4章・第5話 絢爛豪華一夜城④

「なんで上原君がここに」

 私は意味の無い質問を目の前に立っている美少年に投げかけた。

「いや、そもそも君は女だったのか」

 そう、上原君は夏物のワンピースを着ていたのだ。一瞬だけ女装という可能性も考えたが、女性特有の体付きが随所に出ており、目の前の美少年は美少女だと考えた方が自然であろうという結論に至った。そして、

「そうだよ。大変だったよ。男として誤魔化すの」

 上原君はそれを否定する事もなくそう言って笑った。

「特に体育の授業は大変だった。今まではなんとか誤魔化せたけど、プールは流石に不味い。だから、今の内にここまで持ってこれて本当に良かったよ」

 上原君の手元を見ると、何やら光る和本を持っている事が分かった。多分、それが城の出現に関係しているのだろう。ひょっとすると、それこそが『筑前通史』なのかもしれない。

「なんでここに、ね。まさかこんな所にまで来て今更その質問が来るとは思わなかったよ」

 上原君は首を傾げる。

 分かっている、この問いかけに意味はない。何故ならディオゲネス倶楽部は無関係の人間を巻き込まない――森須さんは例外だが――ようにしていたからだ。その徹底ぶりには舌を巻いたが、それは信念みたいなものなのだろう。だから、上原君が無関係ならここにいるわけがないのだ。

「言っておくけど、自分から巻き込まれにいった部外者でもないよ。もう流石に気付いているでしょ」

「そんな、じゃあ貴方が」

「そう、そうだよ。我こそはディオゲネス倶楽部の首魁、三つの異郷の地より宝物を盗み出し、君達を翻弄し、この舞台を設えた張本人さ!」

 上原言也は高らかに宣言した。その姿は普段の朗らかさとはまた違った魅力を放っていた。

「しかし、君は全く僕を疑わなかったよね」

「疑わなかった? なんの事?」

「この数週間、何回か君にアプローチを仕掛けてたんだよ。だって君は私に全く気付かなかったんだもの。冴えてる君だ、こちらとしては自分の正体に行き着くんじゃないかと内心ヒヤヒヤしていたんだけど、むしろビックリするくらい君は気付かなかった」

「悪かったわね。気付いてあげられなくて。でももう正体はすっかり判明したわ、上原言也君」

「へえ、じゃあ教えてほしいね。僕が一体何者なのかを」

「ええ、いいわよ。耳の穴かっぽじってよく聞きなさい」

 上原君は少しだけ口の端を上向けている。まるでこれから私がへんてこな事を言うと予想していて、その可笑しさを必死に堪えるかのように。

「細かな経緯とかは聞かないわ。でもこれだけは言える。上原君、君はさ、なっちゃんだろう」

 私は自信満々に言った。流石に彼処までヒントを出されれば分かるとも。そうだ、秘密基地でかつて遊んでいたのは五人だ。それは私であり、ヒルデさんであり、千道さんであり、古月君であり、なっちゃんであった。そして、あのタイムカプセルの関係者で今欠けているのはなっちゃん只一人、故に、事件の首謀者はなっちゃんという事になる。

「うそ、そんなまさか」

 上原君は放心したように呟く。しかし、そんなに驚かなくてもいいではないか。私に対してそれ程のトラウマを抱えていたとは。確かに当時は彼を振り回していたが。

「なっちゃ――」

 私が彼に近付こうとした時、上原君は途端に俯き、耐えきれなくなったとでも言うように体を小刻みに震わせ始める。私が怪訝な目でそれを見ていると、やがて彼から忍び笑いが聞こえてきて、それはやがて大きな笑いへと変わっていった。

「さっきの表情可笑しい、得意顔になって傑作だったわ」

「ちょっと、なっちゃん」

 私は腰を抜かしそうになった。私の記憶しているなっちゃんは、私より一億倍女の子らしくておしとやかで可愛かった。それが、こんな馬鹿丸出しの溌剌とした笑いをするなど信じられなかった。

「ああもう、やっぱり間違えた。そりゃそうよね。あのメッセージを読み解けてないんだから、私の正体になんて気付きようもない。そもそも、貴方の中のなっちゃんはこんな大胆な事を進んでする子だったかしら」

「え、いやそれは。え、じゃあ、なっちゃんは」

「菅原あさひ。君も薄情だね。君は最近、何回もなっちゃんに会ってるじゃない」

「そんな阿呆な」

 誰だ。裕子? いやいや有り得ない。第一裕子は中学時代からの腐れ縁だ。最近何回もどころか中学からほぼ毎日会ってる。じゃあ誰だ、榊原さん? 田中さん?

「あ」

 そこまで考えて、先程からちらつくイレギュラー的存在が意識の表層に浮上した。色々と不自然な点に目をつむれば、彼が妥当だ。でもまさか。不快な生暖かい汗が頬を伝う。

「やっと気付いてくれましたか、菅原さん」

 背後から声がした。それがやけに気取った声音に聞こえたのは、その声の主の人となりを多少なりとも知っているからであろう。

 私はゆっくりと振り返る。

「ええ、やっと気付いたわよ。

 森須京介は、相変わらず柔和な笑みを湛えてこちらを見ていた。


       〇


「色々聞きたい事があるよ。スカートやワンピースを着ていたなっちゃんが男の子であった事とか」

 私が聞くと、森須さんは肩を竦める。

「あれは勘弁してください。ワンピースなどを着ていたのは母の趣味なんです」

「成程、そういう事ね」

 男の子らしさ、女の子らしさに囚われてしまっていた。男、女という生物学的特徴は第一次性徴、第二次性徴を経て獲得していくものだ。幼い頃というのは性が未分化の状態で、男の子でも女の子みたいな容姿の子がいたり、女の子でも男の子みたいな容姿の子がいたりする事はざらにある。故に、そういう趣味を持った母親が男の子に女の子の衣装を着せるという事も有り得ない話ではないし、それが原因で周りが本当に女の子だと疑わなくたって不自然ですらない。

「改めて、久しぶりですね、あさひさん」

「ふーん、前みたいに愛らしい小動物みたいな顔であさひちゃん、って呼ばないんだ」

 私がそう言うと、森須さんは苦笑する。

「もうそんな歳でも容姿でもないですから。でも、私はあの日々の事は決して忘れてなんていませんよ」

「なっちゃん……」

「あの後、私は親の仕事の都合で東京の方に引越しました。ですが、中学卒業後とタイミングを合わせてこちらに戻ってきたんです。何年も離れていましたから、貴方とよく遊んだ場所もいくらか風景は変わっていたりしたのは、少々寂しかったですが」

「寂しいなんて事は、ないでしょう」

「え」

 森須さんは首を傾げる。

「だって、君は本当は私の事が嫌だったんでしょう」

「あさひさん?」

「いつも君の気持ちを考えずに振り回していたから、本当はうんざりしてたんでしょう? なっちゃんは私の百億倍女の子らしくて、可愛げがあって、でもなっちゃんは優しくて思いやりがある子だったから、私の遊びに付き合ってあげてくれてた」

 森須さんは何も答えず沈黙する。ほら、やっぱりそうだった。あの時の無神経な私は人の気持ちも考えずに自分のエゴで動いてばっかだった。なっちゃんは家で人形遊びとかしたかったかもしれないのに、私は毎回外に連れ出してばかりだった。

「そう、引っ越す前になっちゃん泣いてたっけ。やっぱりあれ、我慢の限界だったか――」

「違う!」

 森須さんは大きく声を張り上げる。常に冷静であった彼が感情を露わにした事に私は思わずたじろいだ。

「やっぱりだ、あさひさん。貴方は勘違いしていた。私がうんざりしてただって? 冗談じゃない。流石の私も、楽しくなかったら嫌だって言ってた。あさひさん、私はあの日々が楽しかったんです。貴方と遊んだ日々も、そして皆と遊んだ日々も」

「なっちゃん、私に気を遣ってるんだったらいいよ」

「気を遣ってなんかない」

「じゃあ最後に会った時、なんで泣いてたのさ。嫌だったんでしょう」

「なんでそうなるんですか! 私は、その、あさひさんや皆ともう遊べなくなるのが寂しくて、耐えられなかったんです」

「……うそ、じゃあ」

 そう言えばよかったじゃない。喉まで出かかったその言葉をぐっとこらえた。そんな事は軽々しく言える事じゃない。そしてあの引っ込み思案だったなっちゃんだ。最後までそれを言えずに隠し通してしまうのも仕方がない。

 そんな事にも気付かず、私は心無い言葉を放ってしまった。あの剥き出しの鋭利なナイフはどれだけこの子の心に突き刺さっただろう。

「あさひさん、私がこちらに引っ越してきてから間もなく、貴方をこちらで見かけました。するとどうでしょうか、あの時の天真爛漫な菅原あさひはすっかり鳴りを潜め、今ではなんだか厭世的な雰囲気を漂わせているじゃないですか。これではもはや別人だ」

「そんな事」

「ありますよ。失礼ですが、貴方のお父さんの元へも伺いました。お父さんは凄い人ですね、私が名乗る前に私の事を一目で見抜きましたよ」

 私は呆気に取られた。ヒロシめ、そんな大事な事を私にだんまりしていたのか。もっとも、目の前の男から内緒にするようにとでも言われたのだろうが。

「お父さんから貴方の事を聞きました。彼女の雰囲気が変わった時期の事も。もしそれが私のせいじゃなかったら、私も今回のこの件の首謀者の一人として名を連ねなかったでしょう。それは、起きるべくして起きた貴方自身の自然な変化なのでしょうから。ですが案の定と言いますか、そんな事はなかった。私が引っ越したのを契機に貴方は段々と大人しくなっていったのだと、ヒロシさんは言いました。ついでに言えば、そのまま拍車をかけるように中学に上がる頃にはちょっと拗けてしまったとも」

 この際、ヒロシへの糾弾は脇に置いておこう。

「貴方は私が引っ越した時、散々泣き喚いていたそうですね。引っ越すなんて事情も知らないで、非道い事を言ってしまったと。学校まで休んでしまったそうじゃないですか」

「それは!」

 言い返せない。そればっかりは個人の心象から来るものではなく、客観的事実だからだ。

「あまり憶測でものを言うのは探偵としてはよろしくないのですが、今回私は探偵としてここにいるわけではないのでご容赦を。貴方が大人しくなってしまったのは、そう、なっちゃんの気持ちを考えないもしないで振り回して挙げ句、無神経な言葉を突き付けてしまったと思ったから」

「あ、いや、それ、それは」

「貴方は利口な人だ。散々泣き喚いた後、私との件をきっとこう考えたんです。人を振り回すのは良くない事だ、人と関わる時はあまり自分から積極的な行動を起こすのはやめておこう。でなければ、またなっちゃんみたいな事が起きてしまう、と。結果、本来朗らかだった貴方の性質は変わっていき、元来の性質ではない落ち着き払った女の子が形成されていった。それが今の貴方だ、あさひさん」

 足の力が自然と抜けていった。崩れるように地面にへたり込んだ。

 ああそうだ。言う通りだ。時効なんて成立しちゃいない。私は、あの時の事にずっと負い目を抱えてきたんだ。いつぞや合唱コンのパートリーダーに推された事があったけど、適当に角が立たないような言い訳をつけて断った。正直、パートリーダーへ推された事に悪い気はしなかった。実際にやればおだてられた豚のように躍起になっていた事だろう。どんなに矯正しようとしても人の性質なんて簡単に変わるものじゃない。だけど、それこそが恐ろしかった。だって怖いじゃないか。放課後も練習させて皆をうんざりさせたら? 合唱コンに乗り気じゃない人の気持ちも考えずに叱責して泣かしてしまったら? あの時と同じだ。私が勝手に暴走して歯止めがきかなくなるのが怖い。ほとんど誰かと関わらない事なら積極的に出来る。元々打ち込む事は嫌いじゃない。でも、誰かが関わるのなら私は消極的でいた方がいい。その方が自分のためだし、周りのためだ。

 私の身勝手で人を傷付けたくなんてない。

「そっか。そっかそっか。凄いね。やっぱなっちゃんだわ。感受性豊かで、人の気持ちを的確に言い当ててる」

「あさひさん」

「ねえ、なっちゃんはさ、私の事恨んでる?」

 あんな事を言ったんだ。非道い奴だと思っただろう。恨まれたって仕方ない。

 でも、なっちゃんはなっちゃんだった。彼は寂しそうに首を振った。

「恨んでない」

「別にいいんだよ」

「良くないですよ」

「ほんと優しいね」

「あさひさん。貴方は人を傷付けるのを恐れてる。それが私の事がきっかけだというのなら、私は貴方に責任がある。だから、私は今回の騒動に賛同した。貴方を可笑しな出来事で振り回す事で、貴方が眠らせていた無邪気さを目覚めさせたかったし、振り回される事は案外悪いものじゃないと感じてほしかった、それに」

 なっちゃんは気恥ずかしそうに目を逸らす。

「こうやって、君に正面からあの時の事を言う機会が欲しかった」

「なっちゃん……」

 言葉にならない。私なんかのために、こんな回りくどい事をしたというのか。私の事なんか、さっさと忘れてしまえばよかったのに。

「ねえ、あさひ。これで分かったでしょ。なっちゃんがどんな気持ちでいたのかって」

 中性的な声が辺りに響いた。

 ああ、なっちゃんの事ばかりですっかり失念していた。この子の事を。途端に私は現実に戻される。

 そうだ、この子はなっちゃんじゃない。なっちゃんは森須京介だったのだから、この子は、この子は?

「ちょっと待ってよ。じゃあ貴方は、誰なのさ!」

 私は振り返って言った。そこには依然、薄っすらとした笑みを湛えた同級生の姿。

「このいざこざに上原君は関係ないじゃない。貴方、一体誰なの?」

 その問いかけには答えず、上原君は静かに目を伏せる。

「ちょっと答え合わせをしようか。君がついぞ気付かなかった、いや、むしろ無意識に避けていたのかもしれない疑問の答え合わせを」

 風が屋上に吹き渡る。暖かさが取り柄の時期だというのに、風は冬のように冷たく、ここが高所にあるのだと思い知らされる。

「まず一つ目だ。卒業アルバムに仕込んだ走り書き。気付いたよね?」

 ああ、あれの事か。私は謎解きをした時の事を思い出す。あのメモは今は文芸部室の落とし物入れの中で眠っているだろう。

「それがどうしたの」

「あれさ、君に対してのメッセージを隠してたんだよね」

「え」

「君ならひょっとしたら気付くかもしれないかもって内心ひやひやしてたよ。でも気付かなかった、疑いもしなかったね」

「何よ、そのメッセージって」

 私はあの文章を頭の中からひねり出す。


   これは始まりの合図だ

   由宇亜美


 しかし、もう私に思い出すより以上の頭を働かせる余裕はない。次から次へと冷水をぶっ掛けられるような告白に頭の処理が追いつかず、また頭が疲弊しきってしまったのだ。とても謎解きに回せる程の余力は残っていない。

「由宇亜美って言葉に何か気付かない?」

「由宇亜美? 人の名前でしょ」

「そっか、混乱してるのね。じゃあもう教えてあげる。あの学校にはね、今も過去も由宇亜美って学生は存在しないよ」

「じゃあハンドルネームかなんかでしょ」

「いや、あれは人の名前でもハンドルネームでもないよ。只の言葉遊び。由宇亜美、ゆうあみ、ゆーあーみー」

 その瞬間、その言葉の意図せんとしている事をはっきりと理解した。英語に直すと"You are me."。

「つまりこれの意味するところは」

「私はお前だ……?」

 何を言っているのか。私はお前? 何の事だ。

 きょとんとする私に上原君は口を開く。

「それで気付かないならそのまま聞いて。次にヒルデさん、千道さん、古月君に届けた怪文書だ」

 そう言われて私は、彼らの元に残された怪文書を順々に思い出していく。

 先ずはヒルデさんに届いた怪文書だ。


   スフィアはいただいた

   返してほしくばこちらの世界へ参るが良い


   よみをかえるのだ

   菅原あさひ


   ディオゲネス倶楽部より


 続けて千道さんの元に届いた怪文書。


   筑前通史はいただいた

   有効活用してやるから楽しみにしているが良い


   くじずらせ

   菅原あさひ


   ディオゲネス倶楽部より


 そして、古月君の元に届いた怪文書。


   マテリアライザーはいただいた

   こんなものも使い方次第だ


   せくすりばーす

   菅原あさひ


   ディオゲネス倶楽部より


「よみをかえるのだ、くじずらせ、せくすりばーす。これ何処に対してかかってるか分からなかった?」

「何処って、謎掛けの文章でしょ。ご丁寧に私を名指しで」

「違うよ。折角文章をひとまとめにしてあげるってヒントをあげたのに。ひょっとして、無意識に避けてたのかな」

「ええい、勿体ぶらずに言いなさい」

「よみをかえろ、とはそのまま読み替えろ、って事。くじずらせとは名前をずらせ、という事。そしてせくすりばーすとは、性を逆転させろって事」

「読み替え、名前をずらせ、性の逆転」

 いかにもな謎解きに出てきそうな文言だ。しかもそれは解答へのヒント。

「読み替えろは何を読み替えるのか。これはね、名字を読み替えるの。つまり、菅原はかんばらとも読める。そして僕の苗字である上原は、かんばらとも読めるんだ」

 ぞくりとした。全身から汗が吹き出すような気分に襲われ、一瞬目眩さえ覚えた。如何に疲弊しているとはいえ、そこまで解法を教えられたら否が応でも理解するしかない。

「くじずらせとはシーザー暗号で九文字名前をずらす事。つまり、あさひという字をそれぞれ九文字分ずらせという事。性は、これは直球過ぎたかな、つまり性別を偽っているから逆転させて考えろという事。女なら男、男なら女、みたいな感じでね」

 上原言也は、私の表情を見て満足そうな笑みを浮かべる。

「そうだよ、私は君だ。あの日の出来事がきっかけで分かたれた、

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