3章・第2話 学校の階段①

 昼休みが終わった後の事である。朝は元気溌剌としていた裕子はきつそうに頭を抱え、結局早退してしまった。普段世話になっている気がする彼女には明日か明後日にでもノートを見せてやらないといけないが、以後、取り立てて変わった事は無かった。普通に授業が進み、休みの合間に友人と言葉を交わしたり、そう言えば上原君が食べ物にあたったか何かで午後の体育の授業を見学になったり。友人の体調を除けば、私の周りの世界はそれなりに平和なのであった。

 その日、私は部活のため珍しく夜遅くまで残っていた。作品制作の期限が近付いたわけではない。単純に、興が乗っていたのだ。時間を忘れて物事に没頭するという時があるが、今回がまさにそれだ。というか、ここ最近はずっと興が乗っている状態だ。お陰で、ディオゲネス倶楽部との件――仮にディオゲネスの変と呼んでおこう――を一旦頭の片隅に置く事にしてしまった。

 まあ、そんなに急がないでしょ。一向にその後の動きがないようである事も私を安心させる材料になり、その悠長さに拍車をかけていた。

「さて、と」

 やっていた作業が一段落し、私は伸びをした後、目の前のモニターを見た。まあ、悪くはないでしょ、私は自分の作品を見て自画自賛に耽る。

 作業にはPCを使ってやっていた。いわゆるCG作品というやつだ。美術室でPCを使って作品制作をしている姿は異様で美術部らしくないが、当美術部は漫研、写真部も内に取り込んだ変わった部なので、これくらい今更というところであった。というより、美術室にPCが何台かあるものだから以前から誰かが同じように作品制作をしていたのだろう。ちなみにインターネットにも繋がるが、制限がかけられている。

 ちなみに内容はなんて事はない、牛若丸と弁慶の五条大橋での出会いを題材にとったものだ。画風はなんといえばいいのか、漫画的なイラストと絵画の中間辺りとしか表現できない。残念ながら私の知る限り、こういう画風を示した単語がないのだ。

 ああもどかしい、歴史単語は不要じゃないかと思うくらい一杯あるのに、どうしてこういうものに対する単語は不足しているのか。

「はあ、さっさと帰ろうかね」

 隣の机の上に置いていた鞄を肩にかけ、立ち上がろうとした時であった。

 ふと、視界の端を何かが捉えた。私はそれが気になり、窓の外に広がる夜の世界を見た。

 なに、これ。

 私の貧相な語彙力では上手く説明するのは難しいのだが、学校は、半透明の白く光る膜のようなもので覆われていた。

 そうか、夢を見ているのか。私は瞬時にそう考え、勇敢にも自分の頬を思い切りビンタした。

「いっちい……!」

 私はビンタした手の平で自分の頬をさする。とりあえずこれは夢ではないのだろうという結論に至ったが、だがこの大スペクタクルは一体なんの催しなのか。

 心当たりがあるといえば、無いわけではなかった。無論、ヒルデさん、千道さん、古月君の三名だ。異世界の魔法とやらならどこかのファンタジー映画で見たような、こんな結界を貼る事も不可能ではないだろう。天狗も然り、鬼道やら呪術的な何やらでこんな事を出来そうだ。宇宙人なら己の力によらずとも、別のアプローチ、つまりオーバー・テクノロジーを持ち出してこういった不可解な現象を生み出す事も可能だろう。

 只、彼らがそんな事をする理由が見当たらなかった。何かを隠しているようにも見えないし、第一彼らは振り回されている側だ。殊更騒ぎを大きくしたところで何のメリットがあるだろう。

「とにかく」

 私が時計を見ると、針は七時過ぎを差していた。この時間ならまだ部活終わりの生徒だったりがいるだろうし、職員室にも先生がいるであろう。ならば、先ずは合流する事が先決だ。

 美術室の入り口に向かう途中、私は思わず苦笑する。こんな異常事態なのに、自分が驚くほど落ち着いていたからだ。多分、これはあの三名との邂逅があったから、それが丁度良いクッションになったのかもしれない。

 とはいえ多少は怖かった。しかしこのまま呆然としていてもどうしようもないので、美術室の電気を消し、職員室まで早歩きで私は向かった。

 廊下は外からの正体不明の明かりのせいか、なんとか懐中電灯なしで歩ける程の明るさであった。そして向かう途中、そういえば先日私のメールアドレス宛に何やら可笑しなメールが届いていた事を思い出した。メールの文面はこうだ。

 

   菅原あさひ、

   ひょっとして君は私達に無関心なのか。無視を決め込むつもりなら――


 文面はここで途切れていた。送信主は一般的に普及しているフリーのメールサービスを使って送られており、差出人は「nebudhikusugeora@xxxxx.com」などというメールアドレスであった。十中八九只の迷惑メールでメールアドレスも使い捨てのものだろうと高をくくっていたが、今考えてみると、このメールは例の私にちょっかいをかけようとしているあの偏屈な団体からのものではなかったのだろうか。

「おのれ」

 なんとなく、これが誰かを傷付けたりするようなものではない事は分かった。しかしだ、今回のは度を過ぎた蛮行だと私は珍しく義憤に駆られた。

「子供じゃあるまいし」

 私はぽつりと呟いた。悪戯にも流儀というものがなければならない。他人を巻き込むにしても最大限の配慮と考慮をしなければいけないのだ。それが悪戯をする者の鉄則だ。度を越えたちょっかい、悪戯は只のいじめだし、只の問題行動だ。だから私は配慮を欠いたこんな大それた行動を起こした犯人を見つけ次第、往復ビンタ一万回の刑に処さねばならないと思っていた。

 階段を降り一階へと着いた私は職員室へと向かう。見ると、職員室から廊下に明かりが漏れているではないか。私は職員室のドアに駆け寄り、なんの遠慮もなく思い切りドアを横に引いた。

「って、え」

 何せ電気が付いていたのだ、だから戸を開けた先には当然先生がいるものだと思っていた。

 しかし職員室は空であった。人の気配など全く無く、駄目元で机の下を覗き見ても案の定蛻もぬけの空であった。

「まじか」

 私は呟き、そして理解した。

 この摩訶不思議な空間は、私だけのために用意されたものなのだと。だから、他に巻き込まれた人などいないのだろう。

 一体いつからこの空間に引きずり込まれたのか見当もつかない。私はずっと美術室にいて、作品制作に精を出していただけなのに。美術室を丸ごとこの異空間に転移でもさせたのかもしれない。よく分からないが、そんな仕組みを考察したところで、この状況が好転するわけでもないだろう。きっとここには私一人、自分の力でなんとかしなければならない。そうしなければ、これを仕込んだ不遜な連中に泣きべそをかきながらこう懇願する羽目になる。「お願いします! 反省しましたから帰して下さい!」などと。

 そんなのは絶対にごめんだ。なんで私が無様に謝らなければならないのだ。膝をついて土下座するのは相手の方だ!

「よし」

 こうなれば強行突破だ。普段の自分からは考えられない程の短絡的な行動だとは思ったが、相手はどうせ出鱈目な事をしでかした連中なのだ。今更こそこそ小細工をしていてなんになるというのだ。

 私は校内履きのまま校舎の入り口から飛び出す。外も静まり返っており、校外からの車の音も鳥の鳴き声も聞こえない。まるで世界が静止したかのようだ。

 私は風もないそこを構わず校門に向かって歩き出した。そして、校門の目の前で石ころを拾い、それを校門の向こうの白く光る膜に投げてみた。理由は至極簡単である。この膜が結界とかそういう類のものであるならば、私が投げた石は跳ね返ってくるだろうからである。

 しかし、石は跳ね返る事もなく向こうへと難なくすり抜けていった。これはひょっとしていけるのではないか、私はそう思って思い切って校門の向こうへと飛び込んだ。

 端的に言って、私は阿呆だった。石がすり抜けられるからといって、人間がすり抜けられるとは限らない。

「いってえぇ」

 白く光る膜に跳ね返され、私は情けない呻き声を出しながら地面に転がった。

「もー、一体なんなのよう」

 流石の私もこれには参ってしまった。解決策が全く見つからないし、これの仕掛け人が何を考えているのか何処にいるのかさっぱり見当もつかないからだ。只単に、私が困っている様子を見るのが楽しくて仕方がないだけなのかもしれないが。

 考えていても仕方がない。校門にいてもどうしようもないので、大人しく校舎内に戻ろうとした時であった。

「あっ」

 校舎の一階から二階を繋ぐ踊り場に人影があった。

 私以外に巻き込まれた人がいるらしい。私は急いで校舎の中に戻る。昇降口を駆け、階段を駆け上がる。

「待って!」

 私は階段の上にまだ先程の人影がいるのを捉えたが、その人影はどういうつもりなのか、私から逃げるように二階へと駆け上がっていった。顔はよく見えなかったが、服は大鶴高校のセーラー服だった。そして、微かであるが、笑い声が漏れていた。

 私は迷わず追っていった。私も普通の人間だ。一人に慣れているとはいえ、こんな事態なのだ。誰かがいた事で少しくらい安堵したっていいじゃないか。

 二階へ上がり、階段へ上がった時であった。

「いたっ」

 思い切り誰かとぶつかり、思わず尻もちをつきそうになってしまった。

「すみません、大丈夫ですか」

 あっ、とその美男子は口から漏らした。

「なんで貴方がここに」「何故あさひさんがここに」

 ほぼ同時に、両者は目の前の人間を見てそう言った。

 私の目の前に現れたのは森須さんであった。

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