があるともないともいえない体で、私はさり気なく言った。

「恋バナ的な方面で」

「恋バナ……」

「うん。これ部活の人に聞いたんだけどさ。あの人、今まで十回くらい告白された事があるんだって」

「十回って、んなあほな。漫画か」

「まあ漫画みたいな人だからね。最初の数回くらいは告白する方は本気の本気だったと思うよ。今はなんというか、誰が森須さんを落とせるかみたいなノリがちょっと入っているっていうか、何か大会染みてきてる気がする」

「当って砕けろ、ってやつか。一体何がその人達を駆り立ててるんだか」

「そんな事は本人達に聞いてみんとね」

「ひょっとしてさ、菅原さん」

 何かを察したかのような笑みで、横で黙って聞いていた上原君が横槍を入れる。

「何さ」

「森須さんの事、気になってるとか」

「はあ? いやいや違うから」

 面倒な事になってきたと思ったらチャイムが鳴り、外に待機でもしていたのか同時に先生が入ってきた。「やば」っと上原君は急いで自分の席に戻っていったので、ふう、と私は人知れず安堵した。しかし、前の裕子は意味深な表情を私に対して投げかけてきたので、私は素知らぬふりして教室の先生の方へと意識を集中させた。


       〇


 世にストーカーと言われる人種がいる。ストーキングしている人物は別段その標的に対して悪意を持っているわけではない。しかし、行き過ぎた好意というものは得てして迷惑極まりないものだ。それが赤の他人であれば尚更である。ならば好意が無ければいいのではないか、という意見もあるかもしれない。しかし、それは大きな誤解だ。ストーキング者が主観的に何を思っていようとそんなものは関係ない、要は俯瞰的に見てその行動がどういう風に見えるかが重要なのである。ストーキング者には別の目的があって、それで仕方なくそのターゲットの事を嗅ぎ回っていたのだとしても、誰かが邪推して「やだ、あの人A君のストーカーよ」「ええー、きもい〜」などと言われるのである。

 その観点から言うと、尚も森須という人物を調べようと考えている私は状況的ストーカー足りうる可能性をはらんでいる。だが決して、精神的ストーカーではない。断じて彼に劣情を抱いているわけではない。有り得ない。主観的な意見だが、特に彼に対して胸のときめきなど感じていないからだ。成程確かに彼は背が高く、顔立ちも整っていて高校生の癖に社会的な地位もあるらしい。しかし、だからどうしたというのだ。それだけで人間の魅力は決まらない。そして実際問題、私は彼に魅力を感じなかった、感じていなかった。むしろ、森須なる人物に対して鼻持ちならないものを感じていた。もし彼が道中のバナナで足を滑らせて無様に転べば、私は腹を抱えて笑ってやるつもりだ。

 誤解は嫌だ。余計な勘違いをされて相合い傘でも書かれてみろ。私は今後の高校生活を赤面して俯きながら過ごす事になる。だからこそ、事は慎重に運ばねばならず、そして実際に私は落ち度のない調査を敢行した、筈だった。

 それは体育のソフトボールの時であった。気が付くと、横で打順待ちで座っていた裕子が私を見てにやにやと笑顔の貼り付いた福笑いのように笑っていた。

「な、何さ。人の事見てにやにやと」

「いやいや、別に」

「言っとくけど、裕子、あんたが想像している事とはだいぶ違うから」

「へえ、さいで」

 この女は一体どこから情報を仕入れてきたのか。どうやら私が森須さんについて嗅ぎ回っていた事を把握しているようであった。裕子は顔が広い。そして人に好かれる。何故かは分からないが、多分、私の想像も及ばない情報網を使って私が嗅ぎ回っていた事を掴んでいたのであろう。折角、直接的な繋がりの無さそうな人物間を渡り歩いて聞いていたのに、よりにもよって裕子に筒抜けであったなんて。

「まあ当って砕けろだ。見事彼を落としたら、君は伝説になれる」

「いらんわ、そんな武勇伝」

「ま、なに考えてるか知らないけど、彼は一筋縄じゃいかないと思うよ」

 裕子の名前が呼ばれた。裕子は慌てて「ごめん、すぐ行く!」と立ち上がって打席へと赴いていった。

 ふん、スーパー高校生探偵だろうがなんだろうが、所詮は人間よ。情報なんかいくらでも掴めるわ。

 間もなく、確かに裕子の言っていた通りであると私は痛感するに至ったのであった。

 森須なる人物はよく分からない。分かった事といえば好きな食べ物が林檎である事や、身長、スリーサイズなどくらいである。趣味や特技などは判然としない。彼は学校内で展開される話題について、並以上の興味と知識を持ち合わせているようで、持ち前の社交性と相まってクラス内の誰からも慕われているようであった。しかし、それ故に彼が並々ならぬ執着を見せる興味がなんなのかは誰も分からず、また森須という人物の核心に迫る素性も情報も知らないようであった。

 時間は有限だ。そういえば怪文書の件も少しだけ気になったが、次第に私は彼の事を調べるのは無駄だと感じるようになり、数日も経つ頃には森須京介の事など大脳皮質の奥深くに仕舞われる事になった。

 そうして、数日が過ぎたある日の事だった。

 私は、これより起こるそのエポックな体験を生涯忘れはしないであろう。

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