2章・第8話 故郷からXXXXX光年③
「伝えるべき事では伝えた。では俺はこれで失礼する」
店の前で古月君は言った。日が沈みかけという事も相まってか人通りは少なく、周りにいる通行人といえば反対側の歩道を歩く三十代くらいの女性くらいであった。
「古月君、気を付けてね」
「ああ、ありがとう。いや、しかし……」
そう言って私を見たまま、古月君は顎に手を当てて私を見る。
「ん、何? 何かついてる?」
「いや、じろじろ見て済まない。昔、お前のような子がいたなと思っただけだ。最早おぼろげな記憶だが」
「へえ、そうなんだ。まあ世界は広いし、似たような人間の一人や二人、三人くらいはいるでしょ」
「確かにそうだな。ではな、菅原あさひ。お前も周りに気を付けて帰れ。夜の世界というのは物騒だからな。なんだったら送るが」
「いや、流石にそこまではいいよ」
「そうか。ではな、重々気を付けて帰れ」
そう言って、古月君は行ってしまった。
「さて、と」
私は古月君とは反対方向に歩き出そうとした時だった。
「おや」
前方から聞き覚えのある呑気そうな声がした。私がその顔を見ると、その声の主は森須さんであった。
「な、森須さん」
「ええ、お久しぶり、という程でもないですね。どうも」
「なんでここに」
「いえ、ちょっと頼まれ事がありましてこの辺りに来ただけです」
「はあ」
探偵の仕事か何かだろうか。彼はジャケットこそ羽織ってはいなかったものの、薄いストライプの入ったワイシャツにベストという出で立ちであった。しかし、事件にしてはサイレン音なども聞こえない。そう思ったが何も探偵の仕事が殺人事件の推理だけではあるまい。というか、むしろそういう方が少ないだろう。多分、失踪依頼などそんな感じの類か。
「ああ、先程の方はどなたでしょうか? 見たところ、うちの生徒のようですが」
「あ、えーとですね。今日高校に転入してきた古月君という子です」
こんなシチュエーション的に古月君の事を話したくはなかったが、誤魔化したところで相手は探偵だ。おまけに同じ高校に通っている以上、彼の事が分かるのは時間の問題だろう。なら、隠さず正直に話した方が得策である。
「ま、学校生活の事で少々話していただけですよ。ほら、転校生は何かと大変でしょうし」
「そうですか」
「ですから、ここで見た事はそのー」
「ええ、勿論見なかった事にしておきます」
「ありがとうございます」
「ところであさひさん。その後どうですか?」
「え、どうって?」
「怪文書の件です。何か掴んだり、何か起きたりしましたか?」
「いえ、それがこれといって何も進展はないんです」
実際のところ進展が無いわけではなかったが、あえて話さない事にした。単純な話、面倒な事になりそうだったからだ。異世界人だの天狗だの宇宙人だの、そんな話を目の前の男にしてみるがいい。私の事を哀れみの目で見てくるであろう。そこに悪意はないのだろうが、こんな気取った男にそんな仕打ちを受けるなんて屈辱以外の何物でもない。
「そうですか。それは残念」
「森須さんの方はどうですか? なんか出処を調べたりとかしましたか?」
「いえ、私の方もさっぱりですよ」
「そうですか。うーん。あのですね、森須さん」
「はい?」
「私は思うのですが、犯人はもうこの怪文書の事を忘れかけてるのではないでしょうか?」
「と言いますと」
「森須さん、怪文書が届いてから何日経ちますか?」
「大体二週間くらい前ですね。もっと具体的な日にちは必要ですか?」
「いえ、それで十分です。何が言いたいのかといいますと、それだけ日数経って音沙汰なしなんて可笑しくはないですか?」
「まあ、少しは不自然には感じますね」
「こんな馬鹿な事を考え付いて実行に移してしまうのは、思春期の中高生や大学生くらいですよ。加えて私の名を騙る人間、つまり私と接点がある人間になります」
「私の名を騙る人間、ですか?」
「あ、間違えました。名は騙ってないですね」
前三人の怪文書と混同してしまったようだ。慌てて私は訂正する。
「兎に角、私を名指ししてくる以上は私と接点がある人間という可能性が高いです。私は社会人とそんなに接点が無いですから、必然的に高校生か中学生か、あっても大学生くらいになります。それで私は思うに、この犯人は一時の気の迷いでこんな悪戯を思い付いたがやっぱり面倒臭くなって止めてしまったか、あるいは怖くなって止めてしまったのだと思います」
「成程、確かに一理ありますね」
「そういうわけです。森須さん、これは私の意見ですけど、そんな怪文書は放っておけばいいのではないですか?」
「ふむ、そうですね」
森須さんは顎に手を当てて、考えをまとめるように目を伏せる。
「飽きたという確証もありませんからまだ断定するわけにはいきませんが、あの怪文書からは危険性も感じませんし、貴方の言う通り放っておいた方がいいかもしれませんね。私も悪戯に付き合っている程暇ではありません」
「そうですよ、そっちの方がいいです」
「もし犯人が飽きていなければいずれ何かしらのアクションでも起こすでしょう。その時を楽しみにでもしていましょう」
「森須さん、なんか楽しそうですね」
「迷惑な話だとは思っていますよ。でもそうですね、確かにこういう巫山戯た事は嫌ではありません。何せ私もまだ思春期の真っ只中なのですから」
では、そう言うと爽やかな笑みを残して森須さんは去っていった。
「なんで皆、余計な事が好きなのかねえ」
一人残された私は、只ポツリと呟いた。
〇
時間は有限であり、人間に出来る事は限られている。故に人間はやらなければならない事とやらなくてもいい事を分けなければならない。
そして、論理的に考えれば今回の件はやらなくてもいい事に分類されるであろう。何処かの暇人が寄り集まって結成されたであろう不毛な倶楽部のちょっかいなど、今後の自分の人生にも価値観にも成績にも生活にも友人関係にもなんら影響を及ぼさないだろうから、白眼視で無視してしまえばいいと思う。もし世界や街が滅ぶような大騒動なら、とっくに然るべき機関が動いて解決に導いてくれる筈だからである。私への参加を強引に促すのは極めて個人的な目的のためであり、とてつもなくしょうがない事を成そうとしているからに違いあるまい。そもそも、ディオゲネス倶楽部という阿呆丸出しの名前からしてそう言っている。
確かにセンセーショナルな出来事はあった。しかし、私にはやっぱり半分くらいは呑気に事を構える気持ちがあった。森須さんにも言ったように、犯人は既に飽き始めてるんじゃないかとも思っていたからだ。三人に怪文書を送ったのは数ヶ月前、そして森須さんへ送られた怪文書は二週間前。つまり、その間動きらしい動きを見せていない事になる。これが示す事はこうだ。犯人は既に愚行に飽き飽きし、もう辞めてしまったのではないかと。勿論そうと言い切れるわけではないけれど、もし犯人が私に憧れでも抱いているのであれば、このものぐさな性格も模倣するであろう。犯人は私の性格を思い出し、こんな馬鹿馬鹿しい事をするような人間ではないと気付くのだ。
そんな事をのほほんと考えていた私は例えようもない程の阿呆だった。
そうだ。犯人はこの幼稚な遊びに冷めてしまったのではない。只待っていたのだ。私達が出会う迄を。
そして事件はなんの前触れもなく起きる。
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