3章・第3話 学校の階段②
「残念だけど、私もこの件に関してもよく分からないよ。さっぱりだ」
森須さんと互いの状況を確認した後、森須さんはお手上げとばかりに肩を
「お互い難儀な事になりましたね」
「流石に私の出番はないですね。この現象ばっかりは、現実的な説明が思いつかない」
「まあそうですよね。探偵なら、こんな奇々怪々な出来事には目を覆いたくもなるだろうし」
「いえ、別にそうは思いませんよ」
「え、なんで?」
「なんで、と言いますと」
「だって、探偵なんてのはロジックをこね回すのが好きな生き物でしょう。こんな超科学的でオカルティックでファンタジックな現象について説明が付けられないと落ち着かない生き物! そうでしょう?」
そんな私の熱弁を聞いて森須さんは苦笑する。
「菅原さんが探偵に対してどんな人物像を持っているかは分かりました。ですが、別に探偵は現代の科学では説明出来そうにない事を闇雲に否定する生き物ではないと思いますよ。只、一見不可解な事件が起きたから宇宙人の仕業だとか、天狗の仕業だとかいう短絡的な結論を嫌うだけなんです。もし魔術が存在するという証拠を見せられたら、少なくとも私は信用するでしょう。何故なら証拠が出されたのですから」
もっとも、証拠とする物や現象を簡単に信用したりはしませんけどね。と森須さんは付け加える。
「すみません、話を脱線させてしまいました。私のポリシーなんかより、今は優先すべき事があります」
「脱出方法ですね」
「ええ」
「それについてなんですけど、森須さんは女の子と会いませんでした?」
「女の子、ですか?」
「はい」
私は先程階段踊り場の窓に見えた女子生徒の事を話した。
「成程。ではその子が犯人だと」
「ええ、間違いないと思います。だってその子、私を見て笑ってたんですもの。こんな事に巻き込まれた子がそんな余裕を見せられる筈がないと思います。逃げたのは勿論捕まらないため」
「となりますと、その子を捕まえる事がこの超自然的な空間から抜け出す手掛かりになりそうですね」
「そういう事です。でもどうしましょうかね」
私が軽いため息をつこうとしたその時、圏外である筈なのに携帯電話が鳴った。私が恐る恐るそれを取り出すと、何とその電話はヒルデさんからだった。
「どうぞ、お構いなく」
目を見張る私に森須さんが言ったので、遠慮なく私は電話に出た。
「よかった、繋がった」
電話向こうから安堵した声が漏れる。私もその声を聞いて安堵する。
「もしもし、ヒルデさん、だよね?」
「はい、そうですそうです」
「よかった。ねえヒルデさん。もしかして今私達が置かれている状況って分かったりする?」
「全てというわけではないのだけど、大雑把な事は分かるわ」
電話越しに別の声が聞こえてきた。時折博多弁の混じる、快活な声。
「もしかしてそっちに楓ちゃんもいる?」
「居るよ。古月君もいます」
「そうなんだ」
「それでね、あさひちゃん。もう分かってるかも知れないけど、今あさひちゃん達がいる場所は学校ではあるんだけど、正確には学校じゃない」
「どゆこと?」
「つまりね、そこは大鶴高校を模したレプリカなのよ」
「レプ、リカ?」
「ええ、レプリカ。あさひちゃんは今ね、位相のずれた別の空間に閉じ込められてて、そこに作られた学校もどきの中にいるの。事実、今私達は学校が見える場所にいるのだけど、こっちは平和そのもので、あさひちゃんが多分見てるであろう不可解な光景はこちらでは全く観測出来ないわ」
「まじか」
つまり、犯人は私だけ――森須さんも巻き込まれているが――に絞ってこれを仕掛けたという事だ。当初の憶測とは裏腹に、犯人は大胆な事をする割に、意外と周りに気を遣うタイプらしい。もっとも、当の私は迷惑を被り過ぎて最早怒り心頭なのだが。
「ねえ、ここから出る方法ってあるのかな」
「勿論。今そっちへのゲートを構築しているところなの。もうちょっと辛抱しててね」
「うん、了解」
「じゃあまた。私も魔法の準備があるから」
そう言ってヒルデさんからの電話は切れた。
もうちょっとって具体的に何分くらい? などと聞いておきたかったが、詰問するような感じはあまりよろしくないし、何よりもっと心に余裕を持った方がいいと思ったから止めておいた。
振り向くと、森須さんはいつもの微笑みを湛えて私の方を見ていた。
「成程、レプリカですか。そんな事もあるのですね」
「森須さん、盗み聞き」
「いえ、申し訳ありません。職業柄つい」
「まあ、別にいいですけど」
「これからどうしますか?」
「これからって?」
「助けが来るまでの間ですよ。まさか、ここにぼーっと突っ立っているつもりですか?」
図星を突かれた。こんな陰鬱な雰囲気を放つ廊下ではなく、グラウンド辺りにでも出て見えない星空を眺めながら待機しているつもりであった。
「おや、その様子だと」
「違う、断じてぼーっと突っ立っているつもりじゃなかった、私は!」
「そうですか。それでは、一体どうするおつもりなのでしょうか?」
「決まってます。さっき私が見かけたっていう女の子を探しに行くんですよ、勿論貴方も」
〇
「先程の電話の相手、ヒルデさん、でしたか」
外から差し込む光で照らし出された微妙に幻想的な廊下を歩きながら、並んで歩いていた森須さんは私に尋ねてきた。
「ええ、そうですけど、知ってるんですか?」
「いいえ、学年が違うからあまり。ですが、北欧でしたか? その辺りからの留学生ですからね。名前と評判くらいでしたら学校中に知れ渡っていますよ」
「へえ、有名人なんですね」
しかし、それも納得である。ヒルデさんは美人だった。彼女はファンタジー世界から抜け出したような、浮世離れした容姿をしていた。実際、異世界人であるから浮世離れしているのだが。
「あさひさん」
「はい?」
「ひょっとしてなのですが、ヒルデさんは、魔法使いだったりするのではないでしょうか?」
「はい?」
声が裏返ってしまった。この男は唐突に何を言い出すのかと思ったが、成程、よくよく考えてみるとその推論に至るのは至極当然だ。なんと言ったってこんな異空間に干渉してきたのだ、むしろこれでヒルデさんを普通の人間だと考える方が無理がある。
「ひょっとしてなのですが――」
「ああいや、聞こえてましたから」
「それで、実際のところどうなのでしょう?」
「ご想像にお任せします。私からはなんとも言えません」
緊急事態とはいえ、迂闊に話していいものとも思えない。しかし森須さんは探偵だ。こういう人種は興味を惹かれたらちょっとやそっとでは引き下がらないだろう。
私が身構えていると、森須さんは意外にもあっさりと「そうですか、それならこれ以上深く追求するのは止めましょう」と引き下がった。
「どうしたんですか? 行きましょう、犯人と思しき女の子を捕まえるのでしょう?」
「あ、そうだった」
私は気持ち一つ分、森須さんより前に来るように廊下を歩き出した。
〇
「そういえば、森須さんは学校で何をしていたんですか?」
校舎内を探し回る途中、只無言では気不味いので、声を抑え気味にしながら聞いた。ちなみに校舎は四階建てで、今は三階を調べている。
「図書委員に友人がいまして、ちょっと手伝いをしていたんです」
「へえ、そうなんですか。じゃあその人とは結構親しいんですね」
「ええ、まあ」
横を見ると、森須さんは私から顔を背けているようであった。
ああ、ひょっとして。
「ひょっとして、その人って女の子ですか?」
「ええ、女の子です。それがどうかしましたか?」
「……誰にも言いませんから教えてほしいんですけど、森須さんってその人の事好きなんですか?」
如何にも恋バナというものに興味がある女子高生らしい問いかけをしてみたが、本心のところ、私は彼が困っている所を見たかった。このポーカーフェイスを気取った男が困惑する様を見るのはとても小気味が良い事であろう。
しかし、私に向けてきた顔はいつもの営業用とでも言うべき笑顔であった。
「いいえ、そういった意味での好意はありませんね。まあ彼女とは、いい友人なんです。友人としての好意なら、大いにありますよ」
「は、はあ」
ここまできっぱりと言われると、本当にその女の友人とやらに恋愛感情を微塵も持っていないのだろう。
「あさひさんは一体何をしていたんですか?」
「私? 私は部活ですよ。美術部で作品制作してたんです」
「そうなんですね。それは是非とも今度見せていただきたいものです」
「そんな大層なものじゃないですよ。CG作品ですし」
「いえ、それは一層興味が――ん?」
ふと、森須さんが口に手を当てる。
私が耳を澄ますと、微かにだが後ろからこちらに近付いてくる足音が聞こえた。
「ひょっとして」
私は一層小さな囁き声で、そっと後ろの方を窺う森須さんに語りかけた。
「ええ、恐らく」
「罠ですかね」
「さて、どうでしょう。もしかしたら、思いの外暇だから構ってほしいのかもしれませんね」
「何ですかそれ、金的してやりたいです」
「相手は女の子だと言いませんでしたか」
「知りません、そんなの。で、どうしますか?」
「もう少しで階段です。ベタですが、踊り場の辺りで待ち構えましょう」
私達は間もなく角を曲がって、階段の前で待ち構えた。足音は依然としてこちらに近付いて来ていた。
「案外単純だったりするんですかね」
「そうかもしれませんね。もっとも、単純といえば我々もそうですが」
突如、足音が止まった。
気付かれた? そう思ったのと同時に突如慌ただしく足音が響き出した。
走っている、私は反射的に階段の前から飛び出した。
「森須さん!」
「ええ」
私達は急いで足音のした方へと駆け出す。
「あっ、こら!」
あっという間に足音は遠ざかっていく。遠く前方の方を見やると、ぼんやりとだが少女と思しきセーラー服の人影を捉えた。しかし、程なく視界から人影は消え、代わりに階段を登る音が聞こえてきた。
「森須さん、追いましょう!」
「分かりました」
私達は足音のする方へ向かって駆け出した。途中、廊下の掲示板の脇を過ぎる時に『廊下は走るな』という張り紙が貼られていたが、こんな人のいない所で律儀に守っても仕方がないと気にもせずに走り続けた。
階段を駆け上がっていく足音が響く。私は階段の前に到着するなり、二段越えで一気に登る。森須さんも私に合わせるように駆けた。私が踊り場から階上に目を向けた時、ぼんやりとだが階上の廊下に人影が見えた。その人影は、まるで私が追ってくるのを待っていたのだとでも言うように、私の姿を――おそらく――認識した途端、すぐさま廊下の向こうへと消えてしまった。
「舐められているみたいで、良い気がしませんね」
「同感ですよ、ほんと」
珍しくこの美男子に共感した気がする。しかし、今はそんな事を言っている場合ではない。恐らくはこの事態を引き起こした犯人が、目と鼻の先とは言わないが、すぐ近くにいるのだ。この機会をみすみす逃すわけにはいかない。
階上に到着した私は廊下を奥の方まで見やる。しかし、そこに人影はなかった。
一体何処に、そう思った時、どん、と鈍い音がした。それは、そう遠くない所からの音だった。
「さっきの、ドアを閉める音ですよね」
私は横にいて同じく奥を見やっている森須さんに尋ねた。
「ええ、そうだと思います。音の出処は彼処みたいですね」
そう言って森須さんが指差した所は、階段のある所から二つ目の教室だった。
「森須さん、間違いない?」
「ええ、超常的な現象で私の聴覚が狂っていなければ、ですが」
「まさか、そんな事がほいほいと起きてたまるもんですか」
「だといいですけどね」
「怖いんですか?」
「正直なところ、少しは」
「それなら私の肩にしがみついてぶるぶる震えてもいいですよ」
「そんな事は出来ませんよ。子供じゃああるまいし」
「高校生は辛うじてまだ子供じゃないですか」
「そうかもしれません。ですが、私は大人たらんと
森須さんは少しだけ屈み、私の口元へと耳を近付けた。
「勿論、挟み撃ちです。異論は?」
私が囁き声で言うと、森須さんはすかさず頷いた。
「ありません」
「決まりね。じゃあ合図は手で三、二、一でやります。ゼロになったら突入。いいですか?」
「問題ありません。では、私は奥のドアを」
そう言うなり、森須さんは身を屈めて教室の窓に人影が映らないように奥のドアへと移動していった。私は前のドアのすぐ横へと張り付き中の様子を伺ったが、人影らしき者は発見出来なかった。きっと教壇の中にでも隠れているのだろう。
私は森須さんに合図を送る。
三、二、一、
ゼロ! 私はドアを勢いよく開いた。
素早く教室を見回す。外から差し込む光で部屋の中は一応把握出来た。
しかし。
「いない。森須さん、そっちは――」
「下です!」
私が森須さんの方を向こうとするかしないかの内に、森須さんは指を指して叫んだ。咄嗟に、私は言われた方向に反射的に視線を落とした。
そう、そこには私達の捉えるべき相手が屈んで待ち構えていたのであった。そして私は、自分の顔を覗き込むその顔をはっきりと見た。
え、私?
そう、その顔はまさしく、私の顔そのものであった。
間違いない。それは、毎日鏡に映っている顔と同じであったからだ。もし目の前の顔が私のものでないなら、家の洗面所にある鏡は鏡ではないという事だ。
目の前の私はにやりと笑うと、呆気にとられている私に小内刈りをかましてきた。哀れ、咄嗟の事で私は為す術もなくその場に倒れてしまった。反射的に受け身を取ったので、特段痛くは無かったものの、気が付いた時には女の子の足音は遠くに行ってしまっていた。
「大丈夫ですか?」
森須さんが駆け寄り私を抱き起こそうとするが、私も一応女なので、そんなシチュエーションはごめんだとすかさず起き上がり、介抱の無用をアピールした。
「ありがとうございます。でも問題ないです」
「そうですか、それなら良かった」
おや? そう言って何かに気付いたように、森須さんの視線が私の脇に落ちた。釣られてその方向に視線を落とすと、そこにはA5用紙程の紙切れが落ちていた。
私はそれをゆっくりと拾い上げる。そこにはこんな事が書いてあった。
実験は成功した。これで望みは叶うだろう
私の望みが未だ分からぬのなら、ヒントを与えてやろう
タイムマシンだ
埋もれた思い出の中に答えがある
ディオゲネス倶楽部
「タイムマシン?」
「何か心当たりはないですか?」
「いや、なんのこっちゃさっぱり」
「そうですか。犯人などに繋がればよかったのですが」
「あれってうちの生徒だったよね」
「制服はそうでしたね。あさひさん、貴方は彼女の顔を間近で見たわけですが、顔に見覚えはありますか?」
「あるというか、その、そっくりそのまま私でしたよ。でも一瞬だけだったから只の空似かもしれない」
「それはまた、驚嘆の出来事ですね。いえしかし、誰かが貴方の名を騙る以上、貴方に似ていても不思議はないの、か」
ふむ、と森須さんは何かを思案するように顎に手をあてる。
「この高校の生徒を調べていくと、案外面白い事が分かるかもしれませんね。勿論、犯人はこの学校の生徒とも限らないわけですが」
「仮にこの学校の生徒だったとしても、調べるには途方もない数ですけどね」
「そうですね。進展したように見えて進展していないのか、いや難儀な事ですね。一体、今度は何を仕掛けてくるのやら」
「森須さん」
「はい、何か」
「なんか随分他人事ですね」
「他人事ではないですよ。ですが、菅原さんも感じませんか?」
「何を?」
「この仕掛け人は他人を傷付けるような事はしないという事です。今回、私は巻き込まれてしまいましたが、他の生徒や教職員は一切巻き込まれていないようです」
「つまり?」
「つまり、犯人は周りを気にしながらやっているんですよ。言わばこれは壮大な悪戯です。果たして何を企んでいるのかは分かりかねますが、まあ、犯人が誰かを意図的に傷付ける事はないでしょう」
「だとしても、迷惑な話ですよ。私と、ついでに貴方の貴重な人生の時間を奪っている」
「考え方次第ですね。突き詰めていくと、この世界には本質的に価値のある時というものは存在しないという考えもあります。結局のところ、価値があるかどうかは自分達で判断するしかないんです。ですから、この不可思議な事態を楽しめるなら、この時は充実してると言えても、時間の浪費とは言えません」
「ふーん。じゃあ森須さんはもしかして、この状況を楽しんでるんですか」
「否定は出来ませんね。だって、何だか幼い頃にした冒険ごっこみたいでわくわくしませんか?」
「うーん、私は女ですし」
「そう、ですか」
心なしか、一瞬だけ森須さんが少し寂しそうな顔をした。同類だと思っていたのに、よく話していたら違った、そんな時の顔だ。でも許してほしい。私は冒険ごっこや探検ごっこに苦い思い出があるのだ。
「まあ、やる事には変わりありません。さっきの書き置きを見る限り、犯人だって、こんな事をだらだらと続けるつもりはないようです。近い内に計画していた何かを実行に移すのではないでしょうか」
「じゃあ、その計画ってやつをこてんぱんにぶっ潰してやります」
私を怒らせた罪は重いのだ。
その時、ガラスの割れる音がした。それは教室の外からであった。私は窓際まで駆け寄る。
「おお」
私は思わず感嘆の声を漏らした。光の膜の一部が割れていたのだ。そして、そこから現れたのは例の羽を生やした千道さんであった。
彼女は教室の窓際にいる私達の姿を間もなく見つけると、こちら目掛けて自慢の羽を羽ばたかせながら飛んできた。
全く、隣に森須さんがいるのにこの子は人目を憚らない子だな、と私は呑気な事を考えながら、彼女がここに来るのを待つ事にした。
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