2章・第4話 少女妖怪②

 土曜日、学校のない私はランニングウェアで市内を歩き回っていた。美術部は活動日だったが、何分当部は自由を重んじる気風であるので参加強制などはなかった。そもそも写真組に関していえば美術室へ行っても仕方がないだろう。写真を撮るというのなら、校舎などにこもっていないで外へ繰り出さなければ話にならない。

 で、写真組ではない私が色気のない服装で外に繰り出している理由は素材探しと題材探しのためであった。私は現代技術を駆使して作品を仕上げるつもりだが、白状すると、私はなるべく効率的に作品を仕上げてしまいたいと思っている。変なこだわりは偉大な作者や作品の箔を付けこそすれ、それ単体では全く不毛なものだ。アニメーションなどにおいて、CGで再現出来るものをわざわざ手書きで描く事自体にそもそも意味はない。それが意味を持つのは、バックグラウンドを語られ得る機会がある時、そして、そのエピソードが多くの人間の目に触れられ得る時だけだろう。

 つまり何が言いたいのかというと、無駄な労力を防ぐため、素材などで代用出来る部分はなるべくそれに任してしまおうという魂胆なのであった。そして身も蓋もない事を言ってしまうと、私は楽をしたいのであった。

 市内には大きな池が中心に配置された公園がある。この公園は市民の憩いの場であり、ランナーの格好のランニング場であり、カップル達が乳繰り合う場所でもあり、有閑マダムの社交場でもあった。

 そんな人に溢れた忙しい場所に行っても仕方がないので、私はその公園の北口を出てしばらく北上した所にある小山の上の公園に行った。

「ふう」

 緩やかな坂道を登り切った私は少しだけ息を吸った。西公園と呼ばれるこの公園に私は初めて来たが、休日にも関わらず人はまばらで何か乱痴気らんちき染みた事をするのにはうってつけの場所そうであった。誤解のないように付け足しておくと、私はそんな傍迷惑な事をする予定はない。

 さて、坂を登った所にある公園の入り口には神社があり、私はそこにお参りすると展望台広場へと向かった。ふと空を見上げると脳天気な雲の漂う晴れである。私は快晴というより少し雲のある空が好きであった。それ故、この空は私の好みに実にマッチングしていた。

 先程この場所は乱痴気染みた事をするのにはうってつけの場所だと述べた。しかし、念を押しておくと本当にそんな事をしてはいけない。そんな事をするのは常識という歯車がすっかり錆びついて動かなくなってしまった阿呆だ。

 しかしであるが、常識を外れた者達は意外と身近にいるものだ。

 私は咄嗟に茂みに隠れた。

 何故なら展望台広場にはヒルデさんと、もう一人女の子がいたからである。

 グレーのシックなワンピース姿のヒルデさんはしきりに手を動かしたり首を振ったりして困ったような顔をしている。そしてその向かいにいる、パーカーにスカート姿の活発そうな少女に私は見覚えがあった。

「千道さん?」

 そう、それは千道さんなのであった。

 一体こんな所で何をしているのかと思ったが、ひょっとして、ヒルデさんが彼女を遊びにでも誘ったのかもしれない。中々大胆だと思ったが、しかしヒルデさんなら有り得るかもしれない。何せ目的のためにラブレター染みた事をやってのける人なのだから。

 しかしだ。私はバレないように物陰に隠れながらそっと彼女達に近付くと、どうやら千道さんがヒルデさんを詰問しているらしい事が分かった。

「ねえ、そうなんでしょう? 隠さなくてもいいよ」「いいえ、誤解です」「しらばっくれても無駄やけんね。貴方の正体分かってるんだから。ね、菅原さん」

 気のせいだろうか、千道さんは私の方を向いて私の名前を呼んだ気がした。ヒルデさんもつられて怪訝な顔でこちらを見ている。

 私が尚も様子を伺ってると、痺れを切らしたかのように千道さんは私に聞こえる声でこう言った。

「あれー、私の気のせいかな。菅原さんがここにいるって思ったっちゃけど、いないなら、菅原さんの秘密を言い触らしちゃおっかなー。あー確かあれは」

「ちょっと待ったー!」

 気が付くと私は物陰から飛び出し、彼女達の前に立っていた。よくよく考えてみれば、彼女が私の秘密がどういうものかについて何ら具体的な事を言っていないのに、反射的に出てしまったのは迂闊うかつとしか言いようがないが、出てしまったものは仕方がない。過ぎてしまった事を悔やむよりこれからどうするかを考えねば。

「い、いつ私の秘密を知ったか分からないけど、兎に角、それ以上喋るんだったらその口を塞がせてもらうわ」

 流血を好まない、私らしからぬ好戦的な宣言に自分でも驚いていると、千道さんはぷっと吹き出した。

「ごめんごめん。菅原さんの秘密なんか知らんって。大体、私は貴方のストーカーでもなんでもないけんね」

 やはりはったりだった。私がほっと安堵していると、千道さんはにやりと笑った。

「でも、だよ。貴方にも用があるんだ。丁度よかった」

「用? 私に?」

「そう。さっきヒルデさんにも言ったっちゃけどさ、私ね、貴方達が屋上に行っとるところを見ちゃってね。他の生徒ならいざ知らず、他ならぬ貴方達だったものだから気になって後を追って聞き耳を立てちゃってたの。そしたらまあビンゴもビンゴ。貴方達が中々ディープな話しとるわけよ」

「そんな阿呆な」

 私は思わず言った。屋上には誰も入って来なかった筈だ。仮に屋上に入るドアの前で聞き耳を立てていたとしても、碌に声も聞こえない筈。ならば最初から屋上の物陰に潜んでいたと考えるべきだが、そうなるとヒルデさんがその事を千道さんに伝えた事になる。しかし、目の前のヒルデさんのおどおどした態度を見るに、とても彼女が千道さんに何かを伝えていたとは思えない。偶然屋上に千道さんがいたと考えるのも不自然だ。何故なら、千道さんは屋上に行く私達を見たと言っているから私達が屋上に来るより前にいる筈がないし、屋上は普段鍵がかかっているから「実は二人が来る前から屋上にいました」という嘘も成立しないからだ。勿論やれば出来ない事はないだろうが、わざわざピッキングなどをしてまで禁止されている屋上に出向く理由など思い付かない。ちなみに鍵は――後で聞いた事だが――ヒルデさんが魔法で小細工をしてこじ開けたと言っていた。

 と、ここまで考えて私は思った。

 これもはったりか。そういえばさっきから千道さんは具体的な事を言っていない。

 そんな私の考えを読み取ったのか、千道さんは口元の笑みを一層深くした。

「今度ははったりじゃないよ。だって本当に聞いてたし、見とったけんね」

「な、何を」

 私が恐る恐る尋ねると、千道さんはヒルデさんの方を見て目を細める。

「ヒルデさんがエルフって言った事、それと、魔法使ってるところ」

「え」

「そんな」

 私とヒルデさんはほぼ同時に狼狽うろたえた。一体どうやって見たというのか。

「いやいや、千道さんそれって最近若者の間で流行ってるノリ? 最近流行が加速度的に移り変わるから知らなかったわ私、へへへ」

 はっと我に帰った私は巫山戯たように言った。

 当たるも八卦当たらぬも八卦。当てずっぽうでも数撃ちゃ当たるだろうし、その当たる弾が一発目という事もあり得る。千道さんは直感で言っているだけだろう、そこから入れば絶対に気付かれるドアから入ったのではない以上、空でも飛んで屋上に行かない限り、彼女が私達の会話を聞ける筈がないのだから。

 空でも、ね。

 私の背筋をぞっとする悪寒が走った。その様子を感じ取ったのか、千道さんは私を見てまたしても意味ありげな笑みを浮かべた。

「その様子だと気付いたみたいね。私にとって屋上に行くのは校舎の中からである必要はない」

 突如、穏やかであった筈の空気の流れがまるで猛獣にでも追い立てられるかのように荒々しくなった。それはどうやら私達を目として台風のように渦を巻いているようだった。私は反射的にヒルデさんを見たが、ヒルデさんは決して自分の仕業ではないという事を断固主張するように首をぶんぶんと振った。

 そうして私はその可能性に行き着いた。いや、行き着いてはいたのだが、そんな馬鹿な筈はないと高をくくっていたのだ。しかし、ここに至り私は自分を叩きたかった。ついこの前天地がひっくり返るほどの衝撃を与えられたばかりではないか。自分が小さな世界でこれまで培ってきた常識などという安っぽいフィルタなどとっととゴミ箱にでも捨てて、もっと出来の良い眼鏡をかけるべきだったのだ。

 私は千道さんを見た。

 巻き起こる風の最中心、その彼女の背後に、まるで烏のような羽が姿を覗かせていた。


       〇


 私は自分の頭の中を全力で走査し、該当したものの中で最もそれに近しいものであろう単語を呟いた。

「てん、ぐ?」

「そう、正真正銘の天狗だよ、私は」

 その瞬間、私の疑念が確信に変わった。

 そうだ、彼女が飛べるのなら私とヒルデさんの会話を聞く事も容易いだろう。何故なら、飛んで行けば気づかれないように屋上まで行き、物陰に潜む事だって可能だからだ。

「分かってくれた? 貴方達の屋上の秘め事は私に筒抜けだったって事」

 そう言った千道さんの羽根は散るように雲散霧消していき、雄々しかった風もいつの間にか先程までのように大人しくなっていた。

「それで、ヒルデさん」

 千道さんは改めてヒルデさんの方を見た。今度は真剣な面持ちである。

「貴方はこれでも、しらを切るつもり?」

「いいえ」

 諦めたようにヒルデさんは首を振った。

「迂闊でした。妖怪、こちらに来てから話に聞いた事はありましたが、本当に存在していたなんて」

「へへ、光栄ね。でも私は私で驚きだよ。まさかエルフ、しかも異世界からの客人だなんて。こりゃなんてファンタジーだ、って思ったよ」

 どうやら、千道さんは未知との邂逅を果たし、興奮しているらしい。いつの間にか蚊帳の外に置かれている私は一体どうしたらいいのか。

「はー、本当はもっと話したい事もあるんやけど、今はもっと大事な事があるからな〜」

 そう言って千道さんは少しばかり俯く。

「さっきの話、ですか」

 ヒルデさんは険しい顔付きで言った。そういう顔付きも悪くはないと私は思うが、今はそんな呑気な事を言っている場面でもない事は、場の醸し出す雰囲気からも感じ取れた。

「そうそう。今の時代、天狗の懐に忍び込むような大それた輩はそうそうおらんのやけど、異世界人でありかつ魔法なんてもの使える貴方なら造作もなさそうだもの。屋上での話は気にかかるけど、やっぱり可能性としてありそうなのは――」

「ちょっと待って」

 私は遂にいたたまれなくなり、二人の会話を遮った。二人はきょとんとした目で私を見つめている。そんな「え?」といった顔で見られても私は反応に窮するだけだ。

「私も関係あるんだかよく分かんないけどさ、取り敢えず置いてけぼりにしないで、経緯を説明して」

「はい、そうでしたね。あの、千道さん?」

「いいよ。菅原さんも無関係じゃないし、説明する」

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