2章・第3話 少女妖怪①

 ヒルデさんとの秘密の逢瀬おうせから数日。私はいつも通り学校に登校していた。天地がひっくり返るような出来事を経験したところで、私は私だ。周りにどんな劇的な人物がいようとも、依然として私が一女子高生である事に変わりなく、現実は私に学生の義務を果たすように要求してくる。だから私は地に足をつけて生活する他ないのだ。

「あさひ」

「はー、なに?」

 朝のホームルーム前、表情の読み取れない顔をした裕子に私は気怠げそうに返事をした。

「いや、別に。いつものあさひに戻ったなーって」

「いつもの私?」

「うん。最近のあさひはなんというか、ちょっと積極的だったじゃない」

「私はいつでも積極的だよ」

「人が関わらない事に関してはね」

 私は少しむっとしたが、何も言い返さなかった。全部合ってるわけではないが、確かに裕子の言っている事は全てが間違っているわけではないからだ。

「あーあ、森須さんが君に何か変化を与えるきっかけになるのかなと思ったんだけどね」

 森須京介。一瞬頭に浮かばなかったが、間もなく思い出した。恥ずかしながら、ヒルデさんとの出来事が強烈過ぎて忘れかけてしまっていたのだ。彼は彼で驚くべき人物ではあると思うが、それはあくまで現実的な範疇の中においてであった。人間は慣れる生き物である。森須京介というちょっとした非日常的存在はあっという間に日常の中に溶け込んでしまっていた。

「ってそれ、ひょっとして今の私には多分に問題があるって事?」

「いんや、それはそれで問題はないと私は思うけど」

「けど?」

「あさひが森須さんと関わる事で変わるというのも、それはそれで面白そうだし見てみたいって思った」

「また人をおもちゃみたいに。冗談、変わってたまるもんですか」

 私は半ば不貞腐れるように返事をした。

 冗談ではない。「あの人との出会いが私を変えた」なんて安っぽい宗教や成金野郎が使うようなウリ文句が私の身に起きてたまるもんか。たとえそういった人間と関わる事で将来的な成功を約束されようとも、私は絶対になびかない。精神的な敗北に勝る将来的な成功などない。そんな連中にほいほい売り渡す程、私の魂は安くはないんだ。


       〇


「菅原、ちょっと来てくれ」

 それは昼休みの事、座学の気怠さを解消しようと伸びをしていた時であった。私はクラスメイトの明石君から呼びかけられた。

「どしたのさ?」

「お前を呼んでる奴がいるんだよ」

「え」 

「ま、女の子だけどな」

「ふーん。ねえ、明石君。ちなみにそれって誰なわけ?」

「まあ、行けば分かるわ。早く行ってやれ」

 明石君に急かされるように私は気怠げに自分の席を立つ。

 もしかしたらヒルデさんだろうか、私はふと思った。昨日の今日だが、スフィアを盗んだ者について何か掴んだのかもしれない。そう思ったが、しかしそれは違っていた事をすぐに思い知らされた。

「あ、やっときたばい」

 そこにはそこはかとなく清純そうな少女がいた。セミロングの淡い黒髪を下の所で結んでいるその子は、ぱっちりした目で私を捉えると春風のような笑みを浮かべる。

「この前はどうも、菅原さん。私の事覚えてるかな」

「ああ、千道さんでしょ」

「そうそう。よかったー、覚えててくれとった」

 そう言ってほっと彼女は胸を撫で下ろす。

 彼女の名は千道楓せんどうかえで。私と同じ美術部に属する一年生である。美術部といっても彼女は写真組でありあまり接点は無かったのだが、以前部の集まりがあった時に少し話をした事があるのだった。経緯はもう思い出せないが、何故だかミステリーについて熱く語り合っていた気がするので、彼女の事は印象に残っていた。

「それで、どうしたんよ? こんなお昼時に」

「ごめんね、こんな時間に。ほんとは放課後にしようかと思ったけど、でも、どうしても早めに聞いておきたかったから」

「はあ、聞きたい事、ね」

 先日薦めていた本を読んだか、とかそんな事だろうか。しかしそのためにわざわざここまで出向いてくるというのも可笑しな話だ。となると何か別の意図があるのかもしれない。

 徐に視線を私に投げかける千道さん。

「聞きたい事っていうのはね、例の留学生の事」

「ヒルデさんの事?」

 留学生といえば先ず彼女の事しかない。しかし一体何故私なのか。

「そうそう、ヒルデさん! 私もお話してみたいんよねーって思ってたんだけど、中々話す機会が無いしなんか気後れしちゃってさ。菅原さんは彼女について知らなかったりしないかな、どんな人なのかとか」

「はあ」

 まさか彼女と会った事を勘付かれたのだろうかとも思ったが、流石にそれは考え過ぎだろう。勝手に憶測で想像を膨らませるのはよくない。多分、彼女は知り合い筋に聞いて回っており、それが今度は私だったというだけ。おおよそそんな感じだろう。

「いや悪いけど、彼女とは別クラスで接点ないんよね」

「そっかー、そうだよね」

 やっぱクラスを直接攻めるしかないかー、などと物騒な事を呟きながら、千道さんは廊下で思案する。そしてふと思い出したように顔を上げ、

「時間取らせてほんとごめん、ありがとね、菅原さん」

といって頭を下げた後、そそくさときびすを返してその場を去ろうとした。

 しかし、私が教室に戻ろうとする時、

「あ、そうだ」

 そう言って千道さんは戻ってきた。

「あさひさん、これ落としてたよ」

 そう言って彼女が差し出したのはシックなハンケチーフだった。そしてそれは、私が昨日失くしてしまった物であった。

 じゃあね、そう言って千道さんは足早に去っていってしまった。

「あ、ちょっと待って――」

 これをどこで拾ったのか、そんな私の声など聞こえる筈もなく、彼女は別の教室の中に吸い込まれるように入っていった。


       〇


   ひるでごーん:そんな事があったのね

     ちょうひ:そうなんよ


 その日の夜、私はヒルデさんとチャットアプリでやり取りをしていた。私も今時の女子高生だ。世間一般に広く普及しているコミュニケーションツールの一つや二つは駆使する。ちなみにちょうひは私のハンドルネームである。あさひ、朝日、ちょうひ、という具合である。張飛というハンドルネームも考えないではなかったが、流石にそこまでくると私の原型が無くなるので、平仮名までに留めておいた。ちなみにヒルデさんのひるでごーんは昔のアニメキャラクターの名前を参考にしたらしい。私は良く分からない。


     ちょうひ:まあ悪い子じゃないから、

          もしヒルデさんがよければ会ってやってくれんかね

   ひるでごーん:ええ

   ひるでごーん:勿論友達

   ひるでごーん:が増えるのは嬉しいしおーけーおーけーです

     ちょうひ:あんがと

   ひるでごーん:あさひさn

     ちょうひ:ん、なに?

   ひるでごーん:あの後

   ひるでごーん:貴方にコンタクトを図ってきた人はいなかった?

     ちょうひ:んにゃ、いないね。どゆ事?

     ちょうひ:おーい、おーい

   ひるでごーん:たぶん

   ひるでごーん:これは勘だけど

   ひるでごーん:貴方に接触しようとしてるのは私だけじゃないと思うの

     ちょうひ:え?

   ひるでごーん:いえ

   ひるでごーん:すみません

   ひるでごーん:ただ

   ひるでごーん:そんな予感がするというか

   ひるでごーん:杞憂かも

   ひるでごーん:でも一応心の準備くらいはあった方が楽かも

     ちょうひ:ふむふむ分かった。ありがとね、ヒルデさん

   ひるでごーん:どういたしまして


 その後、ヒルデさんからの返信はなかったので私は携帯をベッドに放って徐に部屋の天井を見つめた。なんという、なんの変哲も無い白無地の天井。見たところで、感情の起伏を促すものが何もない。

 私はぼんやりと森須さんとヒルデさんに届いた怪文書の事を考えた。しかし、考えても見当がつかなかった。多分、手がかりが不十分なんだろう。もしかしたら、今後また何か動きがあるかもしれない。しやくだが、相手の出方を待つより他無かろう。

 何せ自分は多少器用なだけの平凡な女子高生なのだから。

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